夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

にほんブログ村が建国された2004年11月21日、この当時の私の心境を思い馳せれば・・。

2014-11-21 15:09:33 | ささやかな古稀からの思い
いつものように午前中のひととき、平素の買物専任者の私は、独りで最寄りのスーパーで買い求めた後、
自宅の遊歩道を散策して、しばらくした後、ネットを立てあげたりした。

やがてブログランキングとして名高い『にほんブログ村』に加入している私は、
《・・本日11月21日、にほんブログ村は建国 10周年を迎えました・・》
と管理サイドの明記されたのを読んだりした。

そして10周年ということは、平成16年(2004)年11月21日だったと解り、
この当時の私は、どのような心情で過ごしていたのかしら、と思い浮かべたりした・・。
       
          
私は民間会社の中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く奮戦し、
2004年(平成16年)の秋に定年退職した。

こうした中で、最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となり、
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたりした。

遠い勤務地に通勤し、やかて半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、
と自身を叱咤激励しながら奮戦している中、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたりした。

或いは私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、リストラ烈風が加速され、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
       

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
       

このように私は敗残者のようなサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
         

更に私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしてきた・・。
                 

そして私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭の為か、
定年退職後の60歳以降は、私は働くことを卒業し、ささやかに年金生活を始めた。

そして厚生年金、わずかな企業年金を基盤に、程ほど貯金を取り崩しながら、
お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく過ごして、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、と願いながら年金生活を開始した。
       

この間、家内の父は10月初旬に死去し、仮通夜、通夜、本葬、告別式、初七日と日々を過ごした後、
私の定年退職時10月20日を迎え、私たち夫婦は退職後の書類、退職金などで銀行関係を廻ったりした。

そして私は関係先、知人に退職の挨拶した御礼の葉書を郵送したりし、慌ただしい日々を過ごしたりした。

こうした中、定年退職後の失業保険に関して、当初は申請して、5ヶ月分の失業手当を頂こうとした。
しかし、私は長年に及び管理畑の身であったので、これといって特別な技術もなく、
たまたま家内の父が死去された後の失墜感も加わったりした。

そして、この数年前の頃は大企業もリストラ烈風で失業された人達も多く、
私は勤める意志なく、求職される方たちの真摯な様子をホームページ、新聞、テレビのニュースなどで知ったので、
失礼と思い、失業保険の申請書を破棄したりした。

こうした心情の中、定年退職記念旅行は延期、失業保険は断念した予定外のことであったが、
人生は予定通り進まないことも多くあるので、私なりに後悔はしなかった。
       
       

年金生活を始めた当初、平素の買物は自主的に専任者と家内に宣誓したりした。
そして戸惑いながら買物の責務を終えた後、独りで近所の遊歩道、小公園などを散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
       

或いは私としては、家内より先にあの世に行くと思っているので、
私の葬儀、お墓、そして家内の独りの老後で程ほどに生活できそうな状況のことも、
話し合ったりしている。

こうした思いのある私は、定年直後に公正証書の作成できる処に出向き、
残された家内の生活が困苦しないように、私の遺言書を作成したりした。

そして自宅を処分して、2DKのマンションを購入して、残された人生を過ごされれば、
と私は家内に言ったりしている。
   

しかしながら、こうしたことは天上の神々の采配に寄るものであり、
家内に先立たれることもあり、私が独りぽっちとなることも、一年に数回ぐらいは、
おひとりさまの生活を思いめぐらすこともある。
       
             
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
           

そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。

そして私は、2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入したり、
まもなく幾つかのブログサイトに彷徨い、この【gooブログ】に定着して、今日に至っている。
       

この間、私は2008年〈平成20年〉の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していた・・。

やがて『にほんブログ村』に於いては、投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、
私の投稿文毎にどのくらい読んで頂いたか、と目安ができるので、ふたたび本加入させて頂いたのは、
2010年〈平成22年)9月28日であった。

そしてシニア世代の数多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
こうした思い、お考えで日常を過ごされているのか、と深く感じながら、
確かな生きた人生の教科書と教示されたりしている。

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