昨夜、ブログランキングとして名高い『にほんブログ村』に加入している私は、
《・・平成16(2004)年11月21日のインターネット記念日に
にほんブログ村は産声を上げました。
あれから10年、月日の経つのは速いもので、来る平成26年11月21日、
にほんブログ村は建国10周年を迎えます。・・》
このような管理サイドの告知を読んで、確か私はブログを始めたのは、この頃だったと思いながら、
机の引き出しにある小さなカレンダーを見て、
2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ】に加入、と私は記入していた・・。
この後、この当時の2004年(平成16年)11月の頃を思い馳せたりした・・。
私は1970年(昭和45年)の春、この当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に、
何とか中途入社出来たのは、25歳の時であった。
そして音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
私が勤めてきた中小業の多い音楽業界の各レコード会社は、
1970、そして80年代はそれぞれのレコード会社は躍進したが、
1990年代を迎えると、特に外資系は、世界市場の中でアメリカに続いて、日本が第二位となり、
抜きん出た市場となり、本国の要請で利益の追求が厳しくなり、
やかて各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。
そして1998年(平成10年)に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば1999年(平成11年)の2月に、
取引先の物流会社に出向を命じられた。
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、と思いながら精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このように私は拙(つたな)いサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
更に私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしてきた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭の為か、
定年退職後の60歳以降は、私は働くことを卒業し、厚生年金を基盤に程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに年金生活をして、
お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく過ごして、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、と願いながら年金生活を始めた。
この間、家内の父は10月初旬に死去し、仮通夜、通夜、本葬、告別式、初七日と日々を過ごした後、
私の定年退職時の10月20日の正式日に迎え、退職後の書類、退職金などで銀行廻りをしたり、
関係先、知人に退職の挨拶した御礼の葉書を郵送したりし、慌ただしい日々を過ごしたりした。
我が家はインターネットを開設したのは、私が定年退職する数ヶ月前であった。
この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンにインターネットを開設したならば、友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったのである。
私は現役サラリーン時代は情報畑に20数年従事し、1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑として奮戦していたので、コンピュータの世界が解かっていたが、
その後は人事異動して利用者側の間接部門となったので、
やがて先端技術は解からず、社内システムのオンラインの端末機を利用したり、或いはパソコンを活用し、
業務に従事していたぐらいであった。
このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webのネット世界の環境には、急速に進化を増したことに驚きながら溜息を重ねて、出遅れたと感じたりした・・。
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入したり、
まもなくブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入し、
原則として毎日投稿したのは、2004年(平成16年)11月17日であった。
その後、ブログ形式に準じた【すくすくブログ】を知り、
気楽に綴れる専用サイトとしたのは、翌年の2005年(平成17年)1月11日であった。
一週間ぐらい投稿したが、会員数の多い【gooブログ】を知り、取り止めたりした。
この後、この【gooブログ】に加入して、
少し気楽に団塊世代、社会、政治・経済の諸問題を綴ろうと思い、投稿をはじめたのは、
2005年(平成17年)1月19日であり、この日から3,583日が過ぎている。
この後は、会員数の多い【gooブログ】とブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】
二刀流のようなそれそれと差異のある投稿文を重ねて一年半ばかりした。
特に【gooブログ】は政治・経済に関しては、専門知識がなく素人の感性で、
投稿文を認(したた)めてきたが、つたなさ、そして無責任の広言を反省し、投稿を中止した。
やがて2007年(平成19年)、肝要の本命である【簡単gooホームページ】が9月末で閉鎖と知り、
8月より半ばより、これまで投稿文が移動できるブログ形式に準じた【OCN Cafe】を知り、
やむなく加入したりした。
この間、2008年(平成20年)の春先から、少し悩んだりした・・。
定年退職後の3年半、このように4つのブログ系のサイトに加入して書き散らしてきたが、
4月の初めに、山口百恵ちゃんの歌にあるプレイバックのように振り返った時、
何かしら今までの数多くの投稿文は、鍋物の《ごった煮》のような思いを深めたりした。
そして投稿を休止していたブログ【gooブログ】に、今まで書き散らかした投稿文3000通前後を
コピーしながら整理、統合し始めたりした・・。
そして2008年(平成20年)4月中旬から本格的に【gooブログ】を再開させて、
私が幼少時代から年金生活の今日までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
やがて併設していた【OCN Cafe】は、2010年(平成22年)7月で中止し、
これ以来【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』を単独とした。
この後、2年前の初めの頃に、『夢逢人たわむれ記~かりそめ草紙~』とタイトルを改称した後、
『夢逢人かりそめ草紙』と短縮して今日に至っている。
年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
こうして年金生活を丸10年が過ぎ、明日の12日にブログ開設して丸10年を迎え、
私はパソコンの故障、国内旅行をしていない限り、毎日一通は投稿文を送信してきた。
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と思いながら、微苦笑したりしている。
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このような管理サイドの告知を読んで、確か私はブログを始めたのは、この頃だったと思いながら、
机の引き出しにある小さなカレンダーを見て、
2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ】に加入、と私は記入していた・・。
この後、この当時の2004年(平成16年)11月の頃を思い馳せたりした・・。
私は1970年(昭和45年)の春、この当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に、
何とか中途入社出来たのは、25歳の時であった。
そして音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
私が勤めてきた中小業の多い音楽業界の各レコード会社は、
1970、そして80年代はそれぞれのレコード会社は躍進したが、
1990年代を迎えると、特に外資系は、世界市場の中でアメリカに続いて、日本が第二位となり、
抜きん出た市場となり、本国の要請で利益の追求が厳しくなり、
やかて各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。
そして1998年(平成10年)に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば1999年(平成11年)の2月に、
取引先の物流会社に出向を命じられた。
もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、
私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、と思いながら精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
このように私は拙(つたな)いサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
更に私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしてきた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭の為か、
定年退職後の60歳以降は、私は働くことを卒業し、厚生年金を基盤に程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに年金生活をして、
お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく過ごして、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、と願いながら年金生活を始めた。
この間、家内の父は10月初旬に死去し、仮通夜、通夜、本葬、告別式、初七日と日々を過ごした後、
私の定年退職時の10月20日の正式日に迎え、退職後の書類、退職金などで銀行廻りをしたり、
関係先、知人に退職の挨拶した御礼の葉書を郵送したりし、慌ただしい日々を過ごしたりした。
我が家はインターネットを開設したのは、私が定年退職する数ヶ月前であった。
この当時の私は、数多くの同世代の人たちと同様に、多忙の現役サラリーマン時期であり、
自宅のパソコンにインターネットを開設したならば、友人たちと電子メールの交流の時間に余裕もない思いがあり、
退職後からすればよいと思いがあったのである。
私は現役サラリーン時代は情報畑に20数年従事し、1990年(平成2年)の初めの頃までは、
ある程度は専門畑として奮戦していたので、コンピュータの世界が解かっていたが、
その後は人事異動して利用者側の間接部門となったので、
やがて先端技術は解からず、社内システムのオンラインの端末機を利用したり、或いはパソコンを活用し、
業務に従事していたぐらいであった。
このような体験があったが、いざ自宅でパソコンにインターネットを連動させた時、
Webのネット世界の環境には、急速に進化を増したことに驚きながら溜息を重ねて、出遅れたと感じたりした・・。
そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
そして私は、2004年(平成16年)11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入したり、
まもなくブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入し、
原則として毎日投稿したのは、2004年(平成16年)11月17日であった。
その後、ブログ形式に準じた【すくすくブログ】を知り、
気楽に綴れる専用サイトとしたのは、翌年の2005年(平成17年)1月11日であった。
一週間ぐらい投稿したが、会員数の多い【gooブログ】を知り、取り止めたりした。
この後、この【gooブログ】に加入して、
少し気楽に団塊世代、社会、政治・経済の諸問題を綴ろうと思い、投稿をはじめたのは、
2005年(平成17年)1月19日であり、この日から3,583日が過ぎている。
この後は、会員数の多い【gooブログ】とブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】
二刀流のようなそれそれと差異のある投稿文を重ねて一年半ばかりした。
特に【gooブログ】は政治・経済に関しては、専門知識がなく素人の感性で、
投稿文を認(したた)めてきたが、つたなさ、そして無責任の広言を反省し、投稿を中止した。
やがて2007年(平成19年)、肝要の本命である【簡単gooホームページ】が9月末で閉鎖と知り、
8月より半ばより、これまで投稿文が移動できるブログ形式に準じた【OCN Cafe】を知り、
やむなく加入したりした。
この間、2008年(平成20年)の春先から、少し悩んだりした・・。
定年退職後の3年半、このように4つのブログ系のサイトに加入して書き散らしてきたが、
4月の初めに、山口百恵ちゃんの歌にあるプレイバックのように振り返った時、
何かしら今までの数多くの投稿文は、鍋物の《ごった煮》のような思いを深めたりした。
そして投稿を休止していたブログ【gooブログ】に、今まで書き散らかした投稿文3000通前後を
コピーしながら整理、統合し始めたりした・・。
そして2008年(平成20年)4月中旬から本格的に【gooブログ】を再開させて、
私が幼少時代から年金生活の今日までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
やがて併設していた【OCN Cafe】は、2010年(平成22年)7月で中止し、
これ以来【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』を単独とした。
この後、2年前の初めの頃に、『夢逢人たわむれ記~かりそめ草紙~』とタイトルを改称した後、
『夢逢人かりそめ草紙』と短縮して今日に至っている。
年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
こうして年金生活を丸10年が過ぎ、明日の12日にブログ開設して丸10年を迎え、
私はパソコンの故障、国内旅行をしていない限り、毎日一通は投稿文を送信してきた。
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と思いながら、微苦笑したりしている。
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