私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
平素の殆どは、日常の買物専任者の私は、家内から依頼された買物を終えた後、
その後も独りで自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、小公園、都立の公園、
或いは小学時代の通学路などを歩き廻り、
季節のうつろいを享受している。

私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に死去され、
築後36年の独り住まいの生活をされて、10年が過ぎている・・。
そして家内の母は、我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
築後40数年を越えた一戸建てに住んでいる。
こうした中で、家内は実家に過ぎし13日より昨日の22日まで9泊10日間で行って、
昨夕の5時過ぎに帰宅した。
独り住まいの家内の母は、身の廻りのことが出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、暖冷房器具、衣服、庭の手入れをなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、程ほど長期に滞在し、孤軍奮闘を重ねている。
この間、家内は家内の母の宅で奮戦し、私は『おひとりさま』の独りぼっちの生活となり、
万一、私を残して家内に先立たれた場合、『おひとりさま』となってしまうので、
特別演習かしらと思いながら過ごしてきた。
そして何かと愚図な私は、気まぐれに食事、掃除、洗濯をしてきたが、
手抜きと称される簡略に何事も済ませてしまうので、家内のいる平素の日常生活から落第生だ、と苦笑したりしてきた。
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような果てだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、
その直後から年金生活をし、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
もとより家内は少なくても料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の専任者となっている。
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回前後は淹れたりしている。
私は過ぎしの9月の誕生日を迎え、古希と称される70歳に進級して、
家内は12月下旬に65歳の高齢者入門の身となるので、
世の中から区分される高齢夫婦無職世帯となるが、ささやかながら第二の人生を享受している。
そして私は定年後から年金生活をしてきたが、何かしら現役サラリーマン時代の緊張感が無くなり、
時折ぼんやりとしながら、確か65歳の高齢者になった頃から、体力の衰えを実感している。
我が家は無念ながら金庫がなく、新築した36年前より、最寄りの銀行の貸金庫を利用している。
こうした時、私たち夫婦は重要な不動産に関する書類、定期貯金通帳などをあずけているので、
私たちは出し入れをする時は、間違いないようにも、必ずふたりで確認してきた。
やがて年金生活を始めてからは、どちらかがボケたり、死去することも恐れ、
銀行、郵便局で100万円の出し入れをする時は、お互いに確認したりしてきた。
或いは人通りの少ない道に家内が出かけたり、ときおり家内の要望で駅前に買物をしたり、
年に4回ぐらいは都心の新宿のあるデパートに買い物をする時は、
体力の衰えた高齢者の私でも、一家の主(あるじ)の責務と確信を深めて、
家内のボディーガード兼お供、そして荷物持ちで、共に出かけたりしてきた。
ときおり小庭の手入れに関しては、私の責務の範疇となっているが、
蚊の出る5月下旬頃から10月頃を除き、体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けている。
こうした理由の根底には、私が定年後まもなくして、
ご近所より少し広い我が家は、植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたので、、
家内は3泊4日ぐらいの私たちの旅行が2回ぐらいできるわ、と私に言い、強力な支援の根源となっている。
初夏の陽射しが射す頃には、我が家は家内の指揮のもとで、 簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、
ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。
洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。
そして居間を中心に、和室、洋室、茶室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。
こうした時は、納戸に保管している簾〈すだれ〉を家内の陣頭指揮のもとで、
何かとノロマな私でも、頼りない助手となって、取り付けたりしている。
このように私たち夫婦は、ふたりで一人前だょねぇ、とお互いに微苦笑してきた。
私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
我が家は築後36年の古びた一戸建てであるが、
この間、何か火災、戸締りの不備などで、最悪の場合、もう一度新たに新築するようなことがあったならば、
老後の貯金は大幅に減少し、もとより残された老後の生活も変更が余儀なくされるので、
何かと小心者の私は、もとより困苦する・・。
こうした根底からして、平素の戸締りなどは主(あるじ)の責務として私は、
毎夜9時前後には、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
こうした時の多くは、この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしている。
こうした後に大半は
『ご苦労であった!』
と家内は私に言うのである。
私の現役サラリーマンの長き時代に於いては、孤軍奮闘して帰宅後に、
ご苦労さまでした、と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
ここ6年前の頃から、 どうしてなのょ、と私は不思議に思ったりした。
そして思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
昨日、家内が帰宅する日だったので、私は午前の10時より各部屋の掃除、台所の皿洗いなどをして洗い清めたりした。
やはり勝手気ままに『おひとりさま』を過ごしてきた私でも、あまりにも平素より汚れていると気になったのである。
もとより家内は家内の母の宅で孤軍奮戦し、私はのんびりと過ごしてきたので、
疲れ切った家内に、余りにも態度傲慢と思いながら、掃除機を持ちながら、各部屋を掃除をしたが、
やはり平素の家内がするようには及ばず、まぁいいとしょう、と微苦笑したりした。
やがて昼過ぎに家内から電話連絡があり、途中の都心のデパートの食品売り場に寄るが、と私は聴き、
『夕食の代わりに、チキンのスパイシーと和風仕立てに焼いたのを・・』
と私は要望した。
そして家内は夕方の5時に帰宅後、私は雨戸を閉めたりしたり、
お風呂のガスを点(つ)けたり、沸かす準備をしたりした。
やがて私はお風呂に入った後、家内にお風呂に入っている間、
私は居間でテレビのニュースを視聴しながら、
話し相手のいない独りぽっちの生活は、確かに寂しいかったょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
この後、夕食の代わりに家内が買い求めてきたチキンの5品、
そしてキャベツ、ニンジンの千切りをお互いにビールを呑みながら頂いたりした。
『こうした情景は、クリスマス・イブの先取りだよねぇ・・』
と私は言ったりして、家内を笑わせたりした。

やがて私たちは一時間ばかり談笑してた後、家内は寝室に向かい、
私は独りで我が家を保守してきた疲れを感じて、早めに寝ようと8時半過ぎに布団にもぐりこんだ。
そして目覚めると真夜中の1時過ぎて、やがて居間に降り立ち、
昨日の夕刊を読んだりした後、ネットでニュースを読んだりしたり、
私が愛読している方の投稿文を読ませて頂いたりした。
やがて家内は5時過ぎに起きてきて、
『ふだんより、早いじゃありません』
と言ったりした。
『早く寝てしまったから・・早寝、早起き元気な児だょ・・』
と私は応(おう)じたりした。
、
そして家内は洗濯物を洗濯機にセットしたりした。
その後、私は家内にコーヒーを手渡したりした。
こうした私たち夫婦は、平素の日常生活に戻り、我が家はふたりで一人前の家庭だ、
と私は思いながら、煎茶を飲んだりした。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
平素の殆どは、日常の買物専任者の私は、家内から依頼された買物を終えた後、
その後も独りで自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、小公園、都立の公園、
或いは小学時代の通学路などを歩き廻り、
季節のうつろいを享受している。

私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に死去され、
築後36年の独り住まいの生活をされて、10年が過ぎている・・。
そして家内の母は、我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
築後40数年を越えた一戸建てに住んでいる。
こうした中で、家内は実家に過ぎし13日より昨日の22日まで9泊10日間で行って、
昨夕の5時過ぎに帰宅した。
独り住まいの家内の母は、身の廻りのことが出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、暖冷房器具、衣服、庭の手入れをなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、程ほど長期に滞在し、孤軍奮闘を重ねている。
この間、家内は家内の母の宅で奮戦し、私は『おひとりさま』の独りぼっちの生活となり、
万一、私を残して家内に先立たれた場合、『おひとりさま』となってしまうので、
特別演習かしらと思いながら過ごしてきた。
そして何かと愚図な私は、気まぐれに食事、掃除、洗濯をしてきたが、
手抜きと称される簡略に何事も済ませてしまうので、家内のいる平素の日常生活から落第生だ、と苦笑したりしてきた。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような果てだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、
その直後から年金生活をし、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
もとより家内は少なくても料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後は日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の専任者となっている。
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回前後は淹れたりしている。
私は過ぎしの9月の誕生日を迎え、古希と称される70歳に進級して、
家内は12月下旬に65歳の高齢者入門の身となるので、
世の中から区分される高齢夫婦無職世帯となるが、ささやかながら第二の人生を享受している。
そして私は定年後から年金生活をしてきたが、何かしら現役サラリーマン時代の緊張感が無くなり、
時折ぼんやりとしながら、確か65歳の高齢者になった頃から、体力の衰えを実感している。

我が家は無念ながら金庫がなく、新築した36年前より、最寄りの銀行の貸金庫を利用している。
こうした時、私たち夫婦は重要な不動産に関する書類、定期貯金通帳などをあずけているので、
私たちは出し入れをする時は、間違いないようにも、必ずふたりで確認してきた。
やがて年金生活を始めてからは、どちらかがボケたり、死去することも恐れ、
銀行、郵便局で100万円の出し入れをする時は、お互いに確認したりしてきた。
或いは人通りの少ない道に家内が出かけたり、ときおり家内の要望で駅前に買物をしたり、
年に4回ぐらいは都心の新宿のあるデパートに買い物をする時は、
体力の衰えた高齢者の私でも、一家の主(あるじ)の責務と確信を深めて、
家内のボディーガード兼お供、そして荷物持ちで、共に出かけたりしてきた。
ときおり小庭の手入れに関しては、私の責務の範疇となっているが、
蚊の出る5月下旬頃から10月頃を除き、体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けている。
こうした理由の根底には、私が定年後まもなくして、
ご近所より少し広い我が家は、植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたので、、
家内は3泊4日ぐらいの私たちの旅行が2回ぐらいできるわ、と私に言い、強力な支援の根源となっている。

初夏の陽射しが射す頃には、我が家は家内の指揮のもとで、 簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、
ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。
洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。
そして居間を中心に、和室、洋室、茶室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。
こうした時は、納戸に保管している簾〈すだれ〉を家内の陣頭指揮のもとで、
何かとノロマな私でも、頼りない助手となって、取り付けたりしている。
このように私たち夫婦は、ふたりで一人前だょねぇ、とお互いに微苦笑してきた。

私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
我が家は築後36年の古びた一戸建てであるが、
この間、何か火災、戸締りの不備などで、最悪の場合、もう一度新たに新築するようなことがあったならば、
老後の貯金は大幅に減少し、もとより残された老後の生活も変更が余儀なくされるので、
何かと小心者の私は、もとより困苦する・・。
こうした根底からして、平素の戸締りなどは主(あるじ)の責務として私は、
毎夜9時前後には、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
こうした時の多くは、この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしている。
こうした後に大半は
『ご苦労であった!』
と家内は私に言うのである。
私の現役サラリーマンの長き時代に於いては、孤軍奮闘して帰宅後に、
ご苦労さまでした、と家内は優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
ここ6年前の頃から、 どうしてなのょ、と私は不思議に思ったりした。
そして思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。

昨日、家内が帰宅する日だったので、私は午前の10時より各部屋の掃除、台所の皿洗いなどをして洗い清めたりした。
やはり勝手気ままに『おひとりさま』を過ごしてきた私でも、あまりにも平素より汚れていると気になったのである。
もとより家内は家内の母の宅で孤軍奮戦し、私はのんびりと過ごしてきたので、
疲れ切った家内に、余りにも態度傲慢と思いながら、掃除機を持ちながら、各部屋を掃除をしたが、
やはり平素の家内がするようには及ばず、まぁいいとしょう、と微苦笑したりした。
やがて昼過ぎに家内から電話連絡があり、途中の都心のデパートの食品売り場に寄るが、と私は聴き、
『夕食の代わりに、チキンのスパイシーと和風仕立てに焼いたのを・・』
と私は要望した。
そして家内は夕方の5時に帰宅後、私は雨戸を閉めたりしたり、
お風呂のガスを点(つ)けたり、沸かす準備をしたりした。
やがて私はお風呂に入った後、家内にお風呂に入っている間、
私は居間でテレビのニュースを視聴しながら、
話し相手のいない独りぽっちの生活は、確かに寂しいかったょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
この後、夕食の代わりに家内が買い求めてきたチキンの5品、
そしてキャベツ、ニンジンの千切りをお互いにビールを呑みながら頂いたりした。
『こうした情景は、クリスマス・イブの先取りだよねぇ・・』
と私は言ったりして、家内を笑わせたりした。

やがて私たちは一時間ばかり談笑してた後、家内は寝室に向かい、
私は独りで我が家を保守してきた疲れを感じて、早めに寝ようと8時半過ぎに布団にもぐりこんだ。
そして目覚めると真夜中の1時過ぎて、やがて居間に降り立ち、
昨日の夕刊を読んだりした後、ネットでニュースを読んだりしたり、
私が愛読している方の投稿文を読ませて頂いたりした。
やがて家内は5時過ぎに起きてきて、
『ふだんより、早いじゃありません』
と言ったりした。
『早く寝てしまったから・・早寝、早起き元気な児だょ・・』
と私は応(おう)じたりした。
、
そして家内は洗濯物を洗濯機にセットしたりした。
その後、私は家内にコーヒーを手渡したりした。
こうした私たち夫婦は、平素の日常生活に戻り、我が家はふたりで一人前の家庭だ、
と私は思いながら、煎茶を飲んだりした。
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