夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

女性、男性の文章の違いを学び、ブログ11年生の私は、微苦笑させられて・・。

2014-11-17 15:11:29 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
年金生活をしていると何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)10月下旬に定年退職し、
多々の理由により年金生活を始めて、早くも10年が過ぎて、
過ぎし9月下旬に古希と称される70歳を迎え、
ピカビカの小学一年生のような不安と希望を秘めて、70代を歩き始めているひとりである。
             
    
私は定年退職して、まもない時に『ブログ』の世界を知り、
2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、10年近くになっている。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
          

このような軌跡で、ブログの世界を知って丸10年となり、11年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
               

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
                      

午前中のひととき、ネットでニュースを見ている中で、偶然に、
『なぜ、「彼女」や「奥さん」のメールは やたらに行間が空いているのか』
と見出しを見て、どういうことなのょ、とクリックしてしまった。

この記事は、ビジネス情報誌として名高い『週刊ダイヤモンド』のネットの『ダイヤモンド・オンライン』で、
この中のひとつに『書籍オンライン』があり、ひとつの連載記事として『男女脳戦略』と解った

そして執筆された方は、メンタリストのDaiGoさんであり、
『男女脳戦略』の第4回として、2014年10月27日に配信され、
私が多々学んだことを無断であるが、記事の大半を転載させて頂く。
       
       

《 ・・(略)・・女性から来たメールを読んでいて、「もう終わりかな」と思ったら、
数行空いてまだ下に文章があった─―こんな経験のある男性は意外と多いのではないでしょうか。

メールに限らず、ブログやフェイスブックの投稿などでも、
「文章にやたらと行間が多い」のは、まさに女性脳ならではの表現方法と言えるでしょう。

ほとんどの男性はそういう書き方をしません。

行間を空けるのは、雑談から本題に入るとか話題が大きく変わるときくらいで、
それ以外は行間を詰めて書くのが男性脳の表現方法です。

理論的でシステム的な男性脳は、言葉にフィーチャーする言語中枢が発達しているため、
文字や言葉そのものに意味を求めようとします。

結果、メールやブログでも整然と並んでいる文章のほうが読みやすいし、
言いたいことを伝えやすいと考えるのです。
       

ところが、女性脳は感情にフィーチャーする脳。
そのため、伝えたい感情を文字だけでなく、別の形でも表現しようと考えます。
それが「広く空けた行間」とか「絵文字の多用」という形になって表れるのです。

女性が書いたメールや文章にある行間は、ただの空きスペースではありません。
そこには何らかの感情が詰まっています。
コミュニケーション能力の高い女性は、行間すらコミュニケーションの手段として利用しているのです。

しかし、言葉だけに意味を求める男性脳は、「行間を読む」ことが苦手というか、
そこに込められた感情に気がつかないのです。
男性脳の人にしてみれば、文字はそのままの意味でしかないからです。

特に女性のメールにある行間には、男性が読み解けない“無言の感情”が込められています。

私も普段から、女性から来たメールは文章だけでなく、その行間に注目するようにしています。
メンタリストにとって、無言の感情は絶対に見逃せない“おいしい”ポイントですから。
「どうしてここでこんなに行間を空けたんだろう」─―
むしろ行間に潜む感情を読み解くほうに重きを置いていると言ってもいいかもしれませんね。
       


さらに「広く空いた行間」には、女性脳の特性である「共感」も関係しています。
つまり、共感の女性脳は「読む人のことを考える」心理が働きます。
文章がギッチリ詰まっていたら読みづらいんじゃないか、と相手の事情を考慮するのです。

でも男性脳は、論理的にどうすれば伝わるかが最重要なので、行間が詰まっていても関係ない。
だからせっかく女性が考慮した行間や絵文字も、ほぼ無視して読みます。
むしろ、行間の多さにイライラしてしまうかもしれません。

逆に女性脳は、行間がギッチリ詰まった文字のかたまりのような文章を見ると、
それだけで「うわっ、こんなの読む気しない!」となるのです。

言葉そのものを受け取る男性脳と、行間に感情を込める女性脳。
行間や絵文字が多すぎると読みにくい男性脳と、行間が詰まっていて文字だらけだと読みにくい女性脳。
・・(略)・・
       

私も自分のブログを書くときは、行間の使い方には気を配っています。

多すぎると男性脳の人が読みにくく、少なすぎると女性脳の人が読みにくくなるので、
ひとつのテーマを大きく3ブロックぐらいに分けて、その切れ目に行間を入れるなど、
どちらの脳でもストレスなく読んでもらえるような“行間の配分”を意識しています。

男性脳・女性脳の違いを意識して表現方法の差を考える。・・(略)・・

(※本連載は、『男女脳戦略。男にはデータを、女にはイメージを売れ』の一部を抜粋し、編集して構成しています)・・》
       

私はブログを始めた2004年(平成16年)12月当初は、7行ぐらい長い文章を綴ったりした。

やがて読んで下さる方は、パソコンの画面が多い、と知り、
そして30文字ぐらいの長さで改行し、5行したら空白を一行・・
このように原稿用紙の数枚分を投稿文を重ねてきた。

その後、確か数多くのブログを投稿される方たちは、7年前の頃から写真を掲載することが多くなり、
この当時の私は、恥ずかしながら写真を掲載する技巧もなく、ひたすら文章だけの投稿文であった。

やがて2年前の頃に、何とかブログ上に写真を掲載することを習得して、今日に至っている。
こうした根底には、私は筆力が乏しく、写真を絵柄のようにサンドイッチにすれば、
もとより風景にしても、心象にしても表現に苦労が少ないので、愛用している。

そして私は写真を掲載した後、何かしら文章だけの投稿文を寂しく、
ときおり数多くの写真を添付することもあり、
心情の表現を第一、そして写真を掲載は第二、と反省することもある。
       

今回、《・・言葉そのものを受け取る男性脳と、行間に感情を込める女性脳・・》と学び、
小学2年生の時から何かと女性に憧憬してきた私は、どうしたら良いの、と微苦笑を重ねたりしている。

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コメント (2)
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