夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

誰しもが長年お住まいになった地域は、この世の安楽の地かしら、と深く思い重ねて・・。

2014-11-14 16:28:03 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)10月下旬に定年退職し、
多々の理由により年金生活を始めて、早くも10年が過ぎて、過ぎし9月下旬に古希と称される70歳を迎え、
ピカビカの小学生のような心情で、70代を歩き始めているひとりである。

平素の殆どは、日常の買物専任者の私は、家内から依頼された買物を終えた後、
自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、小公園、都立の公園、或いは小学時代の通学路などを歩き廻り、
季節のうつろいを享受している。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、私の生家は近くにある。
       
       ☆ 掲載した写真のすべては、本日近くに散策した小公園の情景 ☆
 

私は1944年(昭和19年)秋に農家の三男坊として、生を受けた。
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、
程ほど広い田畑、そして小さな川が田んぼの片隅に流れ、湧き水もあり、
竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに蔵(くら)、納戸小屋が二つばかりあり、
この当時の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖と小学校の先生たちは称していた。

私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。

私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私はなりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心で感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。
       

やがて父が私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死した。
        
この後、翌年の5月に祖父は胃がんで最寄の大学病院で亡くなった。
やがて大黒柱をなくした農家の生家は、没落しはじめたのである・・。

母、そして父の妹の未婚の叔母、そして私達の兄、妹の5人の子供が残され、
私たち子供は母と叔母に支えられ、そして親類に見守り中で、貧乏な生活が始まった・・。

もとより農家としては、肝要な農作業のノウハウと労力も減退し、
田畑の作業も出来る範囲が大幅に減少したので、生計は低下を余儀なくされた・・。

やがて昭和30年〈1955年〉の頃から、生家の地域は都会に住んでいた人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した昭和32年〈1957年〉の春であるが、
この頃になるとベットタウンとなり、田畑は激少し、竹林、茶畑も消え去り、
新興の住宅街となり大きく変貌した・・。
       

やがて私が生家を出たのは、結婚する前の3年前の1973年(昭和48年)秋で、
この当時の母は小田急線の『登戸』駅の近くで、多摩川に隣接した地域でアパート経営をして、別棟に住んでいた。
こうした中で、私は同居をした。

この後、私は結婚して、千葉県の市川市の国府台にある賃貸マンションで、
新婚生活を2年ばかり過ごした後、
生家の近くに一戸建てを新築して、やがて今日に至っている。

結果的には世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に、結婚前後の5年を除き、
65年は住んでいる。

私は登戸の3年、学園風の国府台の2年を過ごしたが、何かしら借り住まいのような心情であった。
夏の盆踊り、秋のお祭り、選挙の投票所などは、いずれはどちらの地域で永住するような気持ちがあった為か、
何かしら異国のような感じがあったりした。
       

そして色々と思案した結果、生家の近くに私たち夫婦は住むこととなり、
家内は不慣れな地域であったで、
私は休日になると、家内を誘い、自宅の周辺を散策したりし、
小学生の時に通った道、などと旧街道の小道まで案内をしたりした。

私の家の最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
或いは私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
       

そして私は、知人の住む都心の青山、広尾などの地域に魅了されることなく、
今の住んでいる地域は、確かに住宅は密集しているが、周辺に常緑樹、落葉樹が多く、
何よりも安らぎを感じている。

そして誰しもが長年お住まいになった地域は、日々の生活の積み重ねがある中で、
やがて想いでも蓄積されて、愛惜感も深まり、
それぞれのお方は、その地域こそが何よりの安楽の地となるだろう、
と心の中で呟(つぶや)きながら、深く思い重ねたりしている。

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コメント (2)
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