私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であり.
今朝ぼんやりと3月のカレンダーを切り剥がしながら、『弥生(やよい)』の3月と明記されていたが、
私の住む地域は 『桜月(さくらづき)』だった、と微笑んだりした。
古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
3月は『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、
寒い冬を耐えて過ごしてきて、暖かな春の訪(おとず)れに、
数多くの人々が悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。
しかしながら私の住む地域では、昨年の12月頃から平年より寒く、
三寒四温が激しく、齢ばかり重ねた私でも、
天上の気候の神々の采配に戸惑い、どうしてなのょ、と空を見上げたりしてきた。
平年ならば1月には日本水仙の花は咲き、冬麗の美を感じ、
2月中旬には白梅は凛とした純白の色合い、紅梅は華やかな朱紅色の色あいを見せてくれるので、
早春の美だ、と思いながら毎年過ごしてきた・・。
過ぎし2月20日になって、玄関側の小庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら3輪ばかり咲いたりした。
やがて2月の月末に、澄み切った青空で陽射しは燦燦(さんさん)と、風もなく暖かい3月下旬のような陽気となり、
ベランダのある小庭の白梅は、数多くの莟〈つぼみ〉か大きく膨らんできた。
そして3月を迎えると、我が家の小庭は遅ればせながら日本水仙、白梅、紅梅が、
仲良し恋しと彩(いろど)ったりしてきた。
やがて突然に幾たびか4月の中旬のような陽気に恵まれて、遊歩道を歩いたり小公園に寄ったりした時、
白梅、花桃、そして平年より早くも桜花まで3月にめぐり逢えた。
こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は、
木の芽時(このめどき)と称せられる芽吹きに、めぐり逢えたりした。
私は幼年期に農家の児として育った為か、
木の芽時(このめどき)から幼いあまたの葉を広げて、萌黄(もえぎ)色に染められる、
こうした季節のうつろいを眺めるのが、この世で最も好きな情景のひとつとなっている。
そして私は、見惚(みと)れながらも、何よりも愛惜を感じながら、
ときおり天上の両親、祖父などを思い浮かべたりして、何かと励まされてきた。
過ぎ去りし3月は、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人が不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。
そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。
私はこうした時節は、定年後に多々の理由で年金生活を始めて、早や11年生になった今、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて、
3月は『桜月(さくらづき)』だったと感じ深めていたのである。
新たな『卯月(うづき)』の4月のカレンダーを見ながら、
卯月と命名されたのは旧暦で、現在より40日ばかり遅い初夏に近い時節で、
里に多い落葉樹のウツギの樹から名付けられた、と古人から伝えられているので、
少しばかり私は戸惑っている。
4月は世の中は新年度の始まるが多い中、小学生の入学するピカピカの一年生、
新たに中学、高校、大学を入学されたり、或いは進級される方が数多い・・
そして企業に於いては、緊張感の中で新社会人となり、『入社式』が数多くの会社で実施されている。
私はこの4月の時節は、近くの公園、野川の遊歩道を散策したりとすると、
木の芽時(このめどき)と称せられる雑木のモミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)等の時節が終わり、
幼いあまたの葉を広げて、新緑に時節に向っている。
そして常緑樹も新芽を伸ばしている。
こうした情景を思い馳せると、『清浄明潔』という言葉を重ねたりした・・。
古人からの伝えとして、樹木は芽吹き、幼い葉を広げて、草花は花を咲かせ、
春の明るい陽射しの光につつまれて、清らかに生きている万物に恵みの時、と私は解釈している・・。
こうした思いを深めると、4月は『清浄明潔』の月だ、と高齢者の私でも、
心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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今朝ぼんやりと3月のカレンダーを切り剥がしながら、『弥生(やよい)』の3月と明記されていたが、
私の住む地域は 『桜月(さくらづき)』だった、と微笑んだりした。
古来より2月は梅の花が咲き、3月は桃、やがて桜の花が咲いてきたので、
3月は『桜月(さくらづき)』、『桃色(ももづき)』と称せられ、
寒い冬を耐えて過ごしてきて、暖かな春の訪(おとず)れに、
数多くの人々が悦(よろこ)び感じて過ごす時節である。
しかしながら私の住む地域では、昨年の12月頃から平年より寒く、
三寒四温が激しく、齢ばかり重ねた私でも、
天上の気候の神々の采配に戸惑い、どうしてなのょ、と空を見上げたりしてきた。
平年ならば1月には日本水仙の花は咲き、冬麗の美を感じ、
2月中旬には白梅は凛とした純白の色合い、紅梅は華やかな朱紅色の色あいを見せてくれるので、
早春の美だ、と思いながら毎年過ごしてきた・・。
過ぎし2月20日になって、玄関側の小庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら3輪ばかり咲いたりした。
やがて2月の月末に、澄み切った青空で陽射しは燦燦(さんさん)と、風もなく暖かい3月下旬のような陽気となり、
ベランダのある小庭の白梅は、数多くの莟〈つぼみ〉か大きく膨らんできた。
そして3月を迎えると、我が家の小庭は遅ればせながら日本水仙、白梅、紅梅が、
仲良し恋しと彩(いろど)ったりしてきた。
やがて突然に幾たびか4月の中旬のような陽気に恵まれて、遊歩道を歩いたり小公園に寄ったりした時、
白梅、花桃、そして平年より早くも桜花まで3月にめぐり逢えた。
こうした中で、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は、
木の芽時(このめどき)と称せられる芽吹きに、めぐり逢えたりした。
私は幼年期に農家の児として育った為か、
木の芽時(このめどき)から幼いあまたの葉を広げて、萌黄(もえぎ)色に染められる、
こうした季節のうつろいを眺めるのが、この世で最も好きな情景のひとつとなっている。
そして私は、見惚(みと)れながらも、何よりも愛惜を感じながら、
ときおり天上の両親、祖父などを思い浮かべたりして、何かと励まされてきた。
過ぎ去りし3月は、初旬には日本中の女の子をそれぞれのご家庭で慶(よろこ)び祝う『桃の節句』、
下旬の初めには新たなる旅立つの『卒業式』などが祝賀され、
こうした中で働いて下さる新たなる社会人が不安と希望を秘めてスタートされる時節でもある。
そして社会の中核である働いて下さる諸兄諸姉も、再就職や人事異動などで、
新たなる職場に配属され、戸惑いながらも意欲充分な志(こころざし)で、勤務される時期でもある。
私はこうした時節は、定年後に多々の理由で年金生活を始めて、早や11年生になった今、
それぞれの人々の人生の門出に、微笑ましく感じて、
3月は『桜月(さくらづき)』だったと感じ深めていたのである。
新たな『卯月(うづき)』の4月のカレンダーを見ながら、
卯月と命名されたのは旧暦で、現在より40日ばかり遅い初夏に近い時節で、
里に多い落葉樹のウツギの樹から名付けられた、と古人から伝えられているので、
少しばかり私は戸惑っている。
4月は世の中は新年度の始まるが多い中、小学生の入学するピカピカの一年生、
新たに中学、高校、大学を入学されたり、或いは進級される方が数多い・・
そして企業に於いては、緊張感の中で新社会人となり、『入社式』が数多くの会社で実施されている。
私はこの4月の時節は、近くの公園、野川の遊歩道を散策したりとすると、
木の芽時(このめどき)と称せられる雑木のモミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)等の時節が終わり、
幼いあまたの葉を広げて、新緑に時節に向っている。
そして常緑樹も新芽を伸ばしている。
こうした情景を思い馳せると、『清浄明潔』という言葉を重ねたりした・・。
古人からの伝えとして、樹木は芽吹き、幼い葉を広げて、草花は花を咲かせ、
春の明るい陽射しの光につつまれて、清らかに生きている万物に恵みの時、と私は解釈している・・。
こうした思いを深めると、4月は『清浄明潔』の月だ、と高齢者の私でも、
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