この一週間の午前中のひとときは、いつもように平素の買物専任者の私は、
家内から依頼された品を求めて、独りで最寄のスーパー、或いは駅前のスーパー、専門店に行った後、
野川の遊歩道を散策することが多かった。
私の住む所は、東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の処でありながら、
住宅街で家並みが密集しているが、
自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道がある。
そして私は何かしら解放感を感じて、この野川の上流に向かったり、ときには下流に向かったりし、
こよなく散策しているコースのひとつとなっている。
この野川は川べりに小道があり、そして少し高い処の両岸には遊歩道がある。
私は散策と買物の時は、この時節は制服のようになっている服装として、
スリー・シーズンのストレッチパンズの長ズボン、長袖のスポーツシャツ、ウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのA4サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしている。
そして時折コンバクト・デジカメを首回りからネクタイのように下げて、颯爽と歩くことが多くなっている。
こうした中で、情景に瞬時に魅せられた時、立ち止まりデジカメで、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記憶のかたみとして撮ったりしている。
この地帯は、桜並木となっていて、過ぎ去り日の3月下旬に染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、 最後に4月中旬に八重桜(ヤエザクラ)が咲き、
私も桜花に心を寄せて愛(め)でて、ここ10数年も歩いてきた路である。
こうした中、今年も八重桜(ヤエザクラ)にめぐり逢えたねぇ、と思いながら撮ったりした。
やがて再び歩き出すと、川辺に黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が見えて、
少し高い遊歩道を歩いていても、香(かぐわ)しい芳香が漂(ただよ)ってくるので、私は微笑んだりした。
そして私は遊歩道から川辺の近くに下り立った。
この一カ月近く、この野川の川辺に長く帯のように菜の花、そしてハマダイコンの花が、
仲良し恋しのように咲き、私は見惚(みと)れてきた野花のひとつであったが、
まもなくお別れだよねぇ、来年もお逢いしたいょ、と思いを強めたりした。
やがて橋に戻り、四季折々こよなく見惚(みと)れてきた情景に長らく立ちすぐんだりした。
私は過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、私は大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしていたが、やがてはかなくも敗退した。
そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
苦手な理工系のコンピュータの専門学校のソフト科に1年間ばかり学んだりした。
やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
知人のご尽力もあり、何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。
まもなく創立された外資系のレコード会社に移籍させられ、
音楽に直接に携わる制作畑でなく、商品、情報、経理、営業を配属され、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
こうした中で、勤務地の多くは都心の赤坂見附、六本木、そして渋谷と30年近く本社で奮戦したが、
最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となり、遠い本厚木の外れにある音楽商品を扱う物流センターに勤めて、
やがて定年退職時を迎え、サラリーマンを卒業した。
このように私のつたないサラリーマン時代であるが、
高校時代から何かと都心の新宿、銀座、日比谷、原宿も含めて彷徨してきた・・。
特に六本木の本社勤務は、1971年(昭和46年)の春から1992年(平成4年)春まで、
20年ばかり変貌する空気の中で過ごしてきたが、50歳の頃から、都心には疲れを感じてきた・・。
やがて2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めて、今や年金生活11年生となっている。
こうした中で私は、都心には避けるようになっている。
しかしながら、家内と共にデパートに買物する時は新宿に行ったり、
冠婚葬祭、懇親会などは新宿、六本木、青山、品川など、
或いは国内旅行で東京駅、羽田空港も利用してきたが、何かと苦手となっている。
確か数10年前の頃までは、イギリスの都心のロンドンで勤めた人の中には、
第二の人生は地方に住み、のんびり農家の真似事をする方とか、
渓流釣りなどに熱中する方とか、私は映画とか書物から教えられてきた。
私は地方の農地、家も買い求める資金力もないし、農作物を育てるノウハウもなく
何よりも年金生活の中で、のんびりと散策しながら、常時樹そして落葉樹の四季折々うつろう情景に、
圧倒的に魅せられている。
私は住宅街の片隅に住み、ご近所より少し広めの雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
こうした中、小庭にある落葉樹の四季折々うつろう情景に、居間から眺めたり、
或いは私は小庭に降り立ち、樹木の繁った下で、ぼんやりと過ごす時もある。
このような時、私は身も心も、安らぎを感じている。
そしてときおり小庭の樹木の剪定をしたり、草むしりもしたりしている。
私は地方の雑木林の中で、老後は住むことが夢のひとつであったが、
我が家の近くにはスーパー、コンビニ、本屋、病院もあり、体力の衰えた今は、利便性に降参してしまい、
今の地に住んでいる。
そして付近にある公園、小公園、遊歩道などを歩き、
人が余りにも多い都心よりも、圧倒的に安らぎを感じて、歩いたりしている。
こうした所を歩くと、私は幼年期まで農家の児として育てられたので、
70歳の今でも、身も心も、安らぎを感じている処である。
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家内から依頼された品を求めて、独りで最寄のスーパー、或いは駅前のスーパー、専門店に行った後、
野川の遊歩道を散策することが多かった。
私の住む所は、東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の処でありながら、
住宅街で家並みが密集しているが、
自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道がある。
そして私は何かしら解放感を感じて、この野川の上流に向かったり、ときには下流に向かったりし、
こよなく散策しているコースのひとつとなっている。
この野川は川べりに小道があり、そして少し高い処の両岸には遊歩道がある。
私は散策と買物の時は、この時節は制服のようになっている服装として、
スリー・シーズンのストレッチパンズの長ズボン、長袖のスポーツシャツ、ウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのA4サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしている。
そして時折コンバクト・デジカメを首回りからネクタイのように下げて、颯爽と歩くことが多くなっている。
こうした中で、情景に瞬時に魅せられた時、立ち止まりデジカメで、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記憶のかたみとして撮ったりしている。
この地帯は、桜並木となっていて、過ぎ去り日の3月下旬に染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、 最後に4月中旬に八重桜(ヤエザクラ)が咲き、
私も桜花に心を寄せて愛(め)でて、ここ10数年も歩いてきた路である。
こうした中、今年も八重桜(ヤエザクラ)にめぐり逢えたねぇ、と思いながら撮ったりした。
やがて再び歩き出すと、川辺に黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が見えて、
少し高い遊歩道を歩いていても、香(かぐわ)しい芳香が漂(ただよ)ってくるので、私は微笑んだりした。
そして私は遊歩道から川辺の近くに下り立った。
この一カ月近く、この野川の川辺に長く帯のように菜の花、そしてハマダイコンの花が、
仲良し恋しのように咲き、私は見惚(みと)れてきた野花のひとつであったが、
まもなくお別れだよねぇ、来年もお逢いしたいょ、と思いを強めたりした。
やがて橋に戻り、四季折々こよなく見惚(みと)れてきた情景に長らく立ちすぐんだりした。
私は過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、私は大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしていたが、やがてはかなくも敗退した。
そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
苦手な理工系のコンピュータの専門学校のソフト科に1年間ばかり学んだりした。
やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
知人のご尽力もあり、何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。
まもなく創立された外資系のレコード会社に移籍させられ、
音楽に直接に携わる制作畑でなく、商品、情報、経理、営業を配属され、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
こうした中で、勤務地の多くは都心の赤坂見附、六本木、そして渋谷と30年近く本社で奮戦したが、
最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となり、遠い本厚木の外れにある音楽商品を扱う物流センターに勤めて、
やがて定年退職時を迎え、サラリーマンを卒業した。
このように私のつたないサラリーマン時代であるが、
高校時代から何かと都心の新宿、銀座、日比谷、原宿も含めて彷徨してきた・・。
特に六本木の本社勤務は、1971年(昭和46年)の春から1992年(平成4年)春まで、
20年ばかり変貌する空気の中で過ごしてきたが、50歳の頃から、都心には疲れを感じてきた・・。
やがて2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めて、今や年金生活11年生となっている。
こうした中で私は、都心には避けるようになっている。
しかしながら、家内と共にデパートに買物する時は新宿に行ったり、
冠婚葬祭、懇親会などは新宿、六本木、青山、品川など、
或いは国内旅行で東京駅、羽田空港も利用してきたが、何かと苦手となっている。
確か数10年前の頃までは、イギリスの都心のロンドンで勤めた人の中には、
第二の人生は地方に住み、のんびり農家の真似事をする方とか、
渓流釣りなどに熱中する方とか、私は映画とか書物から教えられてきた。
私は地方の農地、家も買い求める資金力もないし、農作物を育てるノウハウもなく
何よりも年金生活の中で、のんびりと散策しながら、常時樹そして落葉樹の四季折々うつろう情景に、
圧倒的に魅せられている。
私は住宅街の片隅に住み、ご近所より少し広めの雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
こうした中、小庭にある落葉樹の四季折々うつろう情景に、居間から眺めたり、
或いは私は小庭に降り立ち、樹木の繁った下で、ぼんやりと過ごす時もある。
このような時、私は身も心も、安らぎを感じている。
そしてときおり小庭の樹木の剪定をしたり、草むしりもしたりしている。
私は地方の雑木林の中で、老後は住むことが夢のひとつであったが、
我が家の近くにはスーパー、コンビニ、本屋、病院もあり、体力の衰えた今は、利便性に降参してしまい、
今の地に住んでいる。
そして付近にある公園、小公園、遊歩道などを歩き、
人が余りにも多い都心よりも、圧倒的に安らぎを感じて、歩いたりしている。
こうした所を歩くと、私は幼年期まで農家の児として育てられたので、
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