私は年金生活の70歳の身であるが、今朝の8時半過ぎに自宅を出て、
近くの内科の病院に向かった・・。
過ぎし2010年(平成22年)の秋に、私は健康診断の結果、糖尿病と診断され、
そして内科の医師の指導、家内の野菜を多くした料理、そして私はウォーキングをほぼ毎日したりした。
やがて翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、
悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はすべて優等生となった。
この後は、4週間毎に定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。
こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
内科の病院の帰路、野川の遊歩道を歩いたりしたが、川辺の近くには
黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が仲良し恋しのように連れ添い、
長く帯のように咲いている。
そして静寂の中、川面は陽射しを受けて煌(きら)めいていた・・。
やがて橋から、先ほど歩いてきた情景を見て、
こうしてのんびりと過ごせるは、定年後の年金生活の中で、何より特権かしら、と私は微笑んだりした・・。
私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた。
そして私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私は定年後、まもなく偶然にブログの世界を知った・・。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸10年が過ぎて、早や11年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
私はブログを投稿する際、最後までお読み頂けるように工夫したり、
その上に数多くの方にお読み頂けるように、文才に乏しく試行錯誤をしたりしているが、
日本だけでもブログをされている方は、数千万人と風の噂で聞いたりしていた。
そして私の加入している【gooブログ】のサイトでも、
2008年(平成20年)の当時は、確か加入数150万人ぐらいで、
この当時の私は写真を添付する技量もなく、ひたすら散文らしき文を綴り投稿文としていた。
そして私のサイトは訪問者数は長らく日々300人前後が多く、
【gooブログ】の総加入数の中に於いては、
多くある広大な砂糖黍(さとうきび)畑の中で、たった一本の砂糖黍(さとうきび)のような存在であった。
このように私は、やがて埋もれてしまい、誰からも読まれなく無視されることが想像され、
つたない私でも、余りにも悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。
こうした思いからひとつの方法として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの方に読んで頂けると、つたない投稿文ながら自己顕示欲が増して、加入することとした。
そしてブログのランキングのサイトも幾つか彷徨(さまよ)うように加入したが、
『人気ブログランキング』の『随筆・エッセイ』に加入し、今日に至っている。
その後、2010年〈平成22年〉の秋に、やはりブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。
私は2008年〈平成20年〉の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していたが、
投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、私の投稿文毎にどのくらい読んで頂いたか、
と目安ができるので、ふたたび本加入させて頂いた。
そして現在は、『人気ブログランキング』に於いては、『随筆・エッセイ』に所属し、
『にほんブログ村』に関しては、加入時は『随筆・エッセイ』系に重点していたが、
2年の秋の頃から、世代のよしみに甘えてシニア日記系『60歳代』に移行している。
やがて私は昨年の9月に古稀と称される70歳となり、シニア日記系『70歳代』に加入している。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは2年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは11年生となっている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
こうした中で、セカンドライフを過ごされる数多くの諸兄諸姉のブログの投稿文を読ませて頂いたりした。
私が定年退職する数年前の頃には、世界一の長寿国で、日本の平均寿命は男性が78歳、女性は85歳、
と厚生労働省から公表されたりしてきた。
こうした中で60歳でリタイアしてから80歳まで生きるとして20年間の歳月があり、
この間に本人が好きなことに使える自由時間は、約7万から8万時間といわれたりしてきた。
こうしたことは学校を出て就職してから定年退職するまでの総労働時間に相当し、
このあり余る自由時間を有意義に使えるかどうかは、まさに本人の心構え、実行力と、
有識者が発言されたりしてきた。
私はセカンドライフを過ごされる数多くの諸兄諸姉のブログの投稿文を読ませ頂く中で、
このように日常はお過ごしされている、このような思いを秘めている・・
多々教示させられ、ときには私が励まされるようなこともあったりしている。
私はブログを書き始めて、丸10年が過ぎて、早や11年生であるが、
何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、
めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。
そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、私が投稿文を継続できていることも確かな事であり、
その上に、数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、改めて感謝している。
余談であるが、私が70歳を過ぎてまもなく、私のブログの訪問者数が激少してしまい、
私が少しボケて感性が衰えたのか、70代でブログを投稿される方が少ないのか、
不明であり、ときおり苦笑したりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村
近くの内科の病院に向かった・・。
過ぎし2010年(平成22年)の秋に、私は健康診断の結果、糖尿病と診断され、
そして内科の医師の指導、家内の野菜を多くした料理、そして私はウォーキングをほぼ毎日したりした。
やがて翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に4週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、
悪玉コレステロールは基準値の90%、これ以外はすべて優等生となった。
この後は、4週間毎に定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。
こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
内科の病院の帰路、野川の遊歩道を歩いたりしたが、川辺の近くには
黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が仲良し恋しのように連れ添い、
長く帯のように咲いている。
そして静寂の中、川面は陽射しを受けて煌(きら)めいていた・・。
やがて橋から、先ほど歩いてきた情景を見て、
こうしてのんびりと過ごせるは、定年後の年金生活の中で、何より特権かしら、と私は微笑んだりした・・。
私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた。
そして私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私は定年後、まもなく偶然にブログの世界を知った・・。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸10年が過ぎて、早や11年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
私はブログを投稿する際、最後までお読み頂けるように工夫したり、
その上に数多くの方にお読み頂けるように、文才に乏しく試行錯誤をしたりしているが、
日本だけでもブログをされている方は、数千万人と風の噂で聞いたりしていた。
そして私の加入している【gooブログ】のサイトでも、
2008年(平成20年)の当時は、確か加入数150万人ぐらいで、
この当時の私は写真を添付する技量もなく、ひたすら散文らしき文を綴り投稿文としていた。
そして私のサイトは訪問者数は長らく日々300人前後が多く、
【gooブログ】の総加入数の中に於いては、
多くある広大な砂糖黍(さとうきび)畑の中で、たった一本の砂糖黍(さとうきび)のような存在であった。
このように私は、やがて埋もれてしまい、誰からも読まれなく無視されることが想像され、
つたない私でも、余りにも悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。
こうした思いからひとつの方法として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの方に読んで頂けると、つたない投稿文ながら自己顕示欲が増して、加入することとした。
そしてブログのランキングのサイトも幾つか彷徨(さまよ)うように加入したが、
『人気ブログランキング』の『随筆・エッセイ』に加入し、今日に至っている。
その後、2010年〈平成22年〉の秋に、やはりブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。
私は2008年〈平成20年〉の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していたが、
投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、私の投稿文毎にどのくらい読んで頂いたか、
と目安ができるので、ふたたび本加入させて頂いた。
そして現在は、『人気ブログランキング』に於いては、『随筆・エッセイ』に所属し、
『にほんブログ村』に関しては、加入時は『随筆・エッセイ』系に重点していたが、
2年の秋の頃から、世代のよしみに甘えてシニア日記系『60歳代』に移行している。
やがて私は昨年の9月に古稀と称される70歳となり、シニア日記系『70歳代』に加入している。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは2年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは11年生となっている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
こうした中で、セカンドライフを過ごされる数多くの諸兄諸姉のブログの投稿文を読ませて頂いたりした。
私が定年退職する数年前の頃には、世界一の長寿国で、日本の平均寿命は男性が78歳、女性は85歳、
と厚生労働省から公表されたりしてきた。
こうした中で60歳でリタイアしてから80歳まで生きるとして20年間の歳月があり、
この間に本人が好きなことに使える自由時間は、約7万から8万時間といわれたりしてきた。
こうしたことは学校を出て就職してから定年退職するまでの総労働時間に相当し、
このあり余る自由時間を有意義に使えるかどうかは、まさに本人の心構え、実行力と、
有識者が発言されたりしてきた。
私はセカンドライフを過ごされる数多くの諸兄諸姉のブログの投稿文を読ませ頂く中で、
このように日常はお過ごしされている、このような思いを秘めている・・
多々教示させられ、ときには私が励まされるようなこともあったりしている。
私はブログを書き始めて、丸10年が過ぎて、早や11年生であるが、
何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、
めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。
そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、私が投稿文を継続できていることも確かな事であり、
その上に、数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、改めて感謝している。
余談であるが、私が70歳を過ぎてまもなく、私のブログの訪問者数が激少してしまい、
私が少しボケて感性が衰えたのか、70代でブログを投稿される方が少ないのか、
不明であり、ときおり苦笑したりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村