昨夜、夕食を頂く前、
『明日、駅前の歯医者さんに行く日ですから・・』
と家内は私に言ったりした。
『XXちゃんさぁ・・解っていますょ』
と私は笑いながら応(おう)じたりした。
家内は幾たびか歯の治療を自宅周辺の歯科医院に受けたりしてきたが、
私は妹から、9年前の頃に小田急線の『喜多見』駅前の歯科医院が良いみたい、と聞いたりしたので、
これ以来、私の歯の老化を含めて、この『喜多見』駅前の歯科医院で私たち夫婦は、治療を受けたりしてきた・・。
そして利便性のある路線バスを利用すれば、我が家より10分前後で到着するが、
最短距離として野川の遊歩道を歩けば、20分前後を歩けば到着するし、
何よりもこの遊歩道の片側は、細長い小公園が帯のように続き、四季折々の情景が見られるので、
私たち夫婦はこのコースを愛用してきた。
難点といえば平日などは、人影も少ない時があるので、
家内が出かける時は、私がホディガード、お供として、共に歩いたりしてきた。
今朝、10時過ぎに私たちは自宅を出て、『喜多見』駅前を目指して歩いたりした。
まもなく野川の遊歩道をくと、この地帯は桜並木となっていて、過ぎ去り日の3月下旬に染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、 最後に4月中旬に八重桜(ヤエザクラ)が咲いたりしていた。
そして見上げると八重桜(ヤエザクラ)の花は終わりを告げて、
今年も桜花を愛(め)でて、確かに受容してきたと思いながら、葉桜のトンネルになった中、私たち夫婦は通りすぎたりした。
こうした中、ときおり若きママが乳児を乗せたベビーカー、
或いはお孫さんを連れた50代風の奥様を見かけたりした・・。
こうした情景を私は見たりし、微笑んだりした・・。
やがて駅前に着き、家内は歯科医院で治療を受けている間、私は周辺の小公園を散策したりした。
私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や11年目となり70歳の身であり、
家内は私より5歳若く65歳となっている。
私たち夫婦は38年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ10年の年金生活は安楽の日々を過ごしてきた。
こうした中で私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちはお若いわ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
私たち夫婦は、子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
長き結婚生活の中に於いて、最大の誤算となっている。
私は何かと母の遺伝を受けたらしく男の癖におしゃべりなので、
家内と結婚前に交際していた時から、
私は家内に対して、XXちゃん付けで呼んだりしている。
そして私たち夫婦は語り合うことが多く、旅先の宿泊の食事処で、会話のないご夫婦を見かけると、
私は幾たびか驚いたりしてきた。
そして世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と言われたりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、
定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。
もとより子供がいれば、圧倒的に育てる喜びもあるし、子供の笑顔に何よりも癒(いや)されるし、
ときには苦渋することもあると、知人たちから教えられてきたが、
無念ながらこうしたことの体験は、私たち夫婦は欠落している。
こうした為か私の頭の毛は黒髪で、モミアゲだけは白くなってしまったが、人生の苦労が足りない、
と思ったりする時もある。
私は定年後の年金生活の中でも、たとえば音楽にしても、若い20代のアーテストの曲も聴いたり、
ご近所の若い30代の奥様とか、ときおり談笑したりしている。
こうした生活をしていると、何かしら65歳以上が高齢者と解りながらも、
私は少し実感が薄いである。
家内も、あたしも確かにそう感じる時もあるわ、と私に言ったりしている。
やがて私は駅前の片隅にあるコーヒーショップの『ドトール』で、
家内を待機しながら、コーヒーを飲んだりした。
まもなく家内と合流した後、駅前のスーパーで買い物をした後、
やがて私たちは、初夏のような熱い中を遊歩道を歩き、自宅に向かった。
そして私たち夫婦は、お互いに片道20分ばかりの道を往還している中、
果たしていつの日まで、情愛さえも子供にも頼ることができない私たち夫婦は、
ささやかな日々が続くのだろうか、と私はよぎったりした。
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『明日、駅前の歯医者さんに行く日ですから・・』
と家内は私に言ったりした。
『XXちゃんさぁ・・解っていますょ』
と私は笑いながら応(おう)じたりした。
家内は幾たびか歯の治療を自宅周辺の歯科医院に受けたりしてきたが、
私は妹から、9年前の頃に小田急線の『喜多見』駅前の歯科医院が良いみたい、と聞いたりしたので、
これ以来、私の歯の老化を含めて、この『喜多見』駅前の歯科医院で私たち夫婦は、治療を受けたりしてきた・・。
そして利便性のある路線バスを利用すれば、我が家より10分前後で到着するが、
最短距離として野川の遊歩道を歩けば、20分前後を歩けば到着するし、
何よりもこの遊歩道の片側は、細長い小公園が帯のように続き、四季折々の情景が見られるので、
私たち夫婦はこのコースを愛用してきた。
難点といえば平日などは、人影も少ない時があるので、
家内が出かける時は、私がホディガード、お供として、共に歩いたりしてきた。
今朝、10時過ぎに私たちは自宅を出て、『喜多見』駅前を目指して歩いたりした。
まもなく野川の遊歩道をくと、この地帯は桜並木となっていて、過ぎ去り日の3月下旬に染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、 最後に4月中旬に八重桜(ヤエザクラ)が咲いたりしていた。
そして見上げると八重桜(ヤエザクラ)の花は終わりを告げて、
今年も桜花を愛(め)でて、確かに受容してきたと思いながら、葉桜のトンネルになった中、私たち夫婦は通りすぎたりした。
こうした中、ときおり若きママが乳児を乗せたベビーカー、
或いはお孫さんを連れた50代風の奥様を見かけたりした・・。
こうした情景を私は見たりし、微笑んだりした・・。
やがて駅前に着き、家内は歯科医院で治療を受けている間、私は周辺の小公園を散策したりした。
私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や11年目となり70歳の身であり、
家内は私より5歳若く65歳となっている。
私たち夫婦は38年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ10年の年金生活は安楽の日々を過ごしてきた。
こうした中で私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちはお若いわ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
私たち夫婦は、子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
長き結婚生活の中に於いて、最大の誤算となっている。
私は何かと母の遺伝を受けたらしく男の癖におしゃべりなので、
家内と結婚前に交際していた時から、
私は家内に対して、XXちゃん付けで呼んだりしている。
そして私たち夫婦は語り合うことが多く、旅先の宿泊の食事処で、会話のないご夫婦を見かけると、
私は幾たびか驚いたりしてきた。
そして世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と言われたりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、
定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。
もとより子供がいれば、圧倒的に育てる喜びもあるし、子供の笑顔に何よりも癒(いや)されるし、
ときには苦渋することもあると、知人たちから教えられてきたが、
無念ながらこうしたことの体験は、私たち夫婦は欠落している。
こうした為か私の頭の毛は黒髪で、モミアゲだけは白くなってしまったが、人生の苦労が足りない、
と思ったりする時もある。
私は定年後の年金生活の中でも、たとえば音楽にしても、若い20代のアーテストの曲も聴いたり、
ご近所の若い30代の奥様とか、ときおり談笑したりしている。
こうした生活をしていると、何かしら65歳以上が高齢者と解りながらも、
私は少し実感が薄いである。
家内も、あたしも確かにそう感じる時もあるわ、と私に言ったりしている。
やがて私は駅前の片隅にあるコーヒーショップの『ドトール』で、
家内を待機しながら、コーヒーを飲んだりした。
まもなく家内と合流した後、駅前のスーパーで買い物をした後、
やがて私たちは、初夏のような熱い中を遊歩道を歩き、自宅に向かった。
そして私たち夫婦は、お互いに片道20分ばかりの道を往還している中、
果たしていつの日まで、情愛さえも子供にも頼ることができない私たち夫婦は、
ささやかな日々が続くのだろうか、と私はよぎったりした。
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