夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

薫風と風光る時節を迎え、最良の時かしら、と私は微笑みながら・・。

2015-04-02 14:31:03 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして家内は65歳となり、雑木の多い小庭に築後37年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

今朝、朝食前に居間の食卓テープルで、私は煎茶、家内はコーヒーを飲んでいた時、
『桜も満開となり、ここ一週間過ごしやすかったよねぇ・・』
と私は私に言ったりした。

『そうよねぇ・・』
と家内は私に応(おう)じたりした。

そして小庭は快晴の陽射しの中、モミジの幼き葉が広げ始めたりとている情景を私たちは眺めたりし、
『今の季節が・・一番綺麗よねぇ・・』
と家内は私に言ったりしたりした。
          

やがて私は小庭の片隅にあるテラスに下駄を履いて下り立ち、
素足でも寒さも感じず、ときおり微風を受けたりすると、心地よかった。
          

そしてぼんやりと、塀際の常緑樹のアカネモチは朱紅色の新芽が勢いよく伸ばして、
あのように毎年たんたんと元気よく新芽に、体力が衰えてきた私は羨望して、微苦笑したりした。
          

或いは紫木蓮(シモクレン)が咲いているのに、見惚(みと)れたりしていた。
          

この紫木蓮(シモクレン)は、2月下旬の頃に白梅が咲きはじめる頃、
落葉した枝葉の裸樹から、枝先に数多くの萌黄色の莟(つぼみ)が観られるようになる。

この頃になると、この莟(つぼみ)を小鳥が飛来して餌(えさ)の不足の早春時期に食べてしまい、
半分ぐらいを残してねぇ、と私は思ったりして毎年過ごしているが、
無念ながら大半を小鳥が食べてしまった後、この時節になると30数輪が咲いている。

私は農家の児として育った幼年期には、生家の庭の外れに大きな紫木蓮があった。
そして私は子供心に、品のある花だと思っていた。

やがて私が37年前頃、家を建てた時、ある程度の配置で植え込んだりした。
この花は平年ならば3月の下旬から4月の終わる頃まで、
次々と開花し、高貴な花の容姿と色合い、そして気品ある香りを彩(いろど)ってくれる。

そして花の盛りを過ぎると、花びらが周辺に散り、黒土の上に重ねはじめる・・。

その後、新梢が伸び花芽が付いたりする。
やがて幾重に伸びきった枝葉を入梅の頃に剪定すると、
入梅のひとときの晴れ間の日、再び花が咲き、花の少ない時期の私は喜んでいたりしている。

そして10月の中旬になると、黄葉し、やがて茶色に染められ後、落葉する。

このような移ろいを私は想い返して、陽春を受けている花を見詰めている。


わが家の小庭の片側の一面は道路に接して、この側面にマンションが建っている為、
陽当たりの少ない所にあり、今の時節は藪椿(ヤブ・ツバキ)の朱紅色、紅色、濃い紅色の花びらが、
彩(いろど)っている。
          

或いはここ7日前より、群生させた鈴蘭(スズラン)水仙が咲き始めている。
          

このような小庭にある情景を眺めたりすることが多い。


私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。

その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。


定年後に年金生活を始めた私は、平素の買物専任者となり、家内から依頼された買物の責務を終えた後、
自宅の周辺の3キロぐらいの範囲にある遊歩道、小公園などを歩き、四季折々のうつろいを享受している。

そして、こうした中で感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりして過ごしている。
       

私の住む地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅であり、
私の生家にも近く、この地域には結婚前後の5年を除き、早や65年近く住んでいる・・。

そして最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。

或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
或いは私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。

しかしながら我が家の周辺は、それぞれ住宅が密集している住宅街となっている。


こうした中で、ときおり京王線の『仙川』駅前に買物、本屋に行ったりすると、
往復するたびに、付近にある都立の神代高校、或いは桐朋学園の高校生、大学生の人たちをよく見かける。


こうした時、過ぎし50数年前の高校生の頃は、
棉か絹のブラウスとスカートの容姿で、楽譜を抱きしめるように持ちながら、
真摯に音楽を学ぶ学生に、私は眩(まぶ)しく見え、好感したりしていた。

やがて私が27歳前後に、他の音楽専門大学を卒業した25歳の女性でピアニストをめざしている方に、
交際を重ねて、私の生家に来て頂いたり、
幾たびかこのお方のご自宅に行き、このお方の母親に私は可愛がれたりした。

まもなく私はプロポーズしたが、サラリーマンに相応(ふさ)しい奥さんには私はなれないの、
とこのような意味合いの言葉を私は言われてしまい、はかなくも私は失恋した、苦い体験もある。

こうしたささやかな体験がある私は、現代の桐朋学園の高校生、大学生の人たちを見かけると、
少しばかり複雑な心境で苦笑しながら、今・・頑張ばらなくて・・いつ学びのよ、
と心の中で声援したりしている。

私は恥ずかしながら楽譜も読めなく、どの楽器も弾けない拙(つたな)い身であるが、
ときたま音楽を聴くのは好きであり、その日に応じた感性を頼りに、音楽を聴いたりし、
ときおり何かと単細胞の私は、感動するあまりに、涙ぐむ時もある。


日頃の午前中のひとときは、私は自宅の周辺の3キロぐらいの範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
この時節は、自宅の近くに流れている野川の両岸にある遊歩道を歩くことが多くなっている、

昨今、満開となった桜花に見惚(みと)れながら歩いたりしている。
       

或いは、欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジ、ツツジなど雑木は、
木の芽時(このめどき)と称せられる芽吹きに、めぐり逢え、長らく見惚(みと)れたりした。
       

私は幼年期に農家の児として育った為か、
木の芽時(このめどき)から幼いあまたの葉を広げて、萌黄(もえぎ)色に染められる、
こうした季節のうつろいを眺めるのが、この世で最も好きな情景のひとつとなっている。

この時節は寒さも感じず、暑さもなく、一年で一番過ごしやすい時節かしら、と微笑むことが多くなっている。

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