私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、
『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。
世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。
私も定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして過ぎ去った60代の10年間の年金生活の日々は、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受してきた・・。
2004年(平成16年)の秋、年金生活の当初は、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。
そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
私たち先輩、そして私たち同世代、少し若い団塊世代のサラリーマンの多くは、
もとより職務、そして家計の責務で、睡眠時間を削り奮戦してきた。
私も職務を果たす為に、奮闘して、平日は睡眠時間を削ることが多く、
休日のひとときに昼寝などをした補(おぎな)ってきた。
或いは若き40歳前後は、コンピュータ自社導入のシステム開発、運営業務などで、
徹夜も幾たびもして、今働くなくていつ働くょ、と自身を叱咤激励したりしてきた。
やがて最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、
従来の都心勤務地より、遠方となり、朝の4時45分に起床して、帰宅できたのは午後9時前後が多く、
不馴れな物流センターで、自分の敵は自分だ、と奮(ふる)い立たせたりした。

やがて年金生活の当初は、朝布団(ふとん)の中で目覚めた後、
もう会社に行かなくてよいんだ、と無念と安堵感に微睡(まどろみ)ながら微笑んだりした。
そして二度寝などを甘享したりすると、夢の中で職務上の成功体験の出来事より、失態した出来事が多く、
目覚めた後、独り苦笑したりしてきた。
やがて数年後はサラリーマン時代の夢は激減し、
朝まどろむ時、夢と現(うつつ)の世界を往還するように、今日はどこを散策しょうか、
駅前の本屋に行き、あの本を買い求めようか、などを思い馳せたりしてきた。
或いは家内と国内旅行に行き、旅先のロビー、食事処で隣席して談笑した人たちを思い浮かび、
たとえ一期一会でも、人生の微笑みひとときを過ごせた、と走馬灯ように感じたりしてきた。

そして昨年の秋に古稀と称される70歳の階段に昇格すると、
布団の中でまどろむ時間が多くなってきた・・。
まるで航空機の機内に着席して、そして航空機が滑走路を走り、やがて離陸し、
上空で安定飛行するまでのように、身をまかせて長い時間となっている。
過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときが多くなっている。
そしてボンヤリとして正気には程遠く、
やがて起床してボンヤリとして煎茶を飲んだりして、正気になり微苦笑することが多くなっている。
このように朝のひととき、まどろむ時が多くなっている今、
貧富に関係なく、この世で最も贅沢なひととき、と私は微苦笑したりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、
『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。
世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。
私も定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして過ぎ去った60代の10年間の年金生活の日々は、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受してきた・・。

2004年(平成16年)の秋、年金生活の当初は、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。
そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
私たち先輩、そして私たち同世代、少し若い団塊世代のサラリーマンの多くは、
もとより職務、そして家計の責務で、睡眠時間を削り奮戦してきた。
私も職務を果たす為に、奮闘して、平日は睡眠時間を削ることが多く、
休日のひとときに昼寝などをした補(おぎな)ってきた。
或いは若き40歳前後は、コンピュータ自社導入のシステム開発、運営業務などで、
徹夜も幾たびもして、今働くなくていつ働くょ、と自身を叱咤激励したりしてきた。
やがて最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、
従来の都心勤務地より、遠方となり、朝の4時45分に起床して、帰宅できたのは午後9時前後が多く、
不馴れな物流センターで、自分の敵は自分だ、と奮(ふる)い立たせたりした。

やがて年金生活の当初は、朝布団(ふとん)の中で目覚めた後、
もう会社に行かなくてよいんだ、と無念と安堵感に微睡(まどろみ)ながら微笑んだりした。
そして二度寝などを甘享したりすると、夢の中で職務上の成功体験の出来事より、失態した出来事が多く、
目覚めた後、独り苦笑したりしてきた。
やがて数年後はサラリーマン時代の夢は激減し、
朝まどろむ時、夢と現(うつつ)の世界を往還するように、今日はどこを散策しょうか、
駅前の本屋に行き、あの本を買い求めようか、などを思い馳せたりしてきた。
或いは家内と国内旅行に行き、旅先のロビー、食事処で隣席して談笑した人たちを思い浮かび、
たとえ一期一会でも、人生の微笑みひとときを過ごせた、と走馬灯ように感じたりしてきた。

そして昨年の秋に古稀と称される70歳の階段に昇格すると、
布団の中でまどろむ時間が多くなってきた・・。
まるで航空機の機内に着席して、そして航空機が滑走路を走り、やがて離陸し、
上空で安定飛行するまでのように、身をまかせて長い時間となっている。
過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときが多くなっている。
そしてボンヤリとして正気には程遠く、
やがて起床してボンヤリとして煎茶を飲んだりして、正気になり微苦笑することが多くなっている。
このように朝のひととき、まどろむ時が多くなっている今、
貧富に関係なく、この世で最も贅沢なひととき、と私は微苦笑したりしている。
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