夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

桜花の花衣(はなごろも)の中を歩き、やがて年々歳々と心の中で思い重ねて・・。

2015-04-07 14:55:22 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身である。

私の住む地域は、平年は3月20日前後から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、
今年の冬は三寒四温が激しく、桜が咲くは遅いかしらと感じたりしてきた。

私は桜花(さくらばな)に関しては、ここ10数年は三分咲きに心を寄せたりした後、
やがて満開の情景にも愛(めでた)りしてきた。
          
或いは自宅の近くに流れる野川の桜並木の遊歩道を歩いたりすると、
花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なったりする。

こうした情景を観ると、 私は立ち止まり、数多くの桜花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
やがて地上に落下する。

古来より、桜の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきたことに、
思いを重ねたりした・・。

私は桜花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に、確かな美を感じてきた。

このような情景に私は見惚(みと)れてたりしてきたが、
遥か1000年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてきた。
       

そして私は桜花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も大病もせず、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねることが多い。

或いは野川の水の流れを見たりしていると、
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。

そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、桜花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。

このような桜花のうつろう情景に心を寄せてきた。
          

こうした中で、自宅の周辺の雑木林を歩き廻ったりしていると、
このようなところに桜があったことは知らなかったよ、と教示されることもある。

そして私は山桜を見かけると、 私が若き34歳の時、
自営業をしていた次兄が、資金繰りが破綻して、突然に自裁されたので、
私はこの山桜に心を託して、山桜の咲く時になると、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、36年過ぎている。
          


こうした桜花に思いを秘めている私は、昨日の淡き陽射しの中、
自宅の付近に流れている野川の遊歩道を散策した・・。

過ぎし3日には強い風が吹いたので、満開だった染井吉野(ソメイヨシノ)、山桜(ヤマザクラ)も、
あえなく散ってしまっただろう、と思いながら桜並木をめざして歩いたりした。

やがて桜並木の下を歩いたが、ときおり風もなく、花びらが舞い降りたりし、
路の片隅には吹き寄せのように桜花が散乱していた。
       

しかしながら川面を眺めても、無念ながら花筏(はないかだ)の情景には、めぐり逢えなかった。
       

やむえなく近くにある小さな庭園風の池を眺め、桜花が水面に浮いている情景を眺めたりした。
       

やがて再び歩きだして、ときおり見上げると、残り花に見惚れたりした。
       

そしてボンヤリと歩きながら、不意に『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、
漢詩のひとつをが脳裏に占めた。

もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が遺(のこ)された詩であるが、
私は東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。

歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節は同じように、桜花が巡って来ているように思われるが、
この桜花を観賞できる人は変っている・・。

私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩を学びだし、早くも50年の歳月が流れてしまった。
       

私は古稀と称せられる70歳となってしまったが、年金生活を10年過ごしてきた中で、
同世代の英知のある知人や友人に5人も死去され、
つたない私がこうして生きている・・。

たまたま今回、桜花を眺めたりすると、このような思いになってしまったのである。

やがて痛切感を振り払うように、プラス思考に転じて、
日常の日々こそ、何よりも肝要であり、惰性に過ごすことなく、
残こされた人生の日々を大切に過ごそう、と帰宅に向かって歩き出した。


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