夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには『おひとりさま』の特別演習の中、相変らず指差し点検に、独り微苦笑して・・。

2015-04-06 15:02:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
独り住まいの生活をされて、早や11年目となっている・・。
       
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で年に4回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。
       
              
        
たまたま今回、家内は過ぎし4日より家内の母宅に8泊9日で行っている。
もとより家内は、家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
この間は私は『おひとりさま』の独りぼっちの生活となっている。

こうした時の私の心構えは、何かとプラス思考の多い私は、
万一、いつの日にか私を残して家内に先立たれた場合、
私は『おひとりさま』となってしまうので、特別演習かしら、と思いながら過ごすこともある。
               
こうした根底のひとつとしては、過ぎし6年前に知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

そして私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に、心痛な思いで深く学んだりした。
                  

平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っているが、
いつも感じさせられることは、主婦の人はさりげない知恵と体力で日々の家事全般の責務を果たしている、
と幾たびか実感を深めたりしてきた・・。
          
こうした中で、今回も独りぼっちになってしまい、何かと愚図でノロマの私でも、
朝一番に行うことは、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりした。

そして、最優先として一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットした。
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、煎茶とゴールトブレンドと明記されたインスタントコーヒーを飲んだりした。

朝食は幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をしている。

私は何かと単細胞の為か、キャベツとニンジンの千切りした盛り合わせを前菜とした後、
五穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
そしてコブの佃煮、ラッキョ、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰が、
日々貫徹のように食べたりしてきた。

しかしながら、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いている。
従って二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
       

昼食は煎茶とインスタントコーヒーを飲みながら、
つぶあん、こしあんのアンパンを食べたりしてきた。

夕食は2日に1回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、煎茶を飲みながら食べたりしてきた。

しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、缶ビール500mlを2本だけ呑んだり、
或いはウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、テレビのニュースを視聴したりした。
         
          
洗濯に関しては、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回まとめて、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って呟(つぶや)くことが多かった。

日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたりしているが、
本音を発露すれば、埃が多少あっても生死に影響はない、と3日1回ぐらいとなっている。

こうした中で、家内から借りたエプロンを着て、台所で皿洗いをしたりしているが、
現役時代のサラリーマンだった業務よりも、ただちに成果が感じられて小奇麗になるので、
水遊びを兼ねて楽しんだりしている。

こうした時は、なぜかしら古き良き時代の歌謡曲をかぼそい声で幾度も唄いながら、
皿洗いをしたりした。
    

この間、平素のように本を読んだり、居間でビデオ棚から映画の作品を観たり、
或いは音楽棚から聴きたいCDを取りだして聴いたりしてきた。

このような生活を過ごしてきたが、料理に関しては素材から焼いたり、煮たりすることは無く、
掃除も簡略に済ませてしまうので、もとより家内のいる平素の日常生活から落第生となっている。
       

平素の我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

こうしたことは年金生活を数年過ぎた頃、現役サラリーマン時代の緊張感が薄れてきた上、
ボケてはいけないと思い、せめて家内への返事とか戸締りの点検なとで言ったりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしている。

独りぼっちの昨今でも、万一不手際で火災とか盗難に遭遇すると困窮するので、
相変わらず指差し点検を行い、何故かしらかぼそい声で言ったりしている。

しかしながら報告する相棒がいなく、独り微苦笑したりしている。

何よりも私の母からの血筋を受けた私は、恥ずかしながら男の癖におしゃべりの為、
話し相手がいなく寂しいが本音となっている。
       

余談であるが、年金生活を始めた2004年(平成16年)の当初の頃に、
作家の曽野綾子さんの『夫族の中で、生活者として無能な人・・』と銘言を学び、
今回も私は叱咤激励されながら過ごしているが、手抜きが多いので『おひとりさま』の劣等生かしら、
と苦笑したりしている。
       
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コメント (2)
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