私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始め、早や年金11年生となっている。
そして私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに、ささやかながら年金生活を過ごしてきた。

私の父は、私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死された。
やがて私が54歳の時に、母は喜寿と称される77歳を迎えてまもない時に、
婦人系のガンで3年ばかり入退院してきた中で、死去した。
家内の父は、私が定年退職する2004年(平成16年)秋の直前に、
腎臓のガンに5年ばかり入退院してきた中で、78歳でこの世を去った。
いずれも幸いに認知症には関係なく、亡くなった。
そして私たち夫婦の両親は、私より14歳齢上の家内の母だけとなっているが、
3年前に膝(ひざ)を悪化して、杖(つえ)をついて歩いたりしているが、心は溌剌としている。

こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
過ぎし6年前に知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
そして私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に、心痛な思いで深く学んだりした。
このような思いを秘めてきた私は、私たち夫婦もこの先いつまでもささやかな生活が続くわけでなく、
いずれ片割れになる・・、と年に数回は思案したりする時もある。
やがていつの日にか、私か家内が死去するが、
私が先に亡くなる場合は、せめてひとつの事を残して、とこの世とお別れしたい、
と深く念願している。

そして心筋梗塞、交通事故などに遭遇して、突然の死もありえるので、
事前に私は、たった一通の葉書を書き上げて、私が亡くなり家族葬を終わった後に、
家内に投函してもらおう、と思案を重ねている。
☆========================================☆
感 謝
この葉書をお読み頂く時は、私は亡くなり、あの世にいます。
つたない人生航路を歩んだ私は、特にサラリマンを定年退職するまで人生は、
何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、多々皆様にはご迷惑をお掛け致しました。
こうした中で、めぐり逢えた皆様のあたたかいご厚情により、過ごせてきました。
やがて定年後の年金生活は、人並みに享受できた生活を過ごせましたが、
やはり天命を迎え、このたび死去した次第です。
そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、つたない私でも楽しく人生を過ごせましたので、
幾重にも感謝しています。
残された家内には、あたたかく行く末を見守ってやって下さい。
尚、故人の遺志により葬儀は身内で執り行いましたので、
ご香典、ご供物等は固く辞退申し上げます。
☆========================================☆
このような文面を瞬時に思い、つたない人生航路を歩んだ私は、
せめて数多くの人に、感謝、一言を御礼致したく、深く思ったりしている。
そして家内はパソコンの入力も出来ない身であるので、
私が葉書に文面を認(したた)めて、あて名まで印刷して、完成させてしまうことも、
配慮している。
しかしながら、あと10数年は私は生かしてもらいたいので、
このような文面の印刷済みの葉書は、私の脇机に収容する予定であるが、
長らく皆様に届かない葉書になって欲しい、と念願をしたりしている。
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そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
多々の理由で年金生活を始め、早や年金11年生となっている。
そして私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに、ささやかながら年金生活を過ごしてきた。

私の父は、私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死された。
やがて私が54歳の時に、母は喜寿と称される77歳を迎えてまもない時に、
婦人系のガンで3年ばかり入退院してきた中で、死去した。
家内の父は、私が定年退職する2004年(平成16年)秋の直前に、
腎臓のガンに5年ばかり入退院してきた中で、78歳でこの世を去った。
いずれも幸いに認知症には関係なく、亡くなった。
そして私たち夫婦の両親は、私より14歳齢上の家内の母だけとなっているが、
3年前に膝(ひざ)を悪化して、杖(つえ)をついて歩いたりしているが、心は溌剌としている。

こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
過ぎし6年前に知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
そして私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に、心痛な思いで深く学んだりした。
このような思いを秘めてきた私は、私たち夫婦もこの先いつまでもささやかな生活が続くわけでなく、
いずれ片割れになる・・、と年に数回は思案したりする時もある。
やがていつの日にか、私か家内が死去するが、
私が先に亡くなる場合は、せめてひとつの事を残して、とこの世とお別れしたい、
と深く念願している。

そして心筋梗塞、交通事故などに遭遇して、突然の死もありえるので、
事前に私は、たった一通の葉書を書き上げて、私が亡くなり家族葬を終わった後に、
家内に投函してもらおう、と思案を重ねている。
☆========================================☆
感 謝
この葉書をお読み頂く時は、私は亡くなり、あの世にいます。
つたない人生航路を歩んだ私は、特にサラリマンを定年退職するまで人生は、
何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、多々皆様にはご迷惑をお掛け致しました。
こうした中で、めぐり逢えた皆様のあたたかいご厚情により、過ごせてきました。
やがて定年後の年金生活は、人並みに享受できた生活を過ごせましたが、
やはり天命を迎え、このたび死去した次第です。
そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、つたない私でも楽しく人生を過ごせましたので、
幾重にも感謝しています。
残された家内には、あたたかく行く末を見守ってやって下さい。
尚、故人の遺志により葬儀は身内で執り行いましたので、
ご香典、ご供物等は固く辞退申し上げます。
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このような文面を瞬時に思い、つたない人生航路を歩んだ私は、
せめて数多くの人に、感謝、一言を御礼致したく、深く思ったりしている。
そして家内はパソコンの入力も出来ない身であるので、
私が葉書に文面を認(したた)めて、あて名まで印刷して、完成させてしまうことも、
配慮している。

しかしながら、あと10数年は私は生かしてもらいたいので、
このような文面の印刷済みの葉書は、私の脇机に収容する予定であるが、
長らく皆様に届かない葉書になって欲しい、と念願をしたりしている。
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