私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

私たち夫婦が結婚したのは1976年(昭和51年)の春であるが、
この当時は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族全員で、明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。
こうした中で、私たち年代を含め多くの先輩、後輩の男性は、
一家の主(あるじ)、或いは夫として、もとより家計の責務で奮闘して働いていた。
そして妻の多くは後方支援となり、育児、料理、掃除、洗濯、交際など専業主婦として奮戦し、
昭和妻の責務を果たしてきた。
やがてバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
まもなくソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。
そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などの労働力の安価の国際競争力に敗退し、
かっての高度成長の総中流社会の再現は、見果てぬ夢となった。
そして殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。

やがて私は確か8年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年)の時点の頃から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。
私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10数年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。
そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。
このように私は漠然としながら、昭和の半ばより昨今まで感じ受け止めてきた・・。

この間、バブルが終息し、そして平成元年(1989年)を過ぎた頃から、
殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下し、
やむなくそれぞれの家庭の妻は、フルタイムのような共稼ぎが本格的に増えてきた・・。
こうした共稼ぎの時代を迎えると、妻は勤務に疲れても、育児も相変わらず妻の責務となり、
たとえ良き夫でも、妻がしている掃除、洗濯、料理、育児の助力の程度であり、
妻の発言が増すのは、当然の結果と私は微苦笑させられる。
私の兄、妹の子供たち、私にとっては甥っ子に当たる4人の40代の夫婦を見ても、
平成の時代を重ねても、甥のお嫁ちゃんは何かと大変だなぁ・・と思う時がある。

昨夜、たまたま愛読しているネットの『 ディリー新潮 』を見たりしている中で、
【 30~40代での住宅ローン返済計画が「老後破産」を招く! 激増する「老後破産」(1)】
と題され記事を読んだりした。
この記事の原文は、『週刊新潮』の2015年9月10号に掲載された記事のひとつで、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。
《・・少子高齢化が叫ばれはじめてからというもの、
われわれの人生設計に、前例がまったく適用できなくなってしまった。
たとえば、20年ほど前までは、会社員が定年まで勤め上げれば、
退職金と年金で、まずまずの老後をすごすことができ、そのことが働き手にとってのインセンティブになっていた。
ところが、年功序列で増え続けるはずだった給与も賞与も伸び悩んだ挙句、退職金も雀の涙。
年金も支給開始年齢を引き上げられたうえ、思ったほどの金額を受け取れない――と、
そんな“残酷物語”こそが“一般的”になっているのだ。
いや、それでも、つましい暮らしを維持できればいいが・・・。
『老後破産 長寿という悪夢』(新潮社刊)という本が今、話題を呼んでいるが、
事実、昨日まで豊かに暮らしていた人が“破産”同様に追い込まれ、
“悪夢”としか言いようがない老後を送るケースが、もはや珍しくないのである。
☆住宅ローンの返済計画が破綻
その要因について、
「年金の受給額が年々減っていることが大きい」
と解説するのは、ファイナンシャル・プランナーの紀平正幸氏である。
「夫婦2人の場合、20年前の受給額は平均して年間300万円だったのが、
現在は220万円になったと言われる。
つまり、3割近く減ったのです。
ところが生活費は、ここ20年ほど年間300万円で変わっていません。
つまり、普通に生活するだけで、1年で80万円の赤字になってしまいます。
60歳の夫婦が90歳まで生きれば、2400万円の赤字が確定するんです」
むろん、赤字を補える資産があればいい。
だが、それが十分でない場合は、
「退職金で補填することになりますが、サラリーマンの退職金は平均して2200万円ほど。
すでに200万円不足しているわけですから、潜在的な老後破産予備軍は、かなりの数に上ると考えられます」
そして、そのすべてを注ぎ込んでも、今や老後の最低限の生活を補うには至らないとはいえ、
退職金は、「手をつけてはいけない老後の命綱」 なのだから、
「住宅ローンの返済に充ててしまったら、その分だけ命綱がやせ細り、老後破産が近づいてしまいます」
と紀平氏。
あえてそう指摘するからには、退職金をローンの返済に充てなければ首が回らない人が、それだけ多いのだ。
住宅ローン問題支援ネットの高橋愛子代表も、こう語る。
「今、相談が多いのは、バブル崩壊後にローンを組んだ方が、
老後まで返済を引きずってしまい、どうしようかというケースです。
若いときに何とかなると思って、70歳や75歳まで支払いが続く、
30年や35年のローンを安易に組んでしまった方が少なくありません。
特にバブル崩壊後は低金利になり、不動産価格も下がったので、
まさかこんなに景気が悪くなるとは思わずに、今しか買えないと飛びついた人が多い」
そこで退職金を充てればローンはなくなっても、今度は生活ができないという。
「1992~98年に、30代から40代でローンを組んだ人が、今ちょうど60歳前後で、
多くの場合、残債が1000万円以上あり、300万か400万、多い人は1000万円を超える債務超過になっています。
すると借り換えも、家を売ることもできず、競売しかない、自己破産しかない、と考えてしまうのです」
恐ろしいのは、これから住宅ローンを組む人こそが、こうした陥穽にハマる危険性が高いということだ。
ファイナンシャル・プランナーの深野康彦氏が言う。
「昨今、給料のピークが若年化し、昔は定年間際が一番高かったのが、
最近は50代前半から40代に移っている。
2年前の法改正で、社員が働きたいと希望すれば、会社は65歳まで雇わなければならなくなりましたが、
会社は生涯賃金の総額は変えずに、65歳までにならす賃金体系に変えています。
その結果、毎年の年収は減るので、20年で完済するローンは組みにくい。
そこで月々の返済額を減らそうと、70歳や75歳までのローンを組んでしまいがちですが、
退職金も右肩下がりで下がっているので、返すに返せません」
老後破産予備軍は、さらに増え続けかねないことを示唆するのである。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終えた後、私たち年代、少し下の団塊世代の御方で、
民間会社に勤めたサラリーマンの諸兄は、50代にリストラに遭遇しても、殆どの御方は定年退職時を迎えた。
そして第二の職場で年金満額時まで働き、待望の年金生活を始められた御方が大半と思われる。
こうした中で、たとえば住宅ローンは定年退職時まで完了しないさい、と学び、
殆どの御方は実施してきた。
この記事の始めにあるような《・・20年ほど前までは、会社員が定年まで勤め上げれば、
退職金と年金で、まずまずの老後をすごすことができ、
そのことが働き手にとってのインセンティブになっていた。・・》至言である・・。
しかしながら今回、私は遅ればせながら、
《・・給料のピークが若年化し、昔は定年間際が一番高かったのが、
最近は50代前半から40代に移っている。
(2015時点の)2年前の法改正で、社員が働きたいと希望すれば、
会社は65歳まで雇わなければならなくなりましたが、
会社は生涯賃金の総額は変えずに、65歳までにならす賃金体系に変えています。
その結果、毎年の年収は減るので、20年で完済するローンは組みにくい。
そこで月々の返済額を減らそうと、70歳や75歳までのローンを組んでしまいがちですが、
退職金も右肩下がりで下がっているので、返すに返せません」・・》
こうしたことは、私たちが働いていた時代と決定的な世代格差があり、動顛させられ、
もとより御当人夫婦、息子、娘さんの世代、そしてお孫さんの世代に思いを寄せると、
無力な私は涙を浮かべていた・・。