私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに過ごしている。
私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、
最後の5年半はリストラ烈風となる中、出向となったりした。
こうした時、私たち夫婦は遅ればせながら第二の人生について、話し合ったした。
具体的には、どのような生活をしたいか、であった。
やがて年金を受け取り、お互いの趣味を尊重してささやかに生活して、
ときたま国内旅行ができれば・・と漠然としながら私たち夫婦の結論であった。
こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。
そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。
そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業した。
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
私の年金生活の日常は、このサイトに幾たびに記載してきたので、
今回は省略するが、年金生活の当初から毎朝、
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』向って、
氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いたりしている。
☆居間の片隅みにあるCDケースの上に安置して、たわむれに記念写真を撮った一葉☆
私はこの相田みつを氏の遺(のこ)された名言を、人生の生きた哲学のように学び、
何かと気弱な癖に、ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。
世の中で著名な『相田みつを』氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年(平成11年)の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。
そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこの御方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、
私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあり、
私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な書体で書かれ、
この日以来、私はこの御方を秘かに慈父のように、人生の師と掲げたした。
そして相田みつを氏の遺(のこ)された数多くの本を購読してきた・・。
私は今年の9月の誕生日を迎え、恥ずかしながら74歳となり、
幸運にも大病で入院することなく、体力の衰えを実感しなかぜらも、健康寿命の範囲となっている。
過ぎし年にゴールデン・イヤーズと称される60代を卒業し、
定年退職をするまで、何かとつたないサラリーマン航路を歩んだ為か、
我が人生として、予測した以上に安楽な期間を享受できたりしてきた・・。
そして70代を過ごし始めると、ときには60代の日々に愛惜を重ねたり、
これから到来する日々に期待を膨らましたり、微笑んだりしている。
或いは、ときおり物忘れもあり、やむなく人生は気合だ、と自身を叱咤激励をしたりしてきた。
☆過ぎし年、旅先で偶然にめぐり逢えた私が敬愛している書家・詩人の亡き相田みつを氏の扁額
こうした中、70代を迎えてからは、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるようにと願いながら
プラス思考で過ごしているのが実態となっている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
このように私は定年退職まで、何かと悪戦苦闘が多かった私は、私なりに年金生活を享受しているので、
つたない人生航路を歩んできた私でも、『先憂後楽』の人生かしら、と微苦笑をする時もある。