本日の朝食後、何かと愛読している公式サイトの【 ダイヤモンド・オンライン 】を見ている中、
『 「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」と日本人をミスリードをしたのは誰か 』、
と題された見出しを見たりした・・。
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年となっている。
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
私が現役サラリーマン時代、私たちの少し上の世代は、会社員が定年まで勤め上げれば、
退職金と年金で、まずまずの老後をすごすことができ、
そのことが働き手にとっての意欲向上や目標達成のための刺激策と称せられるインセンティブになっていた、
と私たち世代は学んできた・・。
こうした中、私が40代の時に、家内の両親を温泉旅行に誘い、
わずか1泊2日の旅路をした中で、定年退職された家内の父より、やはり程々の貯金を取り崩しながら、
公的年金を基盤に年金生活をしている実態を打ち明けられたした。
やがて私は定年退職の前に、出向時の中で、経済にも疎(うと)い私は、
経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の書物を読んだりした。
そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら、少しづつ取り崩して堅実に生活すれば、
少しだけゆとりのある年金生活ができる、と学んだりした。
こうした中、私たち年代、少し下の団塊世代の御方の多くは、 民間会社に長年勤めて、
たとえ50代にリストラに遭遇しても、殆どの御方は定年退職時を迎え、
やがて年金満額時まで第二の職場で働き、待望の年金生活を始められた御方が大半と思われる。

ここ一週間前の頃から、金融庁の審議会の報告書の中のひとつ「老後資金は2000万円必要」が
新聞、テレビ、雑誌で大きな話題になってきた・・。
私は専門知識はないが、公的年金は生活費の基盤であるが、やはり貯金を取り崩して生活しているので、
新聞、テレビ、雑誌で大きな話題になってきた・・。
私は専門知識はないが、公的年金は生活費の基盤であるが、やはり貯金を取り崩して生活しているので、
何で今更・・あたり前なことを・・公言するのかしら、不思議に思ったりしてきた。
大手のマスメデイア、国会議員の諸兄諸姉・・日本は難題が山積しているのに、
あたりまえなことを議論か話題にするのは、時間の浪費であり、
国会議員であったならば、給与泥棒かしら、と思い、憂いたりしてきた。
このような深情を秘めてきた私は、
『「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」と日本人をミスリードをしたのは誰か』、
どのようなことですか、と思いながら真摯に精読した。
この記事は、ノンフィクションライターの窪田順生(くぼた・まさき)さんの寄稿文であり、
公式サイトの【 ダイヤモンド・オンライン 】に2019年6月13日に配信され、
無断であるが、転載させて頂く。
《・・「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」と日本人をミスリードをしたのは誰か

老後に「公的年金以外に2000万円以上が必要」と書かれた金融庁の報告書が大炎上している。
しかし、そもそも「年金だけで老後は安泰ではない」ことは、30年以上も前から常識だったはず。
一体いつの間に、「年金だけで死ぬまで安心」と信じる日本人が増えたのか?
過去をたどると、小泉政権時代の「年金100年安心プラン」に行きつく。
●「年金だけで死ぬまで安心」と 思っていた日本人は一定数いる
財布のヒモが堅い日本人をちょっぴりビビらせて、
「つみたてNISA」などにカネをつぎ込ませたかっただけなのに、
なぜ「選挙の争点」だとか「国家的詐欺」なんて感じで大騒ぎになってしまうのか、
と金融庁も頭を抱えているかもしれない。
連日のようにマスコミと野党が、うれしそうに取り上げている、「老後2000万不足」問題のことだ。
既に多くの専門家が指摘しているように、
これは、貯蓄・退職金ゼロで、定年退職からの30年を年金オンリーで遊んで暮らそう、
というかなりポジティブシンキングなご夫婦をモデルケースした「恣意的な試算」である。
要するに、金融業界関係者が多く名を連ねる有識者会議「市場ワーキング・グループ」の皆さんが、
「とにかく日本人は、タンス預金じゃなくて、投資にカネを回せ」
という熱い思いを強く出しすぎてしまったせいで、世論をミスリードしてしまったのだ。
その一方で、今回の問題は、もうひとつ別の「ミスリード」も浮かび上がらせたという点においては、
極めて大きな意味があったと思っている。
それは、「年金だけで、死ぬまで遊んで暮らせる」というミスリードだ。
「老後2000万不足」報告書を受け、「聞いていないよォ!」とダチョウ倶楽部のように怒っている方たちや、
「びっくりした」、「100年安心詐欺だ」、「選挙の争点にする」とキレている立憲民主党の辻元清美さんなどを
ご覧になればわかるように、世の中には、「年金だけあれば、貯蓄ゼロでも死ぬまで安心」
と思い込んでいた方が一定数いらっしゃる。
もちろん、現実は、そんなに甘くない。
ネットの経済ニュースを見れば、ファイナンシャルプランナーの方たちが、
「65歳以上は持ち家でも、3500万は必要」、「ゆとりある生活を送るなら、4500万はいる」などと、
さも「常識」のように語っているし、
三菱UFJ信託銀行のホームページにも特にもったいぶった形でなく、しれっとこう書かれている。
「一般的には老後資金の目安は、3000万円だといわれることもありますが、
これは年金以外の収入がなくなった際に、年金だけでは、まかないきれない分を指しています」

●「貯蓄も必要」は30年前から 常識だったはずである
このような情報には一切耳を塞ぎ、
「年金だけ払ってれば、チャラヘッチャラ」と余裕をかましている人がいるということは、
彼らをそう信じさせるだけの何か強烈な「ミスリード」があったということなのだ。
という話をすると、「年金以外にそんな大金がいるという話の方が、安倍政権のミスリードだろ」と、
怒りでどうにかなってしまう方もおられるだろうが、
「年金だけでは、生活ができない」というのは、
安倍政権の年金運用破綻が引き起こした「不都合な真実」でもなんでもなく、
かれこれ30年以上前から当たり前のように言われ続けてきた「常識」なのだ。
例えば、1984年、郵政省が出した資料の試算によると、
当時の60歳以上の預金目標額は2050万円だが、実際の60歳以上の平均預金は884万だった。
そして、当時の平均余命から60歳以上が亡くなるまでの約19年で必要とするのが、5885万円と試算し、
その19年間の厚生年金支給額が概算で3265万円なので、
不足額が2619万円だとそろばんを弾いている。
これを受けて、当時の参議院の委員会で、
自民党から日本新党、新進党、民主党へと渡り歩いた松岡満寿男議員は、
労働省(当時)の官僚に以下のように質問している。
「60歳以上の方で2000万ぐらい要するに預金をしておきたいと。
しかし、実際800万だという。
その2000万がたまたま不足額に、大体19年間生きるとしてなってきて、おるんですね。
そうすると、やはり年金だけでやっていくというのは、非常に難しい。
そのために預金をしておるという現実があるのか、どうなのかよくわかりませんけれども、
少なくともそういうデータが出ているようなんですが、
我が国の年金のレベルというものが一体どうなんだろうか」
(国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小会委員会 1984年04月25日)
熱湯風呂の前で「聞いてないよォ」とゴネるダチョウ倶楽部が、
実は番組スタッフと綿密に段取りを打ち合わせしているのとまったく同じで、
「年金だけで生活できないなんて、聞いてないよォ」
と驚く野党の皆さんも、実は国会での論戦や、官僚から耳にタコができるほど聞かされた話なのだ。
では、30年前は当たり前だった「年金以外にも、貯蓄が必要」が、
なぜいつの間にか「年金だけで、死ぬまで安泰」になったのか。
いろいろな意見があるだろうが、筆者は小泉政権時代に政府が年金改革で掲げた「100年安心」という
キャッチフレーズが招いたミスリードだと思っている。

●小泉政権時代の「100年安心」は なぜミスリードされたのか?
この政策のベースになったのは、
自民党と連立政権を組んだ公明党の「年金100年安心プラン」だ。
その概要について、同党の池添義春議員のホームページでは、このように説明している。
1.保険料は18.3%を上限に2017年まで段階的に引き上げ、それ以上保険料が上らないようにした
2.もらえる年金は、モデル世帯で現役世代の手取り収入の50%を確保
どこにも「年金だけで、死ぬまで生活できますよ」、などとは書かれていないのだ。
しかし、この「100年」という言葉が、
世の中に「年金だけもらっていれば、100年生きていける」かのような誤解を与えてしまうのだ。
その象徴的なやりとりが、2004年の参議院の議事録に残っている。
今回の「老後2000万不足」でも安倍首相を厳しく追及する共産党の小池晃議員が、
小泉純一郎首相(当時)にも、公的年金だけでは生きていけない、と詰め寄ったところ、小泉氏はこのように述べた。
「公的年金だけで、全部生活費をみるということとは、違うと思うんですね。
大きな柱の一つになってきているというのは事実でありますが、
そのほかに、日ごろの備えをしていかなきゃならないという点もあるでしょう」(参議院決算委員会 平成16年05月31日)
もちろん、これを小池氏は厳しく批判するのだが、そこで興味深いことをおっしゃっている。
「公的年金だけで生きていけないというのであれば、
百年安心の年金制度などという看板は、でたらめじゃないですか」(同上)
さらに、この小池氏の反論を受けて、小泉氏はこう述べている。
「公的年金で、すべて生活できる人も一部にはいるでしょう。
しかし、公的年金以外に自分の蓄えているものも、あるでしょう。
そして、なおかつ生活保護制度というのもあります。いろいろな組み合わせです」(同上)
お分かりだろうか。
小泉氏は、公的年金が老後資金の柱の一つになってきていることが「百年安心」という認識だが、
小池氏は、公的年金だけで生活ができることが「百年安心」だと考えているので、
まったく話が噛み合っていないのだ。

●ミスリードに踊らされず 自分の頭で考えよ
当時、このようなズレた議論が、連日のように繰り返され、マスコミも大きく取り上げていた。
その中で、「100年安心」というキャッチーな響きが、ひとり歩きをして、
「年金だけで、死ぬまで遊んで暮らせる」というミスリードを招いた可能性が高いのだ。
というと、共産党や小池氏を批判しているように聞こえるかもしれないが、そういうつもりは毛頭ない。
政権側の「言葉」の揚げ足取りをするのは、野党の仕事だ。
むしろ、「100年安心」なんてツッコミどころ満載のネーミングをした政権側の脇の甘さが問題だ。
しかも共産党は、企業や富裕層にガッツリ課税して、防衛費も減らして、
年金だけで本気で100年暮らせる、いわば共産主義的社会を目指している政党である。
そういう政策の人たちだから、「年金だけで、死ぬまで遊んで暮らせる」
という社会像を国民に吹聴するのは当然だし、それが実現できていない政権に噛み付くのも、
しごく当たり前のアクションだ。
そこに共感する人は、共産党を応援して、一票を投じればいいだけの話である。
ただ、そういうイデオロギーなしに、
「年金以外に金がかかるなんて安倍政権にダマされた!」、「消えた年金問題の再来だ!」というのは、
ちょっと違う気がする。
安倍首相もかねてから、「基礎年金だけで、老後に必要なものを全て賄うことはできない」、
「蓄えも含め、また、万全な老後が可能となるよう政府としても努力もしていきたい」(予算委員会 30年2月5日)と述べているからだ。
金融庁の報告書もかなり恣意的なミスリードだが、
一部野党やマスコミの「国家的詐欺」、「安倍政権の年金運用ミス」という攻撃も、
それに負けず劣らず恣意的なミスリードなのだ。
参院選を控えて今は、与党も野党も「争点」を探している状況である。
そこで活躍するのが、演技上手の政治家だ。
彼らは馴染みのマスコミを利用して、「こんなひどい話は聞いたことがない」、
「国民を愚弄するな」なんてアカデミー賞ものの演技で、国民の怒りや不安を煽る。
果たして、本当にその問題提起は、日本のためになるのか。
選挙演説で、あいつが悪い、こいつの息の根を止めないと日本はおしまいだ、
と攻撃をするための「テーマ設定」ではないのか。
マスコミの「現在、問題となっている」というナレーションに踊らされぬよう、
自分自身の頭で考えて判断するリテラシーが、これまで以上に求められているのかもしれない。・・》
大手のマスメデイア、国会議員の諸兄諸姉・・日本は難題が山積しているのに、
あたりまえなことを議論か話題にするのは、時間の浪費であり、
国会議員であったならば、給与泥棒かしら、と思い、憂いたりしてきた。
このような深情を秘めてきた私は、
『「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」と日本人をミスリードをしたのは誰か』、
どのようなことですか、と思いながら真摯に精読した。
この記事は、ノンフィクションライターの窪田順生(くぼた・まさき)さんの寄稿文であり、
公式サイトの【 ダイヤモンド・オンライン 】に2019年6月13日に配信され、
無断であるが、転載させて頂く。
《・・「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」と日本人をミスリードをしたのは誰か

老後に「公的年金以外に2000万円以上が必要」と書かれた金融庁の報告書が大炎上している。
しかし、そもそも「年金だけで老後は安泰ではない」ことは、30年以上も前から常識だったはず。
一体いつの間に、「年金だけで死ぬまで安心」と信じる日本人が増えたのか?
過去をたどると、小泉政権時代の「年金100年安心プラン」に行きつく。
●「年金だけで死ぬまで安心」と 思っていた日本人は一定数いる
財布のヒモが堅い日本人をちょっぴりビビらせて、
「つみたてNISA」などにカネをつぎ込ませたかっただけなのに、
なぜ「選挙の争点」だとか「国家的詐欺」なんて感じで大騒ぎになってしまうのか、
と金融庁も頭を抱えているかもしれない。
連日のようにマスコミと野党が、うれしそうに取り上げている、「老後2000万不足」問題のことだ。
既に多くの専門家が指摘しているように、
これは、貯蓄・退職金ゼロで、定年退職からの30年を年金オンリーで遊んで暮らそう、
というかなりポジティブシンキングなご夫婦をモデルケースした「恣意的な試算」である。
要するに、金融業界関係者が多く名を連ねる有識者会議「市場ワーキング・グループ」の皆さんが、
「とにかく日本人は、タンス預金じゃなくて、投資にカネを回せ」
という熱い思いを強く出しすぎてしまったせいで、世論をミスリードしてしまったのだ。
その一方で、今回の問題は、もうひとつ別の「ミスリード」も浮かび上がらせたという点においては、
極めて大きな意味があったと思っている。
それは、「年金だけで、死ぬまで遊んで暮らせる」というミスリードだ。
「老後2000万不足」報告書を受け、「聞いていないよォ!」とダチョウ倶楽部のように怒っている方たちや、
「びっくりした」、「100年安心詐欺だ」、「選挙の争点にする」とキレている立憲民主党の辻元清美さんなどを
ご覧になればわかるように、世の中には、「年金だけあれば、貯蓄ゼロでも死ぬまで安心」
と思い込んでいた方が一定数いらっしゃる。
もちろん、現実は、そんなに甘くない。
ネットの経済ニュースを見れば、ファイナンシャルプランナーの方たちが、
「65歳以上は持ち家でも、3500万は必要」、「ゆとりある生活を送るなら、4500万はいる」などと、
さも「常識」のように語っているし、
三菱UFJ信託銀行のホームページにも特にもったいぶった形でなく、しれっとこう書かれている。
「一般的には老後資金の目安は、3000万円だといわれることもありますが、
これは年金以外の収入がなくなった際に、年金だけでは、まかないきれない分を指しています」

●「貯蓄も必要」は30年前から 常識だったはずである
このような情報には一切耳を塞ぎ、
「年金だけ払ってれば、チャラヘッチャラ」と余裕をかましている人がいるということは、
彼らをそう信じさせるだけの何か強烈な「ミスリード」があったということなのだ。
という話をすると、「年金以外にそんな大金がいるという話の方が、安倍政権のミスリードだろ」と、
怒りでどうにかなってしまう方もおられるだろうが、
「年金だけでは、生活ができない」というのは、
安倍政権の年金運用破綻が引き起こした「不都合な真実」でもなんでもなく、
かれこれ30年以上前から当たり前のように言われ続けてきた「常識」なのだ。
例えば、1984年、郵政省が出した資料の試算によると、
当時の60歳以上の預金目標額は2050万円だが、実際の60歳以上の平均預金は884万だった。
そして、当時の平均余命から60歳以上が亡くなるまでの約19年で必要とするのが、5885万円と試算し、
その19年間の厚生年金支給額が概算で3265万円なので、
不足額が2619万円だとそろばんを弾いている。
これを受けて、当時の参議院の委員会で、
自民党から日本新党、新進党、民主党へと渡り歩いた松岡満寿男議員は、
労働省(当時)の官僚に以下のように質問している。
「60歳以上の方で2000万ぐらい要するに預金をしておきたいと。
しかし、実際800万だという。
その2000万がたまたま不足額に、大体19年間生きるとしてなってきて、おるんですね。
そうすると、やはり年金だけでやっていくというのは、非常に難しい。
そのために預金をしておるという現実があるのか、どうなのかよくわかりませんけれども、
少なくともそういうデータが出ているようなんですが、
我が国の年金のレベルというものが一体どうなんだろうか」
(国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小会委員会 1984年04月25日)
熱湯風呂の前で「聞いてないよォ」とゴネるダチョウ倶楽部が、
実は番組スタッフと綿密に段取りを打ち合わせしているのとまったく同じで、
「年金だけで生活できないなんて、聞いてないよォ」
と驚く野党の皆さんも、実は国会での論戦や、官僚から耳にタコができるほど聞かされた話なのだ。
では、30年前は当たり前だった「年金以外にも、貯蓄が必要」が、
なぜいつの間にか「年金だけで、死ぬまで安泰」になったのか。
いろいろな意見があるだろうが、筆者は小泉政権時代に政府が年金改革で掲げた「100年安心」という
キャッチフレーズが招いたミスリードだと思っている。

●小泉政権時代の「100年安心」は なぜミスリードされたのか?
この政策のベースになったのは、
自民党と連立政権を組んだ公明党の「年金100年安心プラン」だ。
その概要について、同党の池添義春議員のホームページでは、このように説明している。
1.保険料は18.3%を上限に2017年まで段階的に引き上げ、それ以上保険料が上らないようにした
2.もらえる年金は、モデル世帯で現役世代の手取り収入の50%を確保
どこにも「年金だけで、死ぬまで生活できますよ」、などとは書かれていないのだ。
しかし、この「100年」という言葉が、
世の中に「年金だけもらっていれば、100年生きていける」かのような誤解を与えてしまうのだ。
その象徴的なやりとりが、2004年の参議院の議事録に残っている。
今回の「老後2000万不足」でも安倍首相を厳しく追及する共産党の小池晃議員が、
小泉純一郎首相(当時)にも、公的年金だけでは生きていけない、と詰め寄ったところ、小泉氏はこのように述べた。
「公的年金だけで、全部生活費をみるということとは、違うと思うんですね。
大きな柱の一つになってきているというのは事実でありますが、
そのほかに、日ごろの備えをしていかなきゃならないという点もあるでしょう」(参議院決算委員会 平成16年05月31日)
もちろん、これを小池氏は厳しく批判するのだが、そこで興味深いことをおっしゃっている。
「公的年金だけで生きていけないというのであれば、
百年安心の年金制度などという看板は、でたらめじゃないですか」(同上)
さらに、この小池氏の反論を受けて、小泉氏はこう述べている。
「公的年金で、すべて生活できる人も一部にはいるでしょう。
しかし、公的年金以外に自分の蓄えているものも、あるでしょう。
そして、なおかつ生活保護制度というのもあります。いろいろな組み合わせです」(同上)
お分かりだろうか。
小泉氏は、公的年金が老後資金の柱の一つになってきていることが「百年安心」という認識だが、
小池氏は、公的年金だけで生活ができることが「百年安心」だと考えているので、
まったく話が噛み合っていないのだ。

●ミスリードに踊らされず 自分の頭で考えよ
当時、このようなズレた議論が、連日のように繰り返され、マスコミも大きく取り上げていた。
その中で、「100年安心」というキャッチーな響きが、ひとり歩きをして、
「年金だけで、死ぬまで遊んで暮らせる」というミスリードを招いた可能性が高いのだ。
というと、共産党や小池氏を批判しているように聞こえるかもしれないが、そういうつもりは毛頭ない。
政権側の「言葉」の揚げ足取りをするのは、野党の仕事だ。
むしろ、「100年安心」なんてツッコミどころ満載のネーミングをした政権側の脇の甘さが問題だ。
しかも共産党は、企業や富裕層にガッツリ課税して、防衛費も減らして、
年金だけで本気で100年暮らせる、いわば共産主義的社会を目指している政党である。
そういう政策の人たちだから、「年金だけで、死ぬまで遊んで暮らせる」
という社会像を国民に吹聴するのは当然だし、それが実現できていない政権に噛み付くのも、
しごく当たり前のアクションだ。
そこに共感する人は、共産党を応援して、一票を投じればいいだけの話である。
ただ、そういうイデオロギーなしに、
「年金以外に金がかかるなんて安倍政権にダマされた!」、「消えた年金問題の再来だ!」というのは、
ちょっと違う気がする。
安倍首相もかねてから、「基礎年金だけで、老後に必要なものを全て賄うことはできない」、
「蓄えも含め、また、万全な老後が可能となるよう政府としても努力もしていきたい」(予算委員会 30年2月5日)と述べているからだ。
金融庁の報告書もかなり恣意的なミスリードだが、
一部野党やマスコミの「国家的詐欺」、「安倍政権の年金運用ミス」という攻撃も、
それに負けず劣らず恣意的なミスリードなのだ。
参院選を控えて今は、与党も野党も「争点」を探している状況である。
そこで活躍するのが、演技上手の政治家だ。
彼らは馴染みのマスコミを利用して、「こんなひどい話は聞いたことがない」、
「国民を愚弄するな」なんてアカデミー賞ものの演技で、国民の怒りや不安を煽る。
果たして、本当にその問題提起は、日本のためになるのか。
選挙演説で、あいつが悪い、こいつの息の根を止めないと日本はおしまいだ、
と攻撃をするための「テーマ設定」ではないのか。
マスコミの「現在、問題となっている」というナレーションに踊らされぬよう、
自分自身の頭で考えて判断するリテラシーが、これまで以上に求められているのかもしれない。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
今回、ノンフィクションライターの窪田順生(くぼた・まさき)さんの寄稿文より、
多々学び、深みのある作品で、わたしなりに多々教示させられた。
そして大手メディアのテレビのニュース、ワイド・ショウ、新聞、雑誌を含めて、
私が視聴、読んだ限り、この記事は優れていると感じている。
そしてノンフィクションライターの窪田順生(くぼた・まさき)さんの明言、
《・・ ミスリードに踊らされず 自分の頭で考えよ ・・》、
私も二十歳以来、 大手メディアの新聞、そしてテレビのニュースも、それぞれの思惑があり、
7割を学びながら、3割は私なりに考察・・習性としている。
まして国会議員の諸兄諸姉の発言は、政治は妥協の芸術と学んできた私は、
時としてその時勢の発言も多く、私はその国会議員の思惑を戸惑いながら、思案させられる時もある。