先程、ときおり愛読している公式サイトの【 マネーの達人 】を見たりした中で、
『 「一人暮らし」が標準世帯となる未来、 高齢者版「シェアハウス」が増える 』
と題された見出しを見たりした。
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年となっている。
このような私であるが、いつの日にか、私たち夫婦はどちらかが死去されて、
残された方は、独りぼっちの『おひとりさま』になる。
そしてまさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
漠然としながらも、何かとノロマの私でも『おひとりさま』に思いを馳せることもある。
このような深情を秘めている私は、《・・高齢者版「シェアハウス」・・・》って、
どのような形態なのですか、と思いながら記事を精読してしまった。
この記事は、社会保険労務士、年金マスターなどで御活躍されている 金子 幸嗣さんの寄稿文であり、
公式サイトの【 マネーの達人 】に2019年6月15日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・「一人暮らし」が標準世帯となる未来、 高齢者版「シェアハウス」が増える
「一人暮らしの高齢者」と聞けば、多くの人は、
といったコトバを連想するに違いありません。
また、自分には関係のない話と考えやすいです。
しかし、そうも言っていられない事態がやってきそうです。
☆標準世帯
ひと昔前、標準世帯と言えば、「夫婦に子供2人」と言われた時代がありましたが、
今後は様変わりしそうです。
国立社会保障・人口問題研究所は2019年4月19日、
2015年に実施された国勢調査をもとに、2015年~40年の25年間におよぶ「日本の世帯数の将来推計」を公表しました。
2035年までに沖縄を除いた46都道府県で、世帯数が減少すると推計されました。
すでに、日本は人口減少プロセスに入っているわけですから、この推計自体については驚くことはありません。
しかし、2015年に41都道府県で最大の割合となっていた単身世帯(つまり、一人暮らし)が、
2025年には全都道府県で、最大の割合を占めるようになると報告されています。
世帯というものは構成する人員によって、いろんなカタチがあります。
夫婦のみ、夫婦と子供、ひとり親と子、など。
さまざまな世帯の中で、
というのです。
つまり、近未来の日本では、単身世帯が標準世帯となるということです。
今後は、「ウチは夫婦に子供2人」と言えば、「珍しいね」という答えが返ってきても、おかしくありません。
人口に関わる将来推計は、経済の予測などと違って、的中率がきわめて高いことで知られています。
ですから、この推計は「すでに決まった未来」と考えていた方が良いです。
☆高齢者より多い独身者
同じく2015年の国勢調査では、65歳以上人口が約3,280万人に対して、
15歳以上の独身者の人口は約4,440万人となっています。
日本は高齢者の多い国というふうに語られることが多いです。
しかし、15歳以上の独身人口のほうが、高齢者よりも1,200万人も多いわけです。
2040年には独身率は47%、つまり、15歳以上人口の半分が、独身者になると予測されています。
☆高齢者世帯の近未来
世帯主が65歳以上の世帯に占める単独世帯の割合は、
2040年には全都道府県で30%以上となり、15都道府県で40%を超えます。
つまり、
ということになります。
一人暮らし世帯の家計は複数人からなる世帯と比較して、当然、支出総額は少なくてすみます。
しかし、「一人あたりの支出」は多くなります。
典型的なのが、食費や住居費です。
複数で分けることがありませんから、「一人あたり」は割高になってしまいます。
複数人で暮らす方が、おトクであることは言うまでもありません。
一人暮らしの高齢者が増えていけば、ひとつは経済的な理由で、
また、孤独を解消するためにも、一緒に暮らす人たちが増えていくかもしれません。
「シェアハウス」の高齢者版です。
世帯のあり方が劇的に変われば、これまでの習慣やライフスタイルも、様変わりするかもしれません。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、私たち夫婦が長年話し合ってきた葬儀に関して、
ささやかな家族葬、やがて四十九日を終えて、約束どうりに樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、共にお互いの長年の思いであり、もとより愛惜感もあり、
苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。
やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を断腸の思いで処分し、
大きな公園が隣接した場所で、 小さな2DKのマンションに転居すると思われる。
そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。
この前提として、もとより住まいが狭くなるので、 やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。
こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。
そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、
壁一面に本と映画・音楽の棚で、 テープルにはバソコンを置き、
窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。
そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような駅前の居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。
こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。
或いは私が身も心も溌剌であった時は、古惚けた我が家で独り住むことも思案したりする。
過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私たち達は聴こえてきた・・。
やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・
ああした地域福祉センターで、 定期便のように通うと思うょ・・』
と私は家内に言ったりした。
私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、 ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。
もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。
私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。
そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、
70代が多いと思われるが、 XXさん、と私は呼ばれたり、
やがて同世代の女性からでも、 XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。
この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。
やがて帰宅後は、自宅付近の遊歩道、公園を散策した帰路、
この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物して帰宅する。
その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。
このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
ときおり寂しさは感じても、孤独は無縁だよねぇ・・と心身のバランスが保てる、 と微笑んだりしている。
このように思案を重ねたりしたが、今回の記事からも多々教示され、
果たして・・と思い深めたりしている。