私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に、民間会社のある会社に定年退職したが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受して、早や15年生となっている。
そして年金生活を始めてまもない時、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
何かしらブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、多彩な分野まで投稿ができ、 私は自在に私の生活のことから、
政治、経済、社会、文化などに専門知識がない私でも、 私なりの思いを発露でき、ブログに加入しょうと決意した。
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さな簡易ブログサービスに彷徨(さまよ)った後は、
この【gooblog(旧・gooブログ)】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入し、
この日から5254日が過ぎている。
この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は、この【gooblog(旧・gooブログ)】に継続し、 今日に至っている。
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸14年半が過ぎている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行、或いは入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、
真情を投稿文に認(したた)めたく、 あますことのないように綴ってきた。
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。
そして70代になると、自身の体力の衰えを実感して、健康、介護、葬儀、家計などを学んだことに
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは7年半近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、或いは読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。
ここ7年、このサイトに綴ることが生きがいのひとつになっているので、
数多くのお方にお読み頂き、私がブログが継続できたこともあり、偏(ひとえ)に感謝の一言です。
こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ8年ぐらい殆どの方が、心ある写真を添付されたりしてきた。
そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。
特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。
過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の数日前、
ある麗(うるわ)しき御婦人の御方様より、アドバイスを頂き、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。
こうした中、私は特に数多くの50代以上の御方の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、 圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。
そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。
こうして読ませて頂きながら、つたない私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。
こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に心の中の琴線(きんせん)が静かに奏(かな)でり始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。
或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。
何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
こうした深情のある中、私のブログの投稿時間は、昨今は家事の合間に、
慌(あわ)ただしく投稿文を認(したた)めて、この後に投稿している。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
こうした中、私たち夫婦は、年金生活14年の昨年まで、
お互いに幸運にも大病に遭遇せずに、 過ごしてきた・・。
しかしながら私は、今年の新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、 やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されて、
10数名の医療スタッフの中で、 私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、
そしてCTスキャンなどの精密検査、 或いはレントゲン終えたのは、1月4日の早朝3時半すぎであった・・。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。
この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に 異変があることが推定された。
やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。
そして家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、 5月12日より摘出する手術で入院をし、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、5月31日に退院して、現在は自宅で回復に向かっている。
しかしながら時折、家内は痛みで表情をゆがめ、やむなく薬でやわらげたり、
食欲も半減し、やむなく食べられる食品を私は聞いたりして、
平素の買物メール老ボーイの私でも、忙しくなっている。
そして家事は家内の指示棒の元で、のろまの私でも私なりに奮闘しているので、
ブログの投稿時は、家事の合間に変貌して、昼過ぎ、夕方・・さまざまとなり、
我ながら独り微苦笑を重ねている・・。