夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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真摯に、ときには楽しく投稿

「おひとり様高齢者」の田舎暮らしが増加中 介護放棄の“姥捨山”という現実、高齢者の私は学び、やがて震撼させられ・・。

2019-06-23 15:16:29 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 デイリー新潮 】を見ている中、
『 「おひとり様高齢者」の田舎暮らしが増加中
             介護放棄の“姥捨山”という現実 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
《・・“姥捨山”伝説・・》関しては、私は小学5年生の時に、
独りで映画館で観た『楢山節考』木下恵介・監督(1958年)を鑑賞したが、
私の理解不足も多少あったが、少年なりに衝撃を受けた作品である。

この後、高校生になり、遅ればせながら読書に目覚めて、
こうした中で、深沢七郎・著作の『楢山節考』を読んで、 もとより民間伝承の棄老伝説を題材した作品であるが、
私は長年乱読してきた中で、 感銘を受けた作品の中で、突出した作品となっている。

ここ10数年、少子高齢化の難題の日本に於いて、たとえ生活が困窮しても、
現代においても、《・・介護放棄の“姥捨山”・・》は、悪夢でタブーのテーマであり、
今回の《・・「おひとり様高齢者」の田舎暮らしが増加中 介護放棄の“姥捨山”という現実・・》、
どのようなことですか、と思いながら真摯に学んだりした。

                 

この記事は、 移住アドバイザーの清泉 亮(せいせん・とおる)さんが、 取材されて寄稿された記事で、
デイリー新潮 】に2019年6月23日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・「おひとり様高齢者」の田舎暮らしが増加中 介護放棄の“姥捨山”という現実
 
☆別荘地に捨てられる高齢者 

1983年に映画化され、カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した
深沢七郎の小説『楢山節考』(新潮文庫)の衝撃は、今でも色あせない。


 ***

貧しい時代、貧しい土地で、口減らしのために息子が母を背負い、山奥へと上がっていく。
姥捨山伝説を題材とする作品は、多くの読者の涙を誘ってやまなかった。

 
そして現代、田舎への移住ブームは新しい流れを引き起こし、『楢山節考』の世界を蘇らせた。
なぜなら、老女だけの田舎暮らしが、増加しているからだ。

                

長野県の蓼科方面を中心に別荘物件や空き家の売買をする、ある不動産業者が言う。

「お陰様で物件の動きは活発です。
ただ、移住の傾向が、ちょっと変わってきているんです」

 移住に適した物件は、ピンキリ。
上限は天井知らずだが、下限も低くなる一方だ。
200万円でも一戸建てが購入できるという。

「安価だからか、物件は次々に売れます。
引っ越しとなると、都会に住む父親や息子さんが、車でピストン輸送するケースが多い。

問題は、その後です。
住むのがお婆さんだけなんです。お爺さんだけというのは稀です。
高齢女性が圧倒的に多い。そんなケースが増えています」

 
女性ひとりだけの移住者というのは、かつても珍しくはなかった。
だが最近のケースは、背後に存在する事情が複雑だ。


「平均寿命の影響もありますし、身の回りのことができない人が少なくないので、
まず男性の高齢者がひとりで、移住するということは極めて稀です。
男性の場合は、夫婦で移住するケースが圧倒的ですね。

そして連れ合いを亡くした女性が、ひとりで移住するというケースも多かったわけですが、
かつては80歳が年齢の上限でした。
それ以上の年齢になると、ひとりで生活することが大変になるからです」(同・不動産業者)

 
ところが近年の移住者は、90歳前後の女性が目立つ。

「東京や神奈川といった首都圏では、特養や老人ホームに入居することが難しい。
そこで家族が『じゃあ、田舎暮らしをさせよう』と、地域の物件を購入しているようなんです」(同・不動産業者)

 
田舎で新しく、ひとり暮らしを始めた女性が散歩をしていると、
どうしても徘徊に見えてしまう・・・そんな光景が、そこかしこで見受けられるという。


認知症と診断されていなくても、実際にお話をすると、
おひとりで暮していけるのか、不安な方が少なくありません。

でも、都会の施設はお金がかかる上に、入れる経済力があったとしても順番待ちで大変です。
それこそ『入居待ちの間に亡くなってしまう』ことも・・・。

そこで、施設より安く、確実に入居できる別荘物件を購入して、
お婆さんに転地療養という感じで、老後の生活を送ってもらおうと考えているケースが増えているようなんです」
(同・不動産業者)

               
 
こうして別荘地購入のニーズは、一気に高まっているようなのだ。
同時にトラブル・・・それも移住者自身に起因するもの・・・が急増中だ。

「車もないまま、高齢者を置き去りにされると、買い出しができません。
今は別荘地にも、生協が配達に来ますから、仮に食べ物は大丈夫だとします。

しかし、冬場は石油ヒーターが必要なので、ポリタンクに灯油を入れなければなりません。
これも玄関までは、地元の業者が来てくれます。

しかし、20リットルもの灯油タンクを、80代の女性がひとりで運ぶのは無理です。
タンクを持った瞬間に転倒、骨折すれば、寝たきりになってしまいます。
男手がないと不可能ですよ。

田舎暮らしはだからこそ、自分よりも若い人との同居か、
息子や娘が近くに住んでいなければ、無理なんです。
おひとり様には、厳しいのが田舎暮らしです」(同・不動産業者)

 
他にも、こんなトラブルもある。
温泉好きの“おひとり様移住者”が温泉を訪れる。

そこは住民の常連客で溢れている。彼らの縄張り意識は強い。
都会から移住してきた高齢者が、そこに腰を低くして入っていくことは、かなりの困難が伴うものだ。

 
移住者も地元住民も、共に高齢者。
どちらも「いたわられて、当たり前」という意識がある。

だが住民にとっては、同じ年齢層であっても、移住者は新入り。
いたわられるべきは、地元民なのだ。

ある移住者の話を聞くことができた。

「この前、温泉の更衣室で、地元の女性から『私の席に勝手に座った』と怒られて、
頬を叩かれたことがありました」

 
温泉だけが楽しみだった田舎暮らしで、これを機に彼女は、
最寄りの温泉に通いづらくなってしまったという。


「温泉ひとつとっても、地元民と移住者との軋轢は、凄まじいです。

そもそも地元民同士であっても、違う集落から来た入浴者には、
浴槽の中に入れようとしなかったり、わざと座る場所を詰めたりと、
陰険なせめぎ合いが繰り広げられています」(前出の不動産業者)

               

 ☆結局は孤独死? 

別荘地なら管理事務所があるので安心、と考えるのも早計だ。
お金さえ払えば、大抵のことはやってくれる管理事務所であっても、
生活の隅々まで面倒を看てくれる介護ヘルパーではない。

そもそも、そういう技能を持った人間をスタンバイさせていることはまずない。


「部屋の中で転倒して助けを呼べなければ、どうしようもありません」(管理事務所の従業員)

家政婦を雇うことができるほどの経済力を持つ高齢者なら、わざわざ田舎暮らしなど必要ない。
都会に近い富裕層向けの特養や高齢者施設に入居するからだ。

 
息子や孫に“楢山節考”さながらに、車で連れて来られる老女たちは、そもそも生活に余裕がない。
その結果として、トラブルが起きているという側面も否定できない。

ひと頃、孤独死対策に追われた行政にとっても、新たな悩みの種になっているという。

「90歳近い女性となると、スマホの操作はできません。
たとえ“らくらくホン”であっても、『どこに置いたかな?』という具合です。

緊急連絡手段であるスマホの置き場所でさえ、忘れてしまいます。
そんな高齢者をひとりで置き去りにするわけですから、
家族は一体、何を考えているのかと思います」(さる民生委員)

 
だが、安ければ200万円で小さな家が手に入る。
都会であてのない特養入居の順番を待つよりも、家族にとって、田舎暮らしは安上がりで簡単だ。
それが“老女のおひとり様”田舎暮らしの現実なのだ。

             
 
移住者自身の問題もある。
彼女たちは、プライバシーに敏感な都市生活を当たり前として生きてきた。

そのため、認知症の兆候が出始めても、
移住先の保護、見守り、民生委員のケアを受けたがらないという。

「私の生活に決して立ち入ってくれるな」という結界さながらの生活。
その上、認知症の病状が進行し、結局、自分で自分の首を絞めることになるという。

 
既に“限界集落”ならぬ、“限界生活者”が続出している。
子や孫に移住を勧められた老女たちでも、元気なうちに地元の人々と、人間関係を築いていれば、話は別だ。

 
しかし、多くの老女たちは孤独な生活を続け、
認知症が進んでも、最後まで「かまってくれるな」なのである。
とはいえ、必要な時は「すぐに助けに来い」だ。

別荘地の管理事務所は、対応に苦慮している。
物理的、身体的な限界状況に加えて、
老齢ゆえの頑固さ、頑迷さが、地元民からの助けを妨げているという。

 
こうした田舎における新しい不動産ニーズは、新たな商機と言えるかもしれない。
だが、「現代の姥捨て山」ならば、対策を講じる必要も出てくるだろう。

 
別荘の管理事務所や不動産会社は、
「ひとり暮らしの高齢女性に何かアクシデントが起きたら、人道的には助けざるを得ない」と考えている。

 
しかし、高齢者の介護を担っても、その費用を請求するわけにもいかない。
老女たちから「カネがない」と言われればそれまでだ。

結果として、管理事務所などは無報酬で手助けをしなければならない。
人手も時間も割かれてしまう。

 
田舎で不動産の売買契約が増加することは、業者だけでなく、地域全体として歓迎すべきことだろう。
「85歳以上の入居は不可」、「ひとり暮らしの入居不可」という条件を設定するわけにもいかない。
物件成約のためには、売れる時には、売らざるを得ないのが実情だ。・・》

注)記事の原文をあえて改行を多くした。      

                  

今回、移住アドバイザーの清泉 亮(せいせん・とおる)さんの寄稿文より、
多々学び、深みのある作品で、わたしなりに多々教示させられた。

特に《・・近年の移住者は、90歳前後の女性が目立つ。
・・東京や神奈川といった首都圏では、特養や老人ホームに入居することが難しい。
そこで家族が『じゃあ、田舎暮らしをさせよう』と、地域の物件を購入しているようなんです」・・》
こうした状況下を私は学んだりした。

そして《・・
田舎で新しく、ひとり暮らしを始めた女性が散歩をしていると、 どうしても徘徊に見えてしまう・・
そんな光景が、そこかしこで見受けられるという。

認知症と診断されていなくても、実際にお話をすると、 おひとりで暮していけるのか、不安な方が少なくありません。

でも、都会の施設はお金がかかる上に、入れる経済力があったとしても順番待ちで大変です。
それこそ『入居待ちの間に亡くなってしまう』ことも・・・。

そこで、施設より安く、確実に入居できる別荘物件を購入して、
お婆さんに転地療養という感じで、老後の生活を送ってもらおうと考えているケースが増えているようなんです」
・・》

このような実態の中、日常生活の困苦が描かれ、私は震撼させられた・・。

                 

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭となり、
やはり晩秋期の不安は、いつの日にか、介護・要となり、 介護施設にお世話になる時と思われる。
            
こうした中、要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)などを学んだりしてきた。              

そして私たち夫婦は、いつの日にか要支援までであったら、何とか自宅で過ごせると思われるが、
やはり要介護になってしまったら、やむなく介護施設に入居すると思案したりしてきた。

やがてどちらかが、国の支援を受けている費用が程ほどに適度な特別養護老人ホームに、
入居が叶(かな)わなくなってしまった時、困苦する。

やむなく高価と称されている有料老人ホームに、断腸の思いで自宅の敷地を売却して、
介護施設に入居しなくては、ならない場合もある。

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の外れに住んでいるが、
程近くにある有料老人ホームは、三つばかり参考例として記載する。

A:入居費(0万円~840万円)そして月額(21.1万円~35.5万円)
B:入居費(0万円~1580万円)そして月額(0万円~63.7万円)
C:入居費(0万円~3600万円)そして月額(27.4万円~115.6万円)

入居費が廉(やす)ければ、月額の負担が多い上、
やはり介護の難度、施設の優良度合により、大幅な差異がある、と思われる。

もとより介護
の難題は、いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、
やがて永がられば本人の自己負担額が増し、
貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、行き場がなく迷子のような介護難民になることである。

私たち夫婦は、裕福層には遥か遠い年金生活の身であるので、
改めて有料老人ホームの入居費、そして毎月の負担額が余りにも高価に、溜息をしたりした。

                

このような思いで過ごしているが、今回の《・・介護放棄の“姥捨山”という現実・・》を学び、
やるせなく無力な私は、せめて悪い夢だったことにして・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。

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