私は東京郊外の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年となっている。
過ぎし年の2004年(平成16年)の秋、民間会社に35年近く勤めた私は定年退職時となり、
多々の理由で私たち夫婦は始めたりした・・。
まもなく私、平素の買物専任者を自主宣言し、家内から依頼された品を求めて、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店に、路線バスは頻繁に走行しているが、
歩くことが健康の源(みなもと)と思い、徒歩15分前後を歩いている。
そして私は母の遺伝を素直に受け継いだらしく、恥ずかしながら男の癖におしゃべりで、
家内はもとより、ご近所の御主人、奥様と談笑したりしている。
そして朝食、夕食は家内が料理してくれて、
私はキッチンから居間の食卓に、お運びする程度となっているが、
昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、 お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
こうした中、家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であり、
せめて私としては、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
こうした中で、ときおり家内が我が家より遠方に独り住まいの家内の母に介護で行く時は、
私は我が家で『おひとりさま』になるが、15年近く体験してきている。
こうした時の朝、目覚めた後は、やがて台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』、『燃えないゴミ』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりしている。
しかしながら、家内が4泊以上になる時は、家内が準備してくれた料理は品切れとなり、
こうした中、キャベツ、ニンジンの千切りぐらいはしているが、
煮たり、焼いたりする料理ができない私は、 スーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて、
食べているのが実態となっている。
洗濯に関しては、洗濯から乾燥できるまでの洗濯機に頼り、
せめて下着、タオル、パジャマぐらいはしょう、と当初は私は思ったした・・。
しかしながら家内より、着替えはたくさんあるでしょう、私が帰ってからします、 と強い口調で私は言われてしまい、
助かるよぅ・・と私は即答したりしてしまった・・。
このような洗濯機の機能も知らずに、軟弱な私となっている。
掃除に関しては、多少の埃(ほこり)がたまっても・・とグウダラな心情で、
二日に一回・・電気掃除機を曳くか、或いはコードレスの掃除機で、掃除したくらいである。
このように私は家事に関しても、落第生であるが、
何とか『おひとりさま』の生活を戸惑いながらも、 過ごしてきた・・。
やがて今年の3月になると、家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある臓器の膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。
そして精密なCTスキャンを専門病院で検査した後、 私の住む地域の大きな総合医療センターで、
3回ばかり通院して、 私たち夫婦は専門医師のアドバイスされる中、
初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。
やがて家内は2泊3日で検査入院して、 精密な状況を把握した後、
5月12日より月末まで、家内は結婚以来、初めての入院生活となり、
私たち夫婦として病状の緊迫感もあるが、
家内は、3食昼寝付きょ・・、私に対して、微苦笑しながら言ったりしてきた。
この入院するまでの期間、家内なりに身辺整理をしたり、
こうした中で、和服の大半は家内の妹の家族に贈呈する為、運送業者で送付したりしてきた。
そして私が家事全般として、料理以外に出来ていない事は、洗濯であり、
入院する一週間前に、私は家内の指導の下で、特訓を受けたりした。
やがて『洗い』、『すすぎ』、『脱水』、『乾燥』の基本順序を認識した上で、
これまでは『乾燥』の過程で、布ほこりでネット詰まり、停止警報が鳴った後、
ときおり家内と選手交代で、 布ほこりを取り除いた後、再稼働させたぐらいであった。
こうした中、恥ずかしながら洗剤と柔軟剤の投入場所を、初めて知ったりした。
まもなく青空を眺めたりすると、洗濯が出来るよなぁ・・、私は心の中で呟(つぶや)く時もあるが、
私が家内の入院している病院先であったり、或いは平素の買物先のスーパーに行く途中であったりし、 独り微苦笑したりしてきた。
やむなく朝食前に洗濯を終わられるか、或いは家内の入院している病院より帰宅後、
洗濯していることが殆どとなっている。
そして私は、青空の中、陽射しを受けている我が家の洗濯干し場で、
洗い終わった私のパジャマ、下着、タオルなど干す作業をするのが、理想であるが、
私は外出前に実行できて、幸せを感じ深めたりした。
このように家内が退院後も、若葉マークと称せられる初心者の私は、
74歳で、遅ればせながら洗濯の見習い老ボーイとなっている。
料理に関しては、特に夕食の時は何かと牛肉、ラム肉、ブタ肉、鶏肉が私は大好きなので、
ビーマン、モヤシ、ニンジンなどの野菜と共に、家内が料理してくれて来た・・。
家内が退院後、痛みと食欲が覚束ない家内の指導の下で、
私はキッチンで特訓を受けたりした。
たとえばラム肉が主食の場合は、事前にフライパンでピーマン、そしてモヤシを炒(いた)めた後、
この後は、別のフライパンでラム肉を炒(いた)める。
この炒(いた)める微妙な状態がわからず、今日まで敬遠してきたが、
家内の叱咤激励で何とかできたりした。
この事前として、私はキャベツを多めに千切りしていたので、
炒(いた)めたラム肉と共にビーマン、モヤシをニンニク醤油で食べたり、
大皿に盛った千切りにしたキャベツを食べたりして、野菜不足じゃないょ、
と私は微笑んだりした。
この私なりの成功体験を得て、この後は牛肉、ときにはブタ肉を炒(いた)めたりした。
そして私は、フライパンを活用した料理・・初心者なりに手習いをして、
微笑んだりした。
こうした中、家内は退院後、痛みと食欲が覚束ないので、食べられそうな食品を私は聞いて、
私はスーパー、コンビニで買い求めているのが実態となっている。
こうした結果、家事の三冠王の掃除、そして今回の洗濯、料理・・ 遅ればせながら74歳にして、
覚束ない初心者であるが、何とか出来るよなぁ・・と微笑んだりしている。