夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ハグ』という言葉を知ったのは、遅ればせながら20年前の頃、と微苦笑して・・。

2020-03-18 14:37:20 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であり、
過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職を迎えて頃は、
日本の多くの御方の日常生活の中でも、軽く抱擁する状況を『ハグ』という表現が、
浸透し街中でも流れて、この当時60歳の私は微苦笑をしたりした・・。

古来より日本人は、あまり人前で男女が抱き合ったりしないことが多く、
欧米文化の影響で、
日常の会話でも、使われている。

もとより欧米人をはじめとする世界の多くの御方が、
古き時代から相手の性別にかかわらず行われていた、と私は書物、映画で学んだりしてきた。

          

私が『ハグ』という言葉を知ったのは、遅ればせながら20数年前の頃、
この当時の私は、私も55歳を迎える年に、1999年(平成11)年の初春、リストラ烈風の中、
各レコード会社の音楽商品のCD、DVDなどの物流を委託している物流会社に、
あえなく出向となったりして、少し遠い勤務先で奮闘していた。

こうした中、休日の時は疲れた身体の中で、テレビ放送のみくのNHKの『
BS2』、『WOWOW』で、
映画の作品が放映されていて、たまたま鑑賞したのは
『お日柄もよくご愁傷さま』(1996年)であった。

この作品は、和泉聖治さんが監督、原案で、橋爪 功さんと吉行和子さんが御夫婦役で、
この当時の社会状況も的確に表現される中、冠婚葬祭を中核に展開している、
私は好きな作品のひとつである。

          

『キネマ旬報』データベースのあらすじをお借りすれば、下記の通りである。

《・・初めての仲人を明日に控えた田中和夫(
橋爪 功)は、
一世一代の晴れ舞台に心に残るようなスピーチをしたいと、そのことで頭が一杯だった。

ところが、そんな彼の思いと裏腹に、次女の瞳は恋人の宮本とグアム旅行の計画をこっそり練っており、
身重の長女・玲子は夫・貴行の浮気問題で家出してくるなど、家庭内には問題が多発していた。

さらに結婚式の当日の朝、和夫の父・源三郎が急死する。
旧友のたっての願いで引き受けた仲人を断れない和夫は、父の亡きがらを妹の和枝と娘たちに任せて式に出席する。

あたふたと結婚式を済ませて家に帰ってくると、玲子夫婦はまだ喧嘩を続けており、
瞳は宮本からの電話で夜中に出て行ってしまって、和夫の気持ちはちっとも落ち着かなかった。

しかも、リストラで不利な転職を余儀なくされていることが、妻の佳菜子(
吉行和子)にバレてしまう。

その夜遅く、和夫は死んだ父が、家族に内緒で大雪山への登山を計画していたことを知った。
父の手紙には、母と初めて会った山小屋へもう一度行って、
そこに母の写真を置いてきたいという願いが綴られていた。

和夫は父と母の知られざる過去に感動する。

翌日、告別式の途中で、玲子が予定より早く産気づくなどハプニングはさらに続いたが、
無事に源三郎の遺体は荼毘に付され、玲子も男児を出産して夫婦仲を取り戻し、
瞳も宮本とヨリを戻してグアム旅行に行くことになった。

和夫は、父の果たせなかった夢を代わりにかなえるため、大雪山へ出かけることを決心する。
父と母が出会った山小屋を訪ねた和夫は、そこでふたりが残した落書きを見つけた。
感極まった和夫と佳菜子は長く熱いキスを交わした。・・》

          

このラストシーンで、記憶に寄れば妻の
佳菜子が『ハグ』というセリフを発して、やがて熱く抱擁する・・
このシーンで私は、遅ればせながら『ハグ』という言葉を初めて学んだりした。

しかしながら、私は
『ハグ』という表現とか会話の言葉は情感に乏しく、
風情もある
軽く抱擁する、好みである。

このような思いは、せんなきこと・・とある御方から私は言われたりして、微苦笑したりしている。

コメント
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