私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。
こうした中、平素の我が家の買物は私の担当で、
家内から依頼されて品を求めて、殆ど毎日のように行っている買物メール老ボーイの身であり、
この後は、帰宅後に自宅の3キロ範囲にある遊歩道、公園を歩くことが多い。
そして過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、何かしら重苦しい風潮の中、私は戸惑いながら過ごしてる。
こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されている。
私は体力の衰えた高齢者の身であるので、散策を日々実行しないと益々衰えるので、
なるべく人出の少ない処を選定して歩いたりしている。
しかしながら駅前のスーパーで買い物をする時は、やむえなくマスクをしているが、
何かしら水戸黄門さまの紋章のようなワッペンの『不要不急』に戸惑ったして、
ここ数週間過ごしている。
こうした中で、終活のひとつとして我が家の居間にある音楽棚で、
捨てきれなかった音楽のレコードを整理して、レコード買取店に売却したりしてきた。
或いは居間の本棚にあふれている本を整理して、
やむなく市の紙製品の資源再生と回収日に合わせて、我が家より出したりしてきた。
そして人出の多い処は私なりに抑制してきたので、
自宅の周辺の遊歩道、公園を歩く廻り、季節を享受している。
こうした中で、落葉樹の芽吹きに心を寄せたり、
早咲きの櫻花に見惚(みと)れたりしていると、暖かな陽ざしを受けたりすると、
おだやかな時を倖せを感じたりした・・。
こうした私の根底には、昨年の3月は余りにも慌ただしい日々を過ごしてきたので、
今年は、のんびりと過ごせて、倖せを深く実感している。
昨年の3月の今頃は、この後の4月2日より、左眼の悪化で6泊7日の予定で入院して、
手術することとなっていた頃であった。
過ぎし4年半前、私は左眼、そして右眼の白内障の手術を受けて、
それまで酷い近眼であつたが、手術後は0.8前後の視力となり、
高校生より長年にメガネを愛用してきたが、メガネが不要となり、人生観さえ変わったりした。
この清く正しく美しくになっている左眼が、昨年の3月の初めの頃に、
何かしら酷い白内障になったように視力が激変し、
私は困苦しながら最寄りの眼科専門医院に通ったりしてきた。
この眼科専門医院は、私は4年半前に白内障の手術を受けてきた医院で、
この前後を含めて、数10回通院してきたので、医院長をはじめ10数名のスタッフとも、
顔なじみとなり、男の癖におしゃべりな私でも、少し遠慮しながらも談笑したりしている。
このように信愛できる医院長に診察された結果、特殊手術が必要と判断されて、
この医院長より特殊手術ができる『御茶ノ水』にあるI専門病院を紹介されたりした。
そして3月下旬に、この『御茶ノ水』にあるI眼科専門病院に行く予定であったが、
8日、この顔なじみとなっている眼科専門医院で診察を受けた結果、
医院長が想定より悪化しているので、同じI眼科専門病院でも『西葛西』にある病院は、
この特殊な手術ができる医師宛てに、紹介状を書いて下さった。
何かしら瞳を支えている眼球の周囲にある緬膜(めんまく)の大半が、
離脱して、視力が不安定で、低下され特殊な手術が必要と教えられたりした。
こうした結果、3月9日、『西葛西』にあるI専門病院に8時に訪ね、
やがて受付で、紹介状を提出したが、何かしら紹介状の宛名の御方は、
副医院長だったが、本日はお休みと知り、
多彩な眼の検査を受診した後、代理の医師より診察を受けたりした。
やがて私は、副医院長の診察を受ける13日の日時を指定して、予約をした後、私は我が家に帰宅した。
この後、11日の日中、『西葛西』にあるI専門病院より、私は電話を頂いたりした。
私が予約している13日を一日早い12日では・・と尋ねてきた。
そして12日、私は家内を伴い、『西葛西』にあるI専門病院を訪ね、
そして眼の多彩な診察を受けた後、紹介状の副医院長に私は診察を受けた。
やはり瞳を支えている眼球の周囲にある緬膜(めんまく)の大半が、
離脱して、視力が不安定で、低下され特殊な手術が必要と教えられ、
硝子体手術を行うこととなり、『眼内レンズ脱臼(だっきゅう)』と記載された。
難しい専門用語なので、下記のホームページをお借り致します。
http://www.nichigan.or.jp/public/disease/momaku_hakuri.jsp
☆日本眼科学会ホームページ:網膜・硝子体の病気☆
そして手術日は早くても4月2日、手術後は一週間入院と教えられ、私たち夫婦は了解した。
この後、手術前の幾つかの精密検査、注意事項を受けたりした。
こうした結果、私は来たる4月2日より6泊7日の予定で入院して、
手術することとなっている。
そして入院する前の準備に、何かと慌ただし日々を過ごしている・・。
たとえば、入院に伴い『お持ち頂くもの』に於いては、
このように書類上には、丁重に記載されていた。
そして私は所定の幾つかの書類を記載した後、家内より買い物に誘われたりした。
やがて或る日は、衣料店に私の下着上下7セットを買い求めたり、
タオルを買い求めた日もあり、手軽なお財布も必要だわ、と家内に私は言われ、
紳士雑貨売り場で、廉(やす)い財布を買い求めたりした。
この間の私は、手術を受けて回復するまで、左眼はブレた視界、右眼は正常な0.9、
少しばかり不自由な生活を過ごしている。
何より入院して手術ことを待ちわびる私としては、少し長く感じたりした。
もとより私は平素の我が家の買物は、年金生活の当初より、
家内から依頼された品を求めてスーパーなどに殆ど毎日行っている買物メール老ボーイであるが、
買物の責務を果たした後は、いつもだと独りで散策しているのが、この歩く距離が短くなっていた。
何かしら爽やかな春到来の日々、多彩な花は咲き、落葉樹は芽吹き、幼い葉を広げ、
私が最も好きな時節を、覇気が欠けた春の憂いのように、うつろな心情で過ごしたりした。
そして私は困ったよねぇ、と心の中でボヤいたりした。
或いは、家内の要望で、ここ3年は沖縄本島のリゾートホテルに滞在して、
周辺を散策してきた旅路の成功体験があったりしてきた。
そして、この年も5か月前に予約していた沖縄のリゾートホテル滞在旅行を
左眼の悪化で、断腸の思いでキャンセルしたりした。
こうした昨年のことを思い浮かべると、のんびりと散策できることは、
天国かしら、と私は微笑んだりしている。