夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

漫画家・東海林さだおさん、がんと脳梗塞に遭遇されて、生活の変貌、79歳の私は学び・・。

2023-12-07 16:00:53 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している女性月刊誌の【婦人公論.jP】の配信されている記事の中で、
『 東海林さだお85歳
「脳梗塞になりながら片目で原稿を描き上げて。
入院中一番辛かったのは、塩気のない魚一切れ、小鉢、ご飯の質素な食事」
   がんと脳梗塞を患い……<前編>  』、と題された見出しを見たりした。



☆片目だけで漫画を描き上げた

今年の6月に僕は、脳梗塞を起こして、2週間の入院を経験しました。

異変に気付いたのは28日の朝のこと。
目が覚めたら、あらゆるものが二重に見えたんです。

目の前に立てた1本の指が、なぜか2本に見える。
2本は4本、4本は8本・・・こりゃあ、どうもおかしいぞ、と。

困ったことに、その日は水曜日でした。
僕は現在、週刊誌2誌で漫画を、月刊誌1誌でエッセイを連載しているんですが、
毎週水曜日は『週刊文春』で55年続いている「タンマ君」の締め切り日なんです。

しばらく目を閉じて考えてから、試しに片目だけ開けてみました。
すると世界が、昨日までと変わりないように見える。
もう一方の目を開いても同じ。

それで結局、交互に片目をつぶりながら、半日かけて「タンマ君」の原稿を描き上げました。
もうね、根性というか執念というか(笑)。
後で雑誌に載った漫画を見返してみたら、ちゃんと描けていて、自分でも偉いと思いましたよ。

原稿を編集者に渡した後、すぐに病院へ行きました。
MRI検査を受けたら、脳の血管にできた血栓が、視神経を圧迫しているとわかり、
そのまま入院することに。

幸い症状が軽かったようで、血液をサラサラにする薬の点滴を受けることで、
2週間後に退院できました。
視界の異常も治療を受けて、数日ですっかり元に戻り、ほっとしたものです。


 

8年前にも僕は、肝細胞がんで42日間入院しているのですが、
今回のほうが圧倒的につらかった。

それは食事があまりに質素だったからです。
脳卒中の治療中は、過剰なエネルギー摂取を控えないといけない、という説明でしたが・・・。

毎食がサバなど魚の煮たのを一切れ、野菜のおひたしみたいなのが一鉢、それにご飯。
これでおしまい。

さらにつらいのは、料理にまったく塩気がないことでした。
とにかくマズい!
こんなにマズいものが、世の中にあるのかと、感動を覚えるくらいマズいのです。

 

がんで入院した時も、塩分は控えなきゃいけなかったけれど、
納豆だけは、タレ付きのパックで出てきたんですね。
小口切りのネギも、ちょこっと付いていた。

それを納豆に混ぜて食べ、最後にパックの底にタレの染みたネギが
一切れ二切れ残ったのも大事に大事に使って(笑)、残りのご飯を食べる。
そんな涙ぐましい努力をしながら、食事をしていたんです。


今回の入院食は、それを上回りました。
味のしない煮魚、醤油が一滴かかったか、かからないかのホウレンソウのおひたし。

ああ、ここに海苔の佃煮かイカの塩辛があったらどんなに嬉しいか。
イカの塩辛の足についた小さなイボ、先にいくほど小さくなっていくイボの、
その一個でも口にできたら・・・と思いを募らせたものです。



☆71歳の時に草野球を引退

今年も漫画家の訃報が続いていますし、
この業界、若くして亡くなる人が、多い気がします。

漫画家は徹夜続きで、不健康な職業というイメージが強いかもしれませんが、
僕の場合は徹夜なんてとんでもない。

平日は、仕事場にしている都内のマンションに寝泊まりし、
朝10時からだいたい夕方6時まで、残業なしの8時間労働です。

病気知らずで、2度の入院以外は、まったくもって健康体。
風邪もあまり引いたことがありません。

健康の一番の秘訣は、長年続けた草野球にあったのかもしれないな。
小さい頃から野球が大好きで、漫画家になってからも、3つの草野球チームを掛け持ちしていました。

多い時は、年間50試合に出ていましたし、プロ並みに、グアム島合宿なんかしたりして。
野球のために、仕事場にトレーニングマシンを置いて、筋トレにも励んでた。

ところがある時、負荷のかけ過ぎで腰を痛めてしまって、
71歳の時に草野球は引退。

以降は仕事のない週末に、自宅の近所を1時間ほど歩くようにしてきました。


食生活はちょっと変則的で、しっかり食べるのは夕飯だけ。
朝や昼は、食べたくないし、食べると仕事にならない。

食事をして、胃に血液が集中すると、脳に回る分が減るでしょう。
頭がうまく働かなければ、漫画は描けなくなっちゃうから、
僕は何10年も一日一食スタイル。

仕事の前には、コンビニで売っているカフェイン飲料を一本飲みます。
さすがにそれだけだと胃が荒れるから、
事前に牛乳やヨーグルト、茹で卵やチーズなんかを摂っておく。
それで夕方まで仕事をしたら、平日は自分で用意した夕食を食べます。

料理は、好きなので以前は自炊もしていたけれど、
最近はコンビニでお惣菜を買って、パックご飯をチンして食べることが多いですね。

 

週末は自宅に帰って、妻が用意してくれる夕食を食べます。
昔も今も変わらず、酒の肴みたいなおかずを何品か。

2~3年前までは、週の半分くらいは、仕事終わりに飲みに行ってました。
人とわいわい飲み食いするのが好きだから、いろんな趣向で宴会を開いたりね。

本格的な江戸前寿司をふるまうために、
柳刃包丁からネタを入れるガラスケース、それに提灯まで揃えて、
友だちの家で、出張寿司屋を開いたこともあったなあ。

一日一食とはいえ、かなりの年齢まで、
好き勝手に飲んだり食べたりしてきたから、
肝細胞がんは、その結果といえるのかもしれないね。

<後編につづく



☆入院を境に、大好きなビールが……

脳梗塞は、再発しやすい病気だから、
塩分やお酒は、控えめにと、お医者さんには言われています。

本当はそうしなきゃいけないし、退院してしばらくは気にしていたのだけど、
だんだん続かなくなってきてね。

「血液サラサラの薬も飲んでいるから大丈夫かな」と考えて、
最近は、あまり細かいことは、気にせず食べちゃってます。

食べる量が、入院前の半分近くに減ったから、
その分、摂取する塩分量も少なくなったんじゃないか――って、これは言い訳ですけどね。

自宅では、妻が5品くらい用意してくれる料理から、
少しずつつまむようにし、コンビニで買うお惣菜は、小さなパックを選んでいます。

コンビニのお惣菜といえば、
以前は「ビールに合う」ことが絶対の条件だったんですよ。
お酒のつまみになるような、少し脂っこくて味が濃いもの。
それはほとんど食べなくなった。


なぜなら――これが本当にショックなのだけれど――、
今回の入院を境に、ビールが飲めなくなってしまったの。
かつては「こんな美味しいものは、ほかにない」と思うほど好きだったのに、今は魅力を感じない。

薬のせいなのか、体質が変わったのか、
飲んでも美味しくないし、すぐに酔っぱらってしまう。
今は350mL缶を一本飲むのが精一杯です。

本当は、運動もしたほうがいいのでしょうが、
以前から腰が痛いのに加え、入院中に筋肉が落ちてしまって、歩くのがつらい。

歩行を助けるために、リハビリ用の杖を買ったものの、いかにも爺さんみたいで格好悪くて。

人に見られるのも嫌だし、外へ行くのがすっかり億劫になっちゃった。
仕事終わりに、飲みに行くこともまったくなくなって、外食が大幅に減った。
これも入院をきっかけとした食生活の大変革といえるでしょう。

脳梗塞になった時も、「老人みたいな病気で嫌だな」と思ったものだけど、
考えてみれば僕は、この10月で86歳。
立派な爺さんであるという自覚が、足りないのかも。(笑)

入院中に食べた質素な食事は、非常につらかった一方で、わかったこともあります。

僕らは普段、いろんなものを食べ過ぎているのかな、ってこと。
栄養やら彩りやら、多いほうがいいと信じ込んでいたけど、
あれくらいの食事でも、人間は生きられる(笑)。

医療や栄養のプロが、「これでいい」と言うのだから、十分なんですよね。
特にこの年齢になったら、そんなに頑張って何種類も食べなくていいんだなと、
達観できるようになりました。


 

☆食事量は半減したけど好奇心は減りません

ただ、あの塩気のない病院食については、ずっと頭に引っかかっていることもあるんです。
病院の料理人は、なぜ、もっと美味しくしようという努力をしないのだろうか。

たとえばサバの切り身があったら、これをどう美味しくしようか、
味噌煮なら、砂糖はどれくらいがいいかな、とか普通は考えるわけでしょう。
それを一切抜きにして、サバを調理する気持ち。

この飽食の時代にありながら、食べても美味しくないと、わかっている料理を作り続ける。
非難したいわけじゃなく(笑)、
純粋な好奇心として、病院の料理人の気持ちを一度じっくり聞いてみたいです。

 

食にまつわる僕のエッセイは、
基本的にそうした「なぜだろう」、「なんでかな」が出発点です。

甘栗を剥いて、パックにした商品はヒットしたけれど、
じゃあ枝豆を、サヤから出してお皿に盛ってあったら、食欲はそそられるのか、
トウモロコシならどうか、など(笑)。

食事の途中の手間と美味しさの関係って、改めて考えると面白いじゃないですか。

 

子どもって、どんなことにも「なぜ」、「なんで」って質問するでしょう。
大人になると、普通はその回数が半減するか全滅しちゃって、
「世の中そういうものなんだよ」って考え方になる。

ところが僕は、根が幼稚なものだから(笑)、
「なぜ」、「なんで」が今でも続いていて、だからずーっと、仕事が楽しい。
食事の量は半減したけど、食への好奇心、探求心はまったく減りませんね。

今年の5月末に週刊誌の休刊に伴って、終了したエッセイ連載が、
媒体を変えて復活することが決まりました。
また連載が増えるけれど、こんな年齢になっても毎日楽しく働けているのだから、
この商売をやっていて良かったなあとつくづく思います。

退院してまだ2ヵ月ちょっとですから、これから徐々に体調も回復してくるでしょう。
薬の量が減ったら、ビールもまた美味しくなるかもしれない(笑)。

それを楽しみに、無理せずぼちぼち、毎日を過ごしていこうと思います。

構成: 山田真理
撮影: 大河内 禎
出典=『婦人公論』2023年11月号 ・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


今回、漫画家・エッセイストの
東海林さだおさんは、
1967年に漫画連載デビュー以来、新聞・雑誌で半世紀以上にわたり、
漫画・エッセイを書き続けている鉄人でもある。

今回、がんと脳梗塞に遭遇されて、生活の変貌された実態を発露され、
79歳の私は学び、多々教示されたりした・・。


私も入院生活を過ごして、ささやかに生活の変貌されたこともある。

1月3日の夜10時過ぎ、
私は心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、早朝3時半過ぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。




こうした中、退院の一日前、40代の男性の担当医師より、
『私もタバコを喫っていましたが、やはり身体によくないと思い、
3年前にやめまして・・貴方もタバコやめることはできませんか・・』、
と私に言ったりした。

私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
『これを機会に、タバコやめます!』
と私は担当医師に向かって言ったりした。

そして自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりし、
これを機会にタバコにお別れとなったりした。

こうした根底には、やはりタバコは身体に良くないと、担当の医師から進められて、
何かを断念しなければ、この先はないと思い、断腸の思いで禁煙したのは本音であった。

断念しなければ、この先はないと思ったからである。



これ以降、
誕生日を迎えるたびに、何とか80歳を迎えたいなぁ・・
と思い深めたりしている。

そして私の念願として、80歳の誕生日の時は
心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命で迎えられますように、
と時折祈願したりしている。

こうしたことは、もとより自助努力も欠かせないが、
こればかりは仏様か神様が采配することだよねぇ・・、
と何かとプラス思考の私でも思ったりしている。

コメント (2)
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