夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年の瀬、都心の郊外に住む私は、とりとめなく思い馳せて・・。

2023-12-30 15:20:19 | 喜寿の頃からの思い

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
生家も近く、結婚前後の5年を除き、私としてこの地域に74年近く住んできた為か、
調布の里っ児、或いは原住民かしら、と思ったりすることもある。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。

或いは私が長らく通勤で利用した小田急線の『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。




        

私たち夫婦の両親は、私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
無念ながら天上人となった。

そして家内の父は、私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。

そして私たち夫婦は家内の母に、せめて年末年始の期間は、我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸15年は共に年末年始を過ごしたが、無念ながら『要介護2』となり、
やむなく介護施設にお世話になっている。

これ以来、私たち夫婦は、年末年始も二人だけで過ごしている。 

           

こうした中、御節(おせち)料理に関しては、
私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、

家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
そして御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。

やがて独り住まいの私の母用に、我が家用、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきたが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節(おせち)料理は簡略となっている。


ここ10数年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。

しかしながら、家内が4年半前に大病に遭遇して以来、御節(おせち)料理の単品を
それぞれ食べたい品を買い求めて、頂ているのが実態となっている。


         

今朝、朝食後、私は家内に本日の買物を訊ねると、
指定された10数品だけ、最寄りのスーパーで私は買い求めてきた。

この間、家内は掃除、洗濯をしたりしている。

やがて帰宅後の私は、近くの神社、寺院を参拝してくるょ、と家内に言ったりして、
家を出たりした・・。


私は高校時代から都心の学校に通った頃から、初詣に関しては、
きまぐれに原宿駅に近い『明治神宮』、鎌倉の『鶴岡八幡宮』、
或いは我が家から3キロばかり歩いた『深大寺』などに、参拝したりしてきた。

やがてサラリーマンを定年退職してから、人出の多い中が苦手となり、
込み合う季節は避けて、参拝したりしてきた。

このような心情を秘めてきた私は、地元の神社、寺院だったら、人出も少なく、
ゆったりした心で参拝できると思い秘めていた・・。

暖かな冬の暖かな陽差しの中、人影も少ない静寂の中を歩いたした・・。

                           

そして私は霞嶺(かすみね)神社、明照院(みょうしょういん)寺院に寄ったりした。

この霞嶺神社、明照院は、1985年(昭和60)年に調布市の市制30周年を記念の中、
調布市内の自然、史跡などの中から市民に選ばれ、『調布八景』のひとつとなっている。

         


         

そして明照院の境内の片隅には、扁額ようなものがあり、私は近づくと、やがて独り微苦笑したりした・・。

         

まもなく私は明照院に別れを告げて、野川の遊歩道を目指して歩いたりした・・。

                  







そして野川の両岸にある遊歩道を30分ばかり歩いたりした・・。

         






やがて小公園にあるベンチで、私は休憩をした・・。
         



そしてぼんやりとしていると、昨夕テレビのニュースで報じたことが甦(よみがえ)ってきた・・。

帰省ラッシュで、ふるさとに向かい新幹線、在来線の乗客、
或いは自動車で高速道路を利用され帰省される方が多く、
成田空港では、年末年始を海外で過ごす家族連れらの出国ラッシュが映し出されていた。

私のふるさとは、今住んでいる近くに生家があり、三男坊の私としては長兄宅が実家となっている。
そして私はこの地域には結婚前後の5年間を除き、74年ばかり住んでいる。

このような事情もあり、私は帰省の方たちを見かけると、少し羨(うらや)ましいのが本音である。

こうした根底には、それぞれの御方は過ぎし一年の思いを秘めて、ふるさとの親、親族、そして友人たちに再会して、
共に語る合う情景が浮かび、
どうかご無事で行かれ、一族再会のような親愛を深めて下さい、と思ったりしている。

そして日本の各地、或いは海外に旅行される方たちにも、
せっかくの年末年始の休暇を楽しまれて下さい、と感じたりしている。



或いは自宅で年末年始を過ごされる方たちには、
民間サラリーマン諸兄諸姉の多くは、短期に成果が問われる時代で、
更に常時リストラの過酷な時代の為、せめて年末年始の時ぐらいは、
愛する妻と可愛いお子様とゆっくりとお過ごし下さい、と諸兄に無力な私でも祈願したりした。

こうした中、年末年始も仕事で業務に携(たずさ)わる方たちには、
たとえ職責であっても、何かと大変ですね、お身体を充分に御自愛して下さい、と心を寄せたりした。
          

               

このようなことを思い馳せて、私は再び歩き、やがて帰宅に向かった歩いたりした。

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