私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であり、
それまでは黒柳徹子さんに関しては、殆ど無知な御方であったりした。
確か私が小学3年生になった頃、ラジオから『ヤン坊ニン坊トン坊』が放送され、
父が病死した後、祖父も胃がんで入院していた時であったので、
いじけた可愛げない少年であった・・。
こうした中で、♪ヤン坊ニン坊トン坊・・とテーマ曲が流れると、
何かしら私は励まされるような感じたりしていた。
やがて後年になると、ヤン坊は里見京子さん、ニン坊は横山道代さん、トン坊は黒柳徹子さん、
と知ったりしたが、この当時の私は子供心に里見京子さんの声に、
素敵なお姉さん声、と魅せられたりしていた。
やがて1980年代は音楽番組『ザ・ベストテン』を私はときおり視聴して、
黒柳徹子さんと久米宏さんが司会されて、絶妙なコンビに好感していた。
この後は、ときおり家内が視聴している『徹子の部屋』、
或いは『世界・ふしぎ発見』を私はいずれも3回ぐらい見たことがあった。
このように殆ど黒柳徹子さんに殆ど無知な私が、黒柳徹子さん著作の『トットひとり』を知ったのは、
たまたまネットで、新潮社の公式サイト【矢来町ぐるり】を見ている中で、
『徹子だから語れる「見事に生きた人の話』/「トットひとり」』
と見出しされた記事を読み、やがて興味を増したりした。
私はこの本書の紹介文を読んだ後、購読しょうと誘惑されたのは、下記の一節である。
テレビの黎明期の生放送の時代、
《・・実力者『森繁久弥』も刑事役で出たドラマで、棺桶に入った死体役の『左卜全』さんが、
勘違いして先に帰ってしまい、
本番中に(『森繁久弥』が)お棺を開けたら死体がないという事態に絶句した・・》
このようにテレビの黎明期に、テレビ女優一号生と称されている黒柳徹子さんは、
新劇、浅草の芸人、歌い手、或いはテレビ男優、女優など多事多彩の芸達者な人たちを
長年に交遊されてきた、証言者だ、と思えて、生きた時代の流れを学びたく、買い求めたりした。
黒柳徹子さんが長年の芸歴の中で、数多く方にめぐり逢え、交遊を重ねて、
同じ時代を切磋琢磨しながら、同じ時代の空気の匂いを共にしながら、
やがて図(は)らずも数多く方に死去され、黒柳徹子さんは取り残こされひとりになってしまい、
数多く人への感謝と愛惜の「鎮魂曲」である、と感じ深めたりした。
そして各章は、映画短編のように珠玉の作品となっている。
或いは黒柳徹子さん自身の幼年期から現在に至る多彩な時代の心情を発露され、
私は黒柳徹子さんは殆ど無知だったが、
黒柳徹子さんの特有な感性の深淵を学び、初めて魅了されたりした・・。
このような心情を秘めている私は、
今回の《・・黒柳徹子「100歳まで生きるつもり」・・》、
好奇心に負けて、読んでしまった。
黒柳徹子「100歳まで生きるつもり」芸能生活70年初のティーチインに感動(オリコン) - Yahoo!ニュース
俳優・タレントの黒柳徹子(90)が14日、都内で行われたアニメーション映画『窓ぎわのトットちゃん』(公開中)ティーチイン付き舞台あいさつに登壇した。この日は「70年...
Yahoo!ニュース
物覚えの悪い79歳の私は、学んだことを忘れないために、
無断ながら記事の殆どを転載させて頂く。
《・・ 俳優・タレントの黒柳徹子(90歳)が14日、
都内で行われたアニメーション映画『窓ぎわのトットちゃん』(公開中)ティーチイン付き舞台あいさつに登壇した。
この日は「70年も芸能界にいるんですけど、初めてです」
とティーチインに挑戦。
選ばれて涙する人もお客さんもいるなか、
黒柳はまるで公開『徹子の部屋』のような雰囲気で、一般の方との交流を楽しんだ。
【写真】白いドレスを着て頭の中から飴を取り出す黒柳徹子
まず、最初に指名された小学生の姉妹を連れたお母さんは、
「上の子が(黒柳の通っていた)『トモエ学園に行きたい』と3年生のときに言われて。
校長先生に『きみは本当はいい子なんだよ』と言ってもらったトットちゃん、
徹子さんと自分を重ねながら成長している姿をみて、本当に感謝をしています。
これから帰って映画の感想を聞くのも楽しみ」
と涙ぐみながら伝え、さっそくその場は感動に包まれた。
また、黒柳の大ファンだという妻とその夫には
「良いご結婚でよかったわね。
若いのに結婚なさって、うまくいってよかったですね。お幸せにね」と優しく言葉をかけたり、
子どもたちから「頭の中の飴」をねだられ、その場で黒柳が頭から飴を取り出してプレゼント。
4歳の女の子から「トットちゃん大好きだよ」と告白されれば、
黒柳は「どうもありがとう、本当にうれしいです」とほほえみ返し
「ドレスかわいい・・・」と褒められると
「なるだけかわいくしようとしています」と軽やかに回答して、笑いを誘う。
(略)
最後に登壇したお客さんと記念撮影した黒柳は
「お優しい方が多くて。私に小さい声で『100歳まで生きてくださいね』
と言ってくださった方がいて、うれしかった。
100歳まで生きるつもりでいますので、みなさん、長生きなさって。
私は100歳までテレビに出いるのをみていただければ、それはうれしいですね」とにっこり。
「私は長生きします」と宣言していた。
同映画は、黒柳が今から約80年前、
第二次世界大戦が終わる少し前の激動の時代を背景に、幼少期を自伝的に描いた作品。
1981年に出版され、日本では累計発行部数800万部を突破、
中国語、英語、フランス語、ヘブライ語など20以上の言語でも出版され、
世界累計発行部数は、2500万部を突破する世界的ベストセラー作品となっている。・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
今回、黒柳徹子さんが、《・・100歳まで生きるつもりでいますので、みなさん、長生きなさって。
私は100歳までテレビに出いるのをみていただければ、それはうれしいですね」とにっこり。
「私は長生きします」と宣言していた。 ・・》、と発言されて、私は微笑んでしまった。
テレビの放送が始まった時に、黒柳徹子さんは出演されてきた稀な御方であり、
まさにスーパースターであり、溌剌とされて、人生の大先輩だ、
と改めて、恐れ入りました、と私は心の中で、呟(つぶや)いたりしている。