夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

【資本主義】中国の行方 ①

2005-07-26 12:18:50 | 時事【政治・経済】等
読売新聞の定例記事の《一筆経上》の記事がある。
この前の24日の日曜日に、中国経済について、
編集委員の松田陽三・氏が素人でも分り易く、内容は濃い
記事であったので、転記させて頂きます。


大国の興亡に伴う為替相場の調整は、
いったん始まると大河の流れのように長く続き、
せき止めるこしが出来ない。

中国の通貨、人民元の切り上げは、
1971年のニクソン・ショックから始まった円高や、
第二次大戦後のイギリスのポンドの下落の歴史を思い起こさせる。
人民元は今後、数十年かけて2倍、3倍と価値を高めていくかもしれない。

歴史的な通貨調整が始まったとすれば、今後は輸出主導の経済成長は厳しくなる。

円高だけが原因ではないものの、
60年代には平均10%の高度成長が当たり前だった日本は、
70年代は4.4%、80年代は4.1%と、
成長率を落としている。

それでなくとも中国経済は、そろそろペースダウンが避けられそうもない。
昨年まで14年間も長期にわたって、7%以上の高成長を続けてきたからだ。

景気過熱を懸念する政府の引き絞め政策を受け、
すでに輸入の伸びの鈍化や在庫の積み上がりなど、
足元の経済指標は、景気減速のシグナルを発し始めている。

野村資本市場研究所シニアフェローの関 志雄・氏や
日本総合研究所の呉軍華・首席研究員ら
中国人の研究者に話を聞くと、口をそろえて、

「中国はもはや、社会主義ではなく、資本主義です」
「しかも、アジア型の開発独裁」

と指摘するのが興味深い。


《続く》
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中国、5%も検討していた?!

2005-07-26 11:32:28 | 時事【政治・経済】等
今朝の読売新聞で、中国政府は当初5%の切り上げも検討していた、
と報じた。
転記させて頂きます。

【北京=東一真】
中国紙《中国経営報》の最新号は、
今回の人民元改革について、
中国政府は人民元レートをドルに対して、5%切り上げる案も検討したが、
中国経済への打撃が大きいとして、
2%切り上げに留めたとの内幕を紹介した。

それによると、中国政府は当初、
経済学者から出された「5%切り上げ」と、
「2~3%切り上げ」の2案を検討した。

ただ、経済学者の試算は、
5%切り上げが国内総生産(GDP)を1.4ポイント押し下げ、
消費者物価の伸び率を1.2ポイント引き下げると予測し、

「中国経済がデフレに陥る、可能性を排除できない」と結論づけた。

このため、中国政府は2%の切り上げに留めることを決めたと言う。

以上が全文である。


☆私のコメント☆

この中国紙の公表は、対海外諸国向けの為の記事だと思います。
特に、アメリカとしては、たった2%か、と今回の切り上げを
受け止めたと想像します。

いずれにしろ、中国政府として、この5%を
本年度中に実施せざるを得ないと私は思います。
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技術系エースの陥穽(かんせい)・・♪

2005-07-26 10:28:00 | 定年後の思い
先程、別日記『続・極楽とんぼ』に綴りましたので、
お時間のある方、お読み頂けたら幸いです。
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技術系エースの陥穽(かんせい)・・♪

2005-07-26 10:03:47 | 時事【社会】
日本道路公団と公団OB、そして業界による三位一体で橋梁談合が賑わしているが、
昨夜、道路公団の副総裁が逮捕された。

私は橋梁談合が何故行なわれたか、よりその当人の光と影に興味がある。
人それぞれ、誰しも光と影を持っているからだ・・。

今朝の読売新聞で、この方の記事があったので、転記させて頂きます。


生え抜きの技術系職員として、日本道路公団で初めて副総裁に上りつめた内田道雄・容疑者(60歳)は、
公団理事を務めた父親と親子二代の公団幹部として「技術系エース」と呼ばれていた。

1968年に東大工学部土木工学科を卒業後、公団に入社。
公団本社・工務課長代理や札幌建設局・工務課長を務めるなど、
主に工務畑を歩いたが、
1993年6月から1995年1月にかけては、
技術系職員の人事や天下り斡旋などを取り仕切ってきたとされる
本社・企画課長を務めた。

2001年8月には、1964年から1968年まで公団理事を務めて父・のぼる氏に続き、
親子二代の理事となった。

昨年2月には、技術畑のトップである技師長に就任。
同年の6月、公団たたき上げとしては7年ぶり、
技術系の生え抜きとしては、初の副総裁に昇格した。

内田・容疑者が大学4年生の頃、
父親のつてを頼って、九州の工事事務所に
訪ねてきた時のことを覚えているというある公団OBは、
「工法などを質問しており、まじめで勉強熱心な印象だった」
と振り返る。

内田・容疑者の逮捕の知らせに、このOBは、
「残念で仕方がない。
純粋な技術屋に育ってくれたのに、ポストが上がるにつれて、
道をそれてしまったのだろうか」
と肩を落とした。

以上が新聞記事の全文です。


☆私のコメント☆

この方は、日本道路公団のNo.2の地位にあるが、
公団の裏表を知り尽くした実質ナンバー・ワンの要職の人である。

私はこの方が、本社・企画課長に就任するまでは、
権限と責務がある真の意味のエリートだった、と想像する。

本社の企画課長の業務内容を知れば知るほど、
本来の業務からかけ離れた内容を手に染めた時、
陥穽となった。

表面は、業務内容の天下りの斡旋などをすればするほど、
権力を掌握し、ポストの地位を昇りつめた。

私は近藤総裁が、お詫びの記者会見の中で、

(改革に)捜査の手を借りなければ、ならなかったことは、忸怩たるものがある。

この言葉に今回の事件を含め、道路公団の全体の問題として、
集約されている、と感じました。

それだけ色々な意味で、根深いということです。
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台風が接近・・。

2005-07-26 08:11:00 | 定年後の思い
朝五時に目覚めたが、屋根に雨が音を起ててい?E里♤阿海┐拭?br>艇樊を観?E函鯣爾ぁ澆辰討い拭?br>
この?E鬼屐㎠♢曚鵑里舛腓圓蠅靴㏋澆辰討い覆㎠辰燭里如擇チ腓靴討い拭?br>今朝からの雨で、恵みの雨となり、黒土に変?E蝓⊆擇篩隹屬論犬㍉犬④箸覆辰拭?br>
先程のニュースで、夕方頃から風が強まり、雨も強く降?E△畔鵑犬討い拭?br>
?E瑤涼楼茲任蓮∨宿塙?E㎠♢△蝓找?E鬚靴討曚靴ぁ△氾舛┐討い燭♤?br>出来たら両方は勘弁してほしい、と思った。

こうした折、通勤す?E和臺僂任垢♤?br>買物とか?E僂能个㎠韻覆韻?E个覆蕕覆な發ⅰい瞭任任△?E
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改めて、このブログで・・♪

2005-07-25 22:07:33 | 定年後の思い
本日、この私のブログを改造した。

今年の一月に開設したが、
私の別ブログ【簡単ブログ】でタイトル《風のように光のように》は、
昨年の11月に開設し、ある程度の成果があり、
新入の研修期間も終えたと思い、
明日から本格的にこのブログのひとりとして、加入させて頂く。

本日の日中は、これまで投稿したのを、再整理し、カテゴリー別に区分した。
☆日記
☆音楽
☆映画・テレビ
☆小説・随筆
☆時事【団塊の世代】
☆時事【社会】
☆時事【政治・経済】等
スタートとして、とりあえず七大区分とした。

私は昨年の秋、あるレコード会社を定年退職し、
音楽、映画、小説・随筆そして純米酒を友とし、
家内と語り合い、ときたま国内旅行をしている身です。
そして東京の郊外に住み、家内と二人だけの家庭です。

果たして、素人の感覚と感性を頼りに、
時の60年間の宝箱で、綴る決意ですが、
先の見えない世界に、ちょっぴり不安もあります。
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私のブログの改定・・♪

2005-07-25 17:59:00 | 定年後の思い
このブログ【風のように光のように】は、
昨年の11月に開設し、
もうひとつの【続・極楽とんぼ】は今年の1月に開設した。

ここ一ヶ月考えたが、【続・極楽とんぼ】の投稿する内容が各ジャンルに及ぶようになった。
◎日々の出来事
◎音楽
◎映画・テレビ
◎小説・随筆
◎時事【団塊の世代】
◎時事【社会】
◎時事【政治・経済】等
カテゴリーを再設定し、これに伴い過去のすべての投稿した作を移動させた。

今後は、下記のように再定義する。

【風のように光のように】
日々に感じた出来事、思考したことなどを日記で毎日投稿する。
ただし、音楽、映画、小説、随筆、政治、経済、軍事、社会等は、綴りません。

【続・極楽とんぼ】
各ジャンルに分割しましたので、素人の感性で真摯に綴ります。

全般として、
従来、ちょっと自身に甘えたところがありましたが、
今後は自分自身と自己格闘と致します。
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上司の小言、自分の【こやし】に!!

2005-07-25 07:55:00 | 定年後の思い
今朝の読売新聞で、特集『スパイス』の記事で感心したので、転記させて頂きます。

この記事は、?E梁膤悄擬稜鮴仗神 砲屬辰慎Ⅶ任后?br>
私が勤めていた会社での話。
多忙を極め?E挧⊆卞發諒薫狼い魯㎤?E㎤蠅靴討い拭?br>
40歳代の管理職の男性が言った。
『赤いペンでチェックした個所、修正しておいて』
その瞬間、パソコンに向かっていた20代の女性が振?E④兇泙剖㎠鵑澄?br>『私は今、他の仕事に忙しいんですってば!!』
男性上司は、その?E㎠蕾燭盡世?E採④禅辰討靴泙辰拭?br>その女性は、残念ながら《大人としての口のきき方》を学ぶ機会を?E靴燭函∋笋牢兇犬拭?br>
こんな極端な例は少ないかもし?E覆い♤燭涼棒④禄④良爾鮗犬?E海箸膨餽海魎兇犬討い?E?br>男友達の多く?Ebr>『男の部下なら、ガツンとカミナリを李脆すけ?E鼻?br>どうも女性の部下はスト?E璽箸房犬?E覆ぁ戮箸海椶后?br>『叱って泣か?E任發靴燭薺い泙困覆?E掘?br>逆恨みさ?E?E蕕い世辰燭蕁⊂∮垢里海箸浪翹垢?E?br>と言うのが彼等の本音だ。
教育的配慮とはいえ、女性を人前で叱?E海箸呂匹Δ眛颪靴い茲Δ澄?br>
過?E▲丱?E璽棔璽?E監?E椽甸篤弔量楙衆?E気鵑砲椶砲㎠㎠辰浸?br>監督は《女性を育て?E砲竜で曚蝓佞箸靴董⊆,里茲Δ覆海箸鬚Ⅳ辰靴磴辰拭?br>『女子は、プライドも半端やない。
バカヤ充と言?E?E討癲∋腓防蕕韻討癲△修硫靴気鬟丱佑飽?Eい某④咾?E?br>大切なことは、自身をつけさせ寺寐に臨ませ?E海函?br>良い指導者とは、部下が達成出来て感動してい?E法?br>「そうそう、そ?E任いい鵑澄?br>と言ってあげら?E?E諭?br>だから、叱?E海箸茲蝓∨㎠瓩?E海箸燭覆?E?br>スポーツの監督も会社の管理職も同じとちゃうん』と。
要は、?E△離灰潺絅縫院璽轡腑鵑鬚④舛鵑箸箸辰討Ⅳ韻弌?br>叱ら?E?EΔ癲△修?E鬟丱佑棒垢垢?E箸いΔ海函?br>
周囲から丁盲さ?E?E海箸筺⊆犬蕕?E?E箸いΔ海箸蓮?br>自分に?E圓♢㎠㎠辰討い?E攀髻?br>自分を客観?E任④覆い函∪垢發覆ぁ?br>
ここは是非、女性のみなさん。
?E△㎠蕁⊆卞發凌佑箴綮覆肇灰潺絅縫?E璽轡腑鵑鯡④砲靴董?br>お小言の?E弔盡世辰討?E?E綮覆魑佞飽蕕董?br>自分の成長の【こやし】にしてみようじゃないですか。

以上が新聞記事の全文です。


☆私のコメント?Ebr>
この記事を読みながら、?E个靴燭劼箸蠅任后?br>
人前で叱?E里蓮暴箸?E再颪靴㎠辰拭?br>
私は、?E蠅寮⑲覆魎僂董▲廛薀ぅ匹鼎弔㎠覆つ戮貿枸犬靴鴇紊如?br>人前で言ってもよいか、或いは誰もいない所に呼んで、丁盲した方がよいか、を区別した。
再発防止と人材育成が目的なので、
どのような話をしたら、奮闘をして頂く、かを重点に置いた。

業務上で良かった時は、男女と?E此?br>その人を皆の前で、大声で褒めた。

ともかく古今?E勝⊃佑反佑箸隆愀犬蓮颪靴ぢμ未♢△?E?br>
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定年、団塊の世代・・♪

2005-07-24 11:15:00 | 定年後の思い
標題について、
私の別日記『続・極楽とんぼ』に三回におよび、本日の午前中に綴りました。

お時間のある方、お読み頂けたら、幸いです。
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定年、団塊の世代・・♪ 最終

2005-07-24 11:11:46 | 時事【団塊の世代】
「やりたいと思うことを、
とにかく存分にやってほしい」と堺屋さんは言う。
「そのことが、ひいては日本経済の活性化にも、つながるのです」

なぜか。
「60代が好きな事にお金を使えば、
それをターゲットにした市場が発展するからです」

堺屋さんは、ピアノ教室を例にに説明してくれた。
「同じように教室に通うにしても、
子供が求めるレッスンと60代のそれとは違う。
『バイエルから習うより、好きな曲を早く弾けるようになりたい』
そんな60代のニーズに応える為の市場が、
次々と生み出されのは間違いありません」

夢を追い求めよ・・。
「団塊」へ向け《生みの親》が発信するメッセージだ。

以上が新聞記事の全文です。


☆私のコメント☆

私は定年退職後の一年生です。

大学二年で中退し、あてどもなく彷徨った後、昭和45年に
企業に中途入社した。25歳の時だった。

この年に入社時がしたのが、団塊の世代の人々でした。
自然と、彼らと業務を通し、仲良くなり、交遊した。

私の生まれた家庭では、昭和21年と23年生まれの妹が二人いて、
私の家内は24年生まれで、人一倍《団塊の世代》と連帯感がある。

私の第二の人生は、自分の趣味に時間を費やしている。
現役時代に出来ずらかった事に、十二分に時間をかけている。
年金は部分支給で、満62歳から完全支給となる。
この二年間をどうするか、55歳の時に決断した。
生活資金と自分達の生活設計を決めて、定年退職後は、リタイアしよう、と・・。

団塊の世代の人々も、年金完全支給が満63歳からであり、この3年間を
いかにするか、多くの人は悩まれる、と思う。

私共は子供が恵まれなかったが、私共の共通の趣味の旅行をし、
それ以外は堅実に生活している。

自身の趣味に、時間を掛けられる《贅沢》に私は満足している。
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定年、団塊の世代・・♪  ②

2005-07-24 10:01:21 | 時事【団塊の世代】
1948年生まれの漫画家・里中満智子さん(57歳)も、
同世代にについて
「別の演出家が用意してくれた役を演じてきた人が多いように思う」と指摘、
「人生の第二幕では、
自分自身が演出家となり、
自分という素材の生かし方を考えるのがいいのでは」と話す。

里中さんには、同時に
「私達の世代は、社会の圧倒的多数派として、既存の価値観を変えてきた」との思いがある。

「これからも、『定年』や『老人』といった言葉のイメージを変えていくはずです」


具体的には、どんな第二の人生を選択すべきなのだろう。

埼玉の会社員・佐野孝雄さん(57歳)は、
2007年に定年が迫っている一人としてこう考えた。
「定年後も社会とのつながりは大切にしたい。
団塊の世代は、再就職すべきです」

ただし、「数の多い私達の世代が再就職をめざして一斉に動き出せば、
その競争も厳しくなるのでしょうね。以前の景気も違いますし」と楽観はしていない。
「パソコンのスキルを上げるなど、私も準備を進めておかないと・・」

インターネット上で、コミュティー・サイトを運営する
「イー・ウーマン」の社長の佐々木かをりさん(46歳)が、
ひと回り上の団塊の世代に対して抱くイメージは、
「リーダーシップがある働き者」。
それだけに、
「その知識や技術が埋もれてしまうのは、余りにも惜しい」と強調し、
「地域づくりなどの分野で、それぞれの能力を社会に還元してほしい」と訴える。

一方、人生の先輩として、
「今まで出来なかった事をしながら、
ゆっくり過して」
とアドバイスするのは、神奈川の知久 収さん(64歳)だ。
「彼等は高度成長が終った後も、
企業の中で自動化や省力化を進め、
日本の経済を下支えしてきた世代。
社会には、もう充分に貢献してきた、と言えるじゃないでしょうか」


60歳を待たずに第二の人生を歩み始めるべきという意見もある。
神奈川の鶴丸義文さん(55歳)が言う。
「日本の将来を担うはずの若者が、正社員になれないという現実がある。
会社の中で、最も構成比率の高い私達の世代が早めに退き、
若い世代に正社員のポジションを譲ることで、
この社会は活力を取り戻せる、のではないかと思うのです」

鶴丸さん自身、33年間勤めた化学会社を早期退職し、
今はパートタイマーとして別の会社で働いている。
余った時間を活用し、両親が動けなくなった時に備えて、介護の勉強をしたり、
料理のレパートリーを増やしたり・・。
「子供も既に独立しているので、贅沢さえしなければ生活に困ることはない。
充実した日々を過しています」


《続く》
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定年、団塊の世代・・♪  ①

2005-07-24 08:32:04 | 時事【団塊の世代】
昨日の読売新聞の夕刊で、特集《土曜茶論(さろん)》が、
定年を迎える団塊の世代に、第二の人生はどうあるべきなのか、を
取り上げていた。
興味のある記事なので、転記させて頂きます。
私のコメントは、最後に綴ります。

団塊の世代(1947年~1949年生まれ)が
2007年から定年退職を迎える。
日本の総人口の5%強を占める世代とあって、
一斉に第一線を離れることの影響は大きく、
今年の経済財政白書や労働経済白書も《団塊の定年》を取り上げている。

そんな団塊世代の定年後に始まる第二の人生は、どうあるべきなのか。

受験戦争が激化し、学園紛争が吹き荒れる時代を、
すし詰めの「集団列車」で駆け抜けた。

社会に出たのは高度成長の絶頂期。
終身雇用、年功序列の戦後的雇用慣習が定着した時代に
サラリーマン人生のスタートを切り、
あとは仕事漬けの生活を送り続けた・・。

1976年に小説『団塊の世代』を出版し、
この言葉の生みの親となった作家の堺屋太一さん(70歳)は、
そんな世代の半生を、
「自分の向き不向きや好き嫌いを考えることなく、
一本のレールをひた走り、会社にしがみついてきた」
と総括した上で、こう力説する。

「団塊の世代にとって定年は、初めて好きな生き方を選べる機会。
60歳になって、いよいよ人生の黄金期を迎えるのです」


《続く》
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爽やかな朝・・♪

2005-07-24 07:01:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、どんよりと曇った朝ですが、
気温が24度前後で、過しやすい爽やかなひとときです。

庭先に、アメリカ芙蓉の花が咲いて、そのそばにある唐糸草がピンクの花を咲かせています。
大きな樹木の下草として、露草が群生している。

先程、庭先でタバコを喫っていたら、昨日の出来事を思い出しました。

午後の二時過ぎ、草むしりをしている時でした。
黒揚蝶が樹木の間をゆったりと旋回し、
唐糸草の芳香に誘われてか、ピンクの花にそっとくちづけをして、
さぁと立ち舞い上がりました。

今日の日中は、曇りで最高気温は28度前後で、
エアコンの不要な快適な一日になりそうです・・。
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庭の手入れのあと・・♪

2005-07-23 21:44:00 | 定年後の思い
日中、庭の手入れをした。

体力をギリギリまで行い、入浴後、そうめんを食べていたら、
眠くなり夜六時過ぎに寝て、先程に目覚める。

腰がちょっと痛いが、庭の清々しさを見れば、この魅力に自己満足する。

露草が群生があちらこちらにあるが、雨を待つしかない・・。
今晩は弱雨、と天気予報は報じているが・・。
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初夏の朝・・♪

2005-07-22 09:52:00 | 定年後の思い
今朝、庭に出ると、アメリカ芙蓉が相変わらず咲いている。
宗旦木槿のように底紅であり、白い花が清々しく、色っぽい花であるが、気品さがあるので、
私の好きな夏の花のひとつである。

そのそばに唐糸草のピンクが花は、芳香をもたらしている。
次々と花芽を持っているので、咲き終わった花は、切り落とした。
三分咲きの花に、ゆずる為である。

大きな樹木の下では、群生した露草が紫色の花は朝露をたたえ、静寂な庭を彩っていた。


薄日がさして、27度の気温であったが、日中は30度を超える、とニュースは報じている。

暑い日中であるが、散策しながら駅前に出て、本屋に立ち寄った後、買物でもする予定である。

定年退職後の一年生は、初めての夏の日をこうして迎えている。


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