私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに過ごしている。
私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたが、
最後の5年半はリストラ烈風となる中、出向となったりした。
こうした時、私たち夫婦は遅ればせながら第二の人生について、話し合ったした。
具体的には、どのような生活をしたいか、であった。
やがて年金を受け取り、お互いの趣味を尊重してささやかに生活して、
ときたま国内旅行ができれば・・と漠然としながら私たち夫婦の結論であった。
こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。
そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
やがて私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。
そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業した。
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。
私の年金生活の日常は、このサイトに幾たびに記載してきたので、
今回は省略するが、年金生活の当初から毎朝、
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』向って、
氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いたりしている。
☆居間の片隅みにあるCDケースの上に安置して、たわむれに記念写真を撮った一葉☆
私はこの相田みつを氏の遺(のこ)された名言を、人生の生きた哲学のように学び、
何かと気弱な癖に、ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。
世の中で著名な『相田みつを』氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年(平成11年)の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。
そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこの御方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、
私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあり、
私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な書体で書かれ、
この日以来、私はこの御方を秘かに慈父のように、人生の師と掲げたした。
そして相田みつを氏の遺(のこ)された数多くの本を購読してきた・・。
私は今年の9月の誕生日を迎え、恥ずかしながら74歳となり、
幸運にも大病で入院することなく、体力の衰えを実感しなかぜらも、健康寿命の範囲となっている。
過ぎし年にゴールデン・イヤーズと称される60代を卒業し、
定年退職をするまで、何かとつたないサラリーマン航路を歩んだ為か、
我が人生として、予測した以上に安楽な期間を享受できたりしてきた・・。
そして70代を過ごし始めると、ときには60代の日々に愛惜を重ねたり、
これから到来する日々に期待を膨らましたり、微笑んだりしている。
或いは、ときおり物忘れもあり、やむなく人生は気合だ、と自身を叱咤激励をしたりしてきた。
☆過ぎし年、旅先で偶然にめぐり逢えた私が敬愛している書家・詩人の亡き相田みつを氏の扁額
こうした中、70代を迎えてからは、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるようにと願いながら
プラス思考で過ごしているのが実態となっている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
このように私は定年退職まで、何かと悪戦苦闘が多かった私は、私なりに年金生活を享受しているので、
つたない人生航路を歩んできた私でも、『先憂後楽』の人生かしら、と微苦笑をする時もある。
本日、私は家内の支援を受けながら、小庭の手入れを昼食抜きで、
朝の9時より午後の2時過ぎまで、私たち夫婦は奮闘した。
こうした中で、私は休息していた中で、
『確か4年前の今頃、私は白内障の手術を受け、まもなく光明を頂き、
この後は人生観も変わった、と感謝を重ねたよねぇ・・』
このようなことを心の中で呟(つぶや)いたりした。
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
過ぎし4年前の2015年11月17日、白内障に伴い最寄駅に近い眼科医院で、
初めて左眼の手術を受けて、手術して下さる医院長から指示で、24日は右眼の手術を受けたりした・・。
こうした中で、白内障の水晶体の濁った皮質を細かく粉砕すると同時に眼外へ吸引した後、
広く手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入して頂ただいた・・。
手術前の私は、裸眼0・03は酷い近眼で、メガネを掛けても0・7弱くらいであったが、
手術後の眼を制御する幾重かの神経が安定した一週間後、視力は0.9前後となり、
メガネが不必要となった。
私は高校生より何かと酷い近眼で、劣等感のひとつであった。
そして近眼のメガネが不要となり、たとえ今回の多焦点眼内レンズの効力であっても、
これ以上の吉報はないかしら、と悦んだりした。
これ以降、私はメガネが不要となり戸惑ったりしながらも、
人生観も変わった、と深く感じながら、感謝を重ねている。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
年金生活の2004年の秋の当初からでも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして白内障の手術後、メガネが不必要となり、更に人様におくすることなく、
談笑したりしてきた・・。
何かしらテレビ東京で、たまたま『じゅん散歩』を視聴していると、
主演されている高田純次さんのしぐさ、言動に、
私は少し負けるが、あのようにすることもあるよなぁ・・と微笑んだりしている。
私は午前中のひととき、いつものように家内から依頼された品を求めて、
最寄りのスーパーに向かった。
そして買物する前に、通販で買い求めた食料品の振り込みをする為に、
郵便局に寄り、まもなく待機している中、
壁面に掲げられた光沢性のある大きなポスターをぽんやりと眺めたりした。
こうした中、一枚のポスターに瞬時に魅了された。
まもなく私の手続きの順番となり、振り込み依頼をした後、
『あのボスター・・年金生活のお手本のようなポスターですねぇ・・』
と私は窓口の担当の女性に言ったりした。
『お気に入りでしたら・・ポスターは差し上げることはできませんが・・
コピーでしたら・・』
と窓口の担当の女性は、微笑みながら私に言った。
やがて私は、A4サイズに縮小されたポスターを頂き、
『年金生活の肝要なことが、すべて秘められて、魅了されまして・・』
このような意味合いの言葉を重ねて、丁重に御礼の言葉を重ねた。
こうした思いのポスターを恥ずかしながら、公開する。
もとより年金生活は、霞(かすみ)を喰って生きられないので、
老後の資金と称されるお金も大切なことである。
私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が、社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。
このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、ときおり敗残者のように感じることも多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。
私は定年退職後に年金生活を始めたが、
1944年〈昭和19年)9月生まれであるので、この当時は満62歳にならないと
年金は満額(老齢厚生年金と老齢基礎年金の合計)を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。
やがて私は満62歳となり、年金は満額となり、これ以降は水平飛行のように安定して、
何かしら定年までは悪戦苦闘が多かった為か、予測した以上に年金生活を安楽に過ごして、
今日に至っている。
我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。
そして耐久品の購入、冠婚葬祭、或いは私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ丸14年近く過ごしてきた・・。
私は何かとプラス思考であるが、
やはり健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活される機関の『健康寿命』、
そしてこの世とお別れする『平均寿命』に関心がある。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
殆ど毎日のように自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを殆ど毎日のように歩いている。
こうした中、男性の場合は、『健康寿命』は約72歳であり、
そして『平均寿命』は約81歳であり、
この間は病院に通院したり、或いは介護・要の生活が余儀される御方が多い。
しかしながら、ご近所の男性の85歳の御方は、心身溌溂で、
ときおり私は談笑しながら、多々教示されることもある。
このように『健康寿命』、『平均寿命』・・あくまで平均であり、
私の知人のひとりは、定年退職する一年前に大病で病死される御方もいる。
私は年金生活14年ばかり過ごす中、幸運にも大病で入院することなく今日に至っている。
私の秘かな念願は、いつの日にか『健康寿命』が終えた後、
老衰でこの世とお別れすることである。
こうしたことは、もとより自助努力も大切であるが、この世とお別れすることは、
神様か佛様の采配による、と私はこれまで多くの友人、知人の通夜、告別式に参列して、
深く感じさせられてきた・・。
今回、このボスターを眺めながら、このようなことを私は思い馳せたりした。
余談であるが、このポスターは『かんぽ生命』のポスターのひとつであるが、
副題には《・・人生は、夢だらけ。・・》と明記され、
つたない定年退職時まで、敗残者の私でも、微笑み返ししてしまった・・。
先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 実はすごい50~70代女性の“爆”消費 観光はインバウンドの2倍! 】と見出しを見てしまった。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は5歳下の家内とたった2人だけの家庭である。
こうした中で、私は年金生活の当初より、我が家の平素の買物に関して、
私は自主的に買い物専任者となり、家内から依頼された品を求めて、
殆ど毎日の午前中に、スーパー、ドラッグストアー、ホームセンターなど行き、
買物メール老ボーイとなっている。
こうした中で、特に50~70代の女性が溌溂としたしぐさなどを
私は数多く見かけて、微笑んだりしている。
こうした心情を深めてきた私は、今回の標題・・どのようなことですか、と思いながら、
こっそりと読んでしまった・・。
この記事の原文は、『週刊朝日』の2018年11月16日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの【AERA dot.】に11月12日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・団塊の世代を先頭に、元気な高齢者が続々と登場している。
とりわけ目立つのが子育てを終えた女性たちのアクティブぶりだ。
旅行、ファッション、音楽・・・。
気に入ったものにはお金を注ぎ込む。
彼女たちをより元気にすることこそ、日本の消費を活発化させる道なのだ。
20年近く高齢世代の消費をウォッチしている、
博報堂「新しい大人文化研究所」(新大人研)の阪本節郎所長が首をひねる。
「例えば観光。
インバウンドの外国人観光客ばかりが注目されますが、
大事な部分が見過ごされているのでは、と思うんです」
それこそ、50~70代の「大人女子」たちの存在だ。
「確かに外国人は目立ちますが、数でみると1、2割にすぎません。
観光地で圧倒的に多いのは、50代以上の大人女子たちです」
観光地は「外国人だらけ」ならぬ「外国人と、大人女子だらけ」と言うのだ。
その実態は後述するとして、阪本所長が注目するのは、
彼女たちの活動が、非常にアクティブで、新たな「消費トレンド」を生み出しつつあると見ているからだ。
少し説明が必要だろう。
阪本所長によると、70代に入り始めた団塊の世代(以下、団塊)を先頭に、
これまでの高齢者のイメージとは、まったく違った新型の高齢者が登場しているという。
「団塊以前は、日本に若者文化は存在しませんでした。
ロック、ポップス、ジーンズ、ミニスカート・・・。
これらは、すべて団塊が、流行をつくりました。
要するに、若者像の源流を作ったのが、団塊なんです。
かつて新しい若者文化をつくったように、今度は高齢者像を塗り替えようとしている。
団塊の人たちは、若々しくて年を取ったと思っている人は、ほとんどいません。
消費で言うと『シニア』と銘打っただけで、売れなくなった商品は結構あります。
誰も自分のこととは、思いませんから」
とりわけ、こうした流れをリードしているのが、大人女子だという。
「団塊以降は、恋愛婚が主流ですが、
今、60代になっている人たちは、男女雇用機会均等法(1986年施行)より前ですから、
寿退社→専業主婦が一般的でした。
夫の世話をし、子育てに精力を注ぎ、ようやく『自分の時間が来た』のが今なのです。
解放感が、彼女たちを突き動かしています」
実際、あちこちで目立っているのは、大人女子ばかりだ。
まずは、阪本所長が挙げる観光。
京都市は日本人観光客について性別・年齢別のシェアまで毎年、調査している(京都観光総合調査)。
その大人女子の比率を見ると驚く。何と50歳代以上の大人女子が
全体の約41%に上っているのだ(2017年)。
この年、京都を訪れた日本人は、約4600万人と推計されているから、
大人女子は、実に約1900万人に上る。
同年の外国人観光客は約740万人だったから、2倍以上大人女子のほうが多い。
そして、日本人観光客の「約4割」というシェアは、この5~6年変わっていない。
近年、人気がうなぎのぼりの金沢も、大人女子が多く訪れている。
京都市ほど詳しい統計はないが、金沢市を訪れる観光客のうち、50代以上は4割弱。
北陸新幹線が開業した2015年は、観光客そのものが約2割増え、50代以上の比率は5割に迫った。
「2015年はJR3社(東日本・西日本・東海)がそろって増収増益になりましたが、
私は大人女子が、この好業績に大きく貢献したと見ています」(先の阪本所長)
実際の楽しみ方はどうか。
京都・金沢など有名観光地は、リピーターが多い。
京都好きの都内在住のA子さん(60歳)が、
「10回以上京都へ行っていますが、『文学』などテーマを決めていくことが多い。
この前は、女友達と二人で(新幹線の)始発で行って、終電で帰るという日帰りツアーを敢行しました。
そのときは願掛けがテーマで貴船神社がメインでした」
と言えば、同じく都内在住の金沢好きのB子さん(68歳)は、
「金沢に友達がいるので、毎年のように行っています。
品が良くて食べ物がおいしい。
ゆっくり見て歩くと、毎回、小さな発見があります。
人気のひがし茶屋街などは、人が多い昼間は避けて、夕方に行くことにしています」と話す。
A子さん・B子さんは、旅好きシニアの同好会「シニア・トラベラーの会」の会員だ。
この会自体、大人女子が3分の2を占める「女性優位」。
雪谷旅人代表(79歳)によると、
「女性たちの活動は、本当に活発ですね。
海外一人旅を楽しむ女性も、大勢いらっしゃいます」
A子さん・B子さんの京都、金沢行きは、女友達との旅だが、それもまた大人女子たちの一つの特徴のようだ。
博報堂の新大人研が「子育て終了で思うこと」を聞いたアンケートで、
男性は「これからは夫婦2人の時間を楽しみたい」とする答えが3割超を占めたが、
大人女子は、「これからは、自分の時間を楽しみたい」が約4割で、
これに「ひとりの時間を楽しみたい」、「友人・仲間との時間を楽しみたい」が続いた。
つまり、夫の影は極めて薄い。
神奈川県のC子さん(61歳)は、年に1~2回、海外へ一人で出かける。
カナダ、イタリア、フランス、ニューヨーク・・・。
今年は6月にバルト3国へ出かけた。
「動機は、『一人になりたいから』です。結婚してから、ずっと我慢してきました。
子育てに区切りがついた50代半ばから、
『もう自分に、ごほうびをあげてもいいのでは』と思って行くようになりました。
添乗員付きツアーですので、1回100万円はかかりますね。
夫は家族旅行をしたいようですが、何も言わせないようにしています」
子育てからの解放感を味わいつつ、夫とは行動を共にしない。
旅行は、大人女子パワーを全開させる場なのだ。
ファッションでは、新たな動きが生まれつつある。
先の阪本所長が言う。
「これまで60代向けのファッション本は、なかなか難しかったのですが、ようやくヒットが出てきました」
昨年暮れに宝島社が出したファッションムック「素敵なあの人の大人服」がそれ。
発売3日で重版が決まる好調ぶりで、秋までに3冊を刊行、シリーズ累計で15万部を突破した。
【宝島社の60代向けファッションムック】
担当編集者の神下敬子さんが言う。
「この世代向けの雑誌は、健康か超セレブ向けかのどちらかでした。
でも、いろんな人を取材していると、自然体でおしゃれを楽しみ、
私が見ても『素敵』、『マネしたい』と思える人がいっぱいいた。
彼女たちをまとめてアピールすれば、反響があるのでは、と思ったんです」
表紙やトップの特集こそプロの結城アンナさんを使っているが、
「私服を拝見」のコーナーに登場するのは、すべて一般の大人女子だ。
そして実は、このコーナーが一番人気が高い。
「体形が変わって、それまで似合ったものが似合わなくなり、
おしゃれが、わからなくなっている人がいっぱいいます。
そんな人でも、ちょっと先を行くリアルな60代女子の着こなしを見れば、
『こういうふうに、すればいいんだ』と気づきます」
若いころ『アンアン』や『ノンノ』などのファッション雑誌を愛読し、
「ハマトラ」、「ニュートラ」を着こなした世代だから、もともと感度は高い。
身近な「お手本」を見つけたら、取り入れるのはお手の物だ。
そして、欲しくなったモノは、貪欲に手に入れようとする。
「誌面に載っているモノについての問い合わせ電話が、バンバンかかってきます。
買いたくなったら、たまらなくなるのでしょう。
今では商品のブランド情報は、ほぼ全部に入れるように努めています」
大人女子たちのおしゃれは、どんどんカジュアルになっているが、
コーディネートの「お手本」が受けていることは、
既成の商品やその組み合わせが「お手本」になっていないことを示唆している。
「とにかく、おばあちゃん服を着るのが、いやだったんです」
埼玉県の大山真沙子さん(65歳)は5年前、
この思いがこうじて「起業」し、自分独自のブランドを立ち上げてしまった。
「ショップのお年寄りコーナーには、行きたくない。
でも、40代向けを売っている店にも、入りづらかった。
幸い、昔から大の洋服好きで、こういうデザインの服が着たいというイメージは、
自分の頭の中にありました。
それなら自分で作っちゃおう、となったわけです」
ブランド名は「Jazz」(ジャズ)、「上品でシンプル」がコンセプトだ。
製造は業者に任せる「OEM」を利用しているため、
生地を選びデザインをしっかり伝えることが肝になる。
販売チャネルは、ネット通販。
サイトでは、自らがモデルになった写真でアピールする。
全国にリピーターがいて、売れ行きは上々という。
大人女子たちは、おしゃれをしたがっている。
宝島社のムックや大山さんのように、今の彼女たちが無理しないで、
着られるような洋服が提案できれば、自然に売れるのだ。
青春の一コマと言えば、音楽。
平日の午前、ヤマハの音楽教室には、大人女子たちの歌声が響きわたる。
昨年から全国展開が始まった「青春ポップス」の風景だ。
1960~1980年代中心のヒットソングを、講座用のビデオ映像を見ながら歌って踊る。
尾崎紀世彦の「また逢う日まで」やチューリップの「心の旅」など男性向きの歌も多く、
ヤマハも一定程度の男性の参加を見込んでいたが、フタを開けてみると9割以上を大人女子が占めている。
9月末で生徒数は9650人。なお右肩上がりに増えているという。
「GINZA SIXや渋谷のヒカリエなど、
大型商業施設を支えているのも、大人女子たちですね。
飲食フロアでは、特に目立ちます」(先の阪本所長)
大人女子が主力読者の雑誌「ハルメク」の元編集長でコラムニストの矢部万紀子さんによると、
情報感度が、かなり高い世代でもあるという。
「読者会で話していると、孫とLINEでやり取りしたり、
娘とはグーグルカレンダーを共有したりで、世間のイメージより、ずいぶん進んでいらっしゃいますよ。
私が編集長のときに始めたスマホの使いこなし術の企画は、ヒットしましたね」
大人女子たちのアクティブぶりは、とどまるところを知らないようだ。
先の阪本所長が改めて念を押す。
「これからの高齢社会は、『おじいさん』や『おばあさん』が増える従来型の高齢社会ではありません。
元気で若々しい高齢者たちが街にあふれる、生き生きした社会です。
もはや高齢社会ではなく、『人生100年時代』なのです。
中でも元気なのが、大人女子です。
組織で生きてきた男性は、会社を辞めるとある種の『終わった感』が漂いますが、
女子たちには、子育て終了に伴った『これから感』があります。
勢いがあるほうを押せば、新しい消費が生まれるはずです」
確かにそうだ。
夫婦の決定権は、女性が握っているから、女性が動けば、男性はついてくる。
郊外のモールなどで、母娘が連れ立ってショッピングするのをよく見かけるが、
情報の流れは「娘→母」ばかりではあるまい。
「母→娘」でファッション情報が伝わり消費に結びつくケースも多い。
いずれにせよ、大人女子を躍動させることがカギになる。
売る側も、試行錯誤を続けている。
三越伊勢丹のプライベートブランド「BPQC」。
恵比寿三越のショップでは、大人女子と同じ世代のスタイリストに人気が集まっている。
同じ年格好のスタッフがいると客が話しやすいから、という。当の宮原惠都さん(57歳)が言う。
「『どのお店で買ったらいいか、わからない』
とおっしゃるお客さまが、数多くいらっしゃいます。
体形とかにお悩みを持たれていて、まずそれをじっくりお聞きすることから始めます」
客にとっては「話を聞いてくれる場所がある」こと自体に価値がある。
「お話やご希望を聞いて、同年代の私がコーディネートを提案すると、
『だったら試してみようかしら』となることが多いですね」
同年代の悩みは、同年代でしかわからない。
客側に立った売り方が、功を奏しているのだ。
生活家電では、パナソニックが50・60歳代の「目利き世代」向けに
2014年から「Jコンセプトシリーズ」を販売している。
日本のメーカーでは珍しいという。
掃除機や冷蔵庫、洗濯機など7種類で、すべて日本製。
開発にあたっては、徹底的にユーザーの声を聞こうと、のべ3万人以上から聞き取り調査を行った。
この世代は、冷蔵庫の野菜室を開けることが一番多いことがわかり、真ん中に野菜室を持ってきたり、
日本人女性の平均身長から、洗濯物を取り出しやすいように工夫した洗濯機などがある。
その家電で最先端になる機能は取り入れるようにしているから価格は安くはないが、
「地域専門店を中心に、堅調な売れ行き」(コンシューマーマーケティング担当者)という。
どの企業、どの商品が大人女子たちの心をつかむのか。
その数が増えるほど、日本の消費は活性化するはずである。(本誌・首藤由之)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は記事を読み終わった後、殆どの50~70代の「大人女子」が、
ここ10年ぐらい心身溌溂した御方を数多く見かけてきたので、微笑んだりしてしまった。
《・・今、60代になっている人たちは、男女雇用機会均等法(1986年施行)より前ですから、
寿退社→専業主婦が一般的でした。
夫の世話をし、子育てに精力を注ぎ、ようやく『自分の時間が来た』のが今なのです。
解放感が、彼女たちを突き動かしています」・・》
まぎれなく至言である。
私たち夫婦は、3週間に一度ぐらい駅前に買い物に行ったりすると、
昼食代わりに食事処に入店すると、50~70代の「大人女子」がグループで、
センスの良い洋服を召して、盛んに談笑している様子を見かけることが多い。
或いは年に数回、家内に引率されて都心のデパートに行く中、
やはり多くの50~70代の「大人女子」の御方を見かけて、
私は見惚(みと)れることもある。
私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、各地に旅路を重ねてきた。
こうした中で、宿泊している館内、或いは、観光地の食事処などでも、
やはり多くの50~70代の「大人女子」のグループを見かけたりしてきた。
こうした中で、私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
ときには女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑する時もある。
今回の記事を精読して、シニア世代と称せられる50~70代の「大人女子」は、
殆どの御方は心身溌溂した時代の到来している、と思ったりしている。
老ボーイの私でも同じであるが、やがて、いつの日にか健康寿命に終わるまでは、
それぞれの御方は、セカンドライフの長い期間を満喫されてお過ごしされている、
と感じ深めている。
余談であるが、《・・男性は「これからは夫婦2人の時間を楽しみたい」とする答えが3割超を占めたが、
大人女子は、「これからは、自分の時間を楽しみたい」が約4割で、
これに「ひとりの時間を楽しみたい」、「友人・仲間との時間を楽しみたい」が続いた。
つまり、夫の影は極めて薄い。
(略)
夫は家族旅行をしたいようですが、何も言わせないようにしています」
子育てからの解放感を味わいつつ、夫とは行動を共にしない。・・》
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、無念ながら子育ての体験がないが、
そうかしら・・と私は微苦笑したりしている。
先程、愛読している公式サイトの【 NIKKEI STYLE 】を見ている中、
『食物繊維、日本人が一番多く摂取している食べ物は?』と見出しを見て、
どういう食べ物なの・・と好奇心に負けて、クリックして精読してしまった。
この記事の原文は、公式サイトの【 日経Gooday 】に2018年10月22日に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 NIKKEI STYLE 】に再構成されて、2018年11月10日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
写真はイメージ=(c)PaylessImages-123RF(白米、サツマイモ)、(c)yelenayemchuk-123RF(キャベツ)
ぜひ今日からのセルフケアにお役立てください!
【問題】
便秘にいい、血糖値の上昇を抑える、腸内環境の改善に寄与するなど、
さまざまな健康効果が知られている「食物繊維」。
日本人の摂取源のトップは何でしょう?
(1)ゴボウ
(2)キャベツ
(3)サツマイモ
(4)白米
正解は、(4)白米です。
「普段の食事で、どんな食品から食物繊維をとっていますか?」と聞かれると、
多くの人は「野菜」と答えるのではないでしょうか。
実際、食物繊維というと、キャベツ、レタスなどの野菜や、ゴボウ、イモなどの根菜類が思い浮かびます。
もちろん、野菜も重要な食物繊維の摂取源なのですが、
実は日本人の摂取源の1位と2位は、白米と食パンなのです。
白米は100g当たりの食物繊維が0.5gと少ないのですが、
量を多く摂取しているため、結果的に最大の摂取源になっているわけです。
■日本人は男女とも食物繊維が不足している
私たちが健康を維持するために摂取すべきとされる1日当たりの食物繊維の摂取目標量は、
男性20g以上、女性18g以上です。
しかし、実際の摂取量は成人男性で15.4g、成人女性で14.7gとおよそ4~5g不足しています。
大妻女子大学家政学部教授の青江誠一郎さんは、
「なかでも、深刻なのが、20~30代男女の若い世代の食物繊維不足です。
シニア層は、食生活に気を配っている人が多いために、若い人よりも状況は良いのですが、
40代男性で13.9g、50代男性で14.8g、60代男性で16.8gと、
摂取目標量に達していません。
加齢とともに腸内環境も悪化し、それにともなって病気のリスクが高まるので、
今以上に摂取することが重要です」と話します。
日本人の食物繊維の摂取量を過去から見ていくと、興味深い事実に気づきます。
今から60年以上前の1955年には、1日当たり22.5gの食物繊維を摂取していたのに、
その後の摂取量は減少傾向にあり、今では15gを切るまでに減っているのです。
内訳を見ると、大幅に減っているのは、穀物由来の食物繊維です。
実は、野菜などからの摂取は、そんなに減っていません。
つまり、日本人の食物繊維の摂取量が徐々に減ってきた要因は、
主に“穀物の摂取不足にある”と考えられるわけです。
「白米は、食物繊維をほとんど含んでいませんが、
主食として毎食食べることによって、摂取量が多くなり、
結果的に食物繊維の摂取源として貢献しています。
白米の消費量が減り、ごはん離れが叫ばれる現代でも、
食品別に見た食物繊維の摂取量が最も多いのは米なのです」(青江さん)
青江さんは、食物繊維を多く摂取するには、穀物がポイントになると話します。
「野菜をこれまで以上にたくさんとるのは難しいですが、
穀物は、食物繊維を多く含むものに切り替えることによって、食物繊維量をかなり増やすことができます。
穀物から食物繊維をとることにより、腸内細菌叢のバランスが整うと、
野菜に含まれるビタミンやミネラルも、より吸収しやすくなり、
体で有効に働きやすくなる効果も期待できます」(青江さん)
確かに、野菜や海藻などに食物繊維が多く含まれているといっても、
実際問題、毎日大量にとるのは難しいでしょう。
その点、主食は毎日一定量を食べるわけですから、無理せずにとれるのは大きなメリットです。
「食物繊維は、主食からとるのが効率的なのです」(青江さん)。
■主食をただ減らすのではなく、「置き換え」が大切!
読者の中にも、健康診断で血糖値や中性脂肪値がひっかかり、
糖質を抑えるように、医師などから指導されている人も少なくないでしょう。
しかし、主食のごはんをただ単純に減らしてしまっては、貴重な食物繊維も減らしてしまうことになります。
青江さんは、「ポイントは、主食の置き換えにある」とアドバイスします。
「これまで白米中心だった人は、食物繊維を多く含む全粒穀物に置き換えることをお勧めします。
まずは1日1食を、精製されていない穀物を含むものにしましょう。
慣れてきたら2食、3食と増やしていけるとベストです」(青江さん)
「肥満や血糖値が気になる人こそ、この方法を試していただきたい」と青江さん。
「食物繊維の多い全粒穀物にすると、食後に血糖値が上がりにくくなります(GI値が下がる)。
甘いお菓子や飲み物などを減らしながら、
主食を食物繊維リッチなものに切り替えていきましょう」(青江さん)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。
こうした中、我が家は、食事に関しては、朝食と夕食は家内と共に談笑しながら頂いているが、
年金生活の当初より、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由食としている。
こうした理由は、退職するまでの私はサラリーマンで私なりに奮闘し、
家内は長らく専業主婦だったので、たとえ年金生活をしても、家内の日常生活のペースを
できるだけ壊したくなかったからである。
私の平素の朝夕の食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の一汁三菜(いちじゅうさんさい)の真似事をしている。
私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。
やがて十六穀米の入った白米のご飯を半合ばかり盛ったお茶碗、殆どインスタントのワカメの味噌汁、
ミッカンぽん酢を少しかけた納豆、コブの佃煮、シラス干しと大根おろし、福神漬けを必須として、
これ以外はカブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリなどを加える時もある。
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。
家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。
そして昼食は、私はヨーグルトを箱の2分の1を食べた後は、
夏季の時節は大きめのトマトを食べた後、アンパンかクロワッサンのパンを食べたりしていたが、
今の時節はアンパンをふたつ食べたりしている。
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べてきたが、
一年前の頃からは、ニンジンを千切りにして、電子レンジで少し温めて、
ゴマドレッシングに少しお醤油をかけて、食べている。
そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など、その日に応じて150グラム程度に、
キュベツ、モヤシなどの野菜を多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。
こうした中で、5日毎にウィスキーの濃い水割りを飲んだりしている。
家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。
このような食事内容は、真実一路のようにほゞ変化がないが、
料理ができない私は家内を頼り、せめてながら、料理のできた台所から食卓のある居間まで料理を運ぶ老ボーイ、
食事後は食卓から洗い場のある台所まで、素早く運ぶ老ボーイとなっている。
このように私は頂いているが、果物が少ないわ、と私は家内から言われたりしている。
私は年金生活を始めた当初は、身長170センチであったが、
14年過ぎた今は、無念ながら少し縮み168.5センチ、
そして体重は70キロから76キロ前後となり、大病で入院はしたこともなく、74歳となっている。
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、信愛を重ねて過ごしている。
体力の衰えを実感している私でも、健康上の問題で日常生活が制限されずに行動できる健康寿命は、
男性の健康寿命は72歳と学んできたが、何とか少し超えたよねぇ・・と微笑む時もある。
今回、記事を読み終わった後、程ほどの食事を食べている私でも、そうですよねぇ・・
と微笑み返しをしたりしている。
先程、ときおり愛読しているネットの【 東洋経済オンライン 】を見ている中、
『 スマホを落とした時の怖すぎる2つのリスク 』と見出しを見てしまった・・。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、我が家はインターネットに関して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。
そして私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。
ここ5年ぐらい殆どの高齢者の御方でもスマホを活用している時代、
世の時流から取り残された私は、ボケないうちにスマホを購入して、災害時の備え、
私が認知症の初期状態になった時のお守り代わりに必要かしら、と思案する時もある。
こうした思いのある私は、『 スマホを落とした時の怖すぎる2つのリスク 』・・、
どのようなことなのですか・・と思いながら記事を精読してしまった。
この記事は、ITジャーナリストと名高い高橋 暁子さんの寄稿文であり、
ネットの【 東洋経済オンライン 】に2018年11月10日に配信され、
無断であるが、記事の大半を転載させて頂く。
《・・スマホを落とした時の怖すぎる2つのリスク
(略)実際にスマホを落としたときに、どのようなリスクがあるのか。
■スマホ紛失で約300万円使い込まれた人も
リスク1:多額の不正利用
2012年にAさんは、スマホを紛失した。
彼はその直後に携帯電話会社に連絡したうえで、警察に遺失物届を出した。
だが携帯電話利用停止後に、151回にわたり合計291万9000円もの不正使用をされてしまった。
電子マネーをチャージできるサービスを利用していたのにもかかわらず、
サービス提供会社に利用停止の連絡を見逃してしまったからだ。
信用情報のブラックリストへの記名を恐れたために、一度は請求された額を支払ったAさん。
しかしその後、彼はクレジットカード会社と電子マネーサービス提供業者に対して、
不当利得返還請求権に基づき、291万円と遅延損害金の支払いを求めた。
2016年8月、東京地裁で判決が出て、被害額の大半は、Aさんに返金された。
判決において、電子マネーサービス提供業者が消費者に対して、
「携帯電話会社に紛失届と使用停止の手続きをしただけでは、電子マネーの不正使用を停止できないこと」、
「電子マネーサービス提供業者にも、同様の届け出が必要であること」
をまったく告知していなかった点に、過失があるとされたからだ。
現在は、電子マネーサービス提供会社のホームページにも
紛失の際に届け出が必要ある旨が明記されているため、
今後似たような被害に遭っても、返金されない可能性が高い。
不正利用される可能性のあるものに、モバイルSuicaや、おサイフケータイ、
Apple IDやGoogleアカウントなどがある。
特にオートチャージ機能を利用している場合、被害額が大きくなる恐れもある。
万一スマホを落としてしまった場合は、
サービスを利用している電子マネー業者に連絡して、利用停止手続きをするほか、
クレジットカードなどの明細は、必ず確認したほうがいいだろう。
リスク2:個人情報の大量盗難
スマホを落とすと、大量の個人情報が、見ず知らずの他人の手に渡るリスクもある。
私の友人であるB子さんの娘も、スマホを失くしたことで同様の被害に遭った。
「ある日、私の友人から急に『お子さんからLINEで変なメッセージがきた』
と連絡がきました。
警察に届けた後に、携帯会社に連絡して利用を止めたけれど、
スマホには娘の写真もたくさん入っているので、その後も安心できませんでした」
と、B子さんは当時を振り返る。
結局、B子さんの娘のスマホは、見つからず買い直すことになった。
後日、彼女は偶然、娘の写真が「かわいい小中学生の女の子」とまとめサイトに
掲載されていることを知ったという。
写真が流出していることを知って、相談機関に相談して、削除依頼を送ることになったそうだ。
「掲載されている分は、削除できたはずですが、
知らない人が、娘の写真をまだ所持している可能性もあります」
と、B子さんはいまだに不安を拭えていない。
このようにスマホを落とすと、様々なリスクが身に及ぶ可能性がある。
スマホは、名前や電話番号、写真や動画、メールなどが記録されている“個人情報の塊”だ。
もしアプリを通じて、SNSにアクセスされたら、さらに多くの情報が盗られてしまうだろう。
たとえばFacebookでは、本名、顔写真、居住地、出身校や勤務先、交友関係などだけでなく、
メッセージの内容も筒抜けとなってしまう。
自宅や勤務先を特定して待ち伏せをされたり、
アカウントを乗っ取られて、プライベートな写真が流出したりということも起きる可能性もある。
■「端末紛失対策アプリ」を活用しよう
では、上記のようなリスクに対して、どのような対策を取ればいいのだろうか。
基本的なことだが、スマホの画面ロック機能は、必ずオンにしておこう。
それだけでスマホの内容を盗み見られるリスクがかなり抑えられる。
その際、パスワードは推測されにくいものに、しておくことが重要だ。
あるいは指紋認証や顔認証などにしておけば、セキュリティ強化に役立つだけでなく、使いやすい。
同時に、紛失対策アプリを設定しておくことといい。
iPhoneなら「iPhoneを探す」は必ずオンにしておき、
Androidなら「端末を探す」アプリをインストールのうえ、
「位置情報」と「端末を探す」をオンにしておくことだ。
これによって端末の場所を地図上で確認したり、ロックしたり、
データを遠隔消去することができるようになる。
ブラウザなどに記憶させないことも大切だ。
またLINEは、パソコンでも利用できるようにしておくと、
いざというときに連絡がとれなくなる心配もなくなる。
■それでも紛失したらすべきこと
ただし、いくら対策をしていても、スマホを紛失してしまうことはある。
そんなときはどうすればいいのか。
まず店や乗り物など心当たりの場所に問い合わせ、それでも見つからなければ、
前述の紛失対策アプリで、端末のある場所を調べて、スマホを取り戻すように最善を尽くそう。
iPhoneの場合は、パソコンなどのブラウザからiCloudにログインすることで、
失くしたiPhoneを「紛失モード」に設定できる。
紛失モードを使えば、ロックをかけたうえで連絡先を表示させられる。
続いて警察に遺失物届、キャリアや電子マネー業者に、利用停止の連絡をしよう。
念のため、スマホに入っていたGoogleアカウント、Apple ID、LINEやFacebookなどのSNS、
メール、ネットショップのIDやパスワードは、変更しておくと安心だ。
もし先程説明したiPhoneやAndroidの端末を探す設定をしていなくても、
実はキャリアには、紛失・盗難サービスが用意されている。
回線を一時停止するほか、キャリアによっては端末にロックを掛けたり、端末の位置を検索したり、
遠隔でデータ消去なども可能なので活用しよう(一部有料サービス。事前に加入の必要あり)。
スマホを紛失すると金銭的な損害だけでなく、
個人情報が流出すると身の上に被害が及ぶ可能性もある。
気をつけていても紛失・盗難は誰の身の上にも起こりうることだ。
事前に紛失対策アプリを設定するなどの対策を行っておくことが鍵となるので、
この機会にぜひ設定してほしい。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私はスマホに関しては、多彩な機能があることは学んできたが、
今回、ITジャーナリストと名高い高橋 暁子さんの寄稿文で多々教示されながら、
スマホを落とした時のリスクに、動顛させられたりした・・。
たまたま私たち夫婦は、昨年の秋に仙台市の郊外にある作並温泉の旅路をした。
そして帰路、仙台より東北新幹線に乗車した。
やがて私の斜め前に座っている40代のビジネスマンが寝付いていて、
スーツから、スマホが落ちて座席の下に落ちてしまった・・。
私はサラリーマンの御方は過酷な勤務で、せめて新幹線の車中で少しでも休息していると思われたが、
スマホも使えない私でも、多彩な機能で必要不可欠の情報が記憶させていると思われて、
私は少し歩いて、スマホを拾いあげて、このビジネスマンを揺り起こしてしまった・・。
『お疲れの所ですが、貴方様のスマホ・・床に落ちて・・』
と私は言いながら、スマホをビジネスマンに手渡した。
このビジネスマンは少しボンヤリとしていたが、事態に気づき、
私に丁重に、ありがとうございました、助かりました、
このような意味合いの言葉を私は言われたりした。
このようなささやかなことを私は思い馳せたりしたが、
確かに今回、高橋 暁子さんが明言されたようにスマホは“個人情報の塊”でもある。
私は、いつの日にかスマホを買い求めた時は、散策の時にデジカメをネクタイのように、
首回りからストラップを垂らしてデジカメを活用しているが、
これと同じようにすれば、失くすこともないよなぁ・・、と思ったりしている。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に結婚前後5年を除き、
早や69年ばかり住んでいる年金生活の74歳の身である。
ここ6年前の11月の下旬から12月初旬には、年末年始に風邪をひくのは困るし、
その上に、やはり高齢者は、風邪は健康の源(みなもと)の天敵だ、と思いながら、
近くの内科専門医院で、インフルエンザ予防接種をしたりしてきた・・。
そしてインフルエンザ予防接種の為か、おかげさまで風邪をひくことなく、
年末年始を安楽に過ごし、このようなささやかな成功体験をしてきた。
食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして、やがて半年後に大幅に改善されている。
これ以来、最寄の内科専門医院に8週間毎に定期検査日、
この間に検査結果日を受けているが、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。
こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
過ぎし10月12日、8週間毎の検査結果日に内科専門医院に訪れた時、
受付で国民健康保険証、診察カード、予約票を提出した時、
若き麗(うるわ)しい受付担当の女性より、
『XXさん・・今年、インフルエンザ予防接種を受けられますか?』
と優(やさ)しい声で私は尋(たず)ねられた。
私は一瞬わからず、数秒後に風邪対策の注射と理解した後、
『はい! 今年もお願い致します。
よろしかったら次回来院の時にお願い致します!』
とボケてはいけないと思い、返事ぐらい明確に応(こた)える為に、少し大きめの声で言ったりした。
この後、『高齢者インフルエンザ予防接種 予診票』と題された指定用紙を受け取り、
私は数多くの質問事項を眺めたりした。
そして過日に配達された『調布市 市報』の中で『高齢者インフルエンザ予防接種』を
思い浮かべたりしていた。
この記事を転記すれば、
《・・平成30年度調布市高齢者インフルエンザ予防接種
インフルエンザ予防接種を受けましょう。
調布市では、高齢者の方にインフルエンザの予防接種を1回に限り一部公費負担します。
冬から春にかけてインフルエンザの流行期を迎えます。
インフルエンザワクチンが十分な効果を維持する期間は、接種後約2週間から5か月程度です。
流行の時期を考え、早めに接種してください。
(注)予約が必要な場合があります。事前に医療機関に確認してからおでかけください。
対象者・・・予防接種を受ける日に、満65歳以上の方(略)
接種期間・・平成30年10月1日(月曜日)から平成31年1月31日(木曜日)まで
接種費用・・一部負担金として、2,500円を医療機関の窓口でお支払いください。
(全費用5,275円のうち、市が2,775円を助成)
生活保護受給者、中国残留邦人等支援給付受給者の方は、無料です。
(調布市生活福祉課で発行する受給証明書を医療機関に提出してください。)
接種回数・・1回
接種場所・・調布市・狛江市・三鷹市・府中市・世田谷区の高齢者インフルエンザ予防接種実施医療機
持ち物・・・年齢を確認できるもの(健康保険証等)
調布市の予診票(府中市及び世田谷区で接種を受ける場合のみ)
(注)予診票は、調布市健康推進課からお取り寄せください。
私は現役サラリーマン時代の時は、一年に一度ぐらい風邪をひいたりしていた。
中小業の民間会社で情報畑が多かったが、こうした中で多忙な勤務をしていると、睡眠不足と過労の為か、
鼻風邪から始まり、やがて熱が高くなり、やむなく会社の近くの内科医院で治療を受けて、
処方薬を飲んだりしていた。
或いは熱が余りに高くない時は、市販薬を飲みながら奮戦していた。
しかしながら、風邪を早めに治す為には、睡眠、栄養、水分、保温の四大原則と定義されているが、
サラリーマンとして多くの責務を果たす為には、困難な状況であったりし、一週間ぐらい長引いていた。
こうした中で、一番困り果てたことがあった。
机の脇机の中に、ティシュ・ペーパーの箱を私は入れていたので、
風邪で鼻水の時は、特に愛用したりしていた。
こうした中、コンピュータ・ルームでシステム改定のプログラムの修正などで、
中型コンピュータに直結された端末機に向って考えながらキーインしている時、
鼻水がたれて、あわゆくキー・ボートを汚すような状況となったりした。
そしてあわてて、ポケット・ティシュを取りだして対処したりしていた。
定年退職後の年金生活をしていると、風邪気味かしら、と私は感じたら、
いつでも寝れる年金生活の特権であり、
市販薬も飲まず、早めに寝てしまい、9時間ぐらい睡眠をすれば、
翌日は絶好調と心の中で呟(つぶや)いたりした。
そして私が65歳の高齢者となった後、近くの内科専門医院の医師より、
インフルエンザ予防接種を薦(すす)められた時、
『寒さを感じた時は、緊張感があれば、風邪などはひきませんょ・・』
と私は明るく応(こた)えたりし、可愛げのない高齢者であった。
やがて2012年(平成24年)の12月中旬、年末年始で何かと人と逢う機会が多いので、
遅ればせながら、やはり風邪は移しても、移されても困るので、
初めてインフルエンザ予防接種を受けた。
これ以来、私はインフルエンザ予防接種を受けてきた。
今年は早めの本日11月9日に接種予約をしていたので、最寄の内科専門医院で受けた。
この時、担当医師より、『接種後の約2週間から効果がありますから、勤労感謝の日からですから、
それまで風邪に注意して下さい・・』と私は言われたりした。
やがて別室で、若き麗(うるわ)しい女性より、私はインフルエンザ予防接種を受け、
『チックと痛みがありますが、少し我慢して下さいね・・』
と私は優(やさ)しい声で言われたりした。
恥ずかしながら私は、若き麗(うるわ)しい女性に見惚(みと)れて、
痛みも安らぎ、微笑んだりした・・。
そして『本日だけは、長湯は避けて下さいね・・お酒も少しだけにして下さいね・・』
と優(やさ)しい声で私は言われたりした。
やがて私は最寄の内科専門医院を辞した後、帰路の遊歩道を歩きながら、
今回の予防接種は、私の場合試算すれば、
来る23日の勤労感謝の日から、来年の桜が咲く頃まで効力がある、良いよねぇ、と微笑んだりした。
しかしながら、今年の高齢者インフルエンザ予防接種は、ひとり当たり全費用5,275円のうち、
市が2,775円で、私の自己負担金は2,500円だったので、
何かと我が愛する調布市も、高齢者を大切にするには大変だよなぁ・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。
尚、我が家の家内も、私のインフルエンザ予防接種の効果を見て、
65歳より毎年予防接種を受けて、今年で4年目となる。
先程、愛読しているネットの【 現代ビジネス 】を見ている中で、
【 「人生100年時代」のまやかし。
年金は繰り上げてこそ価値がある 】と見出しを見たりした・・。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
昨今、「人生100年時代」とか、
或いは年金支給時は65歳でなく70歳より繰り下げすればお得です、と新聞、雑誌などで学んできた。
今回の標題、真逆な論説であり、どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。
この記事は、沢田 浩さんの寄稿文であり、【 現代ビジネス 】に2018年11月4日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。
《・・「人生100年時代」のまやかし。年金は繰り上げてこそ価値がある
☆「100年時代は繰り下げがお得」への異論
(略)第4次安倍内閣の成立とともに、政府は「全世代型の社会保障」に向かうことを改めて宣言した。
目指すのは、70歳まで安心して働ける社会で、
企業に対しても今後、70歳までの雇用延長を働きかけていくという。
その際、枕ことばとなっているのが、「人生100年時代」である。
一度しかない人生。
僕だって100年を生きてみたい。
ただし、社会保障が本当に対応していただけるのなら・・・。
現在の日本の平均寿命は、男性が81.09歳、女性が87.26歳(平成29年簡易生命表)。
100歳以上の長寿者は、6万9785人(平成30年住民基本台帳)だ。
まだまだ「人生100年」は遠く感じるが、20年先の時代では、より近づいてくる。
平成29年4月に国立社会保障・人口問題研究所が公表した「日本の将来推計人口」によれば、
22年後の2040年、男性の平均寿命は83.27歳、女性は89.63歳となり、
100歳以上人口は30万人(合計特殊出生率1.44の場合)を超えるという。
たしかに、かなりの人が、人生100年を生きられそうなイメージになってくる。
だから、100歳以上生きても安心なようにと、
原則65歳からの年金についても、繰り下げ受給ががすすめられている。
メディアでは、「70歳まで繰り下げると、年金が142%も増える」という見出しが躍り、
逆に「1年繰り上げると6%の減額」、「5年繰り上げると30%も損する」という記事があちこちで目につく。
大合唱だ。
「人生100年時代だし、繰り下げで、少しでも多くもらおうか・・・」
という人もいらっしゃることだろう。
だが、この秋に年金受給者となった山田さん(63歳=仮名)の選択は、真逆だった。
9月に退職し、年金受給手続きをとった山田さんは、現在63歳。
大手家電メーカーともう1社に、まる40年勤めた方である。
「私の場合、厚生年金(報酬比例部分)については、1年前に受給年齢に達していたので、
老齢基礎年金を繰り上げて、もらうことを考えて退職したのです」
☆年金事務所は「繰り上げ」を考え直せと促した
山田さんは、年金受給年齢が平成37年に、一律65歳となる際の移行措置対象となる世代。
つまり、昭和30年4月2日~昭和32年4月1日に生まれた世代であり、
この場合、厚生年金の報酬比例部分については、62歳の誕生日から得ることができる。
本来、年金を繰り上げ受給する際は、会社員などの場合、
65歳から得られる老齢厚生年金も合わせて、繰り上げなければならない。
だが、山田さんの場合は移行措置で、
65歳以前の年金である特別支給の老齢厚生年金(報酬比例部分)は、62歳から受給資格を得ていた。
このため、繰り上げるのは、65歳からの支給となっている国民年金相当の老齢基礎年金部分だけでいい。
この点も繰り上げを決めた理由だ。
つまり、「老齢基礎年金部分を24か月繰り上げたのですが、そもそも満額でも年に77万円。
学生時代に支払っていなかった期間もあるので、おおよそ年に70万円の年金となります。
これが、1か月0.5%×24か月、つまり12%減額されて、生涯61万6000円ほどと変わります。
年に8万円ほどで、月にすると7000円の差なら、いまのうちからもらっておこうかとなりました」(山田さん)
この結果、ざっくりいうと、山田さんの今後の年金額は、月額20万円ほどになる。
65歳まで待ったとしても、21万円になる程度の差だった。
ところが、年金事務所の対応は、繰り上げの再考を促すものだったという。
「年金事務所では、“本当にいいんですか? 2年繰り下げると、年に12%も年金額が減りますよ。
一度手続きをとると、変更はできません。
だから、生涯減額となるので、あまりお勧めできないですね”と繰り返すのです。
それで、実際どれくらい損をするのか試算してもらうと、
私の場合、減額されるのは想定どおり年に8万円ちょっとでした。
しかも2年繰り上げても、79歳8か月までの総受給額は、
65歳から受給した場合とまったく同じということもわかりました。
ほぼ80歳だし、そこから先が損すると言われても、
先の人生があるのかどうかもわからないしね・・・」 (山田さん)
つまり、2年繰り上げの場合も、65歳からの通常受給の場合でも、
得られる年金累計額の損益分岐点は、79歳8か月ということがわかる。
繰り上げ受給の場合、60歳からに繰り上げても、63歳からとしても、
受給開始後16年8か月までに受け取る総額は、
その年齢時点に65歳からの本来受給で得られる累計額と同じになる設計となっている。
ようするに、繰り上げは16年9か月経過後から、本来受給より損となる仕組みだ。
補足すると、老齢基礎年金を繰り上げ受給する場合、
1か月繰り上げるごとに給付率が0.5%ずつ減額される。
1年繰り上げると6%と減額され、2年繰り上げの場合では12%。
5年繰り上げて60歳から得ようという場合は、30%の減額となる。
数字を並べてみると、たしかに給付率の下げ幅は小さくない。
対して、繰り下げ受給の場合、1か月繰り下げるごとに、給付率が0.7%ずつ増額となり、
1年繰り下げると8.4%増額される。
2年繰り下げの場合では16.8%、5年繰り下げて70歳から受給する場合は42%も増え、
年金年額70万円だった人ならば、99万4000円の受給額となる。 (略)
山田さん「みんな、人生が有限であることを忘れている気がするんです。
だから、平均寿命が延びているからと、雇用延長を歓迎し、少しでも長く働いたうえで、
年金を繰り下げることが得だと、感じてしまうのではないでしょうか」
そう話し、さらにこう続けていた。
「だって、早く受け取ったところで、80歳時点の受け取り総額は、ほとんど変わらないんですよ。
90歳、100歳まで生きてもらえれば、500万、800万と違ってくるのでしょう。
それが得といわれれば、得かもしれない。でも、そこは予測不能。
いまの国の誘導は、年金を遅らせば、これだけ有利という啓蒙をしているけれど、
私のいた会社の諸先輩方も、平均寿命を迎える前に、亡くなる方はけっこう多いんです。
だから、90歳、100歳まで生きる男性に自分がなれるとは思っていないのです」(山田さん)
70歳までの雇用継続に対しても、山田さんの考え方は懐疑的だ。
聞けば、山田さんの仕事人生は、営業の現場でストレスをため、
神経をすり減らして働いてきた40年でもあったという。
「責任あるマネジメントに気力、体力を削って働き続けてきました。
が、この先、若い頃と同じ働き方はできません。
だから、退職したのです。
第一、企業という組織に60歳、70歳がごろごろいるようでは、組織の新陳代謝もはかれない。
企業には若い力が必要なんです。
もちろん、健康でストレスなく70歳を迎えても、働けることは素晴らしいこと。
そういう仕事を今後見つけていきたい。
その仕事探しの、糧になるのが年金の繰り上げでもあるのです。
それに、健康寿命のこともあるじゃないですか。
だから、健康ないまの生活に、年金を充てたいのです。
早く受け取れることがいちばんのメリットです」(山田さん)
「健康寿命」とは、厚生労働省の研究班が推計している、
「介護を受けたり寝たきりになったりせずに、日常生活を送れる期間」をさす。
2016年の推計では、男性は72.14歳、女性は74.79歳とされる。
男女ともに平均寿命に対して、9年~12年ほどが、「生活に不自由のある期間」であることを示している。
となると、安倍内閣の「人生100年時代」も鵜呑みにはできない。
100歳以上の人生を生きる人たちが、今後増えることはよくわかった。
そのうえで肝は、「どのくらいの確率で、私たちが100年を生きられるか」ということである。
厚労省や、総務省の公表資料からひも解くと、今年2018年に100歳を迎える人は、
3万2241人(男性4453人、女性2万7788人)。
いずれも、1918年生まれの人たちだが、その年の出生数179万1992人から導くと、
実際に100年を生きる人の確率は、実に1.8%。
うち、男性は0.49%。
つまり、1000人に4~5人しか、100年を生きられないということだ。
3万人近くが100歳を迎えた女性の場合でも、3.167%。
多いといっても、100人に3人ほどである。
現在の日本の総人口1億2600万人に対する構成比では、100歳以上はわずかに0.1%である。
日本の将来人口推計では、この比率が2040年には、0.3%と3倍となる。
その推移からすると、2040年に人生100年を迎えるであろう人も、現在の3倍くらいにはなるだろう。
男性では100人に1~2人、女性で10人に1人弱。
これが「人生100年時代」の本当の実像のようである。
今後の少子化により、年金原資が減っていくのは、もはや避けられないだろう。
だから、働き手を増やす施策とともに、年金受給開始の時期は、さらに繰り下げられ、
そのうえで受給額も減額されるのは必至であろう。
だとすれば、政府が喧伝する「人生100年時代」も、まやかしのお題目と感じてしまう。
防衛策は「得られるものは、できるだけ早く得る」ことだ。
繰り上げてでも得る。
そう感じてしまうのは、僕だけなのだろうか――。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が、社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。
このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、ときおり敗残者のように感じることも多く、
悪戦苦闘の多かった歩みだったので、せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。
私は定年退職後に年金生活を始めたが、
1944年〈昭和19年)9月生まれであるので、この当時は満62歳にならないと
年金は満額(老齢厚生年金と老齢基礎年金の合計)を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。
やがて私は満62歳となり、年金は満額となり、これ以降は水平飛行のように安定して、
何かしら定年までは悪戦苦闘が多かった為か、予測した以上に年金生活を安楽に過ごして、
今日に至っている。
我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。
そして耐久品の購入、冠婚葬祭、或いは私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ丸14年近く過ごしてきた・・。
「人生100年時代」に関しては、私は何かとプラス思考であるが、
健康寿命で80歳を迎えることができたら、幸運であり、
これ以降は余生と私は思っている。
このような思いで、今回の沢田 浩さんの寄稿文で多々教示されながら、
そうですよねぇ・・と共感を深めている。
先程、小学館が発刊しているの教養雑誌『サライ』の公式サイト【サライ.jp】を見ている中で、
【 定年後の人生|『定年後を極める―達人12人のノウハウ&読者71人の痛快体験記』】と題された記事を
読み、やがて私は微笑んでしまった・・。
この記事は、作家、書評家、編集者などをされている印南敦史さんが、
優(すぐ)れている本を紹介されている連載寄稿文であり、
今回の寄稿文は、2018年11月5日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・定年後の人生|『定年後を極める―達人12人のノウハウ&読者71人の痛快体験記』】
もちろん、やっと定年だということで、ホッとする部分もあるだろう。
しかし、現実的にはセカンドライフへうまく移行できるかという不安のほうが大きいかもしれない。
そんな人の参考になりそうなのが、
『定年後を極める―達人12人のノウハウ&読者71人の痛快体験記』
(日本経済新聞マネー&ライフ取材班編集、日本経済新聞社)である。
2003年2月に発行された『定年後大全』の続編。
資産運用や住まいなどに関する実用情報が中心となっていた同書に対し、
同年11月発売のこちらは、シニアの生き方に焦点を当てている。
2部構成になっており、第1部では生き甲斐や家族、恋、おしゃれ、マネープラン、起業など
12のテーマについて各界の第一人者にインタビュー。
セカンドライフを送る人たちに向けた、大胆でユニークなアドバイスが掲載されている。
そして第2部は、「私の定年後」をテーマに日本経済新聞で公募した読者71人の実践記だ。
つまり「定年」について、さまざまな角度からの考察がなされているのである。
今回は第1部のなかから、「人生設計」に焦点を当てた部分をピックアップしてみたい。
答えているのは、ノンフィクション作家の加藤 仁氏(2009年12月18日に逝去)である。
まず最初に登場するのは、リタイアについての考え方だ。
このことについての思いを語るにあたり、
氏はまず、サラリーマン時代は我慢と辛抱の連続だっただろう、と読者に寄り添っている。
「でもリタイア後は、そんな制約から解き放たれる。
人生を楽しむには、体力・気力・おカネ、時間が必要です。
全部そろえば、言うことないけど、
若いうちは、体力・気力はあっても、おカネや時間が十分にはない。
時間やおカネに、そこそこ余裕ができると、今度は体力・気力が衰えてくる。
なかなか、三つの条件がそろわないものです。
いまは定年を迎えても、老後の心配から、退職金なんかも、なかなか思い切って使えないかもしれませんしね」
「しかしリタイア後、だれにも時間は、たっぷりあります。
六十歳以降の最大の強みは、現役時代には持てなかった時間という資産を存分に使えることです。
体力やおカネは平等ではないが、時間は平等にあります。
その前提で、生活設計すると面白い」(本書28ページより引用)
リタイア後の人生設計は、早く立てるほどいいと言う。
定年後ではなく、定年前から準備するのが望ましいということだ。
ただし、焦って浮き足立ち、変な選択はしたくないもの。
そんな状態で決めたことをリタイア後に実行に移すと、
「こんなはずじゃなかった」ということになってしまいがちだからである。
頭で考えていたことと、手足を使って実際に行動するのとは、まったく異なるということ。
たとえば、夫としては、リタイア後に田舎暮らしをしたかったものの、
妻の猛反対にあって、あきらめざるを得なくなった人はとても多いのだという。
妻を説得して田舎に移り住んでも、
結局は田舎になじめず、撤退するケースも少なくないだろう。
「スタートラインから、つまずくのは珍しくない。
プランニングは大事だけど、想い描いた通りには何事も運ばない。
大事なのは、見込違いだったときに、柔軟に現実的に修正する力です。
そうでないと、夢はうたかたとなって消えてしまう」(本書30ページより引用)
しかし、新しいことに挑戦して挫折すると、あとがないぶんダメージも大きいのではないだろうか?
そう感じもするが、挫折は終わりではないのだと主張する。
「リタイア後に、自分でビジネスを始めた元商社マンの取材をしたことがあります。
その方は事業に失敗し、自分のマンションを売るはめになった。
挫折感にひたり、二年間は誰にも会いたくなかったそうです。
今は工事現場のガードマンをしながら、図書館で文献を調べたり、フランス語の勉強に打ち込んでいます。
一人きりの時間を過ごす中で、ビジネスではないライフワークを見つけたわけです。
失礼ながら、収入は商社マン時代の数分の一でしょう。
でも自分なりに、生きがいの組み替えをやってのけたのです。
収入が多かった現役時代は、何にカネを使ったか、何に消えたか分からなかったといいます。
今は収入が少なくても好きなことに邁進できる喜びがあるんですね」(本書28ページより引用)
フリーランスの物書きとして仕事をしてきた著者は、
会社の格や社内での立場によって、人が評価されることに疑問を感じるという。
長きにわたってシニアの生き様を追い続けたのも、そんな思いがあるからだ。
組織のなかで人間がつくられていくような面があるけれども、
組織を離れたときに、生き方のオリジナリティを発揮できるか、それを見たいというのである。
「大企業の社員だから、偉いわけではない。
シニアのサークルの中には、女性が反発したりするので、
現役時代の仕事や肩書きを男性が、あえて名乗らないというところもあります。
でも、大半のサラリーマンは、リタイア後にまず自分を語るには、それしかないわけでしょう。
それをあえて伏せることはないと思います。
何かサークル活動をする場合に、元営業マンなら交渉に長けているでしょうし、
家電メーカーにいた人なら技術に明るい。
役所勤めだった人は、どこをつつけば物事が動くといったツボが分かる。
それを生かせばいいわけです」(本書31ページより引用)
たしかにそう考えれば、どうなっていくのか見当もつかないリタイア後についての不安を、
少しずつでも解消していけそうだ。
「好きなことができて、人に喜んでもらえるのは、幸せなことです。
収入が伴えば、もっとハッピーですけど。
とにかく、まずは好きなことをやること。
そのうち、それを通じて人との対話、かかわりの面白さを感じるようになれば、いいですね。
ビジネスの人間関係には、どうしても損得感情がつきまとうが、そうではない付き合いは楽しい。
好きなことをするうちに、いつのまにか人間関係の組み替えをしていたというのは理想ですね」(本書32ページより引用)
このように、定年後の人生について、多くの生の声を確認できるところが本書の魅力。
発行から15年を経ても、古さを感じさせないのは、人の生き方が普遍的なものであるからなのだろう。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
記事を読み終わった私は、今は亡きノンフィクション作家の加藤 仁さんが誌上で遺(のこ)された、
《・・サラリーマン時代は我慢と辛抱の連続だっただろう・・
・・でもリタイア後は、そんな制約から解き放たれる。
人生を楽しむには、体力・気力・おカネ、時間が必要です。
全部そろえば、言うことないけど、
若いうちは、体力・気力はあっても、おカネや時間が十分にはない。
時間やおカネに、そこそこ余裕ができると、今度は体力・気力が衰えてくる。
なかなか、三つの条件がそろわないものです。
いまは定年を迎えても、老後の心配から、退職金なんかも、なかなか思い切って使えないかもしれませんしね」
「しかしリタイア後、だれにも時間は、たっぷりあります。
六十歳以降の最大の強みは、現役時代には持てなかった時間という資産を存分に使えることです。
体力やおカネは平等ではないが、時間は平等にあります。
その前提で、生活設計すると面白い」・・》
こうした思いあふれた的言の文章にふれると、つたない定年まで歩んできた私としては、
深く共感させられたりした。
何よりも《・・(定年後の人生)体力やおカネは平等ではないが、時間は平等・・》は、
至言でもあり、銘言だ、と微笑み返しをしたりしている。
私の年金生活に関しては、このサイトで幾たびも投稿文を重ねているので、
今回は省略する。
先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 “健康長寿”アンケートでわかった「認知症を防ぐ」15の習慣 】と見出しを見てしまった。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして私は、殆ど毎日のように自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを殆ど毎日のように歩いている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
このような私は、やはり認知症が何よりも怖くて、
標題の《・・「認知症を防ぐ」15の習慣・・》って、どのようなことですか、
と思いながら記事を精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊朝日』の2018年11月9日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネットの【AERA dot.】に11月6日に配信され、
認知症は高齢者の難題のひとつであり、多くの御方と「認知症を防ぐ」ことを共有致したく、
あえて無断であるが、記事の大半を転載させて頂く。
《・・“健康長寿”アンケートでわかった「認知症を防ぐ」15の習慣
健康長寿の暮らしには、きっと共通点があるはず──。
好評発売中の週刊朝日ムック「60歳からはじめる認知症予防の新習慣」では、
そのヒントになる衣食住の習慣を探るために、
70歳以上で認知症予防に励む元気な高齢者にアンケートを実施した。
152人の回答から得られたデータと医師が解説する15の共通項を紹介する。
2017年の日本人の平均寿命は、男性が81.09歳で女性が87.26歳となり、
いずれも過去最高を更新した(厚生労働省:簡易生命表から)。
厚労省が把握している50の国や地域で比べると、女性は3年連続で世界第2位、
順位を一つ下げたものの男性も世界第3位であり、日本は世界において長寿国である。
健康長寿の理由としては、生活習慣の改善や、医療水準の向上などがあげられる。
健康で長生きならば、言うことはない。
しかし、長寿になればなるほど、認知症の患者数は増えていく。
厚労省の推計では、認知症の高齢者は500万人超(2015年)、
2025年には約700万人に達するとされている。
認知症を予防するためには「禁煙をしたほうがいい」、「もっと運動をしたほうがいい」など、
多くの意見がある。
では、健康で長生きをしている高齢者は実際、何をしているのだろうか。
そこで編集部では、朝日脳活マガジン「ハレやか」の読者で、
70歳以上の高齢者201人に郵送でアンケートを配布した。
回答者152人の結果を集計してまとめたデータを紹介する。
からだのもととなる食事について。
アンケートの結果では、毎日必ず食べているものは、ヨーグルトや納豆などの発酵食品。
反対に避けているのは塩分だった。
また頻度にばらつきはあるものの、8割が自炊をしていることがわかった。
脳の活性化のためにやっていることで最も多かったのは、
塗り絵、次いで読書、料理、ピアノという結果に。
ピアノ以外にも三味線やウクレレなど、約3割が楽器演奏をしていた。
「15年くらい折り紙をやっています。手指を動かすのが大好きです。料理も3食つくっています」(78歳・女性)
健康のためにしている運動の1位はウォーキング。
1日の平均歩数は4232.5歩で、最も多い人で1万6千歩だった。
「運動は苦手ですが、空いた時間に5分ほど、つま先立ちや片足立ち、スクワットなどを続けている」(74歳・女性)と、
短時間でも運動を続けている人が多数いた。
交友関係を重視しており、年賀状は平均72.5枚を出しているという結果になった。
離れて暮らす家族と会う頻度は、月に1~2回が最も多い半面、
地域のサークルや老人会の参加率は5割を超えた。
「友人を誘い一日一日を大切に。友人とのふれあいの場を楽しみたいです」(85歳・女性)
「独りで引きこもらないで、老人クラブの活動や集会などに参加。知人との会話を積極的にしたい」(88歳・男性)
そのほか健康のために実施している習慣は、「毎日、朝と夜に血圧測定し記録する」(72歳・男性)、
「家計簿や日記をつける」(71歳・女性)など、記録をとることがあげられた。
健康のための目標は、「自分でできることは、自分でする」という回答が多く、
自活したメリハリある暮らしが、健康長寿の特徴といえそうだ。
(略)
■医師が解説! 健康長寿に共通する認知症予防の項目
(1)人に会う。会話をする
コミュニケーションが、認知症予防に効果があるという海外の文献がある。
できれば、親しい人やいつも同じ人ではなく、いろんな人に会うことがおすすめだ。
慣れない相手と話すときのほうが、頭を使う。
(2)体操やスポーツをする
運動、とくに有酸素運動は効果がある。
スポーツができる人はいいが、足腰に痛みがある人は無理をしてはいけない。
継続することが大切なので、体操やストレッチ、散歩など自分に合ったものを選ぼう。
(3)料理をする
普段料理をしている人が、料理をできなくなると、認知症の疑いが出てくる。
料理は、献立作りから買い物、調理、盛り付けと、頭を使う複雑な作業。
新たに始める男性も多くいる。
(4)規則正しい生活をする
なにか特定のメニューをすれば、認知症予防になるということはない。
一日全体を通して、規則正しいリズムで生活することが大切だ。
(5)楽器を演奏する
音楽療法の一つ。
音楽を聴くことや、歌うことも音楽療法だが、なかでも楽器演奏は指先を使い、
音を聴きながら反応するため、高度な知的活動になり、予防効果が高いとされている。
(6)絵を描く。習字や切り絵をする
アートセラピーと呼ばれるもの。
これも指先を使うため、知的活動となる。
(7)農業、畑仕事をする
何をどう育てるかを考える「知的活動」と、実際に作業をする「運動」の二つの要素をもっている。
さらに収穫という報酬、達成感が得られるため、おすすめだ。
(8)日記を書く。記録する
文字を書くことは知的活動で、その日に起きたことを、脳が復習するいい訓練になる。
ときどき、過去に書いたものを読み返すと、回想療法の効果も期待できる。
(9)新聞を読む。読書をする
新聞を読むことは、世の中の出来事に関心をもつこと。
認知症になると、関心がなくなるので、日々、関心を失わないように新聞や本を読む習慣をもつことが大切だ。
(10)バランスのとれた食事をする
認知症予防に効果があるとされる食材や栄養素があっても、そればかり偏って食べていてはよくない。
老夫婦の食事は、同じようなメニューになりがちなので、バランスよく食べる工夫をする必要がある。
(11)よくかんで食べる
高齢になると、よくかめない人も増える。
かめないと、生野菜などを食べる機会が減り、結果、栄養も不足してしまうことがある。
(12)適切な睡眠習慣をもつ
夜6~8時間の睡眠と30分未満の昼寝が推奨される。
昼寝は寝すぎると、夜眠れなくなり、生活リズムを崩してしまうので、注意が必要だ。
(13)現役で仕事を続ける
認知症が発症しても、仕事を続けている人は、進行が遅いといわれている。
元気な人は、現役時代と違う仕事に挑戦することもいい。
認知機能が衰えている人は、やり慣れた仕事を続けるのがいいとされる。
(14)役割をもつ。人から頼りにされる
仕事を続けるのが難しくても、地域やコミュニティーに参加し、仲間から頼りにされることは必要だ。
存在価値を認められて、生きがいになり、生活に張りが生まれる。
(15)クロスワードパズルなどで脳トレをする
知的活動の一つで、楽しみながらおこなうことが大切だ。
認知症予防のためと、いやいやおこなうのでは意味がない。
健康長寿の方々の生活には、共通する習慣があり、それらは認知症予防につながる習慣といえる。
日本認知症予防学会理事長の浦上克哉医師に、15の項目について解説してもらった。
「認知症予防の三つの柱は、『知的活動』『運動』『コミュニケーション』です。
ここで挙げる15の項目はいずれも、三つの柱に関連している習慣です」
すべて、読者の生活の中にとり入れてほしいことばかりだが、
浦上医師は「大事なのは、習慣化すること」と言う。
「どんなに予防効果があるといわれるメニューでも、続けられなければ、効果は期待できません。
たまにしかできないようなことより、続けられることに挑戦するのがよいでしょう。
そのためには、楽しみながらできるかどうかも大切です」
いろいろ試してみて、無理なく続けられることを自分の習慣にしていこう。(認知症ムック取材班)・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
特に私が注視した記事は、やはり【「認知症を防ぐ」15の習慣 】であった。
(1)人に会う。会話をする
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
(2)体操やスポーツをする
殆ど毎日のように自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを殆ど毎日のように歩いている。
(3)料理をする
私はサラリーマン時代、単身赴任の経験もなく、結婚以来すべて家内の料理に頼っている。
ときおり家内は、家内の母宅に介護に5日6日前後で行っている時は、私は『おひとりさま』になる。
そして家内が4泊以上になる時は、家内が準備してくれた料理は品切れとなり、
こうした中、キャベツ、ニンジンの千切りぐらいはしているが、
煮たり、焼いたりする料理ができない私は、スーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて、
食べているのが実態となっている。
(4)規則正しい生活をする
私は何かと単細胞のプラス思考の為、午前中は家内から依頼された平素の買い物、
この後は独りで散策・・殆ど毎日しているので、合格かしら、と微笑んでいる。
(5)楽器を演奏する
私は音楽を聴くのは好きであるが、無念ながら楽譜も読めなく楽器も弾けないので、
落第生かしら、と微苦笑している。
(6)絵を描く。習字や切り絵をする
私は小学生の時、『図画』、『習字』は、通信簿『2』の劣等生であり、
これ以来、苦手となっている。
しかしながら展示会などで、ときおり鑑賞したりしている。
(7)農業、畑仕事をする
私は家庭菜園もここ30年ぐらいしていなく、小庭の手入れに於いて、
樹木の剪定を年に4回前後、草むしりを年に6回前後している。
草むしりは特に熱い季節には、樹の下の周囲を這(は)いずりながら草むしりをすると、
汗まみれ泥まみれで奮闘している。
(8)日記を書く。記録する
私は過ぎし14年前の定年後、たまたまブログの世界にめぐり逢い、
これ以来、パソコンの故障、国内旅行している以外、毎日投稿文を書き、投稿している。
(9)新聞を読む。読書をする
私は高校生以来、読書をする好きで、もとより新聞、単行本、新書本、文庫本、雑誌などを
読まない日はなく、活字中毒かしら、と独り微笑む時がある。
(10)バランスのとれた食事をする
定年後、私たち夫婦は昼食だけはお互いに束縛しないで、自由に食べているが、
朝夕は家内が作ってくれた料理を談笑しながら頂いている。
(11)よくかんで食べる
定年後はゆっくりと食事ができるので、よくかんで頂いている。
(12)適切な睡眠習慣をもつ
ここ数週間、布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時ぐらいが多くなっている。
こうした中で、真夜中の12時前後に布団にもぐった後、
日中の出来事を思い馳せたりして・・今日も楽しかったなぁ・・と思いながら、
やがて寝付いてしまう。
そして私は現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。
そして目覚めた時、過ぎし日の出来事とか、これからのささやかな願いの数々が、
夢と現(うつつ)の世界を彷徨(さまよ)うようなひとときとなっている。
やがてぼんやりと昨日は・・と思い浮かべたり、
今日は・・と予定事項を思い浮かべたりしている。
まもなく15分ぐらい過ぎた時、オシッコだ、と感じて、布団から起きだすことが多くなっている。
このように現役サラリーマン時代は、何かと睡眠時間を削り、奮闘してきた私は、
年金生活の中、自在に安楽に睡眠を甘受している。
(13)現役で仕事を続ける
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
サラリーマンを卒業した私は、働く意欲もなく、年金生活を享受している。
(14)役割をもつ。人から頼りにされる
私は地域やコミュニティーに参加する意思はなく、自身の趣味を充実することに専念している。
(15)クロスワードパズルなどで脳トレをする
こうしたことは興味もなく、ぼんやりと世間の難題を思い馳せる方が、
私としては楽しい。
このように、今回の「認知症を防ぐ」15の習慣、私が感じたことも記したが、
やはり落第生かしら、と独り微苦笑を重ねたりしている。
私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
私たち夫婦が結婚したのは1976年(昭和51年)の春であるが、
この当時は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族全員で、明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。
こうした中で、私たち年代を含め多くの先輩、後輩の男性は、
一家の主(あるじ)、或いは夫として、もとより家計の責務で奮闘して働いていた。
そして妻の多くは後方支援となり、育児、料理、掃除、洗濯、交際など専業主婦として奮戦し、
昭和妻の責務を果たしてきた。
やがてバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
まもなくソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。
そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などの労働力の安価の国際競争力に敗退し、
かっての高度成長の総中流社会の再現は、見果てぬ夢となった。
そして殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
やがて私は確か8年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年)の時点の頃から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。
私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10数年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。
そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。
このように私は漠然としながら、昭和の半ばより昨今まで感じ受け止めてきた・・。
この間、バブルが終息し、そして平成元年(1989年)を過ぎた頃から、
殆どの日本の民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下し、
やむなくそれぞれの家庭の妻は、フルタイムのような共稼ぎが本格的に増えてきた・・。
こうした共稼ぎの時代を迎えると、妻は勤務に疲れても、育児も相変わらず妻の責務となり、
たとえ良き夫でも、妻がしている掃除、洗濯、料理、育児の助力の程度であり、
妻の発言が増すのは、当然の結果と私は微苦笑させられる。
私の兄、妹の子供たち、私にとっては甥っ子に当たる4人の40代の夫婦を見ても、
平成の時代を重ねても、甥のお嫁ちゃんは何かと大変だなぁ・・と思う時がある。
昨夜、たまたま愛読しているネットの『 ディリー新潮 』を見たりしている中で、
【 30~40代での住宅ローン返済計画が「老後破産」を招く! 激増する「老後破産」(1)】
と題され記事を読んだりした。
この記事の原文は、『週刊新潮』の2015年9月10号に掲載された記事のひとつで、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。
《・・少子高齢化が叫ばれはじめてからというもの、
われわれの人生設計に、前例がまったく適用できなくなってしまった。
たとえば、20年ほど前までは、会社員が定年まで勤め上げれば、
退職金と年金で、まずまずの老後をすごすことができ、そのことが働き手にとってのインセンティブになっていた。
ところが、年功序列で増え続けるはずだった給与も賞与も伸び悩んだ挙句、退職金も雀の涙。
年金も支給開始年齢を引き上げられたうえ、思ったほどの金額を受け取れない――と、
そんな“残酷物語”こそが“一般的”になっているのだ。
いや、それでも、つましい暮らしを維持できればいいが・・・。
『老後破産 長寿という悪夢』(新潮社刊)という本が今、話題を呼んでいるが、
事実、昨日まで豊かに暮らしていた人が“破産”同様に追い込まれ、
“悪夢”としか言いようがない老後を送るケースが、もはや珍しくないのである。
☆住宅ローンの返済計画が破綻
その要因について、
「年金の受給額が年々減っていることが大きい」
と解説するのは、ファイナンシャル・プランナーの紀平正幸氏である。
「夫婦2人の場合、20年前の受給額は平均して年間300万円だったのが、
現在は220万円になったと言われる。
つまり、3割近く減ったのです。
ところが生活費は、ここ20年ほど年間300万円で変わっていません。
つまり、普通に生活するだけで、1年で80万円の赤字になってしまいます。
60歳の夫婦が90歳まで生きれば、2400万円の赤字が確定するんです」
むろん、赤字を補える資産があればいい。
だが、それが十分でない場合は、
「退職金で補填することになりますが、サラリーマンの退職金は平均して2200万円ほど。
すでに200万円不足しているわけですから、潜在的な老後破産予備軍は、かなりの数に上ると考えられます」
そして、そのすべてを注ぎ込んでも、今や老後の最低限の生活を補うには至らないとはいえ、
退職金は、「手をつけてはいけない老後の命綱」 なのだから、
「住宅ローンの返済に充ててしまったら、その分だけ命綱がやせ細り、老後破産が近づいてしまいます」
と紀平氏。
あえてそう指摘するからには、退職金をローンの返済に充てなければ首が回らない人が、それだけ多いのだ。
住宅ローン問題支援ネットの高橋愛子代表も、こう語る。
「今、相談が多いのは、バブル崩壊後にローンを組んだ方が、
老後まで返済を引きずってしまい、どうしようかというケースです。
若いときに何とかなると思って、70歳や75歳まで支払いが続く、
30年や35年のローンを安易に組んでしまった方が少なくありません。
特にバブル崩壊後は低金利になり、不動産価格も下がったので、
まさかこんなに景気が悪くなるとは思わずに、今しか買えないと飛びついた人が多い」
そこで退職金を充てればローンはなくなっても、今度は生活ができないという。
「1992~98年に、30代から40代でローンを組んだ人が、今ちょうど60歳前後で、
多くの場合、残債が1000万円以上あり、300万か400万、多い人は1000万円を超える債務超過になっています。
すると借り換えも、家を売ることもできず、競売しかない、自己破産しかない、と考えてしまうのです」
恐ろしいのは、これから住宅ローンを組む人こそが、こうした陥穽にハマる危険性が高いということだ。
ファイナンシャル・プランナーの深野康彦氏が言う。
「昨今、給料のピークが若年化し、昔は定年間際が一番高かったのが、
最近は50代前半から40代に移っている。
2年前の法改正で、社員が働きたいと希望すれば、会社は65歳まで雇わなければならなくなりましたが、
会社は生涯賃金の総額は変えずに、65歳までにならす賃金体系に変えています。
その結果、毎年の年収は減るので、20年で完済するローンは組みにくい。
そこで月々の返済額を減らそうと、70歳や75歳までのローンを組んでしまいがちですが、
退職金も右肩下がりで下がっているので、返すに返せません」
老後破産予備軍は、さらに増え続けかねないことを示唆するのである。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終えた後、私たち年代、少し下の団塊世代の御方で、
民間会社に勤めたサラリーマンの諸兄は、50代にリストラに遭遇しても、殆どの御方は定年退職時を迎えた。
そして第二の職場で年金満額時まで働き、待望の年金生活を始められた御方が大半と思われる。
こうした中で、たとえば住宅ローンは定年退職時まで完了しないさい、と学び、
殆どの御方は実施してきた。
この記事の始めにあるような《・・20年ほど前までは、会社員が定年まで勤め上げれば、
退職金と年金で、まずまずの老後をすごすことができ、
そのことが働き手にとってのインセンティブになっていた。・・》至言である・・。
しかしながら今回、私は遅ればせながら、
《・・給料のピークが若年化し、昔は定年間際が一番高かったのが、
最近は50代前半から40代に移っている。
(2015時点の)2年前の法改正で、社員が働きたいと希望すれば、
会社は65歳まで雇わなければならなくなりましたが、
会社は生涯賃金の総額は変えずに、65歳までにならす賃金体系に変えています。
その結果、毎年の年収は減るので、20年で完済するローンは組みにくい。
そこで月々の返済額を減らそうと、70歳や75歳までのローンを組んでしまいがちですが、
退職金も右肩下がりで下がっているので、返すに返せません」・・》
こうしたことは、私たちが働いていた時代と決定的な世代格差があり、動顛させられ、
もとより御当人夫婦、息子、娘さんの世代、そしてお孫さんの世代に思いを寄せると、
無力な私は涙を浮かべていた・・。
先程、ネットの『ライフ』記事を見ている中で、
『 寒い季節に体調悪化を避ける、6つの秘訣。』と題された見出しを見た。
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
過ぎし10月の中旬、会社時代のOB懇親会に出席した・・。
こうした中で、81歳の先輩から、風邪を引くと悪化すると肺炎になり、死に至ることもあるから・・
君も歳だから風邪に注意しなさいょ・・と私は教えられてきた。
このような私は学んできて、晩秋を迎えた今日、
『 寒い季節に体調悪化を避ける、6つの秘訣。』を学びたく、こっそりと読んでしまった。
この記事は、初めている公式ネット【フィガロジャポン】に於いて、
2018年10月30日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・寒い季節に体調悪化を避ける、6つの秘訣。
秋になると、木から葉が落ちはじめ、夜8時には外は真っ暗になり、気温は一気に下がる。
つまり、この時期からは、さまざまなウイルスから身体を守る免疫システムを
しっかり機能させることが重要となる。
風邪をひかないようにするためには、日々簡単にできるよい生活習慣を取り入れたい。
1. 砂糖を控え、魚を食べる
寒い季節の体調悪化を避けるため、まず始めたいことは砂糖の摂取を控えることだ。
特にスーパーやコンビニなどで販売されるようなお菓子は、
身体によくない糖分を含んでおり、免疫システムの働きを弱める。
それはなぜか?
「砂糖を多く摂取しすぎると白血球を増加し、ウイルスが身体に侵入してきた際、
本来機能すべき免疫システムの働きが悪くなります」
と自然療法医のオード・ベレー氏は述べる。
具体的にいえば、菓子パンやチョコレートバー、ソフトドリンクなどは避けるべきだ。
一方、身体の機能を向上するためには、ミネラルの摂取が欠かせない。
海の幸は、ミネラルがとても豊富だ。
魚や甲殻類は、摂取する量をあまり気にせず食べることができる。
「藻類(ワカメ、海苔、海藻)は、ミネラルを大変豊富に含んでいます。
たとえば、タルタル(細かく切ってドレッシングなどで和える)がおすすめです」とオード氏は語る。
ネトル(イラクサとも呼ばれ、ヨーロッパでは古くから薬草として重宝されている)のスープもおすすめだ。
ネトルの葉のスープを飲めば、大変健康によく、
身体が持つ本来の機能を働かせるのに欠かせないミネラルやアミノ酸をたっぷり摂取できる。
おばあちゃんの知恵から生まれた薬草スープは、週1回程度取り入れるのがよい。
2. 早く就寝する
夜更かしは、身体にとってよくない。
健康でいるためには、早く就寝することは欠かせない。
「私たちが眠りに着くと、睡眠ホルモンと呼ばれるメラトニンは、
午後10時から午前7時の間に放出されます。
メラトニンは免疫システムの働きを高めてくれます」とオード氏は説明する。
美しさを保つためにも、早寝は大切である。
夜8時間の睡眠時間が理想である。
テレビを観たい気持ちもあるだろうが、さっさと照明を暗くして眠ろう。
3. 運動する
当然のことだが、運動すると疲れる。
さっそくスニーカーを履いて運動を始めてみよう。
特におすすめの運動は、水泳、ランニング、ボクシングなどの有酸素運動である。
身体の持久力が高まれば、ウイルスなどに対する抵抗力も高まり、風邪を引きにくくなる。
ちなみに睡眠の質が下がるため、夜遅くに汗を大量にかくことは避けよう。
運動する目的は、当然ながら冬のオリンピックに参加するためではない。
週2~3回程度45分間の運動をすれば十分だ。
4. 着込みすぎない
間違った習慣は、体調不良を引き起こす。
たとえば、寒くなりはじめたとたんに、3枚のニットを重ね着するというのは誤りだ。
そもそも、そんなに着込んで出勤すれば、会社に着く頃には汗をかいてしまうだろう。
また、寒さから身体を極端に守りすぎるのはあまりよくない。
風邪を引くことは、免疫力が鍛えられることでもある。
身体は自然に適応する術を知っているので、あまり過保護にせず自然でいることも大切だ。
「室内を温めすぎるのも控えましょう。
25度に設定してタンクトップなど薄着で過ごすのはよくありません。
室内の温度は18~19度程度に保つのが適切でしょう」と薬学博士のアレクサンダー・ショパール氏は述べる。
5. ハーブを生活に取り入れる
タイムは消毒力を持つ植物のひとつだ。
特に寒い季節には強い味方である。
オーガニック製品を取り扱う店でドライタイムを購入することができる。
ただし、妊婦や授乳中の女性は使用を控えよう。
また、タイムやタイムと同種類のハーブであるミントにアレルギーがある場合も避けたほうがよい。
風邪予防や風邪を引いてしまった身体を楽にするためには、数分間かけてゆっくりお茶を抽出するとよい。
タイムティーはとても効果的である。
ティースプーン1杯のハチミツをお茶に入れれば甘い風味に変わり、喉も楽になる。
この季節におすすめのもうひとつのハーブはエキナセアだ。
「エキナセアは免疫システムを活性化してくれます。
カプセルタイプやシロップタイプのものを薬局で手軽に見つけることができます」とショパール氏は述べる。
6. 家の換気を毎日行う
ショパール氏によると、毎日生活する部屋の中は、外よりも汚れているという。
定期的に清掃を行い、洗剤を使用すれば確実に効果はある。
しかし、家やマンションは密閉された空間だ。
「私たちは外出先から家に帰るとき、外からたくさんのゴミ(細菌やウイルス)を持ち帰ります」と同氏は言う。
だからこそ毎日最低でも、10分間の換気が必要なのである。
自然療法医のオード・ベレー氏によれば、
ウイルスや細菌は身体に付着して運ばれるため、積極的に窓を開けるようにしたほうがよいという。
「1日の大半を過ごすオフィスに関しても換気について考慮すべきでしょう」とショパール氏は付け加える。
風邪を引きにくくするために、今回紹介した秘訣を実践してみてはいかがだろう。
texte : Lucie Rousselle (madame.lefigaro.fr), traduction : Hanae Yamaguchi・・》
今回、私が読んだ記事は、フランスの有数な女性専用誌の『フィガロ』の日本版の公式サイトであるが、
高齢者74歳の男性の私でも、多々教示された。
こうしたことを学び、これからの寒い時節、風邪などを引かず、明るく元気に過ごそう、
と独り微笑んだりした。
しかしながら、ハーブは苦手であるので、代わりに身体が温まるショウガ・・
ダメかしら、と微笑んだりしている。
先程、ときおり愛読している生活総合情報サイト【All About(オールアバウト)】に於いて、
『 疲れたときに食べてはいけない食べ物 』と題された見出しを見た。
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
恥ずかしながら齢ばかり重ね、何かと無知なことが多く、
今回の《・・疲れたときに食べてはいけない食べ物・・》も知らず、
遅ればせながら学ぼう、こっそりと記事を精読してしまった・・。
この記事は、管理栄養士 / 実践栄養ガイドの麗(うる)わしき平井 千里さんの寄稿文であり、
【All About(オールアバウト)】の『食と健康』のコーナーで2018年2月28日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・疲れたときに食べてはいけない食べ物
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった私は、麗(うる)わしき平井 千里さんの寄稿文より多々教示され、
このようなことなのでしたか、恥ずかしながら初めて学んだりした。
私の現役サラリーマンの40代には、コンピュータを活用したシステムの開発、改定を担当して、
深夜に帰宅したり、ときには徹夜になったりしていた。
深夜に帰宅した時は、お風呂に入った後、牛肉、ブタ肉、鶏肉などの煮たり、焼いたりした料理で、
夏はビール、冬は日本酒を飲みながら、家内と談笑したりしてきた。
或いは徹夜明けで昼過ぎに帰宅した時は、お茶漬けを食べた後に、昼寝を3時間ばかりした後、
夕食の時はやはり牛肉、ブタ肉、鶏肉などの煮たり、焼いたりした料理で、
夏はビール、冬は日本酒を飲みながら、家内と談笑したりしてきた。
このような食生活がサラリーマン時代に多く、血気盛んに奮闘していた。
2004年(平成16年)の秋に定年退職時となり、多々の理由で年金生活を始めて、
食べる量、アルコールも減り、食生活は多彩となっている。
そして現役サラリーマンに感じたストレスも激少し、おだやかな食生活となっている。
しかしながら時折、疲れを感じた時は、夕食に肉類、ギョウザなどを多く食べて、
ウィスキーの濃い水割りを呑みながら、家内と談笑したりしてきた。
今回、《・・疲れたときに食べてはいけない食べ物・・》を多々学んできたが、
私は月に一度ぐらい疲れた時の夕食は、やはり肉類を多めに食べてしまうだろう、
と独り微苦笑をしたりしている。
私は民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。
そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭で、
雑木の多い小庭に囲まれて古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。
昨日の夕食の時に、私は家内に、『明日(あす)、庭の手入れをするよ・・』と言ったりした。
常緑樹、落葉樹の雑木は、枝葉は伸び、剪定をしなければ、と思うばかり、
体力の衰えた私は、さぼったりしてきた・・。
我が家の敷地は変形5角形で、家屋を建つと、玄関庭と主庭となり、
原則として小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
体力の衰えた私を見かねて、ときおり家内の支援を受けることもある。
ご近所のお宅の殆どは植木屋さんに年に数回依頼しているが、
我が家の小庭の樹の剪定は、私たち夫婦が自己流で樹木の剪定しているのが、
私が定年後、ここ14年目の実態となっている。
私が2004年(平成16年)の秋に定年退職した以前は、
5年ごとに植木屋さんに依頼するたびに、大きくなってしまった樹、
そして枝葉の処分料が多かった為か、5年ごとに50万円前後を要してきたが、
この間は、私がこっそりと植木屋さんの剪定した状況を物真似をして剪定してきた。
そして私が定年後まもなくして、ご近所より少し広い我が家は、少し樹高は低くしているが、
植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたりした。
こうした時、家内は私たちの旅行3泊4日が2回ぐらいできるわ、と言い、
小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、年に数回は家内の手助けを借りている。
昨夜、天気情報を視聴したりしたが、明日の2日は快晴、と報じていた。
私は爽やかな秋晴れの中、ときには庭仕事も健康に良いよなぁ、と微笑みながら家内に言ったりした。
近くにいた家内は、『あたしも手伝うから・・』と微笑んだりした。
今朝、私は6時半過ぎに目覚めて、やがて家内と共に談笑しながら朝食を頂だいたりした。
やがて私たち夫婦は8時少し前に、玄関庭に下り立った・・。
こうした時の私の容姿は、ストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、帽子
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。
家内はトレーナー姿にエプロンした容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をしている。
そして私は切れ味抜群の鋸(のこぎり)右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。
家内も鋸(のこぎり)右手に持ちながら、伸びた枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(バサミ)を器用に使ったりしていた。
私は74歳となり、家内は誕生日を迎えると69歳となり、高齢者夫婦に該当するが、
それぞれ奮戦すれば2馬力だよなぁ、と私は微苦笑したりした。
やがて我が家の歩道に面した垣根のカイズカイブキ、アカネモチ、ツバキ、
或いは小庭にあるサカキ、モミジ、キンモクセイなどを剪定したりした。
私は若き40代の頃は、殆どの雑木は樹高10メートル前後にしていたが、
齢を重ねた60代の頃から、樹高3メートル前後ぐらいにしなければ、
手入れが困難になる、と家内の助言に基づいて、小ぶりに剪定したりしてきた。
しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、用意した煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。
そして40代の頃は、55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と私は苦笑したりした。
やがて私たちは3時間ぐらい樹木の剪定をした後、剪定は中断して、
散乱している枝葉を市から指定されている『燃えるゴミ袋』のLLサイズ
(45リットル入り、有料・10袋入り、840円)に、
袋に破れないように入れる為、私たちは枝葉を適度に剪定鋏(バサミ)で切ったりした。
この後、家内は剪定が終わっていない樹に、枝葉を切り落とし始めたが、
『XXちゃんさぁ・・疲れたから・・やめない?・・』
と私の方から家内に提案したりしたのは、午後の1時半過ぎであった。
そして風呂を沸いた頃、家内に先に入ってもらい、
私は玄関庭に移動して、片隅にあるテラスに簡易椅子に座り、煎茶を飲んだりした。
私は若き40代の頃は、こうした時はお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗で、
冷酒を二杯ぐらいは呑んで待機していたが、
その後の50代の時は、殆どビールを呑んだりしていたが、
今や煎茶を飲む身となり、やはり齢かしらと苦笑したりした・・。
まもなく家内が居間から、小声で
『お風呂を上がったわ・・選手交代ょ・・』と私に言ったりした。
『了解致しました!!・・』
と私は若き自衛官に負けないように大声で応(こ)えた。
私は体力の衰えてきた中で、ハァ~ィ、と応(こた)えるのは、ボケてきたと誤解されるので、
たとえ夫婦間であっても、せめて返事ぐらいは清く正しくしている。
やがて私は小庭からお風呂場に向かう途中、市が指定された我が家の門扉の内側に、
『燃えるゴミ袋』のLLサイズが10袋あり、私はお互いに健闘したよなぁ、と私は微苦笑したりした。
そして私は家内の奮闘に鼓舞されて、朝8時より昼食抜きで5時間半ばかり奮戦したが、
今こうして投稿文を綴っているが、けだるさを感じて、やはり齢だよなぁ・・
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
先程、朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 「テレビドラマは脳に悪い」
認知症予防には「ラジオが効く」と専門家語る 】と見出しを見てしまった。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして私は、殆ど毎日のように自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを殆ど毎日のように歩いている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
このような私は、やはり認知症が何よりも怖くて、
標題の《・・認知症予防には「ラジオが効く」・・》って、どのようなことですか、
と思いながら記事を精読してしまった。
この記事の原文は、初めて知る公式ネットの【BOOKSTAND】に公表され、
【AERA dot.】に2014年1月26日に配信されていた。
少し古い記事であるが、もとより認知症予防に関しては時空を超えるシニア世代の難題であり、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。
《・・「テレビドラマは脳に悪い」 認知症予防には「ラジオが効く」と専門家語る
高齢化の進行と共に増加しているのが、認知症に悩む高齢者。
2011年の調査では、全国で200万人を超えているとの推計もあり、
介護にあたる家族が転職・離職を余儀なくされるケースもあります。
認知症の何よりの予防となるのが、日々の脳の鍛錬。
和歌山県立医科大学附属病院院長で脳神経の専門家である板倉徹教授は、
脳にとって一番悪い習慣は、「一日中テレビをつけっぱなしにして、ボーっと観続けていること」であると語ります。
脳の活性化を心がけずに、毎日同じ脳の部分だけを刺激して使い続けると、次第に脳は萎縮します。
ストーリーのパターンが決まっているドラマや、お笑い芸人たちの内輪ネタは、
脳に新しい刺激をもたらさないと、板倉氏は語ります。
板倉氏が、認知症予防にすすめるのは「ラジオを聴くこと」。
本書では、その理由をいくつか紹介しています。
☆【「場面想像」が脳を鍛える】
映像による情報がないラジオを聴く際、音声情報しか脳に届かないため、
脳は得られない情報を補おうと働きます。
耳で聞いた情報から想像力によって情景を視覚化する「場面想像」は、
脳の司令塔である「前頭葉」を活性化させます。
☆【自然と集中力が高まる】
ラジオは、「聞く力」と「集中力」を必要とします。
脳に届く情報量が少ないということは、正確な情報を得るためには、
それだけ集中して聴かなければならないということ。
つまり、毎日ラジオを聴いていると、自然と集中力が高まります。
☆【「同時に二つのことをする」ことが脳を鍛える】
ラジオの良い点は、ラジオを聴きながら、他の作業ができるということ。
同時に2つのことを行うことは、脳にとってかなりの負担ではありますが、
脳を大変活性化させていることも意味します。
認知症のひとつであるアルツハイマー病は、「同時に2つのことを行う」ことができません。
では、どのようなラジオ番組を聴けば、脳は活性化されるのでしょうか。
板倉教授は、ラジオのニュース番組をすすめます。
様々なニュースを聴きながら、事件の起こった町並み、犯人像、それを取り巻く人たちなど、
情景を思い浮かべる「場面想像」が、脳を活性化させます。
板倉教授は、「ニュースほど私たちに想像力を要求するものはない」と語ります。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終えた後、私は定年後の2004年(平成16年)の秋に多々の理由で、
年金生活を始めて以来、殆どラジオを聴いていなかったなぁ・・と微苦笑した。
平素の私の午後から夜半は、居間にある机の上に於いたパソコンで、ブログの投稿文を書いたり、
私が魅せられた御方の投稿文を読ませて頂いたりしている。
或いは20世紀の良き時代の名画を観たい時は、
映画棚がDVDなどを取り出して、テレビを通して鑑賞したりしている。
ときおり音楽棚からCDなどを取り出して、あらゆるジャンルの音楽を聴いたりしている。
テレビの番組は、ニュース、そしてドキュメンタリーが圧倒的に多い。
何よりも高校生以来、読書する時間が多く、居間とか寝室で読んだりしている。
こうした生活が多く、ラジオを聴いた時は、数少ないなぁ、と微苦笑したりした。
過ぎし2015年(平成15年)の晩秋に、白内障の手術を受けた。
この時の前は、私は現在メガネを掛けても0.7弱と衰え、裸眼は0.03となっていた。
そして左眼の手術を終えた後は眼帯となり、メガネを掛けることができなくり、
当面は、裸眼は0.03おぼろげな視界を過ごすこととなる・・。
やがて帰宅後、私は平素2階の寝室で寝ているが、家内のアドバイスにより、
階段を踏み外したら危ないわ、と言われたりして、
家内が先導して、1階の和室に布団を敷き、昨日より臨時の私専用の寝室とした。
そして枕元には、左眼は眼帯した身であるので、読書は断念して、
CDラジカセを置くこととした。
そして音楽棚から、CDを30枚ぐらい置き、やがて音楽を聴いたり、
或いはラジオを聴いたりして、通院日以外は、このような生活を過ごす予定としていたが、
手術後の疲れを感じた為か、このラジオを聴いたりしている中、眠ったりすることが多くなった。
そしてラジオはNHK第一放送を聴いたりしていた中、『ラジオ深夜便』の番組を初めて聴いたが、
良質な番組と感じて、深夜一時過ぎより朝の5時まで聴いたりし、
白内障の手術がなかったならば、こうした良きラジオ番組には、めぐり逢えなかっただろう、と微笑んだりした。
或いは家内が遠い地に住む家内の母宅に介護で5泊6日前後で行ったりしている中、
『おひとりさま』になった私は、ときおり部屋の掃除をする。
こうした時、CDラジカセでラジオを大音量で流しながら、
コードレスの掃除機で各部屋を掃除することが多い。
今回、《・・ラジオの良い点は、ラジオを聴きながら、他の作業ができ・・
「同時に2つのことを行う」・・》認知症予防に良い、と教示された。
私は何かと単細胞の熱中型なので、恥ずかしながら《・・同時に2つのことを行う・・》は、
苦手で、困ったなぁ・・と微苦笑してしまった。
やがて、ひとつの意識改革を思い目覚めた・・。
ときおり『おひとりさま』になる私は、一日一回、台所でまとめて皿洗いをする。
こうした時は、私は殆どかぼそい声で鼻歌を唄いながら、
大皿、小皿、小鉢、茶碗、グラスなどが散乱していたので、皿洗いの水遊びをしている。
今後は鼻歌の代わりに、CDラジカセを台所に移動させて、
ニュース番組を聴きながら、皿洗いをしょう・・と微笑んだりした。