夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

未知の幼稚園や保育園の世界、3月はお別れの季節!お別れの上手なあいさつ方法!、こっそりと私は学び・・。

2021-03-16 15:16:18 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
先程、愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン】を見ていたら、
『3月はお別れの季節! お別れの上手なあいさつ方法!
             先生、お友達、ママ友・・・』、
と題された見出しを見たりした。

我が家は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年を過ぎた古ぼけた戸建てに住み、
ささやかに過ごしている。


そして無念ながら息子、娘もいないので、孫もいないが、
私は大通り、或いは住宅街で幼稚園、保育園のマイクロバスを見かけて、
あどけない園児には、この世の微笑みを頂いたりしている。

或いは殆ど毎日のように小公園、住宅街の小道などを歩き、季節の移ろいを享受している中、





ときには川面は早春の陽射しを受け、
のどかな情景の中、川辺の近くに於いては、
先生に引率された園児たちの歓声が聴こえたりしてきた・・。



私は無念ながら幼年期に幼稚園、保育園の入園した体験はなく、
その上に孫はいないが、こうした園児たちの歓声は、
この世の歓びを感じたりしている。

今回、《・・3月はお別れの季節!お別れの上手なあいさつ方法!・・》、
もとより未知の世界であるが、好奇心に負けて、
こっそりと読んでしまった。

この記事の原文は、初めて知る『 たまGoo! 』に於いて、
3月15日に配信され、無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。



《・・春は年度が替わり、節目の季節でもありますね。
新生活に心躍らせる前にやって来るのが、お別れですね。

卒園、引っ越し、転勤、3月は、
さまざまな理由でお別れをしなければならないことがあります。

今回のテーマは、ずばり「別れのあいさつ」です。
別れ方ひとつでも、後々の付き合い方は変わってきますよね。
心に残るよい別れのあいさつをご紹介いたします。



☆上手なお別れのあいさつ方法【先生編】

お子さんが、幼稚園や保育園などに通っている場合、
卒園時にみんなで先生に、
メッセージカードや色紙の寄せ書きを送ることが多いのではないでしょうか。

どんな文章で感謝を伝えたらよいのでしょうか。(略)

何年か経ち先生が、メッセージを読み返したとき思い出してもらえるように、
子どもの写真を貼りフルネームで名前を書いておくのがおすすめです。

またどんな用紙を使用するかにもよりますが、
書くのは黒いペンで書いたメッセージのみ、だと暗い印象になりがちです。

文字は色付きのペンで書いたり、周りにペンで装飾したりすると華やかに見えます。
ただし、読みにくくならないように注意です。

また、メッセージカードは、
卒業にふさわしい季節感のあるものや花を添えたデザインがいいでしょう。

桜やコスモスなどがピッタリです。
色合いはこれからの新しいステージにあった明るい色調がおすすめです。
ネットでは卒業祝いのメッセージのテンプレートのサイトもあるので
 のぞいてみてはいかがですか。


例文

子どもが話してくれたうれしかったエピソードを盛り込む場合 
○○先生へ

〇年間、本当にお世話になりました。
感謝してもしきれない思いでいっぱいです。

保育園(幼稚園)から帰ってくると息子(娘)は
いつも○○先生の話をしていました。

とても楽しそうに話すその顔を見ることができ、
○○先生がいてくださって本当によかったと思っております。

明日から先生の「おはようございます」の笑顔が見られなくなると思うと、
とても寂しいです。

お世話になってばかりの〇年間でしたが、
息子(娘)にとっても私にとっても大切な時間でした。

これからの先生のご活躍とご多幸をお祈り申し上げます。
今まで本当にありがとうございました。



育児をサポートしてくれたことへの感謝を述べる場合
○○先生へ

「困ったことがあったらいつでも相談してくださいね」。
初めてお会いしたときに先生が私にかけてくださった言葉です。

先生が覚えていらっしゃるかどうかはわかりませんが、
私はその言葉にとても救われました。

言葉を覚えた娘(息子)は先生と遊んだことを、家でよく話してくれました。
私だけではなく、娘(息子)も先生に助けられていたと思います。

入園から卒園までの期間、先生のおかげで安心して過ごすことができました。
本当に感謝しております。

これからもお体に気を付けて、お元気でいてください。
ありがとうございました。



贈り物はNG?
「手紙と一緒に贈り物を…」と考えている方もいらっしゃるかもしれませんね。
結論から言うと贈り物はNGではありません。

しかしながら、保育園や幼稚園という場において、
先生はあくまでも仕事としてお子さんを預かっている立場です。

お子さんのお世話をしたり、保護者の方の状況を気にしたりすることも
職務と言えます。

そのため、気持ち程度の贈り物にとどめることがよいでしょう。
花束などは保護者全体で渡す可能性もあるので、
筆記用具やハンカチなど実用的なものがおすすめです。

あまり高価なものは控えましょう。
そしてコロナ禍ということも踏まえ、

食べ物、手作りのものなども控えた方が無難です。

また、先生に個人的な贈り物をするときは、

なるべく大勢の前では渡さないようにしましょう。

中には用意してきていない人もいるので、気をつかった方がよいですね。



上手なお別れのあいさつ方法【お友達編】

忘れてはならないのが、子どものお友達です。
小さい頃の思い出は、大人になっても忘れないもの。

笑ってお別れをして、友人関係はずっと続けてほしいですよね。
では、どんなお別れの方法がよいかを見ていきましょう。

手紙はお子さんの直筆で
お別れのあいさつとしてまず大切なのは、
自分の気持ちと感謝を伝えることです。

手紙は印刷物やご両親が書いたものではなく、
お子さんご自身が思ったこと、伝えたいことを書きましょう。

子ども同士のコミュニケーションですから、形式などはありません。
 お子さんには「ありがとうのお手紙を書こうか」と声をかけてあげましょう。

贈り物もあわせて渡そう
お子さんのお友達には、
手紙の他になにかプレゼントも添えてあげるとよいでしょう。

その際には、お菓子や学校で使える文房具がおすすめです。
ポイントは消耗品であることです。
一生使い続けられるものでもよいですが、
お友達が見るたびに寂しい気持ちになってしまうことが考えられます。
食べたり使ったりするとなくなるものがよいでしょう。

できたら子どもと一緒に選んでみてください。
またコロナ禍で役に立つマスクやかわいい消毒スプレーなども喜ばれますね。




上手なお別れのあいさつ方法【ママ友編】
お世話になったママ友にもお別れあいさつをしましょう。
ポイントはかしこまりすぎず、でも心のこもったあいさつです。

手紙は思い出などをつづろう
今はメールやLineなどでも簡単に気持ちを伝えられますが、
お別れのときは、お手紙が必須アイテムです。

先生編と同じように、お礼の気持ちと具体的な思い出を盛り込んで
書くとよいでしょう。

先生編とは違い、形式通りに書く必要はありません。
子ども同士の思い出、親同士の思い出、どちらでもよいでしょう。
思ったことを、気持ちを込めて書いてみてください。

贈り物は定番品を
ママ友への贈り物となると
「おしゃれなもののほうがいいのでは・・・」
と考えてしまうかもしれませんが、実はその逆。

あまり凝ったものを渡すと、センス自慢のように捉えられたり、
逆に気をつかわせてしまったり・・ということが考えられます。

贈るなら家族で食べられるお菓子などが喜ばれます。
他にはハンカチやお茶、バスソルトなどいかがでしょうか。

またコロナ禍を考え、手作りスイーツなどは避けておきましょう。




おわりに
お別れは何度重ねても寂しくてつらいですよね。
しかし、別れをつらいままの思い出にするか、よい思い出にするかは、
ご自身の行動次第です。

上手なお別れをマスターして、印象に残る、よい別れの思い出にしましょう。‥》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、未知の幼稚園や保育園の世界の中で、
3月はお別れの季節!お別れの上手なあいさつ方法!、
こっそりと学んだりしたが、大人の交際と同じように大変だなぁ・・、
感じたりした。

その上、幼稚園や保育園の通園した親の立場となれば、
何かと繊細な心使いも必要・・と感じながら、
ママ友は一生のお友達になっていると、私は妹から聞いたりしているか、
もとより心の節度の中、機敏な心使いで成り立っている、
と私は学んだりしている。
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緊急事態宣言の自粛の中、都心の郊外は、多彩な雑木の木の芽時(このめどき)を迎えて・・。

2021-03-15 15:11:30 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
我が家は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、

ささやかに過ごしている。


こうした中で、一昨日の13日は小雨が降り、昼下がりには雷鳴が遠くで響き、
やがて風が吹く中で雨が激しく降ったりした・・。

まもなく雷鳴が近づき、我が家の近くでも、落雷の音が激しく響き渡ったりした・・。

やがて数時間後、雨空は急激に変貌して、曇り空となり、
まもなく淡い陽射しが玄関の軒下を照らしたりしていた。

昨日の14日、天気情報は快晴で、4月のような陽気になります、
と報じられていた・・。



私の住む地域は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みであり、
我が家の付近の3キロ以内にある遊歩道、小公園、住宅街の小道を、
 殆ど毎日のように歩いている。

こうした中で、今年になっても、政府は、新型コロナウイルスの感染が急拡大したことを受け、
1月8日から東京を中心とした首都圏1都3県を対象に
緊急事態宣言が出され、ただいま3月21日まで延長戦となっている。

そしてマスクが苦手な私でも、感染が怖くて、
「三密(密集、密接、密閉)」を避け、人出の少ない処、時間を選定して、
過ごしてきたりしてきた・・。



しかしながら昨年の2月より、新型コロナウイルスの烈風に伴い、
私は戸惑いながら、外出する時は生まれて初めてマスクを付けたりした。


その上に、「相手と身体的距離を確保すること」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民のひとりとして、と実施したりしてきたが、

余りにも長き期間で、閉塞感を深めたり、自粛疲れを感じたりしている。



こうした深情を打破するには、我が家の周辺を歩くことが、
解消することが多く、たまたま都立の神代植物公園の周辺を歩いてみようと、
思い立ったりした。

私は年金生活を始めて、早や17年生となる身であるが、
こうした中で、市内にある都立の神代植物公園は、月に2度ぐらい鑑賞して、
季節のうつろいを感じ、深めたりしてきた。

しかし無念ながら、緊急事態宣言の自粛の中、閉園となり、
やむなく神代植物公園の周辺を歩き、今年は3度ばかり歩いたりしてきた・・。







そして早春を彩(いろど)る白梅、紅梅などに、
確かな早春の訪(おとず)れを感じ、微笑んできた・・。



こうした心情を思いかさねて、昨日の10時すぎに、
神代植物公園の付近を歩きだしたりした・・。









こうしたコナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)などの多彩な雑木の芽吹きを見たりして、
私は齢を重ねたせいか限りなく愛惜を深めて、見惚(みと)れたりしている。




この後、歩きだしてまもなく馬酔木(アセビ)にめぐり逢えて、
私は立ち止まったりした。

この垂れた穂に五個前後の可愛らしい白い花をつけた馬酔木(アセビ)を、
私が知ったのは若き青年時代に、作家・立原正秋さんの随筆で、
学んだりした・・。



やがて私が2009年1月、奈良の『若草山 山焼き』を観に行く旅路の中であった。

この時の心象は、私は下記のように記載していた・・。


『日航ホテル 奈良』入室後、窓べから市内の街並み眺めた後、
私たちち夫婦は『山焼き』を観る為に、4時半過ぎに三条通りを歩き始め、
春日大社の方面を目指した。

私は途中で『猿沢池』に立ち寄り、
私が敬愛している亡くなわれた作家・立原正秋氏を偲(しの)ぶ為、
しばらく湖面や周辺の情景を眺めていた。

作家・立原正秋氏が若き頃に、大和路を歩かれた折、

馬酔木(あしび)さく奈良公園に
   たたずむもなみだながせし二十歳(はたち)のなつかしき

                     作・立原正秋

このような短歌を私は想いだし、亡き作家に愛惜を重ねたのである。

そして、前方の状景を改めて見上げた時、
『興福寺』の五重塔がひっそりとたたずんでいた・・。

このように馬酔木(アセビ)に託した思いがあり、
この馬酔木(アセビ)を見ると、亡き立原正秋さんの作品、随筆を思い重ねる時もある。



この後、帰路に向かうと、華やいだ情景に微笑みを重ねたりした。



今回、このような散歩道を歩いたりすることが多く、
齢ばかり重ねて進歩のない人だ、ときおり自身に微苦笑したりしている。

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〈独自〉政府、21日で緊急事態宣言解除へ 1都3県、自粛疲れの私は、微苦笑して・・。

2021-03-14 14:50:08 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
昨夜、ヤフーで配信されたニュースを見ていたら、
『〈独自〉政府、21日で緊急事態宣言解除へ 1都3県 』、
と題された見出しを見たりした。

昨年の2月初旬より新型コロナウイルスの烈風に伴い、
私は戸惑いながら、外出する時は生まれて初めてマスクを付けてきた。



こうした中、昨年の2020年4月7日より5月6日まで、
緊急事態宣言が出されたが、やがて5月25日実施されたりしてきた。

この前後も感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民のひとりとして、と実施したりしてきた。 

そして今年になっても、政府は、感染が急拡大したことを受け
1月8日から東京を中心とした首都圏1都3県を対象に
緊急事態宣言が出されてきた。

その後、2月7日までを期限に大阪、愛知、福岡など7府県が追加されたりしてきた。

しかしながら、この7日で解除となったのは栃木県だけ。
政府は残りの10都府県の宣言は、3月7日まで1か月間延長した。

この後、感染状況や医療提供体制の指標が「ステージ4」を脱したとして、
首都圏を除く6府県は、2月末に前倒しして解除することを決定。



新規感染者数の減少幅の鈍化や、医療提供体制のひっ迫が指摘された1都3県は
3月7日に解除されず、再延長なり3月21日まで再延長なっている。

何かしら感染が減少しないので、更に延長もニュースで視聴してきたので、
今回の《・・〈独自〉政府、21日で緊急事態宣言解除へ 1都3県・・》、
本当・・かしら、と思いながら記事を読んだりした。

この記事は『産経新聞』より3月13日22:30配信され、
無断ながら記事を転載させて頂く。



《・・ 政府は、新型コロナウイルス特別措置法に基づき、
首都圏1都3県に発令中の緊急事態宣言について、
延長後の期限通り、21日までで解除する方向だ。

再延長した理由だった病床の指標が、改善傾向にあるため。

週明け以降の感染状況を見極めたうえで、
18日にもコロナ対策本部を開いて決定する。 

内閣官房の集計で延長前後(4日、11日)の病床使用率を比較すると、
東京30%→26%▽埼玉41%→40%▽千葉46%→42%▽神奈川28%→26%-と、
いずれも緩やかながら改善傾向にあり、
解除の目安である「ステージ3」の上限50%を切り、下限の20%に近づいている。

こうした状況を踏まえ政府高官は「今のままなら大丈夫だ」として、
 3度目の宣言延長は見送る考えを示す。 



一方、新規感染者数は下げ止まって、
「横ばいから微増傾向」(西村康稔経済再生担当相)に転じている。

感染力が強いとされる変異株は、全国的に広がりをみせており、
主要駅や繁華街での人出増も懸念材料だ。  

とはいえ、政府や専門家の間では、
現在の対策ではこれ以上の改善は見込めないとの見方が強い。

関係閣僚の一人は「宣言はもう効かない。早く解除するしかない」と語る。



厚生労働省に助言する専門家組織が11日に行った非公式の会合では、
主要メンバーから「もう打つ手がない」との意見が出たという。  

政府は、解除後を見据えた対策を急ぐ。
宣言を解除した地域の繁華街などで無症状者へのモニタリング検査を始めており、
北海道や沖縄、首都圏でも実施する予定。

感染再拡大の予兆があれば、
改正コロナ特措法で新設した「蔓延(まんえん)防止等重点措置」を適用する構えだ。  

また「第4波」に備え、都道府県に病床確保計画の見直しを要請する。
田村憲久厚労相は第3波ピーク時の2倍の確保を例示している。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、〈独自〉政府、21日で緊急事態宣言解除へ 1都3県、
学びながら、微苦笑をしたりした。

過ぎし3月5日午後9時半頃、小池都知事も臨時会見を行い、
都民の皆さまへ3つのお願い、公言されていた。

「1つ目、外出自粛。『トコトンステイホーム』を。
週3日、社員6割以上のテレワーク。時差出勤もあります。
いま一度、『トコトンテレワーク』で強化をお願い申し上げます」

 また、花見や歓送迎会などを含め、会食の自粛を呼びかけ、
さらに宣言解除後の措置として、飲食店や劇場、映画館などへの時短要請を段階的に緩和、
22日以降は夜9時までにする・・。

残念ながらこのようなことを公言されも、長引く制約されてきた都民は、
コロナ疲れの中、勘弁してょ・・本音と思われる。



特に人口が密集している都心は、余りにも長き期間、
制約された日常生活に於いては、
殆どの多くの御方は、自粛疲れで、警戒感が薄れても、
やむえないなぁ・・と感じている。


昨年の2月より、新型コロナウイルスの烈風に伴い、
マスクの苦手な私は、外出する時は、やむなく生まれて初めてマスクをしてきた・・。

こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民の責務と思いながら、独りぼっちで出来る限り人影の少ない道を選定して歩いたりしている。

ご近所の御方とは、マスク越しに2メートル以上離れて、短めに歓談する程度となり、
平素の買い物も3日間に一度として、まとめ買いをしたりした。

或いは少し遠方は、路線バスを利用していたが、
「三密(密集、密接、密閉)」が怖くて、歩き続けて、
やがて膝(ひざ)に痛みを感じて、やむなく整形外科に通院したりした。

そして都心に買い物、懇親会などは自粛したり、都立の公園などの閉鎖もあり、
歩く範囲が限られて、以前より歩く距離は短くなったりしてきた。

もとより私たち夫婦の共通趣味の国内旅行も断念したりし、
いずれにしても年金生活16年で我が家としては初めての出来事となったりした。



こうして日中も含めた不要不急の外出自粛を宣言されて、
医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、
屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要な場合を除き、
原則として外出しないこと等を要請されている。

こうした中で、私は我が家の買い物は3日に一度、
病院の通院は4週間に一度、散髪屋(理容店)は3カ月に2回に減少し、
体力の衰えた私は散歩だけは欠かせないので、
人影の少ない処を独りぼっちで歩いたりしている。

こうした生活を長らく過ごしていると、閉塞感を感じ、
私は自粛疲れとなり、今回《・・21日で緊急事態宣言解除へ 1都3県・・》、
長らく待ちわびた朗報かしら、と微苦笑したりしている。

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ときには自身の投稿文を読み返して、ひとり微笑みを重ねたりして・・。

2021-03-13 13:20:02 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、 ささやかに過ごしている。



今朝、屋根に雨が舞い降る雨脚の音で、目覚めて、ぼんやりとしていた。

やがて洗面して、着替え終わった後、玄関の軒下で、
本降りの雨を眺めたりした・・。

そして寒さを感じることなく、暖かいような雨だったので、
四月のような雨・・と思ったりして、久々の本降りに、
微笑んだりした・・。


この後、居間に戻り、天気情報を視ると、
朝の6時は10度、昼下がりは12度、夕方の6時は13度、
激しく降る雨は午前中で、この後は小雨となり、夕方より曇りとなります、
と明示されたりした。


私は午前中のひとときは、
殆ど毎日のように小公園、遊歩道、住宅街の小道などを歩き、

季節の移ろいを享受しているが、本降りの雨に伴い、外出は取りやめたりした。

やがて朝食後、ぼんやりと自身が投稿文してきた文を読み返して、
この中のひとりに、微笑みを重ねたりした・・。


この投稿文は、『 東京の郊外は、里花は咲き、雑木は木の芽時(このめどき)を迎えて・・。』、
と題して、2013年3月18日に投稿していた。

今回、映画のリバイバル上映のように、再公開する。



私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。

その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

私の住む地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みであるので、
平年ならば桜か咲く時期は、4月の上旬となっている。

ここ3日ばかり近く散策をすれば、近くの小公園に於いては、
モミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)などの雑木の芽吹きはじめ、
 私は齢を重ねたせいか限りなく愛惜を深めて、見惚(みと)れたりしている。




そして遊歩道を歩けば、辛夷(コブシ)の白い花、華やぐ桃の花、純白の白木蓮(ハクモクレン)、雪柳(ユキヤナギ)の白い花、
馬酔木(アセビ)は垂れた穂に五個前後の可愛らしい白い花をつけたり、
或いはサンシュウの黄色の小花が咲いている。

桜並木を歩けば、開花する前の大きな莟(つぼみ)となっているので、
 まもなく桜が咲けば、こうした数多く花の彩(いろど)りも、桜に主役の座は奪われてしまうが、
私は心を寄せる里花である。




こうした中で路のはずれに咲く小花も、私は幼年期に農家の児として育ったので、
足をとめて見たりするときもある。

自宅に帰れば、紅濃色、或いは紅色の満開となっている藪椿(ヤブ・ツバキ)を眺めたりする。

我が家の一面がマンションに隣接し、冬の時期は半日ぐらい陽が当たらない状態となり、
こうした我が家の小庭で寒い処に藪椿(ヤブ・ツバキ)を植えてしまったので、
周辺の地域より遅く咲いている・・。

               

私は現役時代のサラリーマン時代は、何かと裏方の情報畑、管理畑が多かったので、
私の同じようだったと感じ、何かしら愛(いと)おしさが増して、見たりしていることが多い。

或いは陽を当る恵まれた所には、白玉椿(シラタマ・ツバキ)と思われる純白色の花が、
この時節に咲いている。
                   

一年の中で、たった二週間ばかり咲き終わり、これ以外は休眠の状態なので、
花もちのはかない椿なので、やはり愛(いと)おし感じている。

そして紫木蓮(シ・モクレン)が大きな莟(つぼみ)なり開花の前の情景となっている。
               

こうした中で、常緑樹の金木犀(キンモクセイ)、
塀代わりに植えているあかね糯(アカネ・モチ)が新芽が伸ばしたりしている。
                  

そして、 蕗(フキ)を片隅に群生させているが、10センチぐらい育ち春の息吹きを感じたりしている。

このように私は梅の花が散り終え後、
桜の咲く前のこの時節の情景のひとつで、ここ8年ばかり年金生活の中、
季節のうつろいに圧倒的に魅せられて過ごしている。



こうした68歳の当時の今頃の投稿文を読み返して、
今の私は76歳の身あり、改めて8年前は、元気溌剌で、
心身あふれていた・・と感じ独り微笑したりした・・。

やはり後期高齢者を入門すると、75年間、身体も脳も私なりに使ってきたので、

金属疲労のように、少しくたびれを実感させられる時があり、
このように感じるのかしら、と思い改めたりしている。

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自宅で簡単にできる『健康診断・がん検診』、76歳の私は初めて学び、やがて・・。

2021-03-12 15:04:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
先程、ヤフーで配信されたニュースを見ていたら、
『 自宅で簡単にできる「健康診断・がん検診」

                          気になる費用、使い方、検査精度は? 』、
と題された見出しを見たりした。

我が家は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、

ささやかに過ごしている。

こうした中、過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。




 私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、

検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・

何なりと御指導をお願い致します・・』
と私は内科の医院長に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
 体力の衰えた66歳の私は、蒼色吐息のような表情で、

内科の医院長のアドバイスを聴いたりした・・。

 私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。

 
このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医院長から、料理のカロリー試算表を渡された上、 

軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら、

野菜を多くした料理を作って貰い、これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。



          

こうした中、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。

しかしながら家内は、糖尿病の予備群ですから、程々に注意して下さい、

と言われる時もある。
   
このように私は、この内科専門医院の医院長の診察を10年ばかり受けた来たので、
秘かに私にとって大切な主治医のような存在、と思ったりしてきた。





そしてこの医院で、年に一度だけ、市より健康診断を受診してきた。

この間、『胃がん』の検査で、二度ばかり再検査・要で、

精密検査として胃カメラ、
或いは『大腸がん』の検査で、一度だけ再検査・要で、

精密検査として内視鏡の検査を体験してきた。

こうした時、この医院長に何かと気弱な私が受診するには、
どの専門病院が良いか推薦して下さい、と懇願して、
私は指定して下さった専門医院で、予測した以上に検査が気楽だったので、
安堵したりしてきた。

このような幾たびの体験を重ねてきたので、
私にとっては心身共に信頼している『かかりつけ医』となっている。

そして『かかりつけ医』の御方は、私の身体の弱点は殆ど認識して下さり、
私が小心者であることまで知っている、と思われる御方である。



このように私は、私の『かかりつけ医』に2012年(平成24年)の12月中旬、
これ以来、私はインフルエンザ予防接種を受けてきた・・。

今回、新型コロナの診療や、PCR検査よりも短時間で診断できる抗原簡易検査などを含めて、
私は『かかりつけ医』に指示を仰いで、検査を受けよう、と思ったりしている。 


このような私は『健康診断・がん検診』、そしてインフルエンザ予防接種まで受診してきたが、
今回、《・・自宅で簡単にできる『健康診断・がん検診』・・》って、
どのようなことなのですか、と思いながら記事を読んだりした・・。

この記事は、【 日刊ゲンダイヘルスケア】に於いて、3月12日に配信され。
無断であるが転載させて頂く。


《・・新型コロナウイルスの感染拡大を懸念して、健康診断離れが起きている。
その一方、自宅でできる検査キットが好調な売れ行きだ。

PCR検査や抗原・抗体検査と同様、唾液や血液などを採取し、
検査機関に発送して診断する手軽さがウケているという。

   ◇  ◇  ◇  

   ◇  ◇  ◇  

病気の「早期発見」が、根本から揺らいでいる。  

ジョンソン・エンド・ジョンソンが、
全国の20~79歳の1万5000人を対象にした
「健康診断・人間ドック、がん検診に関する意識調査」(2020年11月)によると、
4月以降の「健康診断」、「がん検診」を“控えたい”とした人は、
共に3割を超えた。

最も多かった理由は、コロナ感染のリスクだ。

昨年も定期検診を取りやめた人は多かったので、
2年以上も検査から遠ざかることになる。

このままでは特に「早期発見」、「早期治療」が重要ながんを
見逃してしまう可能性がある。



そこで自宅で健康状態を把握できる検査キットも試してみた。

がん・生活習慣病検査キット1万9800円

主ながんのリスクがカルテで届く(提供写真)

がんと生活習慣病の郵送型検査サービス「おうちでドック(R)」。

その中の「おうちでドック 男性用」(税別1万9800円)は、「がん」(前立腺がん、大腸がん、食道がん)と
「生活習慣病」(動脈硬化、糖尿病、肝臓疾患、腎疾患、脂質代謝異常、
痛風・尿路結石、高血圧、肥満度、栄養障害)が一度で調べられる。

女性用も同額で、がんの項目が乳がん、子宮がん、大腸がん、食道がんに変わる。

共に血液と尿を自宅で採取し、
専門検査機関に送って病気のリスクをチェックする。

医師の診断を伴うものではないため、健康チェックという位置づけだが、
検査精度は病院と同等という。

検査キットを提供するヘルスケアベンチャーの「ハルメク・ベンチャーズ」の松尾尚英社長が言う。

 「血液採取容器も、指先に当てると自動的に針が出てくる安全設計です。
血液は2~3滴、尿は人間ドックと同じ要領で採取します。

万が一失敗しても、無料で再送します。
検査は、自宅でトータルで30分もあれば完了し、
返送してから通常2~3週間で結果が出ます。


利用者は、男性は40~60代の中高年層、女性は30代の子育て世代が多いです」  

人間ドックと同様に自由診療(自費)になるが、
郵送キットでは、珍しい多数の健康サポートも付いている。

電話による医師の結果解説と看護師との健康相談チャット、
がん確定者向けのセカンドオピニオンサービスだ。

 「結果解説には、育休中の女医をはじめ、在宅ドクターを雇用しています。
また、異常値が出た項目についてや、栄養状態など健康の日常の悩みは
看護師に半年間(月5回まで)専用チャットで相談できます。

『かかりつけ医以外にも相談できるのがいい』との声もいただきます。
そして、がんの疑いのある人には医師紹介も行います。

当社では全国3万人の医師が登録しており、
受診者の地域、該当のがんの執刀数、論文数、受診しやすさから推薦します。

セカンドオピニオンを受けたいという要望にもお応えしています」(松尾尚英社長)  


このような郵送検査を行う業者は、
ほかに「日本医学」(郵送健診キット)や
「医療法人IMSグループ」(DEMECAL血液検査キット)がある。



 ■「認知症」の可能性も分かるフェリチン検査 

国内に600万人と推計される認知症患者。
初期の発見を見逃さない検査も自宅でできる。 

リ・スタートの「鉄欠乏推定検査!マイクロセルフキット&アプリ」(税別1万2800円)は、
標準の血液検査に含まれないフェリチン(鉄)検査に特化している。

アルツハイマー型認知症につながるMCI(軽度認知障害)は、
鉄欠乏に関係していることが指摘されており、注目の検査キットだ。

同社HPから取り寄せた検査キットに、血液を1滴採取し、
備え付けの遠心分離機にかける。

その場で結果が出て、鉄欠乏の数値が
標準値(男性20~250、女性5~120ナノグラム/ミリリットル)と比較できる。

郵送の手間もいらない。
結果はアプリに保存され、看護師などの医療従事者に
チャットによる健康相談を受けられる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、自宅で簡単にできる『健康診断・がん検診』、
多々教示されて、微笑んだりした。

しかし『健康診断・がん検診』に関しては、私の住む調布市より、
毎年の秋に『後期高齢者医療被保険者証』を所有している私に、
受診票が郵送されている。

そして私は、受診料が無料で、
それぞれの医療スタッフにアドバイスを受けながら受診し、
やがて医院長より問診を受けたりしている。

こうした年に一度の『健康診断・がん検診』は、
自身の健康実態を把握する為には欠かせなく、
心身緊張したり、安楽な面もある不思議な儀式となっている。

この結果、『胃がん』、『大腸がん』の検査で、再検査・要になった場合は、
所定の後期高齢者『一割』で検査で、受診してきたので、
恵まれいる、と国に感謝をしたりしてきた。



このような思いから私は、
当面は《・・自宅で簡単にできる『健康診断・がん検診』・・》する意向はない。


或いは「認知症」の可能性も分かるフェリチン検査 』に関しては、
スマホが使えない私は、無理と判り、
数年後の80歳のお誕生日を機会に、専門病院で受診しょう、と微苦笑したりしている。
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新型コロナウイルス、東京で気の緩むと5月再宣言の恐れ、私は学び、溜息ばかり重ね・・。

2021-03-10 15:46:43 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読している公式サイトの KYODONEWS  を見ていたら、 
『 気の緩みで東京の感染者千人超も コロナ、5月再宣言の恐れ 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
生家も近く、結婚前後の5年間を除き、この地域に住んで早や70数年となる、
年金生活の身である。

こうした中で、昨年の2月初旬より、新型コロナウィルスの烈風に伴い、
園児、学童、学生、働いて下さる諸兄諸姉は、授業、行事など、
多岐に及び中止、延期が行われ、大いに戸惑いながら政府の指示に従い、
日々を過ごしてきた。

そして年金生活の私でも、マスクが苦手で、
外出する時は、生まれて初めてマスクを付けてきた。
 

こうした中、感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民のひとりとして、と実施したりしてきた。 




そして今月の5日、政府は新型コロナウイルス対策として 
東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏4都県に発令中の緊急事態宣言(7日期限)について、
21日まで2週間延長することを決めた。


【図解】緊急事態、首都圏21日まで=

 菅首相「感染抑制に必要」―再延長を陳謝 (時事通信) - Yahoo!ニュース

私はこの図解に示されて主な対策(継続)を見て、
今でも徹底できていない現状に憂いながらも、
更に具体的な周知徹底の項目を明示しなければ、
これから21日まで2週間延長しても効果はない、と失望したりしている。
 

《・・ 薄れる警戒感、繁華街で「密」に 首都圏の再延長決定から初の週末

 
首都圏1都3県への緊急事態宣言の再延長決定から初の週末を迎えた6日、
陽気に恵まれたためか、繁華街や行楽地はにぎわった。

「買い物ぐらい・・・」。
警戒感の薄れを反映し、東京都心部の人気スポットでは
「密」につながる雑踏が見られた。

人、人、人・・・。
高級ブランド店が並ぶ東京・表参道は買い物に訪れたマスク姿の若者らで混雑し、
交差点付近は、信号待ちの人々が歩道からあふれそうになっていた。

千葉市から買い物に来た女子大生(19歳)は、
「まさか、こんなに人がいるとは思わなかった。
みんな意識が低くなっているのかも。
やっぱり人混みは怖いと思った」と話した。‥》
             
しかしながら余りにも長き期間、制約された日常生活に於いては、
殆どの多くの御方は、コロナ疲れの中で、警戒感が薄れても、
やむえないなぁ・・と感じている。

このような心情を秘めてきた私は、
今回の《・・東京で・・気の緩むと5月再宣言の恐れ・・》って、
どのようなことなのょ・・と思いながら記事を精読してしまった。

この記事はKYODONEWS 】に於いて、3月10日に配信され、       
無断てあるが転載させて頂く。    

   

《・・ 首都圏の新型コロナウイルス緊急事態宣言が解除された後、
 市民の気が緩んで歓送迎会や花見などの宴会が盛んに行われた場合、
5月には再び東京の1日当たりの感染者数が千人を超える恐れがある、
との試算結果を東京大のチームが10日までにまとめた。

緊急事態宣言の再発令が必要な状態になるという。

チームの仲田泰祐准教授は
「宣言期間中にできるだけ感染者数を下げる必要がある。
解除後も段階的に経済活動を再開するなど、
地域の実情に合った緩和方法を検討してほしい」としている。  

東京大の仲田准教授と藤井大輔特任講師は、
独自に開発した計算モデルを使って今年の感染者数や経済影響を予測した。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、東京大の仲田准教授と藤井大輔特任講師の英知のある御方に、
 東京で気の緩むと、5月再宣言の恐れ、私は学び、溜息ばかり重ねたりした・・。

過ぎし3月5日午後9時半頃、小池都知事も臨時会見を行い、
都民の皆さまへ3つのお願い、公言されていた。

「1つ目、外出自粛。『トコトンステイホーム』を。
週3日、社員6割以上のテレワーク。時差出勤もあります。
いま一度、『トコトンテレワーク』で強化をお願い申し上げます」

 また、花見や歓送迎会などを含め、会食の自粛を呼びかけ、
さらに宣言解除後の措置として、飲食店や劇場、映画館などへの時短要請を段階的に緩和、
22日以降は夜9時までにする・・。

残念ながらこのようなことを公言されも、長引く制約されてきた都民は、
コロナ疲れの中、勘弁してょ・・本音と思われる。



こうした事態になってしまった諸因は、
過ぎし昨年の10月の頃、長らく感染に対応する医療関係者の重圧、疲労感が増し、
医療崩壊の危険が叫ばれる中、
西村康稔コロナ対策担当大臣が確か昨年の11月25日頃、

勝負の3週間、と決意されたりした。

この後、都心の街並みは、人出が多く、
やはり『三密』のエチケットも無視される御方が多く、
無力な私は憂いたりした。

私は菅義偉首相が国民の命を守る為に、感染が沈静化するまで、
人の動きを止める為『GoTo』関係を中止、
宣言されることを待ちわびたりした・・。



やがて昨年の12月14日夜、、遅ればせながら菅義偉首相は、
首相官邸で開いた新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で、
観光支援事業「GoToトラベル」について、
28日から来月11日までの間「全国一斉に一時停止する」と表明されたりした。

私は、西村康稔コロナ対策担当大臣が確か昨年の11月25日頃、勝負の3週間と公明され、
12月14日まで、菅内閣として感染の拡大を放置していたのか、
と余りにも遅い言動に不信を深めたりした。



このような憂いながら心痛の思いで過ごしてきた私は、
政府の要人のあきれ果てる言動、一貫性のない言動にあきれ果てて、
多くの国民は緊張感をなくし、つい気がゆるみ、
今回の感染拡大に至っているので、悲嘆を深めたりした・・。

更に1月8日に『緊急事態宣言』が発令されたが、
専門知識のない私でも、余りにも規制されていることが生ぬるく、
愕然としたりした・・。

この『緊急事態宣言』が発令する前の序曲として、菅義偉首相は、
衆参の国家議員に、終息するまで朝食、昼食、夕食を問わず、
禁止する要請を行うべきであった。

その上、各自治体の協力を依頼して、首長の知事より村会議員まで、
会食を自粛を願う。

しかしながら菅義偉首相は、このような新型コロナを終息させるふるまい、
そして渾身の力量は欠け、やはり国民の命と健康を守る責務は、
無理なのかしら、と思いを深めたりした・・。




そして過ぎし3月一昨日の5日午後9時、菅首相の会見に於いて、
 「(1都3県の)緊急事態宣言を2週間延長し、
3月21日までにすることを決定いたしました。

病床の使用率が高い地域があるなど、依然厳しさが見られます。
人出が増加している地域もあり、いわゆるリバウンドの懸念も高まっています。

当初お約束した3月7日までに宣言解除することができなかったことは、
大変申し訳ない思いであり、心よりお詫び申し上げます」 

このような中身の薄い会見の内容は、1都3県の御方には、
またダラダラと延期かょ・・戸惑った御方が多かったと思われる。

いずれにしても、こうした事態になってしまったのは、
菅首相の一貫性のない決断が続いた為、今日の混迷となっている。



私が若き学生であったら、私たちの多彩な行事は中止となったりし、
 私たちの大切な二度とない学生時代の貴重な日々を返してょ・・
と叫んだかも知れない。

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日本人がやりがちな「寿命を縮める」3大悪習慣、76歳の私は学び、やがて思い重ねて・・。

2021-03-09 15:37:43 | ささやかな古稀からの思い
は東京の調布市に住み、年金生活の76歳の身であり、
先程、公式サイトの【 東洋経済オンライン 】を見ていた中で、
『 日本人がやりがちな「寿命を縮める」3大悪習慣
     「不健康で早死にする人」 「健康で長寿な人」の差 』、
と題された見出しを見たりした。

もとより健康でなければ、私自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮する為、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、

季節のうつろいを享受している。





こうした根底には、何とか日常生活を制限されることなく、
健康的に生活を送ることの健康寿命で80歳を迎えたい、
と念願したりしている。

こうした心情を秘めている私は、今回の《・・「寿命を縮める」3大悪習慣・・》、
どのようなことですか、と思いながら記事を読んだりした。




この記事は、精神医、作家の樺沢 紫苑さんの寄稿文で
東洋経済オンライン 】で2月21日に配信され、
無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。

《・・「人生100年時代」という言葉を、最近よく耳にします。

筆者のもとには、「そんなに長生きしたくない」という意見も届いていますが、
ほとんどの人は100歳まで生きられません。

100歳まで生きられる人というのは、
あくまでも健康に気遣った「良い生活習慣」を送った上で、
進歩した医療や科学技術を享受できる人です。

たとえば、糖尿病、高血糖、過度の肥満など、生活習慣病を抱えた人が、
90歳や100歳まで生きるのは、かなり難しい。

また平均寿命に対して、「健康寿命」という考え方があります。
大きな病気を抱えず、生活に制限を受けずに生きられる期間が健康寿命です。

病気で入退院を繰り返したり、要介護状態になったりしても、
果たしてそれは幸せな老後と言えるでしょうか。

健康寿命を伸ばすためにどんな習慣が必要か。
どんな悪習慣を優先して、改善すべきか。

筆者は精神科医なので、今回は体だけでなくメンタル面の健康も配慮した上で、
健康寿命を伸ばすための3つのポイントを紹介します。



☆死亡率を大きく上げる「運動不足」

「日本人の健康寿命を削る習慣」は大きく分けて3つあります。
まずは3位から紹介していきましょう。

第3位 運動不足

運動習慣が健康に与える影響は、かなり大きい。

たとえば、死亡率なら50%、心臓疾患なら60%、がんなら30%。
糖尿病なら58%、認知症なら50%のリスクを減らせるという研究結果があります。

逆に、運動不足の人は、正常な人の2倍以上の病気のリスクを抱えているという見方もできます。

しかし、医者が「健康のために、運動してください」と言ったとしても、
ほとんどの人は「時間がありません」と拒絶します。

運動をそこまでハードルの高いものと思わないでも大丈夫です。
健康のために必要な運動量と運動時間については、
さまざまな研究がありますが、最近の研究複数によれば
「1日20分の早歩きでOK」というものが多い。

また、アメリカ国立がん研究所によると、
1日10分の早歩きで、寿命が1.8年延び、
週に150分の早歩きで、4年半寿命が延ばせることも明らかになっています。


1日10分で効果あり。
1日20分(おおよそ週150分に相当)で4年半の延命効果。
すごい効果です。

毎日の通勤時間を「早歩き」にするだけで、この基準は楽々クリアできます。

運動不足と感じる人は、
まずは「1日20分の早歩き」を実践してみてはどうでしょうか。



第2位 孤独

「孤独と健康には、関係があるの?」と疑問に思った人も多いかもしれません。
しかし、孤独が健康に与える悪影響は、甚大です。

アメリカ・ブリガムヤング大学の研究によると、
「社会的なつながりを持つ人は、持たない人に比べて、
早期死亡リスクが50%低下する」といいます。

この死亡リスクは、1日15本の喫煙に匹敵。


また、過度の飲酒(アルコール依存症)の2倍、
運動不足と肥満の3倍も健康に悪いといえます。

孤独を感じる人は、正常な人と比べて、死亡率が1.3~2.8倍、
 心疾患が1.3倍、アルツハイマー病のリスクが2.1倍、
認知機能の衰えが1.2倍高まります。

また、うつ病は2.7倍、自殺念慮が3.9倍と、
メンタルに対しても甚大な悪影響を及ぼすのです。

孤独というのは、人によって感じ方が異なります。
家族と同居していても、つながりを感じられなければ孤独です。

飲み友達が多くいても、いざというときに相談できる友人がいなければ、
それは孤独かもしれません。

少子高齢化が、これからさらに加速する日本。
高齢者にも若い人にも単身世帯が増加しているので、
孤独に悩む人の増加が予想されます。

もしも健康的に生きたいのなら、
「積極的につながりを求める生活」を心がけたいものです。



☆人は寝ないとどうなるのか?

第1位 睡眠不足

「2007年の日本における危険因子に関連する非感染性疾患と
外因による死亡数」という報告によると、
原因別に最も健康に悪いのは「喫煙」、「高血圧」、「運動不足」、
 「高血糖」、「塩分の高摂取」、「アルコール摂取」となっています。

高血圧と高血糖(糖尿病)は、原因というよりも、すでに病気、
またはその予備軍ですから、死亡率を高める健康習慣という意味では、
喫煙と運動不足がトップといっていいでしょう。

ただし、この研究結果には「睡眠不足」が含まれていません。
ランキングの下位を見ても出てこないので、
そうした分類自体を行っていないようです。

睡眠不足の悪影響が現れてくるまでには、
10年、20年以上の年月を要するため、非常に統計がとりづらい。

睡眠不足は、時間差でジワジワと悪影響が訪れる非常に怖い悪習慣でもあります。

個別の研究でみると、睡眠時間が6時間未満の人は正常な人と比べて、
がんが6倍、脳卒中が4倍、心筋梗塞が3倍、糖尿病が3倍、
認知症が5倍、鬱病が5.8倍、自殺率が4.3倍も、
リスクが高いという結果が見られます。

これらの疾病リスクは、喫煙に匹敵、病気によっては喫煙のリスクを凌駕しています。
ということで睡眠不足が、精神科医の筆者が考える最も健康に悪い生活習慣です。

最近では、睡眠中にアルツハイマー病の原因物質であるアミロイドβ蛋白が
脳の中で洗い流されることがわかりました。

つまり、睡眠不足の人は、
アミロイドβ蛋白が洗い流せずドンドン溜まっていくため、
認知症のリスクがとても高いわけです。

10年、20年先も健康的に長生きしたければ、
きちんと眠ることをおすすめします。

睡眠時間が6時間未満だと睡眠不足、
健康のためには「7時間以上の睡眠」が必要だと覚えておきましょう。


☆健康と長寿を守る「3つ習慣」

以上が精神科医の視点で見た「寿命を削る3つの悪習慣」です。

もし内科の医師が悪習慣を選ぶとしたならば、
「食事」と「喫煙」が入ったかもしれません。

しかし、今回はあえてそれらをはずしました。
なぜならば、食事の指導をしても、それを守れる人がほとんどいないためです。

特に糖尿病、高血圧、肥満の人(またはその予備軍)にとって、
食事の改善は極めて重要ですが、
実際は指導をしても、多くの人が守れません。

だから、食事よりも、
取り組みやすい「睡眠不足」や「運動不足」の改善から
取り組むことをお勧めしています。

喫煙も同様で、喫煙者にとって、
それは健康を阻害する悪習慣であることは、既知のものです。
有害性を今さら指摘したところで、禁煙する人も少ないでしょう。

健康を守るためには、やれることからやっていくことが重要です。
今回紹介した「7時間以上の睡眠」、「つながりを大切にする生活」、「20分の早歩き」は
食事制限や禁煙よりも比較的取り組みやすいものなので、ぜひ実践してみてください。‥》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




今回、精神医、作家の樺沢 紫苑さんの寄稿文に導かれて、
やりがちな「寿命を縮める」3大悪習慣、
76歳の高齢者の私は学び、多々教示させられた・・。

10数年前、私は健康診断を受診した後、やがて糖尿病と診断され、
私は蒼色吐息しながら最寄の内科医院の行ったりした。


これ以来、お酒大好きだった私でも、冠婚葬祭、懇親会、旅行以外は5日間に一回として、
今日に至っている。

そして最寄の内科医院には、8週間毎に定期検査日となり、
この間に検査結果日と健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。

しかしながら家内は、糖尿病の予備群ですから、程々に注意して下さい、
と言われる時もある。

このように私は、この内科の医院長には私としては信愛して、
私の秘かな主治医のようになっている。


一昨年の2019年、予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と担当医師から宣言され、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

この時に、大学一年の夏季合宿にタバコを喫い始めて、
長年こよなく愛煙者だったが、これを機会にタバコにお別れとなったりした。

こうした根底には、やはりタバコは身体に良くないと、医師から進められて、
何かを断念しなければ、この先はないと思い、断腸の思いで禁煙したのは本音であった・・。



睡眠に関しては、現役サラリーマン時代は多くの御方と同様に、
睡眠時間を削って奮闘してきた・・。

やがて年金生活の今は、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡し、
殆ど7時間ぐらい寝てている。

ときおり深夜まで読書をした場合、昼食後に一時間前後、昼寝を甘授し、
いつでも寝ることが出来るのは年金生活の特権のひとつかしら、
と微笑み時がある。
 



このような深情を秘めている私は、今年の9月に77歳となり、
あと3年半過ぎれば80歳となるが、
心身ともに自立し、健康的に生活できる健康寿命の範囲で、
お誕生日を迎えたい、と秘かな念願しているが、果たして・・。
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1日20分の日光浴で"万能ビタミン"、コロナ時代のファクトフルネス、高齢者の私は学び多々教示させられて・・。

2021-03-08 13:19:10 | ささやかな古稀からの思い

先程、愛読している公式サイトの【プレジデント・オンライン】を見ている中で、
散歩での感染には気をつけて!
1日20分の日光浴で"万能ビタミン"コロナ時代のファクトフルネス』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、 ささやかに過ごしている。


☆掲載した写真のすべては、昨日どんよりとした曇り空の中で、撮ったりした☆


こうした中で、午前中のひとときは、
殆ど毎日のように小公園、遊歩道、住宅街の小道などを歩き、

季節の移ろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。




こうした中、私は帰宅後、洗面所で水で顔を洗ったりしている時、
 家内より陽焼けしているわょ、
と私は毎年3月頃から言われたりした。

そして私は洗面所で顔を見ると、陽焼けした顔立ちを見て、
クロちゃんだねぇ、と微笑んだりし、高齢者は元気が何よりだよねぇ・・と微笑む時もある。


このような心情を秘めている私は、
今回の《・・1日20分の日光浴で"万能ビタミン"・・》って、
どのようなことですか、と思いながら、記事を精読してしまった。

この記事は、ジャーナリストの笹井 恵里子さんが、
『プレジデント』の 2020年5月1日号に寄稿され、
関連のプレジデント・オンライン】に2020年4月24日に配信され、
無断ながら転載させて頂く。



《・・
☆日焼け止め習慣が誘発、子どものアトピー

あなたは一日のうちで、どれくらい太陽光を浴びているだろうか。

「自粛要請」によって家に閉じこもり、日光を浴びる機会が、
極端に減った人も多いかもしれないが、とてももったいない。

なぜなら日光を浴びると、
体内では「ビタミンD」という“万能ビタミン”が生成されるからだ。

ビタミンCなどほかのビタミンは、体内で合成できない栄養素だが、
ビタミンDだけは唯一、食材だけでなく日光を浴びることでも
体内で作ることができる。

私たちの皮膚の細胞は太陽光のUVB(紫外線B波)の刺激を受けると、
コレステロールに作用し、ビタミンDに変化するのだ。

ビタミンDといえば、カルシウムの吸収を促し、
骨を丈夫にする栄養素として説明されることが多いが、それだけではない。



元北里大学教授で日本細菌学会名誉会員の熊沢義雄氏はこう話す。
「ビタミンDには、免疫系の細胞の働きを良くする作用があります。炎症を抑制する働きがありますから、
炎症がもととなって発症する動脈硬化や糖尿病、がんの発症リスクを下げます」

血管で繰り返し炎症を起こせば動脈硬化に、
脂肪細胞で炎症が起きれば糖尿病になると考えられている。

がんも慢性炎症の1つで、ビタミンD不足だと
乳がん、前立腺がん、大腸がんなどにかかりやすくなり、
不足の程度がひどいと悪性度の高いがんができる傾向にあるという。


認知症も、脳細胞の炎症という見方がある。
神経学術誌『ニューロロジー』に掲載された論文によると、
アルツハイマー型認知症の群とそうでない群を比較すると、
アルツハイマー群ではビタミンD濃度が低い。

最近はインフルエンザや花粉症、うつ病、発達障害などの発症と
ビタミンD濃度との関連も指摘されている。



☆ビタミンD濃度が高いほど全死亡率が減少する

さらにビタミンD濃度が高いほど、全死亡率が減少することがわかっている。

英国医師会雑誌『BMJ』で2014年、
「血中のビタミンD濃度が10‌ng/ml低下すると、
死亡率が16%上昇する」と発表された。

ヨーロッパの全死亡の約9%、米国のおよそ12%にビタミンD欠乏が関与する、ともある。

日本での大人のビタミンD欠乏に関する大規模なデータはないが、
不足している人が多いと指摘する専門家が少なくない。

理由は2つあり、1つは同じようなライフスタイルで暮らす韓国で、
 調査対象の7割超がビタミンD欠乏症だったという報告がある。

もう1つは、日本では1975年頃までは、むしろ日焼けが奨励されていたが、
「紫外線ががんを誘発する」という報告があってから、
現在では子供の頃から徹底的に日焼け止めを塗る習慣が定着しているためだ。

日焼け止めは、肌の炎症を促進するというUVA(紫外線A波)だけでなく、
ビタミンDを生成するUVBもカットしてしまう。

「特に妊婦さんや子供、
高齢者は日光が不足しないように気をつけなければならない。

妊婦さんがビタミンD不足だと、生まれてくる子がアトピー性皮膚炎や
アレルギー、小児喘息になりやすいことがわかってきました」(熊沢氏)



それではどれくらいの時間、日光浴をしたらいいのか。
国立環境研究所らの研究チームによると、
紫外線の弱い冬の12月の正午(つくば)で両手・顔を露出したと仮定した場合、
22分の日光浴で必要量のビタミンD(厚生労働省の日本人食事摂取基準で示される5.5μg)を
生成することができると報告されている。

それを基準とし、最低でも一日20分程度と心がけたい。

ただし熊沢氏は「厚労省のビタミンDの目安量は
骨のビタミンとしては足りるのかもしれないが、
免疫系に働く万能ビタミンとしては少なすぎる」と話す。

また日本ビタミン学会や骨粗鬆症財団も
「冬なら手や顔を1時間程度日に当てること」を推奨しているため、
 免疫力が低下していると感じるときほど、できる限り日光を浴びることを意識しよう。



またビタミンDが豊富な食材を摂取するのも◎。

ビタミンDにはD2とD3があり、植物由来のD2はきのこなどに、
動物由来のD3は魚に多く含まれ、体内で実際に働くのはD3といわれる。

図の表を参照に、補給しよう。



☆近視を抑える太陽の下での外遊び

これについては今回、転載を省略するが
《・・ビタミンD生成以外に、日光の効果が期待されるのが、
実は「近視の抑制」だ。特に高校生以下の子供をもつ人に知ってほしい‥(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




今回、ジャーナリストの笹井 恵里子さんの寄稿文に導かれて、
1日20分の日光浴で"万能ビタミン"、コロナ時代のファクトフルネス、
76歳の高齢者の私は学び、多々教示させられた・・。

そして私は微笑みながら、散策の時に陽射しを浴びて、
陽焼けした顔立ちで、たとえクロちゃん、と言われても、
元気な方が良いよねぇ・・と思ったりした。



しかしながら『ビタミンDが豊富な魚』の図表を見て、
私は何かと魚が苦手で、せめて鮭(さけ)の瓶詰などを愛食しているので、
好き嫌いの欠点のある私は、やむなく微苦笑をしたりしている。



余談であるが、『ファクトフルネス』について、
私は外資系の会社に長年勤めいたが、年金生活17年生となり、
横文字は浦島太郎のようになり、こっそりと調べると、
《・・先入観や思い込みを排除した、データに基づいた目線・・》、
と判り、微苦笑をしたしている。
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老後をひとりで生き抜くために、今すぐすべきこと6条、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2021-03-07 07:39:53 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、ときおり愛読している公式サイトの【介護ポストセブン】の『暮らし』を見ている中、
『老後をひとりで生き抜くために今からすべきこと・・お金と心得』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。


私たち夫婦は、3年前までの年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきた・・。

しかしながら一昨年の2019年、予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と担当医師から宣言され、
結果的に8泊9日の入院となったりした。


家内も生死にかかわる大病で、手術して19泊20日間の入院を
したりしてきた。




私たち夫婦は、いつの日にか、どちらが亡くなり、
残された方が『おひとりさま』になることは、漠然と話し合うことがあったりしてきた。


しかしながらお互いに入院した後、具体的に話し合ってきた。

たとえば終末治療をどうして欲しいか、葬儀、お墓、
そして『おひとりさま』の生活状態で注意することなど、
思い浮かぶ限り話し合ったりした・・。

こうした体験を含めてきた私は、
今回の《・・老後をひとりで生き抜くために今からすべきこと・・》を学びたく、
記事を精読してしまった。

この記事は、『女性セブン』の2018年12月13日号に掲載された記事のひとつで、
関連の【介護ポストセブン】に於いて、2019年1月9日に配信され、
無断であるが記事の前半を転載させて頂く。




《・・ 50歳まで結婚したことのない生涯未婚率は男性で23.37%、
女性で14.06%にのぼり、過去最高を記録。

高齢者のひとり暮らし人口は、増加傾向にある。

その点、私は大丈夫? いやいや、夫や子供がいても安心はできない。

平均寿命は男性の方が約6歳短いし、熟年離婚率も増加。
子供だって、住む場所や家計、関係性によってはアテにならないのだから。

かくして、老後は誰もがひとりになる(かもしれない)。
そう覚悟を決めて、今日からひとりの老い支度を始めませんか?


☆おひとりシニア最大の課題は“お金”

国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、
ひとり暮らしの高齢者数は、2015年で600万人以上。

2030年には800万人になるとの予測だ。
都市部では、65歳以上の高齢者の4割以上がひとり暮らしになるという。

注目すべきは、ひとり暮らしの高齢者が多いということだけではない。
高齢単身女性の貧困率が2015年のデータで5割を超えていることだ。

シニアのシングル女性について調査をしている
「わくわくシニアシングルズ」の代表・大矢さよ子さんによると、
シングル女性が抱える最大の課題は“お金”だという。

「50歳以上のシングル女性530人に調査した結果、
65歳以上の公的年金の受給額は5万~10万円と低い人が多く、
就労している人が5割いました。

そうした女性たちは、いつ病気になるかと、不安と背中合わせで働いています。
もし倒れたら、貯蓄を取り崩さないといけませんから」(大矢さん)

高齢ひとり暮らしの不安はお金をはじめ、
上記のように健康や各種手続きについてなど多岐にわたる。

これらの問題をどう解決すべきか、リアルボイスを交えながら探っていきたい。



STEP1 あなたが今すぐすべきこと6

老後をひとりで生きる準備を始めているノンフィクションライターの中澤まゆみさんから、
まずすべきことを教えてもらった。

【1】自分の体を知り毎日体調をチェック

長く働き、楽しい老後を送るためには健康管理が必須。
「体調がいい時に、血圧、体温、体重を測っておきます。
それを定期的に続けましょう。

血圧の変動だけでも、体のさまざまな異変を教えてくれますし、
体重も病気になったら急速に落ちます。

また、朝起きた時に自分の顔色や舌を見たり、トイレでも便通の様子を気にしましょう。
そうすると、重要な兆候を見逃しにくくなります」(ノンフィクションライター中澤まゆみさん・以下同)

体調の変化に気づいたら、かかりつけ医に相談を。



【2】気軽に話せるかかりつけ医を持つ

年を取れば取るほど、かかりつけ医の存在は大きくなるという。

「持病で定期的に通院していた人が、突然来なくなるなど、
ちょっとした変化を気にしてくれるのが、かかりつけ医の利点。

認知症になった時に、最初に気がついてくれるのは、
かかりつけ医かもしれません」

また、要介護認定や障害年金などを申請する時、
医師の意見書や診断書が必要になるが、
かかりつけ医なら、体の状況をしっかり理解したうえで、
親身になって書いてくれることが多い。

「近所で、気軽に話せて最新の医療をよく勉強している医師を
1人は見つけておきましょう」



【3】地域の中で自分の役割を見つける

住んでいる地域にどんなサービスがあるか、
どこの医療機関がより親切かといった情報だけでなく、
何かあった時に相談に乗ってくれたり、助けてくれたりする人が近くにいると心強い。

元気なうちに、区報や市報で告知されている地域のイベントに参加したり、
地域のボランティアに応募して、人間関係を築いておこう。

「興味がある活動には自分から働きかけ、お互い様の関係を作ることが、
地域での自分の暮らしにもつながっていきます。

子育て経験者や子供が好きな人は、
子育て支援グループに参加するのもおすすめ。

例えば、『子供食堂』では、高齢者が調理や子供との触れ合いに参加します。
自分にとっても楽しい時間になれば、続けやすいでしょう」

地域に自分の役割が見つかれば、そこが居場所になり、充実した老後につながる。



【4】救急医療情報キットを作っておく

ひとり暮らしをしていると、急に具合が悪くなって救急車を呼べたとしても、
意識を失うなどして自分の持病や服薬状況などを説明できないケースが多い。

「そんな時に役立つのが、自分の医療情報をまとめた救急医療情報キットです」

最近は自治体で専用のキットを配布することが多くなった。
保険証、お薬手帳、診察券のコピー、自分の持病、服薬状況、
かかりつけの医療機関などの医療情報をまとめて付属のプラスチックの筒に収める。

配布されたキットではなく、自分で作ったものでもよい。
キットは、かけつけてきた救急隊員にわかるよう冷蔵庫に入れておき、
「救急医療情報キットが入っています」と記した付箋や紙を目立つように貼っておこう。

外出時にも、こうした医療情報を1枚のカードにまとめて財布などに入れておくと安心だ。



【5】自治体のサービスについて知る

介護の負担を軽減するため、
自分の暮らす自治体が独自で行っている高齢者向け支援サービスを調べておこう。

自治体によって内容は多少違うが、
介護が必要な人に紙おむつを支給したり、訪問理美容のサービスなどがある。

ひとり暮らしの人には、緊急通報システムの支給などもある。

さらに社会福祉協議会では、
介護保険ではできない家事を支援する福祉サービスを行っている。

自治体のサービスとあわせて、どれだけ充実しているかぜひ見ておきたい。

自分の自治体の高齢者向けサービスに何があるかを知っておくと、
いざという時の費用負担を軽減でき、家計が助かる可能性がある。



【6】介護保険について調べておく

「要介護になった人がよく困っているのは、
”介護が必要になった時、何をすればいいのか、どこに相談に行けばいいのか”ということ。

まず訪ねるのは、地域包括支援センターですが、その存在を知らない人も多いんです。

いざという時、何が必要で、どんな制度があるのか、
最低限のことは調べておきましょう」

介護保険制度のパンフレットは、
役所の介護担当窓口や近くの地域包括支援センター、在宅介護支援センターでもらえる。

その際に、自分が暮らす自治体には、
どんな介護支援サービスがあるのかをチェックしておくといい。



尚、STEP2 “もしもの時”を助ける手続き5条として、
【任意後見】、【家族信託】、【遺言】、【身元保証】、【死後事務委任契約】、
記載されていたが、今回は省略とした。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




今回、老後をひとりで生き抜くために、今すぐすべきこと6条
多々教示されたりした。

私たち夫婦は、【3】地域の中で自分の役割を見つける、
以外はすべて確認したり、
【4】救急医療情報キットを作っておく、既に実施してある。

しかしながら私は、亡き母の血筋を純粋に受け継ぎ、
男の癖におしゃべりで、家内はもとより、ご近所の奥様、御主人様と談笑したりしている。

ときには見知らぬ人と話したり、話かけられたり、こうしたことは得意であるが、
元気なうちに、区報や市報で告知されている地域のイベントに参加したり、
地域のボランティアに応募して、人間関係を築くことは、苦手となっているので、

欠落した自身に、やむなく苦笑したりしている。
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尾身会長、年内終息見込めず 「冬までは感染広がる」、76歳の私は学び、悲嘆して・・。

2021-03-06 01:46:31 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、愛読している【Yahoo! JAPAN】が配信されているニュースを見ていたら、
『 尾身会長、年内終息見込めず 「冬までは感染広がる」』、
と題された見出しを見たりした。

昨年の2月初旬より新型コロナウイルスの烈風に伴い、
私は戸惑いながら、外出する時は生まれて初めてマスクを付けてきた。

何よりも感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民のひとりとして、と実施したりしてきた。 



今年になっても、政府は、感染が急拡大したことを受け
1月8日から東京を中心とした首都圏1都3県を対象に
緊急事態宣言が出されてきた。

その後、2月7日までを期限に大阪、愛知、福岡など7府県が追加されたりしてきた。

しかしながら、この7日で解除となったのは栃木県だけ。
政府は残りの10都府県の宣言は、3月7日まで1か月間延長した。

この後、感染状況や医療提供体制の指標が「ステージ4」を脱したとして、
首都圏を除く6府県は、2月末に前倒しして解除することを決定。

新規感染者数の減少幅の鈍化や、医療提供体制のひっ迫が指摘された1都3県は
3月7日に解除されるのか、再延長されるのか注目されていた。



このような状況下で、今回の《・・尾身会長、年内終息見込めず 「冬までは感染広がる」・・》、
どのようなことなので・・と思いながら記事を精読してしまった。


この記事は、【共同通信】が3月5日の 17:03配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・ 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は
5日の参院予算委員会で、
コロナ感染の年内の「終息」は、見込めないとの見方を示した。

年内に人口の6、7割がワクチン接種を受けると仮定しても
「おそらく今年の冬までは感染が広がり、重症者も時々は出る」
と述べた。



 ☆ワクチン円滑供給に「?」五輪は本当に…苦しい菅政権


終息の定義として「さらに1年、あるいはさらにもう1年たち、
季節性インフルエンザのように、それほど不安感がなくなれば終息となる」
との考えを披露した。(略) ・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



昨年の秋の頃、新型コロナウイルスを終息させるひとつの手段として、
日本の殆どの御方が開発されたワクチンが接種できれば、
と何かと無知な私は念願してきた・・。

しかしながら、今年の2月に、
ワクチン「6月末までに全国民分を確保は無理」、
と学び、無力な私でも動顛してしまった。

このような心情の私は、今回の《・・尾身茂会長は5日の参院予算委員会で、
コロナ感染の年内の「終息」は、見込めないとの見方を示した・・》、
少なくとも今年の年内まで自粛するのかょ・・と悲嘆したりした。




この後、【時事通信】に於いて3月5日22時05分に配信された中で、
『 緊急事態、首都圏21日まで 菅首相「感染抑制に必要」―再延長を陳謝 』、
と題された記事を読んだりした・・。

《・・政府は5日、新型コロナウイルス対策として
東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏4都県に発令中の緊急事態宣言(7日期限)について、
21日まで2週間延長することを決めた。

【図解】緊急事態、首都圏21日まで=

 菅首相「感染抑制に必要」―再延長を陳謝 (時事通信) - Yahoo!ニュース

私はこの図解に示されて主な対策(継続)を見て、
今でも徹底できていない現状に憂いながらも、
更に具体的な周知徹底の項目を明示しなければ、
これから21日まで2週間延長しても効果はない、と失望したりしている。

こうした根底には、東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏4都県の御方の多くは、

感染拡大を防ぐために、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、

長い日々の自粛疲れが、お互いに感じられている。



昨年の5月4日、新型コロナウイルス拡大に伴い、
政府に意見を述べる諮問委員会が開催され、
西村康稔経済再生相は「全ての都道府県について5月31日まで、
緊急事態措置を延長することを諮問させていただきたい」とテレビのニュースで報じていた。


これ以降、政府、各専門委員会などで、
新型コロナウイルスを終息させる為の具体的な総合施策を検討し
国民に提示してきたか・・
無知な私でも、幾たびも溜息を重ねたりしてきた・・。



菅首相に関して、経済も大切であるが、
国民の健康と命を守ることも総理大臣としての責務であるので、
ここ一番、多くの国民が信頼できる言動を期待する。

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脳のゴミ掃除は、食事と睡眠が大切、76歳の私は多々学び、やがて微苦笑して・・。

2021-03-05 14:19:49 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot. 】の中で、
『 脳トレで老化は防げない?

           脳の掃除におすすめは食事と睡眠 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

こうした中で、午前中のひとときは、
殆ど毎日のように小公園、住宅街の小道などを歩き、季節の移ろいを享受している。
季節の移ろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。



このような深情のある私は、《・・脳の掃除におすすめは食事と睡眠・・》って、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は『週刊朝日』の 2021年3月12日号より抜粋された記事であり、
【 AERA dot. 】に於いて3月5日に配信され、無断ながら記事を転載させて頂く。




《・・ 物忘れが多い、認知症かも・・・。
そんな不安の原因は、脳にたまった“ゴミ”かもしれない。

脳のゴミ掃除は、病院に行ったり、薬を飲んだりする必要はない。
ゴミ出しに効く食材を取り、質の良い睡眠などを心がけることで、
ゴミは取り除けるという。

何歳からでも遅くはないが、継続が大事だ。

【脳のおそうじスープの“素” 詳しいレシピはこちら】

https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2021030300046_2




脳神経内科の内野勝行医師は、「脳のおそうじスープ」を薦める。

脳にゴミをためる原因となる活性酸素を除去するリコピンを含む『トマト』や、
同じく抗酸化成分のアスタキサンチンが豊富な『桜えび』など、
脳の掃除に効果的な食材がたっぷり入ったお手軽料理だ。

』も優れた食材だ。
炭水化物があまり含まれておらず、卵黄にはコリンという成分があり、
脳内の重要な神経伝達物質であるアセチルコリンの材料になっているという。



☆認知症予防の観点では発酵食もお薦めだ。

「アルツハイマー病患者には、血管に問題がない人はいません。

発酵食が血液をサラサラにする効果は、臨床的にも証明されており、
中でもベストは『納豆』です」(同)

』と『納豆』を組み合わせる際に、『キムチ』も一緒に混ぜたい。

血液をサラサラにする自然乳酸菌が多種類入っている。

「食生活を改善すれば、アミロイドβはゼロにできます。
かつてオランダ人女性が115歳で亡くなり、
脳を解剖するとアミロイドβがほぼなかったという結果がありました。
つまりクリーンな脳を保てるということです」



睡眠も脳の掃除に重要と説くのは、長尾クリニック院長の長尾和宏医師だ。

アミロイドβは睡眠によっても減ることがわかっていて、
睡眠不足が続くと排出が進まず、ゴミが沈着するという。

「睡眠は、量だけでなく質も重視してほしい。

深い眠りであるノンレム睡眠80分と
浅いレム睡眠10分の計90分を5回繰り返した7.5時間が理想的な睡眠です」

人によって最適な睡眠時間は異なる。

良質な睡眠の判断材料は、
起床時の「よく寝た」、「すっきりした」という熟眠感があるかどうかだという。

「無理して長く寝る必要はありません。
量を意識しすぎて、入眠のために睡眠薬やアルコールに頼るのは
熟眠感を生む睡眠リズムの障害になるのでNGです」



■歩きながら計算 2動作を同時に

快適な入眠のために最適なのが、日中の歩行だ。

「ただ歩くのではなく、50から3を引き続ける引き算を口に出しながら歩くなど、

頭と体を同時に動かすコグニサイズが有効です。

二つの動作を同時に行う習慣を続けると、アミロイドβが減ることが証明されています」

脳の衰えを防ぐために「脳トレ」と呼ばれるパズルなどに
取り組んでいる人も多いのではないだろうか。

しかし、内野医師は、こう指摘する。
「欧州の研究などでは、脳トレには認知機能低下を防ぐ効果はないとするデータや、
科学的根拠が不十分であるとする発表があります。

効果があると信じ切って、義務感で続けているとすれば意味がありません」

もちろん自身の趣味として、続けている分には問題ない。

メカニズムを理解したうえでの対処が大事なのだと内野医師は強調する。

紹介した方法は何歳からでも効果はあるとのこと。

習慣づけることが大切だ。(本誌・秦正理)‥》

注)記事の原文にあえて、改行を多くした。

              

今回の記事で多々教示させられたりした。

何よりも教えられたことは、食べ物のことであり、
トマト』、『桜えび』、『納豆』、『卵』、『キムチ』などが、
大切・・と学んだりした。

私も『納豆』、トマト』は、毎日愛食しているが、
『キムチ』は苦手で、敬遠しているのが実態となっている。

睡眠に関しては、現役サラリーマン時代だった時と違い、
悩みは激少している為か、たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡し、
殆ど7時間ぐらい寝てている。

ときおり深夜まで読書をした場合、昼食後に一時間前後、昼寝を甘授し、

いつでも寝ることが出来るのは年金生活の特権のひとつかしら、
と微笑み時がある。



しかしながら《・・歩きながら計算 2動作を同時に・・》、
読みながら、微苦笑したりした。

私は周辺の情景を見ながら、季節のうつろう光景を心で受け止めながら歩いているので、
その上、何かと不器用な私は《・・歩きながら計算 2動作を同時に・・》、
無理であり、半強制的にすれば、つまずいたりするので歩行にあぶないので、
避けたりしてきた・・。

今回の記事、このように受け止めながら、微苦笑を重ねたりした・・。



そして今年の秋に私は77歳を迎え、
何んとか80歳のお誕生日までボケないで、
往復2キロを歩いて、我が家の平素の買物担当の責務は果たしたい、
と思ったりしているが、果たして・・、空を見上げたりしている。
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我が家の周辺を散策して、76歳の私は、幾たびか微苦笑させられて・・。

2021-03-04 14:25:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
生家も近く、結婚前後の5年間を除き、この地域に住んで早や70数年となる、
年金生活の身である。

そして我が家は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
ささやかに過ごしている。


こうした中で、午前中のひとときは、
殆ど毎日のように小公園、住宅街の小道などを歩き、季節の移ろいを享受している。
季節の移ろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。



昨夜、私のパソコンに記憶させている写真を眺めていると、
昨年の3月3日に於いて、我が家の近くに流れている野川の上流で、
早咲き桜が開花した情景が映し出されていた・・。





この情景を見た私は、明日のひととき訪ねてみようと、
独り微笑んだりした・・。


このような心情を秘めて、本日、野川の両岸にある遊歩道を歩いたりした・・。



やがて昨年に早や桜を鑑賞した所に着いたが、小さな莟(つぼみ)がたわわになっているだけで、
どうしてなのょ・・、天上の気候の神々に訴えるように、青空を見上げたりした・・。




春は古来より、春に三日の晴れ無し、と伝えられているので、
やむえないか、と思ったりした・・。

この後、菅総理の一貫性のない新型コロナウィルスの対処に、

脳裏から舞い降りて、微苦笑をしたりした。

やはり日頃の思いが重なり、多くの国民は戸惑い、
いつになったら終息させる具体的に総合対策が、出来るのか、
と無力な私でも思い憂い、苦笑をしたりした。


やがて帰路として歩き出し、川面は早春の陽射しを受け、
のどかな情景の中、川辺の近くに於いては、
先生に引率された園児たちの歓声が聴こえたりしてきた・・。




私は無念ながら孫はいないが、こうした園児たちの歓声は、
歓びを感じ、明日への希望に光明を深めて下さるょ・・と心の中で呟いたりした・・。

やがて我が家の近くに、ここ一カ月眺めてきた白梅を、
立ち止まり眺めたりした・・。





このようにしなやかに生をまっとうしている白梅に、
私も重ねられたら・・と思いながら、我が家の門扉に近づいたりした。
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華やいだ『ひな祭り』、ぼんやりと幼年期の頃を思い馳せて、微苦笑して・・。

2021-03-03 14:31:40 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、
令和3年3月3日、と明記されていた。

そして何かと単細胞の私は、3が三つ連続した表示であったので、
何か良いことがあるのかなぁ・・と思ったした。

こうした中で、小さく『ひな祭り』と朱記されたことに気付き、

日本の女の子を全国的に祝う日である、
と瞬時に理解して、微苦笑をしたりした・・。

我が家は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
無念ながら、もとより孫娘もいないが、
少しボケた私でも一年で最も華やいだ認識している。



本日の午前中のひととき、いつものように家内から依頼された平素の買物の品を求めて、
私は独りで、最寄りのスーパーに行ったりした。

やがて私は、我が家の平素の買い物の専任者なので、

最寄りのスーパーに行ったりした。


やがて店内で、家内から依頼された品を探している中、何かしら華やいだ桃の花が飾られて、
はまぐりと菜の花が入った『ひなまつり 五目ちらし』、穴子の入り『ひなまつり 五目ちらし』などがあり、
この片隅には『いちごのショートケーキ』、いちごの『あまおう』、『とちおとめ』などもあったりした・・。


やがて私は、家内も女性の身なので、私は『ひなあられセット』を平素より少しばかり高価な品、
そしてプリンの代わりに桜餅、草餅などを買い求めたりした。

そして帰宅後、ぼんやりと小庭に咲いている白梅を眺めたりした。
       
          


やがて遠い昔の70年前の頃、私の生まれた実家の『ひな祭り』の情景が甦(よみがえ)ってきた・・。

私は1944年(昭和19年)の秋、農家の三男坊として生を受け、
 祖父と父が健在だった頃までは、私が今住んでいる近くで、農家をしていた。


そして、戦前の小作人だった御方たちの助力を得たりし、
程々の広さの田畑を耕し、雑木林、竹林などがある家であった。

こうした中、長兄、次兄の次に私は生まれたのであるが、
何かしら祖父と父などは、三番目の児は女の子を期待していたらしく、

幼年の私でも感じたりしていた。

もとより農家は、暗黙の了解で跡継ぎとなる長兄、

この当時は幼児は病死することもあったが、
万一の場合は次兄もいるので、私は勝手に期待されない児として、

幼年心にいじけたりすることがあった。

やがて私の後に妹がふたり生まれ、 
祖父、父が初めての女の子に溺愛したしぐさを私は見たりすると、
 私は益々いじけたり、卑屈で可愛げのない言動をとることが多かった・・。



       

       
こうした中、早春の2月の下旬になると、母の実家から贈られたひな人形を
父が宅地の隅にある蔵から出してきて、母や父の妹の未婚だった時の叔母に手渡していた。

まもなく10畳の一角にひな壇を設け、ひな人形の五段飾りを設置し、
この前に桃の花、ひし形の白色、桃色、薄緑色のひし餅を置いたりしていた。

ひし餅は、父が端正こめて育成してきた餅米を、
やがて収穫して保存していたのを、精米所に持ち込んだ後、
数日後に父が杵(きね)で臼(うす)の中にある蒸された餅米を搗(つい)たりした。
そして何故かしら菱形にして、三色にしていた。

後年の60歳になった頃の私は、初期の菱餅は草色だったが、江戸末期になって、真ん中の一枚が白くなり、
更に明治時代になってから、上の一枚に小豆(アズキ)で色をつけて、
今のような桃色に仕上げるようになった、と知ったりした。

そして一枚目の紅は桃の花、二枚目の白は雪を、三枚目の緑は若草を表わす、と学んだりした。




桃の花は、宅地の外れにある陽当たり良い所に3分咲きを活(い)け、
 何かしら華やぎ、かぐわしい香りがしていた。

このような情景を私は、ぼんやりと眺めていたが、
華やかな桃の花、3色のひし餅、そして絢爛(けんらん)な17人の人形を見つめていた。

そして、私はため息を吐(つ)きながら、
『女の子はいいよなぁ・・家族そろって・・皆に大事にされるから・・』
といじけた私は思ったりしていた。

そして、人形の中のひとつ、護衛のようになっている人形を見つめ、
あのように綺麗な格好でいられたらいいよなぁ、と眺めたりしていた。

やがて 『桃の節句』の行事が終り、翌日になると母は五段飾りを撤去し、蔵に仕舞う準備をしていた。
私はせっかく飾ったのだから、せめて桜の咲く頃まで、
このままにして置けばよいのではないか、と幼年心に感じたりしていた・・。

       


このような思いを抱いた後、桜の咲き始めた頃、私は地元の小学校に入学したのは、
1951年(昭和26年)の4月であった。

やがて私が小学2年の3学期の終る早春に父は42歳の若さ病死され、そして1年後には祖父に死去され、
大黒柱となるふたりが亡くなったので、生家は没落をしはじめた・・。

そして確か2年後には、『桃の節句』が到来しても、
私の生家は、ひな壇を設け、ひな人形の五段飾りを設置し、
この前に桃の花、ひし形の白色、桃色、薄緑色のひし餅を置いたりする余裕もなくなり、
これ以降、私は見かけることはなくなった。

このようなことを私はぼんやりと、思いだしたりし、
齢を重ねた私は、70年前の頃に、そうだったよなぁ、と微苦笑したりした。




我が家は無念ながら、あどけなく可愛らしい孫娘もいなく、
今としては『ひな祭り』は、見果てぬ夢のひとつとなったりしている。

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私たち夫婦の合言葉、何かと『コロナが終わったら・・』、互いに微苦笑して・・。

2021-03-02 11:29:52 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして 雑木の多い小庭の中で、築後40数年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
自動車もない稀(まれ)な家となっている。

私たち夫婦は、3年前までの年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきた・・。




しかしながら一昨年の2019年、予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 
しばらく経過観察したく・・ と担当医師から宣言され、
結果的に8泊9日の入院となったりした。


この時に、大学一年の夏季合宿にタバコを喫い始めて、
長年こよなく愛煙者だったが、これを機会にタバコにお別れとなったりした。

更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。

             


この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をしたりした・・。

この後の経過状況、やがて回復状況も医師より順調と診断され、
19泊20日間を得て昨日に退院となり、我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、膵臓(すいぞう)がんは死別するケースが多いと学んできたので、
最悪の場合を想定することもあったりして、揺れ動いたりしたことは事実であった。

このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。




この後、家内は指定された抗がん剤などの薬を服用しながら、
指定の検査日に通院したりし、
家内は家内の母の介護は、やむなく家内の妹にすべて依頼し、
家内は身辺整理を始めたりした。

そして茶道具、和服などを家内の妹に贈呈したり、
我が家の終活を具体的に私たち夫婦は始めたりした・・。

やがて退院後の半年の検査で、転移がない、と医師から伝えられるまで、
私はもしかしたら家内はこの世を去ってしまう・・と心の片隅に思いながら、
心痛な思いで過ごしてきた・・。

もとより膵臓(すいぞう)がんは、死につながるケースが多いが、
第一段階の半年後の検査は、幸運にも転移がないと知り、安堵をしたりし、
いつの日にか転移して、手術か薬も効果なく、この世にお別れすることも、十二分に想定できる・・。

これ以降は私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。             

ただ家内としては、私の兄妹には、当面として、病状に関して防ぎたく、
連絡もしていないので、こうした投稿文は、
私としては、ためらいながらなるべく記載しないできた・・。

そして私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味で、
お互いの入院で中断していたが、昨年の新年に於いて、
4月か11月に、沖縄に行けたら良いよねぇ・・、と談笑したりした。




しかしながら2月初旬より、新コロナウィルスの烈風に伴い、
世の中は一変してしまった・・。

私は、家内が転移しないように祈願したりし、
家事をすこしつづ習得しながら、
そして新コロナウィルスの烈風に戸惑いながら、過ごして今日に至っている。


新コロナウィルスの烈風の前には、
我が家の平素の買い物は、年金生活を始めた当初より私が担当してきた中、
3週間に一度ぐらい駅前などで、家内のボディガード兼お供そして荷物持ち買い物をしたり、ときおり外食をしてきた・・。

或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物をしたり、
国内旅行や、都心などで会社時代の懇親会、冠婚葬祭などをしてきた・・。

しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民のひとりとして、私たち夫婦は確かな責務、と実施したりしてきた。



こうした中で、私たち夫婦が駅前とかデパートに買い物、食事処の外食などは、

『コロナが終わったら・・』、互いに自制しながら、
微苦笑したりしてきた・・。

或いは都心などで会社時代の懇親会の中止は、
『コロナが終わったら・・』と幹事長からメールを頂き、
私は微苦笑をしたりしてきた・・。

今や私たち夫婦が共に外出する時は、家内の病院の指定検査日に、
私はボディガート兼お供で同行し、
やがて帰路に最寄駅の駅ビルで素早く買い物をして帰宅する程度となっている。

まして幾たびも成功体験をしてきた沖縄の旅路も、
ときおり『コロナが終わったら・・』と互いに言ったりして、微苦笑している。
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ただいま亡き作家の半藤一利さんの遺(の)こされた御著作、76歳の私でも、読書中・・。

2021-03-01 15:40:13 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
一昨日、最寄り駅のひとつの駅ビルにある本屋に寄った時、
一冊の本に瞬時に魅せられて、買い求めたりした・・。



過ぎ日の1月13日、いつものようにヤフーで配信されたニュースを見ていたら、

《・・作家の半藤一利さんが死去 昭和史研究で著書多数、90歳

「日本のいちばん長い日」などの著作で知られる作家の半藤一利さんが12日午後、
東京都世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。

東京都出身。東京大を卒業して文芸春秋に入社。
「週刊文春」「文芸春秋」編集長を歴任、1994年から著述に専念した。
編集者として坂口安吾らを担当し、歴史研究に開眼。

終戦時の軍部関係者らを集めた座談会「日本のいちばん長い日」は、
 雑誌「文芸春秋」の記事となった後に単行本化され、映画化された。 

憲法9条と平和の大切さを次世代に説き続け、2015年に菊池寛賞を受けた。・・》

このように共同通信が発信され記事を読んだりした。



私は半藤一利さんの著作された昭和史に関する書物などで、
数多く学び、敬愛してきた半藤一利さんであった・・。

無力な私は、確かな日本の貴重な御方の御逝去に、
日本は大切な御方を失った・・
心より深くご冥福をお祈り申し上げます・・と心の中で呟(つぶや)いたりしている。




過ぎし2015年の初夏、私が購読している読売新聞の朝刊に於いて、
『戦後70年』の連載記事を読んだりした。

『[戦後70年 あの夏]どう負けた 皆知らない 作家 半藤一利さん 85歳』
と題された記事を襟を正して読んだりした。

もとより作家の半藤一利さんは、昭和史研究家として突出されたお方である。
一部を無断ながら、転記させて頂く。

《・・敗戦の原因は、日本人固有の精神構造にあると思います。
情報を直視せず、自分に都合のいい結論のままどんどん行った。

ミッドウェー海戦では、敵機動部隊は出てこないと決めつけ、
ガダルカナル島の戦いでも、敵はすぐに引くと根拠もなく信じた。
兵站(へいたん)が限界を超えても出て行った。

陸海軍合わせ240万人の戦死者のうち、7割が餓死か栄養失調か、それに伴う病死でした。
そんな無残な死に方をする戦争なんてありえません。

国全体が集団催眠にかかり、勢いで突き進んだ結果でした。・・》
                       


この後、半藤一利さんにインタビューされた編集委員・服部真さんが、
半藤一利さんの思いの記事が掲載されていた。

《・・「一等国」意識の暴走 背景に国民の熱狂

明治から昭和にかけての歴史は、

日露戦争(1904~05年)でいったん切った方がわかりやすいと、
半藤さんは言う。

日露戦争までは、欧米列強に植民地にされるのを回避するため、

近代化を急いだ時期だ。
巨額の軍事費をまかなうため、国民は重い負担に耐えた。
ロシアに対して、世界中が日本が負けると思っていた戦争を始めたのも、

自衛のためだった。

日露戦争から昭和の初めまでは、日本が大国として振る舞った時期だ。
戦争に勝ち、「一等国」の仲間入りをしたと国民は確信するが、

そこから日本が変わっていく。

自分たちは一等国民だという意識で動き始めたようだ。

例えば、第1次世界大戦の戦後処理を決める1919年のパリ講和会議では、
分け前を声高に主張して顰蹙(ひんしゅく)を買う。

国際社会で孤立を深めた日本は、

英米に敵対感情を抱くようになり、33年には国際連盟を脱退する。

当時の指導者たちは、情勢を直視せず、国際法を顧みずに暴走した。

 そして、米国を相手に、勝ち目のない戦争へと突き進んだ。

その背景に国民の熱狂があったことが、半藤さんの話から伝わってくる。 (服部)・・》





私は1944年(昭和19年)の9月に生を受けた身であり、
乳児で1945年(昭和20年)の8月の敗戦であったので、
戦争を知らないひとりである。

こうしたあの時代に、現世の私は心を痛め、ただ無力な私は、
深く学んだりしている。



この後、亡き作家の半藤一利さんの遺(の)こされた御著作を読みたく、
半藤一利・著作の『昭和史 ~戦後編から』(平凡社)を本箱から取りだして、
再読したりした。

やがて2月10日、総合月刊誌の『文藝春秋』に於いて、
特集の『追悼 半藤一利』の記事を精読したりした。

この後、本屋で、半藤一利・著作の『歴史と戦争』(幻冬舎新書)を見かけて、購読している中で、
今回の文藝春秋・特別編集『半藤一利の昭和史』(文春ムック)をめぐり逢えたりした・・。


このように亡き作家の半藤一利さんの遺(の)こされた御著作を、
遅ればせながら学び、ときおり溜息をしたりして、
何かと単細胞の私は、昭和の重みを改めて感じ深めたりしている・・。


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