夜中にエサを食べ、えずいちゃいました。
昨年の2月、大学病院に呼び出され、姉から告知を受けました。放置すれば半年、積極的治療を行って1年の余命宣告だったと。第1クールの化学療法の効果か、順調に推移しあれから一年。明るく「一年生きたぞぉ。」と電話で語っていたものの、今は薬を替えての治療…今回は髪の毛が抜けているようであります。無理はしなくてもと思うのでありますが、気晴らしになるからと盆正月、そしてお彼岸に線香をあげにやって来る。姪っ子に乗せられて帰る足取りは、以前よりも弱々しくなっていることが素人にも感じられます。今は亡き親父が「あいつ(私)だけが心配だから、様子を見てやってくれ。」というのが私(姉)への遺言だからと、足繁く通ってくれるのであります。親父は東京の大学に進んだ私を山形に連れ戻したのが心掛りだったのかも知れない。一時は家に入ることも覚悟した姉だから、長男として山形に戻った私を気に掛けているのは、親父ではなく姉のそのものなのかも知れない。その心の内は私には分からない。
低気圧通過の影響で強風が吹き荒れる帰り道、長男『ぽん太郎君』と建てたビニールハウスを眺めながら「こんなに広い面積を…男ふたりなら出来るか。」などと、独り言をつぶやきながら帰って行きました。
ハウスの中では「軟白栽培」を始めております。
『夢屋農場長』が実践している栽培方法のほとんどは、亡き祖母がやっていた栽培方法の見よう見まねでありました。少しずつ改良を加えながら、今年はハウス内で「ウルイの軟白栽培」を実行中。試行錯誤の連続なので、危険率を分散し、ハウス内、トンネル式、旧来の籾殻式と試してみる予定です。「両親を見送り、子どもたちも成人したのだから、これからはやりたいことをやりなさい。」姉がそんなことを言い始めたのは、ちょうど2年ほど前のことでありましょうか?自分自身は決して山形に帰って来たことを悔やんでもいないし、都会で目出度く就職出来ていたとしても成功したとも思えない。地元でそれなりに遣り甲斐のある仕事もさせていただいた。農場長よりも男性的な性格の姉の方が、男だったら一廉の人物になっていたような気もするのではあるが…「やりたかったこと。」とは、むしろ、姉の気持ちを表現したものなのかも知れない。
それをやり遂げたところで、世のためにも人のためにもならない『自由研究』を今はやらせていただいている。四コマ漫画「100日後に死ぬワニ」が、3月20日(お彼岸の中日)に最終話を迎えたとのことである。人生何があるか分からない。姉の余命を心配している弟が、明日は事故で姉より先に逝っているかも知れない。今は只々、時間が惜しいと感じる日々でありますよ。