「尺三寸」の絵巻物がご神体とされますが…
なはは、ご神体は長い歴史とともに『チュー太郎』が食い破り、「十六童子」も悪ガキが遊んで捨てて11体…それでも、神罰は下っていないから、実に温厚な鎮守様に違いない^^;
夏の例大祭に「お賽銭」を数え、今日は「年越祭」であるから、さて、それからのお賽銭は?と蓋を開けると、一円も上がっていない。厳重に施錠管理されているから賽銭泥棒の仕業でもなし、夏祭り以降、集落氏子の諸人たちは、お参りもしなかったのかね?いやいや、悩みごと相談ごとのひとつもなく、我が民人たちは平穏無事に過ごせたに違いないのだと思うことにしよう…現に今日は、「年越祭」を何事もなく迎えられたではないか^^;
例年ならば、餅を搗いて集落の人々に振舞い、一年の無事を喜ぶところでありますが、今年は新型コロナウイルス感染症を理由に、餅は搗かず、餅も搗かないから「鏡餅」は、量販店のパック餅で済ませ、お神酒も頂かず、それでは余りにも神様に失礼かと思い、一年間の無事を感謝し、来る年もまた良い年であるように、無事故で過ごせるようにと、公民館敷地の四つ角に「お清め」として撒きましたよ。
さて、このように罪深き氏子たちに決して神罰を下さない鎮守様の「十六(十一)童子」を改めて覗いてみますと、白く剥げてしまったと思っていた童子に、微かに「彩色」された跡が残っておりましたよ。地元郷土史家の説によれば「奥津島神社(弁天様)」は、江戸時代に遷宮されているはずだから、その当時の童子が残っているのか由来不明…中央に鎮座するのは八臂弁財天(はっぴ…八本腕)のようである。
同居人に似て「でぶった!」
散々、悪さをして、今さら信心深いようなことを言っても始まらないのでありますが、歳を重ねてみたら、もしかして、お宝だったんじゃないかなんて思えて来た。(米沢藩の足軽屋敷ゆえ、八臂弁財天なのであろうし、毘沙門天像が置いてあり、瀬戸のお稲荷さんがあり、割れた瀬戸の仏像ありとやたらではあるのだけれど^^;)信じる信じないは別にして、このムラを300年に渡って眺めていらしたことだけは確かであります。そんな思いで境内を眺めていたら、子どもの頃にあった杉の木立がそのままであることに改めて気づくのであります。「平成」の改元時に植えられた杉の木でさえ、直径200mmを超える杉となっており、子どもの頃の思い出の杉は、それ以上に太かった思いがあるから、少なくても杉の木でさえ100年の時を過ぎているとも思えるのであります。
人ひとりの営みなど、儚いものではありますが、木々の息遣い、神社本殿の彫刻もまた、時を経てなお朽ちずに残っておりますよ。「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。」なんて言ってもねぇ、名も無い民人として消えて行く庶民のひとりではある。昨日の雨が予報通り、雪に変りました。パイプハウスが倒壊しないように、これからは雪下ろしの毎日かと思いつつ、困ったことがあれば「神様あとはよろしく」とお願いしようとは思う。お賽銭ねぇ…うちの神様「お賽銭は?」なんて言ったためしがありませんから(笑)