その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

ニクの餅

2020-12-29 09:20:26 | 転職

「獣肉の餅」という訳ではないだろうに^^;

食肉に恵まれない田舎街では、春に鶏のヒナを買い、くず米を与えて肥育して、お正月に貴重な出汁、肉として食していた。我が両親は年末ギリギリまで安い日雇いのような仕事をしていたから、「鶏を潰す(食べるために殺し、解体処理する)」のは、年少の叔父の役割だった。食肉にするためには「血抜き」をするのだが、絶命するまで手を離してはならない…首を斬られた鶏は、最期の抵抗?でそんな状態でも跳び回るからである。鶏肉を一切口にしない農家の屈強な柔道男子がいたけれど、その理由は、首無しの鶏に後を追い掛けられたというトラウマからそうなってしまったらしい。
友人『ノロ社長』は、農園で鶏を飼え、田んぼで合鴨を飼えと親切に提案してくれるのであるけれど、『農場長』は解体する自信はあっても、食肉用の鶏、鴨の類は飼えない…間違いなく『にわ子♀』『カモ男♂』と名付けてしまい、情が湧いてしまうことが明らかであるからである。「命を大切にする教育」と称して、豚を飼育して食べる。鶏を飼育して食べることの重要性を説く方もいらっしゃるが、食肉用の家畜は、ペットではないから情が湧くような飼育をしてはいけないと思う。スーパーに行けば何でも買える世の中にあっては、あくまでも食料としての分別が出来るようになってからの教え方ではなかろうかと思うのであります。私の場合のように「食い気>生物」という不等式が成り立っていた時代とは違うような気がするのであります。


今年も「鏡餅」は八つ^^;

近所に住む母方の伯母(他界)は、「29日はニクの餅といって、餅を搗くべきではない。」としきりに言っていた。親父、お袋が亡くなってからも「仏様のお膳の向きはこうである。」等々、若い者への助言として言ってくれるのであるが「その家の習いというものがあるのだから構わないでくれ。」と言い放ったことがある。
「ニクの餅?肉の餅?」…一年間の憎しみまでも餅に搗き込んでしまう。ということが我が在所の習いらしいのだが、勤め人が仕事納めをして、餅を搗くとなると29日か30日。29日が「ニクの餅」ならば、30日の晦日に搗いた餅で鏡餅を作れば、お供えは31日となり、これまた「一夜飾り」となってしまう。これまた、大晦日の慌ただしいお供えは神様に失礼であるというのがその謂れらしい^^;(パンピーは、年末まで忙しく働いているというのに。)
新型コロナウイルス感染症の影響で「初詣は分散し、密を避けましょう。」なんて盛んに広報しておりますが、三が日に初詣しても、年末にお参り締めをしても御利益に変わりはないんですと。結局のところ人間の都合(神職の都合)で、「習い」さえも強引に変更してしまう。「お賽銭は如何ほどで?」「御祈祷の初穂料は如何ほどで?」…「お気持ちで結構です。」ならば『お気持ち』と書いたお札を熨斗袋に入れて渡したら、あなた(宮司さん)怒るでしょう^^;
神社本殿には必ず鏡(鑑)が置いてあるはずである。「己の姿、心を鑑みる。」ことが重要なのであって、お賽銭の多寡でお願い事の取捨選択が行われるのであれば、それは神の業ではありませんよ。と、神様を諭してどうするの(笑)

コメント
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