その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

群青色

2021-10-19 10:59:59 | 転職

「飛島」には行っていなかったなぁ…

『豊かさとは自由の拡大である。』(多摩大学大学院客員教授etc. 久恒 啓一氏)との寄稿文にポンと膝を打った^^; 氏は『人生とは、肉体的自由(カラダ)を土台に、経済的自由(カネ)と時間的自由(ヒマ)を得て、最終的に精神的自由(ココロ)を求める旅である。』と結論づけられた。至極当たり前のことであると思いつつ、我が後半戦の人生に当てはめてみると…肉体的自由(カラダ)は、目が衰え、歯がガタつき、体力は当然落ちているのだけれど、まだまだ自由に動ける。経済的自由(カネ)はと言えば、若い頃からの若干の蓄えと日々の労働(お百姓さん)でカツカツながらも今のところやり繰りがついている。(物欲が極端に落ちているのも役には立っている^^;)時間的自由(ヒマ)は、生活のための労働という制約はあるのだけれど、勝手気ままな裁量労働制だから「やるときゃやりまっせ^^;」位の気楽さがある。…ということは、『おやじぃ』は相対的に「豊か」ではないか?と考えるのであるけれど、何故か満たされない?つまり~精神的自由(ココロ)が満たされていない訳よね。何でぇ~?
友人『ノロ社長』は、新たに「ぶどう園」作り(遊びですけれど^^;)に励み、友人『イチオ君』は、退職金でキャンピングカーを買って旅をすることを夢見ながら、嘱託で働いている。(当然、奥さんには反対されているようだけれど^^;)そうそう、人間は、理想と現実のギャップというものはあるけれど、次なる『目標』というものが必要なのだよ…。


そこそこの「成果」に満足していないかい?

「YOASOBI」という音楽ユニットの「群青」という曲を聴いている。そうそう、『おやじぃ』は訛って、子どもの頃は「ぐんじょ色」と呼んでいて、水彩絵の具は「漬けナスのような濃い青」だった^^; 色見本では、『おやじぃ』のイメージする「濃い青」ではなく、鮮やかな「青」であり、「群青の大海原」というイメージが一気に払拭されてしまった。(感動すべきは、そこではないのだけれど^^;)
歌詞は「ブルーピリオド」(山口つばさ著)という漫画が下敷きになっているようだ…「東京藝術大学」に通う学生たちの葛藤が描かれているのかなぁ?(読んだことがないので分からない^^;)
何もかも『ごった煮』にしては申し訳ないのではあるけれど、研究活動も創作活動も、そして経営戦略も、それぞれに「精神的な葛藤」があるのではないだろうかと考える。このまま続ける(進む)べきなのか、止める(撤退す)べきなのか?そこそこの到達点で満足している自分が居るからいけないのよねぇ…『器用貧乏』のなせる業でありますよ。「キュウリ生産」は、「夏秋キュウリ」の弱点に対して「抑制キュウリ」を導入することで、そこそこの生産が出来るようになった。さて、次なる課題は何?そうそう、「群青」の歌詞の中に「何枚でも♪そう何枚でも♪」という歌詞が出て来る。若い学生さんが、葛藤している姿が謳い込まれていると思うのだけれど、どうも奮い立たない『おやじぃ』が居る。(年取ったかなぁ?)「限界が見えて来た。」と思ってしまうところに、自分の限界がある。『種子を蒔かねば芽は出ないし、育てなければ収穫も出来ない。』…まだまだ、可能性はある。可能性の『種子』を蒔き続けなければねぇ…と、まだまだ「精神的自由」を手に入れられない『おやじぃ』の葛藤は続くのでありますよ(笑)

コメント
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