「牡蠣」で中ったのは一度だけ^^;
それも酢の物が食べられなかったはずなのに、風邪で体調が悪いのにサッパリしたものが食べたくなった時の一度だけ…ただし、『トイレ急行便症状』は延々続きましたけれどね。それだけ酷い経験をしたにも関わらず、「牡蠣」は食べていますよ今でも^^;
「当たった(中った)」時の苦しみは、本人と経験者しか分からないけれど、キチンと熱処理すれば、当選確率は低下するはず…しかし、加熱処理(反対)すればするほど、逆に燃え上がってしまうのが「愛」であり「結婚熱」というやつですかねぇ?「愛憎」という背反する言葉が並立して使われる「感情」ほど怖いものはないのでありまして、「良くぞ4年間も辛抱なさいましたね、お幸せに…。」と『おやじぃ』は素直に祝福したいのでありますけれどね。「一世一代の大博打…それが結婚」などという考え方は既に昭和流思考でありまして、「当たるも八卦当たらぬも八卦…はずれた時はゲームオーバー」とリセットしてしまうのが平成流な生き方なのかも知れない。『過熱(加熱)報道』は、若いお二人を意固地にさせるだけでありますから、他所様の結婚をのぞき見したり、いい加減なコメントを寄せなくても良いと思うのだけれど、結構ヒマなんだよなぁ…かく言う『おやじぃ』も朝から、こんなブログを書いているのだから『ヒマ人』の一人なんだわ(笑)
「Love means never having to say you're sorry.」
そうそう、『おやじぃ』がまだ『お子ちゃま』だった頃(1970年)に、「ある愛の詩」なる純愛映画がありましたなぁ。二人が学生結婚だったような記憶と彼女が病気(白血病?)で亡くなってしまうことくらいしか記憶が無いのでありますけれど、「愛とは決して後悔しないこと。」という副題と台詞だけは良く憶えておりますよ。(直訳すれば、「愛にごめんねなんて言葉はいらないよ。」くらいの台詞かなぁ?)
しかしなぁ…『おやじぃ』は、オッカーに対して「ごめんね」の連続だったような気もするが^^; 「結婚は『共同正犯』である!」なんてね、(最近は、男性の一方的な不義が問題視されるけれど…。)男にとって都合の良い解釈をしておりますが、ここいらで「熟年離婚」を突き付けられたら…他所様のことと高を括っておりますけれど、右往左往、前後不覚etc.混乱するに違いない。今さら、性格や生活態度を改めることも出来ないから、「このまま、最期まで惰性で転がりましょう。」なんて、言い訳とも説得ともつかない言葉で事態の収拾を図るに違いないのでありますよ。そりゃ~35年以上も一緒に暮らしていれば、衝突も後悔も無いなんて言ったらウソになる。少なくても、オッカーの両親(義父母)を送るまでは『借り』があるから「離婚は、借りを返してからにしてください。」と摩訶不思議なお願いをするかも?(何やら老後が不安になってきた^^;)
「Yesterday love was such an easy game to play~♪」ビートルズの「イエスタデイ」の詩に歌い込まれているように、新たな男女の駆け引きを楽しむようなエネルギーは、もう『おやじぃ』には残されていないのでありますよ。(離婚回避のための駆け引きには心血を注ぎますが^^;)
小室さん、眞子さん、お幸せに。