その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

不問に付して^^;

2024-02-14 09:47:05 | 巡礼

置賜三十三所 第10番札所でありますが…

腰痛治療が主目的、それに土地の名物を付けて、名刹も加われば「小さな旅」の完成である。我が在所の山形県置賜地方は、各市町村に温泉があるから、「自分の身体に合う温泉を探す。」という大義を掲げれば、オッカーも納得するはずである。(どこまでも自分に都合よくね^^;)昨日、気になったのが「大悲山 普門坊」…「山号」に「悲しい」という文字があるのは何で?どうやら京都府には「大悲山」なる修験の山があり、福島県南相馬市には「大悲山の石仏」が存在するようである。山岳信仰の流れをくむ由来かなぁ…なんて勝手に解釈しているところであります。ならば「普門」とは何か?観世音菩薩が広く衆生に救いの門を開いているということらしく、「坊(部屋)」が付くから、慈悲深い観音さまの居所ということかいなぁ…なんてね。
ちなみに、こちらのご本尊は「馬頭観音」…『馬頭人身』ではなく、日本の場合は、頭上に馬頭を戴くか、または、馬にまたがった像が多いとの記載がある。柔和な表情の多い観音さまと違って、「馬頭観音」だけは憤怒の表情を刻む像が多いとか…本来は穏やかな観音さまも、衆生の無智に呆れ果て、『巨悪』に対しては睨みをきかせる。そうそう『好々爺』も時と場合によっては怒ってもいいんだよと、気持ちの小さい『おやじぃ』を諭してくれているに違いないと、これまた勝手に解釈するのでありますよ。はて、民間信仰では『馬の守護仏』…ゲゲゲ、参拝前に長井市名物「馬肉支那そば」を食っちまったじゃないか。憤怒の相は『おやじぃ』に向けられたもの?大丈夫、ご本尊の御開帳は60年に一度とか、幕越しだから直接睨まれることはないのであります(笑)


「支那そば」とは言わなくなったなぁ…

さて、中国初の統一王朝「秦」が語源とも言われる「支那(China)」でありますが、今ではワープロで漢字変換しても、初期設定では「支那」とは変換されない。戦前の侮蔑的表現とされているフシもありますが、日本に言葉が伝来したのは「漢訳仏典」を通じてのことだったようである。古老たちは「支那そば」と呼んでいたけれど、「中華そば」と言うようになり、今では「ラーメン」の呼び名が一般的である。相手国が嫌がる表現を敢えて使う必要もありませんが、食文化では「シナチク」、学名では「シナグリ」etc.と、戦前に付けられた名称が残っているんだなぁ…。
はてさて、美味しいものを食べて、ひざ、腰の痛みを和らげる御利益があるという『秘仏』を拝んだならば、本来の目的である『温泉治療』…温めた時は調子がよろしいのですが、時が経つと痛む訳ではないけれど、どんよりとした感覚が抜けないのでありますよ。歳を重ねれば致し方ない。大体ねぇ、平日の昼日中から温泉に浸かっている輩なんざぁ、『おやじぃ』より歳を経た方がほとんどでありますから…他人の肌艶を見ながら、あと10年もすると我が身もああなってしまうのかねぇ、なんて余計なことを考えている。自動車を運転し、勝手気ままに『小さな旅』を楽しめるのも、あと10年といったところですかねぇ…観音さまのようなお顔立ちのオッカー(な、訳あるか!)も、眼科を受診して白内障が進んでいるようである。歳を重ねたのもお互いさまである。言葉の端々に怒って暮らしても、お互いの『老いの成果』を笑って暮らすのも同じ一生ではあるわなぁ。今までの『おやじぃ』の行状は不問に付していただきたい…『普門坊』だけに(笑)

コメント
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