その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

『いの一番』の調味料?

2024-02-18 09:13:34 | 巡礼

樹齢450年以上とも言われる大ケヤキ…

「いろは」の一番目との意から、「真っ先に」という意味の表現である「いの一番」…古い建築図面では、横軸を「い・ろ・は…」、縦軸を「一・二・三…」と表記して方眼を描くことから、起点(ゼロ点)が「いの一番」になるとの説もある。(大工さんたちも、「いの一番」から始まる「ほぞ継ぎ」加工をしていたようである。)事務のアルバイトは、プリントアウトする用紙が切れて即中断…天気も良いし「置賜三十三観音」の第一番札所を訪れてみた。別当寺は「金松寺」…観音堂からは少々離れているけれど、月の名所として知られていたようで、古くは上杉鷹山公の若き重臣たちが、藩政改革の談義をしたとの言い伝えもあるという。(月を眺めながらの酒宴だったに違いないと思うのだが^^;)
参道脇には樹齢450年以上ともいわれる「大ケヤキ」が…一説では「置賜三十三観音」は、直江兼続の妻『お船ちゃん』が選定したとのお話もありますから、『お船ちゃん』もまだ幼木であるこの欅の木を見たかも知れない。上杉景勝が加増移封され会津120万石の大大名になったものの、「関ケ原の戦い」の敗戦処理で出羽米沢30万石に減封…さらには、1660年代に『男系断絶』によって、藩は存続されたものの、15万石まで所領が没収されているのでありますよ。今の世で言うならば、税収が10分の1まで減っても、家臣団(公務員)数はそのままだから、経済は破綻するに決まっている。直江兼続の殖産振興や上杉鷹山公の藩政改革が断行され、名君との呼び名が高いのも、こうした時代背景があるようではある。いくら名君が現れたとしても、それを支え、体現した家臣が存在したことは確かであり、「改革」を唱えても進まないのは、有能な家臣が居ないからなのよねぇ…なんて皮肉を交えて故郷を考えるのでありますよ(笑)


『おやじぃ』にピッタリの「ボケ除け」^^;

さて、先日、城下町鶴岡市へ出掛けた帰り道、雪も無いのに、月山新道は『除雪作業のため、片側通行が3ヶ所』とラジオから流れましてね、山腹にクラック(雪崩の予兆)でもあるのかしらと思った次第でありますが…『除雪作業』は、防護柵内側の排雪作業だった。通常の年ならば、雪崩防止のために防御柵上部の雪を除去する作業のはずであるけれど、片側通行にして柵の内側の雪をわざわざ搔き出す意味があるのかと感じたのでありますよ。『はは~ん!予算消化の一環ね。』と邪推してしまう作業でありますよ。雪の少ない年には、余剰予算を繰り越すか、アスファルトの打ち替えに使えないものかねぇ…道路はガタガタと衝撃が伝わってくるというのにねぇ?(勝手な解釈なら、許してちょうだい^^;)
はてさて、庶民は公の事業にブツブツと文句を垂れながらも、こうして我が身の懐に直接影響がないと黙ってしまうものである。大家の名声と誇りを守るための藩政改革だったとしても、喘ぎ苦しむのは常に庶民である。閉塞感が漂う日本経済…中国古典に登場する「経世(国)済民」は、「世を経め(おさめ)民を済う(すくう)」が原義のはずである。しかしなぁ~、最近は『傾国催眠』…傾いた国の民に催眠術をかけるような政治が多いことよ。『いの一番』に手掛けるべき改革とは何か?上小菅の千手観音は何も語ってくれませんでしたけれどね。そうそう「いの一番」は調味料、「味の素」もありまっせ。美味しく調理するための「だしの素」…政治が手軽にお料理できる『調味料』が必要なのかも知れないねぇ(笑)

 

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