この坂は仏に通じる道…?
その先に『何か』がないと歩みを止めてしまうのか、『何か』があると信じて歩み続けるか…車の轍(先行者)がいるのだから通れるに違いない。しかし、雪道で不慣れな場所であるから、どこに通じているのかも分からない。引き返した跡がないのだから、大方、最終目的地である「パレス松風(温泉)」に繋がる林道に違いないと予想は出来るのだけれど、失敗すると引き返すのに難儀するから『おやじぃ』は車を止めて、徒歩を選択しましたが…。「旅行ガイド」に紹介されている『名所(目的)』に向かっている訳でもないから、『小さな旅』は、得てして、こういう場面に遭遇する。「イノシシのワナ仕掛けてあります。」などと注意書きもあり、雪道には大型犬(猟犬か?)の足跡あり。途中、イノシシ、カモシカの類に遭遇したらどうしようなどと不安を感じながら歩いていたら、ゲ!やっぱりあった「イノシシの足跡」…これを『儲け(何か)』と感じるかどうかは貴方(貴女)次第でありますけれどね^^;
大げさに言えば『人生』もこんなもの…『何か(目的)』を求めて歩みを続けている訳でもありますまい。地位や名声、家族の幸せetc.確かに、それらを目的として生きている方もいらっしゃるでしょうが、『脇道』にも必ずや『何か(未経験)』があると信じて疑わない『おやじぃ』でありますよ。探しているのは観音堂…カーナビは「目的地に到着しました。」と音声ガイドを終了しているのだけれど、目的の観音堂が見当たらない…人生にカーナビなどあるはずもなく、歩いて探すことにしただけでありますけれどね…かなり大げさな文章ではある(笑)
杉木立の中に観音堂発見!
さて、800mほど歩いたところで小さな観音堂が見えて来た。どうやら本来の参道入口を見逃してしまったようでありますよ。(これまた、人生アルアルのような気もするが^^;)こちら置賜三十三観音 第20番霊場「仏坂観音」…直ぐ下を走る県道17号が『仏坂?』と推理したのだけれど、元の峠道は「狐坂街道」と呼ばれていたらしく、お堂の傍らには童子の墓石も何基かあったことから、それが「仏坂観音」の名の由来かしらなどと新たな推理をしているところです。(北海道室蘭市に開削した際の犠牲者を追悼する坂も存在する。また、全国にも仏坂という名の峠道があるようです。)
はてさて、こちらのお堂は平成19年の落慶とある。享和元年(1801年)に『最上騒動』で焼失という縁起もあるのだけれど、「最上騒動」は江戸時代前期から元和8年(1622年)の最上氏改易までのお家騒動だから年号が一致しないのでありまして、享和元年には最上地域で、打ち壊しや一揆が多発したとの記録もあるようだから、それを指しているのかも知れないなぁ。米沢藩と山形藩の確執は今も続いているような気もするから、恐るべし歴史の記憶…得てして、領民は藩主を称え、侵略や略奪を受けた領民は『恨み節』を語るものである^^; 遂に出ました「オレが出る。」と岸田総理…アンダが出て来て『何か』真相が明らかになるのかい?支持率Upのためのパフォーマンスも大概にして欲しい。今日のお題「この道の先に…」は『この国の先は…』と書き替えることにいたしますか。『何か』はあるはず…いつの世も『恨み節』を唸るのは収奪される側であることに違いはないようである(笑)