マニフェスト(Manifesto)が、責任ある『政権公約』と訳するのであれば、万年野党が提示するマニフェストは、やはり『選挙公約』と呼び直す必要があるのでしょうか?言ったが得、遣ったが得の世界では、何でも有り有りルール。この国の子どもたちの将来負担や中高年の将来不安など、どこ吹く風の如く、所詮人の金、遣って当選して、政権の座に就けば何でも有りの世界であります。
万年野党、失礼、健全野党を批判するつもりは毛頭ありませんが、最低賃金を1,000円にしていただけるとか。我が山形県の現在の最低賃金が時給629円ですから、実に1.5倍。1日当たり8時間労働を保障していただき、月20日間労働を実現いただければ、月額100,640円から160,000円に大幅昇給であります。ついでに、社会保険・失業保険・基礎年金制度も完備することを義務付けていただけますと、将来は盤石であります。
田圃の隣の畑では、今年、「ハクビシン」か「タヌキ」が出没しているらしく、毎日1本ずつ「未熟トウモロコシ」が食害を受けております。その香気に誘われて群がるハエたち。
お百姓さんたちが、もうこの時期では、小売価格一本70円から90円トウモロコシと分かっていながら植え込み、夜な夜な出没しては、美味しい部分を掠め取って行く政治屋(狸)。その残りを有り難く頂戴する庶民バエ。
この世の中の構図が、自然界にも表れているようで、笑うに笑えない光景です。
我が家では、この夏、時給629円のアルバイトの学生を雇い入れることにしました。昨年までは、高校生でしたから、一日働かせても、ジュース一本と500円で誤魔化してきたのですが、今年から大学生様ですから、山形県の最低賃金に合わせ629円をしっかり払うとの雇用口契約も結んでおります。
こうしてみると私自身も労働者から搾取する悪徳事業主であった訳であるが、さて、野党の選挙公約が実現されてしまうと、私も息子に時給1,000円を払う必要がでてきます。事業主である私の収入・所得が伸びないのに、雇用を増やせ、時給を上げよと言われても、私自身が首を括らなければならなくなる。最低賃金で働かさせている事業主自身が、四苦八苦の状態なのである。大企業からの不当な低単価契約を排除する…我が家が大企業と契約するまで、さて、何社が契約を結んでいるのでしょうか…それこそ気の遠くなる話です。
妻も仕事で不在のまったりとした土曜日の午後は、田圃仕事に1時間30分。画像仕入に2時間。本来のお百姓仕事が手抜きになりつつありますが、つまらない事は、強いてしないという「夢屋オジSUN」流の過ごし方でリフレッシュします。何かに追われることもなく、日がな半日田圃に居りますと、不思議な物に出会います。荒地に伸びた「ワラビ」の葉を丸くまとめた輩。こういった場合は、突然ですが失礼してお宅訪問。「お邪魔します」と一声かけて、そっと葉の一部分を剥がし、中を覗き込みます。以前紹介した「夢屋王国・陸軍幕僚長」の『カバキドクグモ♀』でありました。
『カバキドクグモ』の揺りかごは、通常、「ヨシ」や「カヤ」の葉を三角スイの形にまとめるのですが、今回は、棲みかとなる植物も形状も全く異なるもので出来たお宅でした。産卵後、我が身を子どもたちに提供し育てる「烈女」であります。
日曜日は、埼玉県羽生市「羽生吉沼」まで遠征し、「へら鮒釣り」を楽しんで参りました。どんよりとした蒸し暑い天気は、「楽しむ」というより「苦痛」に近いものがありましたが、釣り仲間の会で大型バスをチャーターし、行き帰り冷たいビールが飲めるというパラダイス気分を味わいながら、拷問に耐えて参りました。「疲れた」とか「辛かった」などと、一言でも漏らそうものなら、妻の逆鱗に触れますので「楽しかった」素振りをしなければなりません。結果は、25人中19位と下から数えた方が早いのですが、釣り具に降り立った「ブチヒゲケナガハムシ(近縁種)」を撮影する余裕と
今、最盛期の「デラウエア」を商品としてゲットして来ましたので、まぁ、良しとしましょう。「夢屋おじSUN」の夏休みに、宿題を出す先生はもう居ないのですが、昨日の「ナス科」の植物といい、今日の「ブチヒゲケナガハムシ」の仲間と言い、調べたい自由研究材料は、山ほどあります。
宿題は、つまらないからやりたくなくなるのであって、興味があって、知りたいという探求心があるとワクワクしてきます。小学生の子どもたちの宿題に、こうしたワクワクするような課題を与えることができると、社会も変わる様な気がするのですが…。
8月も半ばになろうと言うのに、未だ山形県は梅雨明け宣言が出されず、蒸し暑い毎日が続いております。田圃のイヌビエやホタルイを抜き取りながら、汗をかいて自己満足。もうすぐ我が家の田圃も穂揃い期を迎えます。
作業1時間半。写真撮影2時間。汗だくに成りながら今日も虫を追いかけてます。すると、ナス科の雑草が…。名前が出て来ません。植物図鑑を気長に調べながら同定することにします。
「赤トンボ…赤トンボをの羽を取ったらアブラムシ…♪」昔なつかしい『あのねのね』のヒット曲「赤とんぼ」を口ずさみながら、アブラムシを撮影し、ネットで調べたら『キクヒメヒゲナガアブラムシ』のようです。
ここまでマニアックに成りますと舌を噛まずに読み下せます。早口言葉で3回復唱してください。「キクヒメヒゲナガアブラムシ」
暑苦しい話題から一転、雪女の話。
ラフカディオ・ハーンの怪談『雪女』、お雪は、やはり絶世の美女でなければならない。色白で何処となく物かなしさを湛えていなければならない。
そして、その手は氷のように冷たくなくてはならない。手の冷たい女は、心根が暖かいそうである。(いや、単なる冷え性かもしれない…うちのオカンがそうである。)
夏の盛りに白いベルベット生地をまとった雪女。全然涼しくならない…いや、暑苦しくさえある。
『シロヒトリ』という蛾であります。
本日は、森高千里さんのハエ男のフレーズでスタートしましたが、「ハエ」って結構嫌われ者ですよね。何故、ハエは嫌われるのでしょうか?
「世間のダニ、ウジ虫野郎…。」何かにとりついたり、腐ったものに群がる、不衛生な虫…こんなイメージでしょうか?『ドクタースランプ あられちゃん』が手にするウンチは、とぐろを巻いていて、必ずハエが飛んでいなければならない。植え付けられたイメージは、なかなか払拭出来ないもので、「ハエ」…「飛ぶ」…「汚い」…「うるさい」…「叩く」…「バチン」…はい終了。
しかしですねぇ…心に余裕を持って見ていると、ハエもコミカルな動きをしてくれます。小林一茶の句をイメージし、「手をする 足をする」
「手をする」光景は良く目にするのですが、「足をする」光景を撮影するのは、結構大変です。ましてや「中足をする」光景は…あるのかなぁ?
昆虫の場合、前脚に「味覚器官」や「嗅覚器官」があって、さらにハエは、「吸着器官」があるから、盛んに手をすると言われておりますが、ここまで来ると、一般カメラの世界ではなく、顕微鏡下の世界でないと確認できません。「うんこ」に群がるハエは汚い…が、考えてみますと消化分解されていない有機質を分解してくれる良い奴なんじゃないかと…。「ミミズのいない畑なんて…」と土壌の豊かさを表現するのであれば、「ハエの集らないうんこなんて…」とうんこの豊かさを表現しても良いのではないかなどと…やっぱり汚い。
「目と目の間隔が狭いのが、確か♂だったよな~」などと、古い知識を引き出しから取り出して眺めてみるのですが、ネットで調べてみると一般的ではないらしい。いや~ホント、ホント。同じ種類でも、目と目の間隔が離れているハエがいるんです。「目と目の間が離れてる…『研なおこ』…♀?」じゃなくて、真剣な話なんです。しかし、撮り貯めた画像を再度確認してみると、確かにこのハエの目の間隔は狭いけれども、下腹部を見ると♀のような気もするし…「下腹部」…「のぞき」…「痴漢行為」…。
やっぱり、俺って変だわ。
「探求心」と表現すると格好もつくのですが、「興味」となると世間ずれしはじめ、「好き者」の域に達すると「痴漢」と同じか…トホホ。
そのうち、映画『 The Fly 』も真っ青なモノホンのハエ男を探します。
しかし、日本と言う国家は、やはりどこかボケております。歌手で女優の旦那さんが覚せい剤を所持していたとかいないとか、挙句の果てに子どもを連れて失踪したとかしないとか…。朝から追いかけるテーマが違っていませんか?殺人事件ならいざ知らず、一般人の女性が失踪したとしても、こんな扱いはないでしょうし、視聴率が稼げれば何でも有りなんでしょうかねぇ。
かく言う私とて、田圃の片隅で「カメムシ」を撮影しては、斑点米の原因となる虫ではないか…などと、ネット画像で確認をし続ける毎日ですから、能天気なオヤジと言われても仕方ない気もします。
まぁ、春先の除草剤の効き目が薄かった田圃に這いつくばいながら「タイヌビエ」を刈り取りながらの一コマですから、遊んでばかりいる訳でもないのでありますが、未熟籾を吸汁する「カメムシ」を画像に捉える作業(私の夏休みの自由研究)は、当分達成出来そうにありません。
「ノギク」の葉をちょいとつかんで、何か物思いにふける「アマガエル執政」の表情に秋の風を感じました。
しかし、コヤツは、小鼻をヒクヒクさせながら(カエルに小鼻があるのだろうか?)レンズを向けると体位を変えて撮影させてくれません。葉っぱを前指でつまむポーズは、本気で何かを考えているような気がしてきました。
「世界平和を実現するには、我、どうあるべきか…。」などと哲学していたら立派、「幸福を科学する。」とか「のりピー!」とか、呟いたら叩くからね…。
帰化植物である『ヒメムカシヨモギ』…ヨモギの花言葉は、『平和』であり『夫婦愛』そして『決して離れない』であります。
ドクモ(読モ)が読者モデルの略語であることは承知しておりますが、「ドクモ」という音を耳にしますと、何故か「毒蜘蛛」を連想してしまいます。原宿・表参道で、スカウトされることを夢見るファッショナブルな婦女子に対して「ドクグモ」は実に地味な存在です。そしてまた、か弱い存在でもあります。
背中の模様が菱形の小さな蛾、英名を「Diamond Back Moth」 和名で「コナガ」と呼ばれる小さな畑の害虫です。幼虫が、十字花植物(アブラナ、キャベツ、ハクサイ)を食草としますが、作物が幼苗期に食害を受けなければ、さほど大きな生育低下や品質低下にまでには至りません。
しかし、ライフサイクルが短いため薬剤抵抗性を獲得するのが早く、メソミル剤(ランネート®)に対する抵抗性を示し、通常の防除基準にある濃度の数倍の濃度溶液に幼虫を浸漬しても、ほとんど死なない個体群がありました。
一方、畑で一般的に見られる「コモリドクグモ」は、基準濃度に満たない薬剤溶液で死んでしまう。これでは、何のために殺虫剤を撒いているのか意味不明になってしまいます。
8月6日は、言わずも知れた「広島原爆の日」であります。
『戦争を早く終わらせたかったから、今日は二人の原爆記念日』などと、俵万智風に吟じてしまうのは、とても不謹慎なことではありますが、戦争の勝者と敗者では、こうも原爆に対する解釈が違うのかと思い続けてきた日々であります。人間と虫を同列に扱うものではありませんが、無差別大量兵器に市民権を与えてはならないと思います。
一方、農薬(殺虫剤)は、かなり改良が進んでおりますが、対象害虫よりもその天敵に悪影響を及ぼしていることは、現象面から容易に想像できることであり、一層の改良が望まれるものであります。
「ドクモ」に憧れて原宿を闊歩する婦女子とそれを喜んで追いかけるマスコミに、大いなる平和ボケを感じながら…。
文章中、被爆者の方々、そして亡くなられた方々に対して、不穏当な表現がありましたことをお詫びし、戦争の犠牲となり亡くなられた方々の御霊にご冥福をお祈りいたします。
今年は8月7日が、はや、立秋です。
夏の暑さを十分に感じないまま、もう秋に突入するのでしょうか?
「カントウヨメナ」と思い込んでいた花は、もしかすると「ユウガギク」かもしれない。野に咲く花々を同定しようと思っても、近縁種が多くて、素人には至難の技でもあります。「ノギク」といった、ひとくくりの中で見ていることの方が、とても楽なことだと思い始めました。
所詮、興味が無ければ、「白い花」は「白い花」であり、少々、紫がかった白色であったとしても、生活する上で何の不都合も生じないのです。
『イチビ』という花を今日知りました。「な~んか変な花があるなぁ。」などと思いながら、デジカメに収め、満足しているのですが、これって何なんだろうという思いから、ネット植物図鑑を片っ端から検索して、たどり着いたのが「イチビ」という植物です。「イチビ」という名前を憶えたところで、実生活の中では、何も得することは無いような気がします。
それよりも、何よりも、我が家の田圃は「タイヌビエ」が群生し、今年の春先採用した除草剤の有効性が、「ホタルイ」には有効でしたが、「タイヌビエ」には、ほとんど効き目が無かったのだと今更ながら反省しております。
通常は、もう少し早い段階で、抜き取り作業を行うのですが、長雨で田圃の中にも入れず、気づいた時には、「タイヌビエ」は我が物顔で田圃を占領するに至っております。
草むらからは、虫たちのラブコール(鳴き声)が聞こえるようになり、暦の上からだけでなく、秋が近づきつつあることを肌で感じることができます。「タイヌビエ」を刈りながら、最近、イナゴ以外に目にする昆虫が少なくなったなぁ…などと思いつつ夕方の作業を終えようとした刹那…午後7時の鐘の音と共に、私の頭の周りを「コガネムシ」が飛び回り始めました。
日没まで、何の変化も感じられないその時に「オオクロコガネ」の婚姻飛行が始まりました。
先程まで、草むらに潜んでいたであろう「オオクロコガネ」が一斉に飛び始めたのです。家の明かりに飛んでくる「コガネムシ」は数々ありますが、7時の時報とともに、これだけの「オオクロコガネ」が飛び交うなどということは、想像できませんでした。
夕闇迫る中、直観に頼った距離感とストロボ発光で、虫を捉えようとしましたが、ほとんどの画像がピンボケでした。
まだまだ、知らないことが身の回りに溢れているようです。
これから起こり得ることに脅えていてもしょうがないことですが、穂ばらみ期から出穂期にかけての低温は、障害型の不稔を引き起こします。これだけは、人智の及ばざる世界であり、8月の日照時間と平年気温の回復を天にお願いするしかありません。(まだ、悲観的事態に至っている訳ではありません。)
人智の及ばざる世界といえば、東京地裁で始まった「裁判員裁判制度」 私は、日本に陪審員制度は無かったと思い込んでいたのですが、1943年(昭和18年)まで制度としては存在していたんですねぇ。
果たして人は人を裁くことができるのでしょうか?
罪は罪として裁くために「罪刑法定主義」という原理原則がある。公権力の一方的な解釈によって刑罰の軽・重が左右されてはならない。国民の権利と自由を保障するためには、予め罪に対して対応する罰(量刑)が定められていなければならないのである。
この原則が貫かれていなければ「ひいき」や「偏見」によって、量刑が変節してしまうことになる。予め量刑が定められているのに、何故素人の裁判員が必要なのでしょうか?不思議ですねぇ?
私が、大学生として大学の門をくぐった時、ガイダンスで講釈したアロハシャツの助教授は、こんな風なコメントをしました。「みなさんは、このアロハシャツを見てどう感じますか…?軽薄に見えますか?裁判官は何故、黒い装束をするのでしょうか?きっと、自分自身の裁きに自信が持てないのでしょう。自信がないから装束によって権威を保持しなければならない。」
かりそめの世界にあっては「絶対」などと言う価値は存在しないのである。
存在し得ない存在に、法と言うかりそめの価値を当てはめるから綻びができるのである。情状という世界に一般人を引き込めば、さらにブレが大きくなるだけである。少なくとも年収1,000万円以上を稼ぎ出す裁判官が、日当10,000円の庶民の感覚を必要とすること自体が胡散臭い気がします。初っ端から殺人事件の裁判ですか?今回選任された6名の裁判員さん、お疲れ様です。
その他、井伊軍、真田軍など、時の有力諸侯に一泡吹かせた武将軍団に引き継がれていったようですが、NHK大河ドラマの好調さに気を良くし、我が屋の畑の勇猛果敢な「赤備え」軍団をご紹介いたします。
アカツメクサの葉蔭に隠れた『ブチヒゲカメムシ』伏兵戦が得意なようであります。敢えて触りませんので、二オイを気にしたことはありませんが、毒ガスを発射するのでしょうか?今度、勇気を持ってつかんでみたいと思います。
春菊の葉の上で交尾する『ナガメ』です。典型的な蚤の夫婦です。昆虫の場合、卵巣が発達するせいでしょうか、♀のほうが体格的に大きいのが一般的です。菜園畑の一般的なカメムシなのですが、果実類の幼果を吸汁するタイプと違って、キャベツやハクサイの葉脈から吸汁するタイプなので、比較的扱いやすい戦士です。
飛んでいるところを国王に捕まえられ、ダイズの葉の上に置かれた『アカハナカミキリ』です。この兵士は、畑作害虫ではないので、濡れ衣を着せないように弁明しておきますと、彼が食する物は花粉や蜜であって、決してダイズの葉を食べたりはしません。幼虫は、マツやクヌギの枯木を食しますから、害虫ではありません。彼と断言しましたのは、カミキリムシの♀は産卵管がありますので、容易に外形から♂♀を判断することができます。
昨日の金運の「黄色備え」から、本日は決断の「赤備え」 政治的な意図は、全くありませんが、勇猛果敢な兵士たちも食べ物には選択権を持っております。虫たちは偏食かもしれませんが、食えない物は食わない。選ぶに値しないものを選んだりしないのであります。
暑い昼下がりに草藪からソフトクリームが…、頭もボーっとしてきたところで、風水的にも金運と人々に暖かさを与える黄色の花々を再び。
まずは定番のトマトから。この夏の低温と日照不足で中々熟さなかったトマトも、トマト好きな二女の帰省を待っていたかのように熟し始め、次から次へと二女のお腹の中に納まっていきます。
長雨でかなり葉が傷んできましたが、巨大きゅうりを連日収穫しております。少々、食傷気味ではありますが、当分きゅうり攻めは続きそうです。
お盆のお供え用に今年、久し振りに植えた「マクワウリ」。畑の雑草除けには、蔓性の植物が一番とばかり、植え付けましたが、建物の陰に当たるため、うどんこ病が出ております。飽食の時代では、さほど美味しいものではありませんが、子どもの頃は、とても美味しいと感じたものです。
「マクワウリ」に続いて一世を風靡した「プリンスメロン」これもまた時代遅れの品種となってしまいました。「マスクメロン」でも植えてみようかなどと春先考えた時には、苗が無くなっており、昔を懐かしんで残り苗の「プリンスメロン」を植えてしまいました。
圧巻は、スイカの雌花。どの園芸品店を回っても売り切れていて、やっと見つけた「スイカ」の苗は枯死寸前でした。捨てられる運命にあった苗を店員さんに聞いたところ、持って行って良いと言われ、ダメ元で植え込みました。時期的には遅すぎて、どう考えても収穫は9月ですが、元々、タダの苗ですから、収穫できれば儲けものです。
これは、お隣のアサコばあさんの「落花生」。「種を3粒貰って植えたんだぁ。根っこに生るってホントがぁ。」ってねぇ…良く勘違いをしている人がいますが「落花生」文字通り、花柄が伸びて実が土に着いてしまうから、根っこに実が着いたと勘違いしてしまうんですねぇ。ばぁさん相手に講釈してあげました。
昨日に続いて、黄色づくし6題。屋敷周りをこれだけ黄色で固めれば、風水的には、金運上昇間違いなしでありますが「サマージャンボ」は、失念して買い求めませんでした。残念。どうせ買ったところで当る気もしませんから、どうでも良いと言えばどうでも良いのですが…。
しかし、こうして見ますと作物の品種も様変わりし、私たちの舌も肥えて来ているようです。子どもの頃、美味しいと感じた果菜類も糖度が低く、今ではさほど美味しく感じない。ただ、「アマガエル執政」だけは、毎夜毎夜、我が家の網戸に現れては、飽きもせず虫を食べております。