その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

医者いらず

2009-08-21 20:06:09 | 暮らし
夏の日盛りに、仕事で外回りをするのは確かにつらい。
がしかし、エアコンの効いた部屋と暑い外との出入りを繰り返すよりも、暑さは暑さで受け入れて、大汗をかきながら外仕事をすることの方が、健康には良いかも知れません。私にとって健康のバロメーターは、テンコ盛りのご飯が食えるか食えないか…まったく単純な判断基準であります。
あまり考え過ぎると脳みそまで汗をかいてしまうので、夏場の「判断基準」や「行動基準」などと言うものは、単純明快な方が良いと信じております。
「右か左か」、「好きか嫌いか」、「食えるか食えないか」…こうした単純な行動指標によって判断し行動すると疲れなくて夏バテ知らず。ここに欲目や人の目が入り込むと夏の暑さと悩みの相乗効果で、疲れが倍加してしまいます。
           
我が『夢屋王国』の有能なアマガエル執政は、早朝から稲穂の確認作業を続けております。こういう生真面目な奴は、周囲の喧噪に巻き込まれやすく、胃弱に悩みがちです。国王のように、抜くところは抜くくらいの鷹揚さがないと身がもたないと思うのですが、国王も執政もそろって鷹揚では、国家経営が危ぶまれますので、執政には身を削って頑張っていただくことにします。
隣国「日本」では、衆議院議員選挙真っ盛り、何やらマニフェスト(政権公約)なるものの比較検討による政権交代論争が盛んに行われておりますが、お気楽国家『夢屋王国』は、国王自体が執務を丸投げしているにもかかわらず、政権転覆を図る輩が現れません。大体ねぇ、国王に成りたい輩がいないのですから…。
「アマ執政。マニフェスト作る?」(夢屋国王)
「ハッ!ご随意に」(アマ執政)
「ねぇ…政権交替しない?」(夢屋国王)
「陛下!交代とは入れ替わることと存じますが、交替は、かわり番こと言う意味でございます。実質的に政務は、私が取り仕切っておりますので、何も影響がないものと思われますが…。」(アマ執政)
ハイハイ、今日『ゲンノショウコ(医者いらず)』を見つけてきたから、煎じ薬にして、胃弱を治してチョ。
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金縛り(超常現象)

2009-08-20 12:22:05 | 暮らし
皆さん!金縛りという超常現象を経験したことがおありでしょうか?
今を去ること29年前、1980年の夏、私は学生寮のベッドで金縛りに遭いました。あれは日中、夏の甲子園大会…「簑島」対「美濃加茂」の試合だったでしょうか。テレビから流れる音声が少しずつ弱くなっていき、同時に自分の心臓の鼓動が「ドキッ・ドキッ」と鳴る音が高まっていく…。変だ。何かが変だという意識があるのですが、言葉がでません。同室の学生さんに声を出して知らせようとするのですが、声が出ないのです。ならば、身体を動かさなければとも思うのですが、手も足も動かない。その間、1分。いや数秒間だったのかも知れませんが、ようやく「うっ…」と声が出た時には、とても冷たい汗が流れていたような気がします。寝ぼけていたに違いない…いや、これが金縛りだろう…などと考えて今を迎えておりますが、今朝ほど、また同じような経験をしました。
一度経験している余裕でしょうか、これは夢であると意識がそう決めています。長い坂道を転がり落ちると見慣れた堤防が、ここで止まると思った瞬間、ジャンプ台と化した堤防から空に飛びだしました。「ヤバイ、墜ちる。…待て待て、どうせ夢なんだからもう少し楽しもう。」と私の意識が夢と結論付けているので、夢を楽しもうとしています。「ヤバイ、本当に墜ちるよ。いや、夢だよ。墜ちる…」その刹那、目を覚まそうと意識が目覚めを要求するのですが、本当に目が覚めない。墜ちる、どこまでも墜ちる。しょうがない手を動かせば目が覚めるはず…。しかし、手が動かない、足も動かない…もしかして金縛り状態なのか…うわぁ~と思った瞬間に目が覚めました。
           
学生時代の経験は、夢だったのでしょうか?金縛りだったのでしょうか?何故か濃ゆい冷や汗が出ていたのは一緒でしたけれども…。
軒先では、今夜、コオロギの声に混じって、ウマオイ♂が鳴いていました。
私は彼らが、長い時間1か所で鳴いているものと思っていましたが、決して追い回している訳でもないのに、結構、ウマオイ♂は、辺りを飛び回っていました。彼女を獲得するためには、あちこち動きまわる必要があるのかもしれません。文字通り「馬追い」の声になぞらえて付けられた名前ですが、人の耳は不思議なもので、「チョンチョン、スーイッチョン」という鳴き声ではなく、「ズイーチ、ズイーチ」と鳴き声を表現している方がおりましたが、こちらのほうが私の耳には一致する鳴き声です。私もおっかぁを得るためには、あちこち動き回りましたが、最近は、おっかぁのひと声で金縛りになる日々であります。
『ニラ』の花言葉は「多幸・星への願い」だそうであります。世のオヤジ様方のご多幸を星にお願いするものです。

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メントール

2009-08-19 20:10:10 | 暮らし
別にサボったつもりもないのですが、田圃の畦道は雑草が伸び放題。お盆のゴタゴタと、このところの連日の真夏日で、草も一気に伸びたようです。そろそろ、秋野菜の播種準備をすべく畑を空けなければいけないのですが、今年は、夕方のビールを美味しくいただくために晩生の『だだちゃ豆』や『紅大豆』を植え付けてしまったため、なかなか畑が空きません。
お盆に帰省した娘たちに御馳走した「とうもろこし」の畝やキャベツ、春菊の畝を少しずつ空けながら、保存用の白菜や『山形青菜』、『沢庵漬け』用のダイコンを播く準備を始めております。
毎年、毎年同じことが繰り返される日々ではありますが、ベルリンでは、ジャマイカの『ウサイン・ボルト』が、9秒58という驚異的な世界記録を出し、庶民の生活は単調ではあるものの、ちょっとした風味づけをしてくれます。
風味といえば、夕方の草刈りをしていますと、田圃の水路にまた珍しい花を見つけました。「ハーブの類だな…」と葉っぱを指先で擦り、二オイを嗅ぐと、ずばり『ハッカ』でした。
           
『ハッカ油』のメントールは、今では化学合成されますから、野生種の『ハッカ』は、効率が悪くて栽培する方も少ないことでしょうが、『ブユ』などには、忌避効果があるようです。
そう言えば、山手の旧道を確認している最中、車のエンジンをかけっ放しにして、アブの大群に襲われたことがありました。排気ガスに誘引されて集まっで来たものだろうと思いますが、フロントガラスやドアにびっしりとアブの大群。いくら虫好きでも、これら吸血昆虫は遠慮したいところです。
帽子で虫を払いながら、一気に車に逃げ込みましたが、車内にも大量のアブ。この時ばかりは、ボルト並のスピードでアブを振りきり、大通りに出てから、車内のアブにお引き取り願いましたが、人類がアブに征服される日を想像してしまいました。クワバラ、クワバラ。
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兵どもの夢

2009-08-18 21:06:47 | 暮らし
『暑さ寒さも彼岸まで』などと言われますが、我が町の夏まつり『青竹ちょうちん祭り』が終わりますと、一気に秋めいてきます。
盆地性の気候は、昼暑く夜冷え込みます。お日さまと昼の暑さは、稲の光合成を高め、夜の冷え込みは稲の呼吸量を減少させるため、稲の登熟には欠かせない条件であります。この辺が、関東の熱帯夜が続く所との違いではありますが、コロコロと鳴くエンマコオロギの声は、物悲しくさえあります。
『夏草や 兵どもが 夢の跡(芭蕉)』
奥州平泉を訪れた芭蕉と曽良は、古の昔に儚くも散った源義経主従に思いを馳せながら、この句を詠んだと言われておりますが、我が家の畑に兵(ツワモノ)が、クモの糸に絡んでおりました。
          
『女郎蜘蛛』の太い糸ならいざ知らず、とても小さなクモの細い糸に絡んでいたところを見ますと余程弱っていたのでしょう。これもまた儚さを感じる光景であります。「蝉はねぇ、7年近くも土の中にいて、地上に出て1週間。捕まえたり、殺したりしたら可哀そうだよ…。」などと、私の母親は言っておりましたが、悪ガキの私がそんな言う事を聞く訳もありません。羽根の根元を木綿糸で結び付けては、飛ばせて遊んでおりました。
トンボやセミのお尻の穴に麦わらを押し込んで飛ばすなどという、私のオジ貴たちのような残酷なマネはしませんでしたけど…^^;
短いその一生ですが、木々の間を飛び回り、求婚のために精一杯鳴く(非常に迷惑な歌声ではありますが)蝉ですが、今日、街角で見つけたアブラゼミは、コンクリート電柱に止まろうとしては、滑り落ち、また飛んでは、滑り落ちることを繰り返しておりました。必死さの中にある滑稽さ…笑っちゃいけないところでしょうが、「あんたの夢って何なんよ?」と聞いてみたくなった瞬間でした。
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閑さや…

2009-08-17 20:24:50 | 暮らし
8月15日付の地元紙『山形新聞』に山形県鮭川村のNPO法人が、「ミンミンゼミ」の生息調査を実施しているとの記事が掲載されていました。山形県は、大きく四つの圏域に分けられるのですが、日本海側の庄内地方には、ほとんど生息していないという。6日間に寄せられる一般県民の鳴き声情報調査によって、生息地の確認を行おうとする試みであります。
今年は、冷夏の様相を呈しておりましたが、ここに来て真夏日が続いております。7月中、鬱陶しいほど鳴く「アブラゼミ」の声が、今年はほとんど聞こえず、一方、子どもの頃、さほど見かけなかった「ミンミンゼミ」の声や姿が、事の外多いような気がします。
さて『閑さや 岩にしみ入 蝉の声』とは、俳人松尾芭蕉が山寺立石寺を訪れた際に詠んだ有名な句でありますが、かつて、この蝉が「ニイニイゼミ」であるのか「アブラゼミ」であるのか、文壇で論争になったとか。山形でいう「アガスケ」米沢では「ソンピン(ひねくれ者)」である故斎藤茂吉大先生は、「アブラゼミ」説を採り続け、芭蕉の来訪の時期と蝉の羽化時期から、敢え無く敗北してしまったそうであります。私のイメージからすれば、山寺の鬱蒼とした参道に似合う蝉は「ヒグラシ」であり、物悲しさを引き立てるには、打って付けであると思うのでありますが、蝉としては、か細い声で鳴く「ニイニイゼミ」だからこそ、その声が岩に浸み入ってしまうと考えると、また、それも有りか…と節操もなく主張を変えてしまうのであります。
           
今日は、早「送り盆」であります。亡き祖母が作っていた「菰(コモ)」を自分で編んでみました。こんなもん、今どきアルミホイルや発泡トレーを持参すれば済むことなのに…、古老が健在な内に少しずつ確認しておきたくて、祖母の手順を思い出しながらやってみたのですが、分銅替わりに使ったペットボトルの水の量が多く、重過ぎたようです。男の手芸は、どうしても力が入ってしまい、レース編みなどには向くかもしれませんが、編目が硬くなってしまうようです。朝、そそくさと作った白玉団子と枝豆を供えられて、また来年どうぞと送られるご先祖様も可哀そうな気もしますが、あの世とやらに行ってしまえばどうしようもないこと。
「ニイニイゼミ」も「アブラゼミ」もどうやら、田舎でも個体数が減っているようです。亡くなった先祖は、粗末ながらも供養できますが、一度、無くしてしまったものを復活させるのは、並大抵の努力では叶いません。蝉の声など、世の中の進歩に何ら影響を与えるものではありませんが、その声に耳を傾ける繊細な心も同時に失ってはならないと感じませんか…。
『軒辻に 閑さ戻る 盆送り(By夢)』ってがぁ~。
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追悼

2009-08-16 15:58:54 | 暮らし

8月15日、終戦記念日。
我が家の古老ですら、あと2~3日で戦場に赴かなければならないという状況下で終戦を迎えた人であり、当然、私などは、戦争など記録映像でしか知らない世代であり、平和ボケした世代であります。
一方、野田聖子消費者行政推進担当大臣は、私と同じ歳であり、現役閣僚として唯ひとり靖国神社に参拝したとか…「参拝は、例年のこと」と。
泣き虫だった私は、亡くなった祖母に英雄・英傑の話を繰り返し聞かされましたが『爆弾三勇士』の話は強烈でした。「敵陣鉄条網に行く手を阻まれ、突撃路を開くため、爆弾を抱えた兵士3人が爆死を覚悟で突き進んでいく…。」愛国の美談とされ、小学6年生の冬、靖国神社の灯篭に三勇士のプレートを見つけた時、「これが有名な爆弾三勇士か…」と感心した記憶があります。
私自身は、宗教的なこだわりのない人間ですから、神仏には手を合わせます。しかし、考え始めるとおかしな現象に気付く訳です。東北地方には数多く祀られている八幡神社。八幡太郎義家(源義家)を軍神として祀ったものでありますが、よくよく考えてみますと、中央の政府に従わない蝦夷地を成敗に来たわけですから、世が世なれば征服者に対して手を合わせていることになる…?
           
ん~。こういった問題は、ひとりで考えてはいけないのかもしれない。ひとりで考えると不安だから、いい大人が、みんなでつるんで参拝するのでしょう。まぁ、このへんの年代の方々は、徴兵される心配はもはやありませんし、しっかりした宗教観に基づくものであれば、外圧なんぞ何のその、しっかり参拝するはずです。
勝者と敗者による戦争の評価は、当然違っていて当たり前。国家権力によって徴兵され、私の論理であれば不本意な死を遂げられた方々や非戦闘員ながら戦争の犠牲となった方々の霊を追悼し、不戦の誓いを新たにする。
8月15日は、純粋にそうした日にしなければ、マスコミさえも戦争を賛美した時代に逆行してしまうことになる。私たちの子どもたちや孫の世代に、二度と銃を取らせることがあってはならないと、ちと真剣に考える夢屋であります。

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ロシアンルーレット

2009-08-15 21:26:20 | 暮らし
『ロシアンルーレット』とは、拳銃の弾装に一発だけ弾を込め、引金をひく死の遊びでありますが、映画『ディア ハンター』のワンシーンが強烈なイメージとして残っています。
8月14日は、地区の野球大会。昔は「防犯少年少女野球・ソフトボール大会」の名称でスタートし、「少年少女ソフトボール大会」となり、草野球を経験したオヤジたちの「地区対抗野球大会」として続けられています。野球未経験者も多く、私自身も田圃で稲杭の切れ端をバットにして、野球(この場合、ノダマと読みます)をした程度ですから、メンバー集めもひと苦労なのですが、集落の予算から「生ビール」を提供していただき、ビールを餌に人足集めを行います。
真剣に甲子園を目指しているKAZUKIやスポ少で野球少年となったMASASIが、中学校を卒業するまで(硬式に転向してからでは、肩を壊してしまうので…)オヤジたちも頑張ってみるか…を合言葉にここ4年程続けていますが、ボールのスピードに目がついていきません。勝つことよりも飲むことに力点が移っております。
           
例年、試合の珍プレーを肴にしながら公民館で飲むのですが、今年は友人T君の自慢のガーデンにてバーベキューパーティ。初戦敗退につき、牛ホルモンと夏野菜だけ…^^; 肉も焼きそばも無くなった頃、考え出された遊びが、「激辛ナンバン」ロシアンルーレットであります。
甘口の中に一本だけ激辛を混ぜて焼くのですが、どうも様子がおかしい。一本だけ破裂するナンバンがある。皆その変化に気付いたようで、「せ~のっせ」で一気に口に入れますが、「くわぁ~。」大当たりであります。
おバカなオヤジたちのおバカな遊び。終戦記念日をお気楽な気分で迎えております。
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愛スクリーム

2009-08-14 07:21:20 | 暮らし
劇場公開中の映画『山形スクリーム』は、竹中直人監督の作品。落ち武者伝説をモチーフに、ドタバタコメディ(ホラー?)作品らしいのですが、まだ拝見しておりません。画像は、JA鶴岡の作品「だだちゃ(とうちゃん)豆アイス」冷凍庫に残ったカミさんの所有物なので、こっそり食べれば、私がスクリーム(悲鳴)をあげることになります。山形県は大きく四つのエリアに分かれており、映画村・鶴岡市が属する庄内地方では、映画に協賛して『山形スクリーム』でありますが、もし、私の居住する置賜(おきたま)地方で商品化されたとすれば、NHK大河ドラマにちなんで『愛・スクリーム』とでもネーミングされたでしょうか?
           
今日、8月13日は旧盆、先祖の霊を迎える訳でありますが、丁度一週間前の8月7日早朝に墓掃除をしてまいりました。我が家の墓石の花台には、何故かしら水受けが3個あります。後から買い足したからなのですが、イタズラされたのか、盗まれたのか…ある日、1個無くなっていました。まったく、世知辛いと言いますか、バチ当りといいますか、それこそスクリーム(Scream…悲鳴)を上げたくなる世界であります。ヒェ~(冷ぇ~)。
我が家の墓石は、地元で切り出された『高畠石』でありますが、最近は、どちらのお宅も『黒御影』の立派な墓石と成りました。土葬や土饅頭が一般的だった頃に比べれば、我が家の墓石も立派なものなのですが、ある日、我が家の長女が「家のお墓はボロちぃ。」と私のお袋に漏らしたことがあるそうである。お袋が「お父さん、私も助成するから何とか建て替えてくれ…。」と言ったのでありますが、夢屋第4代当主は、即座に否定。
早速、夢屋の家訓第1条を草案したのであります。
夢屋家訓第1条 親孝行は、親が生きている内に行え。
墓石にお金をかけたところで、それは生きている者の見栄であって、先祖は決して喜ばない。つまらない見栄のためにお金を使うのであれば、生きている親に孝行をしなさい。実に、自分に都合の良い家訓であります。
毎年、墓参りをしていると、毎年一基ずつ線香をあげる墓石が増えていきます。早世した恩師であり、若くして自殺した後輩、世話になった方々…。
           
友人のT君宅で缶ビールを空けながら、畑談義をしておりましたら、お隣のKさんから「あゆ」を頂きました。実に旨い。収穫の喜びや今年の反省などしながら、いつの間にか話題は「塩辛」の作り方、「沖漬け」と男の料理談義になっていきます。墓石に酒や墓饅頭を供えていただいても、味わえなくては何の意味もない。少々、窮屈・苦しくても生きているが華であります。
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ちょっと良い話

2009-08-13 12:24:40 | 暮らし
私、夢屋の職場、庭の置き石に小さな水溜りが出来ました。何の変哲もない石の窪みは、今年の長雨で水が枯れることもなく、小さな水溜りであり続けています。そんなある日、煙草をくわえながら見ていると、オタマジャクシが泳いでいるではありませんか。アマガエルの子どもたちにしては、季節はずれのような気がしますし、こんな小さな水溜りまでたどり着くには、親ガエルは地獄のような乾燥地帯を這って来なければなりません。煙草を吸うオヤジたちは、勝手な想像を働かせます。「もしかすると、今年流行りの空から降って来たオタマかも…?」
その内に、オヤジたちの心配事は、オタマが安全に成長できるだろうか…という方向に向かい始めました。何せ、2日もお天気が続けば、水溜りの水は完全に干上がってしまうことが確実なのですから。
ところが、曇り・晴れ・曇り…干上がるはずの水溜りの水の量が増えていきます。「もしかして、この石の下から水が湧いているのかも…」アホだねぇ~。
お花の水やりをしてくれているJ子さんの心づかいなはずなのに…。
           
そうこうしていると、本日、アマガエルオヤジが、お風呂に浸かりにやってきました。今日は、夏の日盛り、熱くなった敷き砂利を這いながら、水風呂で汗(カエルは汗をかくのでしょうか?)を流していきました。
水溜りに浮かぶ「イワカガミ」の葉は、オタマちゃんに日陰を作ってあげようとした、また誰かの心づかいのようです。
明日は、夢屋オヤジもかつお節か煮干しをオタマちゃんに持って行ってやるか…。
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世界陸上に参戦

2009-08-12 20:31:33 | 暮らし

旧盆が近づくと、それが夏休みの最盛期であったとしても、今は亡き私の祖母からは、生き物を殺生してはならないと教え込まれました。
優秀な夢屋少年は、夏休みの前半にほとんどの宿題を終えているので、テレビゲームも無く、宿題も無く、夏の家族旅行も無い少年にとって、「ザッコ釣り」が最強の遊びにも関わらず、これを禁じるということは、たまには肝臓を休める必要があるからビールを控えたら…などという、メタボ健診や血液検査では何も憂いのないビール好きの亭主に、「お預け」を命じる妻のようなものであります。
「んじゃ~、殺さねど良いんだべぇ~」…と、祖母の思いとは裏腹に、自己都合で勝手に解釈する子どもが、そのまま大人になってしまいました。
私自身は獣医師でも無く、屠畜処分の場面には、子どもの心を傷つけないようにという大人たちの配慮で、その場に立ち会うことはありませんでしたが、今であれば、ペットとして飼っているニワトリも正月の頃には、貴重なタンパク源として食した経験のある者ですから、人間の生と生き物の生が、ある場面でクロスし、肉体が食品に化すことを正当化せざるを得ない人物であります。
競走馬の薬殺処分についても、疑問を感じつつも正当化し、出てくる言葉は、「さくら子ちゃん、ごめんね…。」でしかありません。(gooひとことで、交流する「さくらの季節さん」へのコメントでありますが…)
           
我が家の田圃には、無数のクモたちが巣を張り、昆虫を捕えては食物として、そのネットに縛りつけます。「虫って、気色悪い~ぃ」とか、「クモなんか大嫌い…」 はい、結構です。たかだか20aの田圃の中で、野蛮な?殺戮が繰り返され、私自身も無差別殺人兵器である「殺虫剤」を何の躊躇もなく散布しております。虫は嫌いだから殺されて当たり前。馬や牛は人間に役に立つものだから殺してはいけない。ならば、米を食うな…肉を食うな…。
生を生に変えて、人は生きているのです。
私の祖母が言った言葉を、今、そしゃくしてみると、無益な殺生をしてはならないという戒めであったと考えます。
本日のタイトル『世界陸上に参戦』でした。
田圃で見つけた「エンマコオロギ」の幼生の太ももを見て、充分世界記録に通ずる記録を出してくれる国民として評価しておりますが、カメムシ防除のための殺虫剤「スミチオン」を無差別に散布している自分への戒めとして、心の内を吐露してしまいました。
娘たちも帰省して、少々ビールの量が多かったようです。


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