その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

「古道」…進むべき道

2024-02-19 09:05:40 | 巡礼

「古道」はどこへ導いてくれるやら?

ハクチョウの飛来地ともなっている米沢市「千眼寺」裏の松川にその姿はなく、この古道の奥から、けたたましいハクチョウの鳴き声が響いてきます。2月とは思えない陽気で、ご近所の庭には福寿草の花が開き、田んぼに雪は無く、群れて落穂を探しているのか、早めの北帰行を促しているのか…彼らの言葉が分からないので勝手に想像するしかありません。
一昨日、置賜三十三観音の第1番札所である「上小菅観音」を訪れ、昨日は最終札所である「戸塚山観音」を訪れております。何故に?「上小菅観音」の裏手には、「置賜三十三観音」が篤志によって分祀勧請されておりまして、総てを巡った御利益がある…ならば、最終札所の「戸塚山観音」で巡礼の旅も打ち止め~とばかりに、身勝手な『ショートカット巡礼』を試みたところでありますよ^^;
まぁまぁ、冗談はこの程度にして、お目当ての観音堂より、参道と交差するこの「古道」が気になりましてね…仏教でいう「六道」の内、ただ今、煩悩で四苦八苦するという『人間道』を爆走中の『おやじぃ』は、果たしてこの古道がどこに通じているのか、誰が開いたものなのかなどと考えている。人が歩めば道ができ、歩みを止めれば道は廃れる…普段は、ほとんど使われていないであろう「古道」が、道としての形態を保っているのは、どこぞの誰かが使っているからに違いない。整備された本道ばかりが『道』ではなく、人それぞれに四苦八苦しながら、それぞれの『道』を歩んでいるに違いないなどと急に『哲学』を始めたのでありますよ。


シンプルな「米沢ラーメン」が食べたくなった!

さて、『哲学』すると腹が空く。(お昼ご飯が少なかったもの^^;)しかし、午後3時頃に営業しているラーメン屋さんなんてないんだなぁ…。シンプルなラーメンが食べられるお店を思いつくままに回り、観光センターなら…本日のラーメン販売終了!ならば、米沢道の駅なら…と『小さな巡礼の旅』の倍の距離を走ることになりましたよ^^;(鶏ガラと煮干しダシかね…イメージとチト違う。)お腹を満たして、集落の役員会(仮決算と慰労会)に臨んだのでありますが…。
はてさて、高齢化した集落で、次代を担う若者も少なくなってしまいました。春先に「精神的な不調で役員が出来ない。」と打ち明けてくれた後輩に対して、「2年間、〇役と✕役ならば、人前に出る必要もなく比較的仕事も少ない。」と陰で伝えましたところ、それならばと笑顔で承諾してくれた…やはり、長男として地元に残っている者たちは、何がしかのプライドを持ち合わせているようである。「何もやらなかった。(役を引き受けなかった。)」などと陰口を叩かれるのを承知の上で、春先の告白だったに違いない。人それぞれに、できること、できないことは存在する。古老たちが歩んできた『道』をそのまま押し付けるのではなく、歩める『道』を共に探すことも必要なのかも知れない。千年の歴史を持つという岩手県奥州市の黒石寺「蘇民祭」も今年で中止とか…人は、原風景を無くして初めてノスタルジーに浸るものではあるけれど、維持する者たちにとっては、ただ眺める人々とは違った苦労があるはずである…進むべき『道』は、ひとつではないと思う『おやじぃ』でありますよ。

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『いの一番』の調味料?

2024-02-18 09:13:34 | 巡礼

樹齢450年以上とも言われる大ケヤキ…

「いろは」の一番目との意から、「真っ先に」という意味の表現である「いの一番」…古い建築図面では、横軸を「い・ろ・は…」、縦軸を「一・二・三…」と表記して方眼を描くことから、起点(ゼロ点)が「いの一番」になるとの説もある。(大工さんたちも、「いの一番」から始まる「ほぞ継ぎ」加工をしていたようである。)事務のアルバイトは、プリントアウトする用紙が切れて即中断…天気も良いし「置賜三十三観音」の第一番札所を訪れてみた。別当寺は「金松寺」…観音堂からは少々離れているけれど、月の名所として知られていたようで、古くは上杉鷹山公の若き重臣たちが、藩政改革の談義をしたとの言い伝えもあるという。(月を眺めながらの酒宴だったに違いないと思うのだが^^;)
参道脇には樹齢450年以上ともいわれる「大ケヤキ」が…一説では「置賜三十三観音」は、直江兼続の妻『お船ちゃん』が選定したとのお話もありますから、『お船ちゃん』もまだ幼木であるこの欅の木を見たかも知れない。上杉景勝が加増移封され会津120万石の大大名になったものの、「関ケ原の戦い」の敗戦処理で出羽米沢30万石に減封…さらには、1660年代に『男系断絶』によって、藩は存続されたものの、15万石まで所領が没収されているのでありますよ。今の世で言うならば、税収が10分の1まで減っても、家臣団(公務員)数はそのままだから、経済は破綻するに決まっている。直江兼続の殖産振興や上杉鷹山公の藩政改革が断行され、名君との呼び名が高いのも、こうした時代背景があるようではある。いくら名君が現れたとしても、それを支え、体現した家臣が存在したことは確かであり、「改革」を唱えても進まないのは、有能な家臣が居ないからなのよねぇ…なんて皮肉を交えて故郷を考えるのでありますよ(笑)


『おやじぃ』にピッタリの「ボケ除け」^^;

さて、先日、城下町鶴岡市へ出掛けた帰り道、雪も無いのに、月山新道は『除雪作業のため、片側通行が3ヶ所』とラジオから流れましてね、山腹にクラック(雪崩の予兆)でもあるのかしらと思った次第でありますが…『除雪作業』は、防護柵内側の排雪作業だった。通常の年ならば、雪崩防止のために防御柵上部の雪を除去する作業のはずであるけれど、片側通行にして柵の内側の雪をわざわざ搔き出す意味があるのかと感じたのでありますよ。『はは~ん!予算消化の一環ね。』と邪推してしまう作業でありますよ。雪の少ない年には、余剰予算を繰り越すか、アスファルトの打ち替えに使えないものかねぇ…道路はガタガタと衝撃が伝わってくるというのにねぇ?(勝手な解釈なら、許してちょうだい^^;)
はてさて、庶民は公の事業にブツブツと文句を垂れながらも、こうして我が身の懐に直接影響がないと黙ってしまうものである。大家の名声と誇りを守るための藩政改革だったとしても、喘ぎ苦しむのは常に庶民である。閉塞感が漂う日本経済…中国古典に登場する「経世(国)済民」は、「世を経め(おさめ)民を済う(すくう)」が原義のはずである。しかしなぁ~、最近は『傾国催眠』…傾いた国の民に催眠術をかけるような政治が多いことよ。『いの一番』に手掛けるべき改革とは何か?上小菅の千手観音は何も語ってくれませんでしたけれどね。そうそう「いの一番」は調味料、「味の素」もありまっせ。美味しく調理するための「だしの素」…政治が手軽にお料理できる『調味料』が必要なのかも知れないねぇ(笑)

 

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乳がなくとも粉ミルク…

2024-02-17 10:08:08 | 巡礼

コチラ湯田川の「乳イチョウ」である^^;

ガイドブックに頼らずに、『興味』に任せてふらりと足を向ける旅は、目玉の名所・旧跡を見逃すこともあれば、めっけものに当たるときもある。湯田川温泉の「由豆佐売神社」の参道脇にある古木「乳イチョウ」(県指定文化財)もそのひとつかも知れない^^;
『垂れ下がった円錐形の突起物』が、垂れた女性のおっぱいをイメージし、下にある祠は、お乳に恵まれることを願かけしたものに違いないと勝手に解釈。(今朝、調べたら確かにそうだった^^;)そうそう、粉ミルクなんて無かった時代には、「鯉の生き血が良い。」とか「餅を食べると乳の出が良い。」などという『力業』が言い伝えられてきたからなぁ…などと、古い時代を思い出すのでありますよ。しかし、このイチョウの樹は「♂株」なのである。雄に願をかけてもねぇ…。我が在所では、目にしたことのない(知らない)『イチョウの乳』…結構、各所に存在するようであり、『乳根』とも呼ばれるこの突起物は、主幹の材質とは少々異なり、柔らかく澱粉が蓄えられているという説もある。「たらちねの~(垂乳根の~)」から始まる和歌を思い起こし、どうも受け売りで『乳の垂れた女性…母親』をイメージしてしまうのだけれど、「たらちね」は、母親だけではなく、両親をも指す枕詞であり、「垂乳女(たらちめ)」「垂乳男(たらちお)」と書き分ける説もあるようだから、『垂れた乳の女性』から派生したというのは、後付けの解釈であるとのことである。なるほど、歳を重ねて「大胸筋」が衰えてくると男も乳は垂れてくる…最近の『温泉療法』から得た知見である。と、話はいつものように脱線してしまうのであります(笑)


「おもてなし」が評判のPトイレです^^;

さて、山形県出身の歌人 斎藤茂吉の歌に「たらちねの母のゆくへを言問ふは をさなき児等の常と誰かいふ」という一首があるようです。「死にたまふ母」に全59首ほど収められているということだから、茂吉は余程のマザコンだったに違いない。(と言うか、男どもの大方はマザコンなはずである^^;)「か~ちゃん、どさ(どこへ)行ったぁ~?」と不在の母に声を上げて泣くことはあっても、「と~ちゃん、どさ行ったぁ~?」などと泣いたりはしないのである。父ちゃんはなぁ、『ゲンコ(ゲンコツ)』くれても、お乳は出せないのだよ。だから、外で働いている。(これは、決してアンコンシャス・バイアスではないことを申し添える^^;)足りない粉ミルクを買って帰るんだわ!
はてさて、岸田首相の打ち出した「子育て支援金」…賃上げ効果によって、実質負担ゼロ!おいおい、どこぞの漫才コンビの持ちネタの『カロリーゼロ』のパクリかね?『真っ白なお米は、白紙に戻すということでカロリーゼロ!』…こんな理論だれが信じますかね?漫才だから笑っていられるけれど、真顔で『実質負担ゼロ』などと言われても賃上げなど程遠い現状に何を言うといった感じである。ドロドロ、真っ黒な政権でカロリーゼロな訳がない。その時は、その時で『ブラックホール理論』を持ち出してくるかも知れない。『すべての者から吸い尽くす。』なんてね。本気で少子化対策になると思っているのかどうか…その内に、効果が出ないからと制度をさっさと改変する。子育ては、最低でも20年間のスパンをみなければいけない。途中で、梯子(制度)を外すから、行く末が不安で子育ても出来ないんでしょうが…。『乳が出なけりゃ粉ミルク』…働き手不足で、女性の積極的な社会参加を…そうそう、老若男女、粉ミルクのために働けはたらけ!『乳(賃金)』の出が良くなるように、これからの「乳イチョウ」は、別の信仰の対象になったりしてねぇ…御利益。ごりおし(笑)

 

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後ろの正面だ~れ?

2024-02-16 10:23:30 | 巡礼

平日からお風呂…お仕事ですから^^;

「ツルの恩返し」から、鶴つながりで、お城にツルが舞い降りたという伝承もある「鶴岡市」へ…「鶴ケ岡城」がその名の由来という説もあるようですけれど、やはり本州にもツルはいたに違いない。少子化の影響で、鶴岡南・北高校が統合され、中高一貫校として、この四月には「致道館中学校」「致道館高校」と名称を改め開校するようであります。藩校「致道館」…「君子学んで 以て その道を致す」という論語の一節が由来のようであります。『おやじぃ』は、「途轍もなく重~い」物件搬入のお手伝い…庄内の『聖人君子』が巣立つお手伝いをしていると理解しつつ、君たちにも「途轍もなく重~い」期待と将来が託されていると他人事のようにつぶやくのでありましたとさ(笑)
予定通りに搬入作業が終われば、不安を抱える『お腰の治療』に専念することにいたします。若い頃は、海水浴で鶴岡市湯浜を訪れてはいますが市内は素通り…以前から気になっていた「湯田川温泉」に足を伸ばしてみたのであります。(当然、共同浴場300円^^;)昔ながらの細い路地を運転しながら脇道に逸れ、大きなお寺の駐車場を拝借してみたら、そこは「庄内三十三観音 第26番札所 長福寺」であった。脇に追いやられているような観音堂が多い「置賜三十三所」に慣れてしまって、右わきの「大日如来像?」に手を合わせてしまった『おやじぃ』である。長福寺のご本尊が「十一面観世音菩薩」だったのよ…また、出直すことにいたします。(観音さまは、そんな間抜けな『おやじぃ』を一段高い所から見守っていてくれているはずである^^;)


名竿の誉高き「庄内竿」…

はて、間抜けな『おやじぃ』は、長福寺の右手に立派な神社があることに気付き、「由豆佐売神社」であることを知る…なるほど、この参道を下ればその正面に「正面の湯」がある訳かぁと納得。管理人さんが常駐していないので、近くの商店で入浴券を買い求め、鍵を開けてもらうシステムのようである。「アンダ、いい男だから11時前でも入れるよ。」と陽気な店のオバちゃんに言われ、開館時間前に入浴させていただいた。しかしなぁ…お湯の神さまに背中を向けてお湯に浸かるのも不謹慎な気もするが。無加水、無加温のかけ流し…独り占めさせていただくにはもったいないほどの湯量がある。腰を温めて、浴場の戸を開けて思いましたね…神さまに背中を向けている訳じゃ~ないんだなぁ。神さまの御利益(お湯)を得たら、出るときゃ~必ず神さまが正面に鎮座している訳ですよ。『後ろの正面だ~れ?』…裏で実権を握っているのは『おカミさん』なのである(笑)
はてさて、折角の鶴岡市内なのだから、いつもは素通りの「致道博物館」でも見学していこう…子どもの頃、家族旅行をして以来、50年ぶりかねぇ…。酒井家ゆかりの品物よりも、「庄内竿」が気になった。(一本欲しいけれど^^;)そうそう、庄内藩は天下泰平の世の中で、文武の『武』をお魚に置き換えて、黒鯛釣りを推奨したなどとも聞いている。『おやじぃ』が仕官していたなら、さぞかし出世したに違いない^^; 長岡藩、会津藩と新政府軍にねじ伏せられる中で、軍の近代化を進めていた庄内藩は最後まで持ちこたえたようである。西郷隆盛の温情という説もある一方で、京都の有力公卿に賄賂を贈っていたという書付もあるようだ…正面では戦い、裏では赦免のための工作をする。『政治』とは、いつの世もそうのようなモノなのかも知れない。『徹底抗戦』と叫び続けるだけの『おやじぃ』では、やっぱり出世できない訳だわ…なるほど『後ろの正面』とは何かを考えた一日ではあったわ(笑)

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見るな!金蔵…

2024-02-15 05:46:19 | 巡礼

コチラ「夕鶴」伝説の残る珍蔵寺…

「毎日、温泉に浸かって、観音さまを巡るなんざぁ結構なご身分ですなぁ…。」などと言われそうですが、昨日はお仕事で荷受けまでの時間調整で置賜三十三所 第18番札所「鶴布山 珍蔵寺」を訪れております。「新山観音(聖観世音菩薩)」…やはり、足腰の病にご利益があるようですなぁ^^;
全国に「鶴の恩返し」伝説はあるようですが、コチラの場合、江戸時代の古文書にも記述があるというから『信ぴょう性』も高い?ましてや、「珍蔵寺」という名称は、のぞき見してしまった正直者の『金蔵さん』が由来らしいとの念の入れようでありますよ。(そうそう『きんぞうさん』であって、『かなぐら』と読んではいけないのである^^;)
しかし、ひねくれ者の『おやじぃ』は、「そもそも山形県にツルが生息していたのかね?」などと、生物学的な見地から伝説に懐疑的である。ツルと言えば、釧路湿原の「タンチョウヅル」…頭の天辺(頂)が赤い(丹)ツル…白い羽で織りなす布は、純白で光沢を帯びていなければいけない。(おとぎ話から勝手に思い込んでいる^^;)「タンチョウヅル」が釧路湿原で再発見されたのは、1924年のことであり、それまで日本の「タンチョウヅル」は絶滅したと思われていたようである。江戸時代には「荒川(東京都)」の辺りにも飛来地があったという記録があるようだから、ここ南陽市の「白竜湖」を中心とする『大谷地田』に飛来・生息していたとしても、何の不思議もない訳かぁ…などと、我が無知を恥じ入るのでありましたとさ(笑)


『邪心』は「水垢離」で清めますかね^^;

さて、「鶴の恩返し」…小学2年生の頃だったかなぁ?『おやじぃ』は、学芸会で「夕鶴」の『与ひょう』役に大抜擢されたことを思い出した。(『つう』役は「尚子ちゃん」だったような気がする^^;)台詞がなく、音楽に合わせて身振りで演じる役だった記憶であるから「木下順二作の戯曲」ではなく、「團伊玖磨作のオペラ」に合わせた演技だったに違いない。こちらの方は、新潟県佐渡市に伝わる「鶴女房」を原題としているから『金蔵さん』ではなく『与ひょう』だった…『おやじぃ』は美男子役ではなく、既に爺さん役だった記憶でありますよ。祖母が小道具の『痩せ馬(背負子)』と頭巾を手作りしてくれたことを憶えている。
はてさて、「動物報恩譚」「見るなのタブー」の範疇に入る伝説でありますが、どうやら『おやじぃ』ののぞき見趣味は、こうして小学生時代に培われてしまったのではないかと思い返しているところであります。見れば言いたくなるから見ない、見ない。聞けば言いたくなるから聞かない、聞かない…しかし、今朝は「ツル」つながりで、庄内地方の「鶴岡市」までお荷物をお届けに行って参ります。見ないと心に誓っても、やっぱり、覗きたくなるんだわぁ…こうして話題作りには苦労しない。おっとっと、出発の時間でありますよ。安全運転で出掛けてきます~(笑)

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不問に付して^^;

2024-02-14 09:47:05 | 巡礼

置賜三十三所 第10番札所でありますが…

腰痛治療が主目的、それに土地の名物を付けて、名刹も加われば「小さな旅」の完成である。我が在所の山形県置賜地方は、各市町村に温泉があるから、「自分の身体に合う温泉を探す。」という大義を掲げれば、オッカーも納得するはずである。(どこまでも自分に都合よくね^^;)昨日、気になったのが「大悲山 普門坊」…「山号」に「悲しい」という文字があるのは何で?どうやら京都府には「大悲山」なる修験の山があり、福島県南相馬市には「大悲山の石仏」が存在するようである。山岳信仰の流れをくむ由来かなぁ…なんて勝手に解釈しているところであります。ならば「普門」とは何か?観世音菩薩が広く衆生に救いの門を開いているということらしく、「坊(部屋)」が付くから、慈悲深い観音さまの居所ということかいなぁ…なんてね。
ちなみに、こちらのご本尊は「馬頭観音」…『馬頭人身』ではなく、日本の場合は、頭上に馬頭を戴くか、または、馬にまたがった像が多いとの記載がある。柔和な表情の多い観音さまと違って、「馬頭観音」だけは憤怒の表情を刻む像が多いとか…本来は穏やかな観音さまも、衆生の無智に呆れ果て、『巨悪』に対しては睨みをきかせる。そうそう『好々爺』も時と場合によっては怒ってもいいんだよと、気持ちの小さい『おやじぃ』を諭してくれているに違いないと、これまた勝手に解釈するのでありますよ。はて、民間信仰では『馬の守護仏』…ゲゲゲ、参拝前に長井市名物「馬肉支那そば」を食っちまったじゃないか。憤怒の相は『おやじぃ』に向けられたもの?大丈夫、ご本尊の御開帳は60年に一度とか、幕越しだから直接睨まれることはないのであります(笑)


「支那そば」とは言わなくなったなぁ…

さて、中国初の統一王朝「秦」が語源とも言われる「支那(China)」でありますが、今ではワープロで漢字変換しても、初期設定では「支那」とは変換されない。戦前の侮蔑的表現とされているフシもありますが、日本に言葉が伝来したのは「漢訳仏典」を通じてのことだったようである。古老たちは「支那そば」と呼んでいたけれど、「中華そば」と言うようになり、今では「ラーメン」の呼び名が一般的である。相手国が嫌がる表現を敢えて使う必要もありませんが、食文化では「シナチク」、学名では「シナグリ」etc.と、戦前に付けられた名称が残っているんだなぁ…。
はてさて、美味しいものを食べて、ひざ、腰の痛みを和らげる御利益があるという『秘仏』を拝んだならば、本来の目的である『温泉治療』…温めた時は調子がよろしいのですが、時が経つと痛む訳ではないけれど、どんよりとした感覚が抜けないのでありますよ。歳を重ねれば致し方ない。大体ねぇ、平日の昼日中から温泉に浸かっている輩なんざぁ、『おやじぃ』より歳を経た方がほとんどでありますから…他人の肌艶を見ながら、あと10年もすると我が身もああなってしまうのかねぇ、なんて余計なことを考えている。自動車を運転し、勝手気ままに『小さな旅』を楽しめるのも、あと10年といったところですかねぇ…観音さまのようなお顔立ちのオッカー(な、訳あるか!)も、眼科を受診して白内障が進んでいるようである。歳を重ねたのもお互いさまである。言葉の端々に怒って暮らしても、お互いの『老いの成果』を笑って暮らすのも同じ一生ではあるわなぁ。今までの『おやじぃ』の行状は不問に付していただきたい…『普門坊』だけに(笑)

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チンターマニ(如意宝珠)

2024-02-13 09:38:23 | 巡礼

置賜三十三観音 第21番は雪の下^^;

突然思い立った「置賜三十三観音巡り」…よくよく考えてみれば『おやじぃ』の一代守護仏は「観世音菩薩」であった。(正確には「千手観音」であるけれど、観音さま自体が変化する仏さまだから『一族郎党』…聖観世音でいいのだ^^;)天気も良いし、お腰の『時限爆弾』治療も込めて、米沢市小野川温泉を目指してみた。「巡礼は、4月から11月頃が好ましい。」…なるほど、小雪の年とは言え、お目当ての観音堂は雪の下ですもの。と言うか、こちら「小町山 宝珠寺」は、「甲子大黒天本山」…大黒さまがメインで、観音堂は脇に追いやられた感じですから^^;(道だけは気持ち除雪されていた。)それでは、昨日の失敗を教訓に「般若心経」を唱えて…「観自在菩薩 行深魔訶般若波羅蜜多時~♪(中略…忘れた^^;)」…お袋が持っていた「修義証」もどこかへ蹴散らかしてしまったし、観音堂も雪の下だから、また出直すことにいたしますわぁと不始末に申し開きをしております。
ところで、このお寺の名にある「宝珠」って何だ?『涙の粒』…タマネギのような形のあの玉のことなぁ。どうやら「如意宝珠」が正式な名前らしく、自分の意のままに願いが叶えられるという珠らしく、サンスクリット語で「チンター マニ」と言うらしい。こんなもん、衆生を救済するの
に仏さまが使うモノであって、人間が持つべきものではありませんわなぁ。何!『チンターマタニ』?…いかんいかん、世俗の『垢』が頭から離れない。凡人は、名湯 小野川温泉の公衆浴場できれいに洗い流すことにいたしますよ。「小野小町」に由来するという温泉街も20年振りの訪問である。今回は「滝湯」だったから、出直す時は「尼湯」にしよう…二回も入浴すれば『チッターマシニ』なっているに違いない(笑)


『ノロ社長』へのお土産ですが…

さて、美人の湯である「小野川温泉」のお土産は「ラジウム卵」か「豆もやし」が定番であるのだけれど、集落の会計帳簿の取りまとめに頭を痛めている友人『ノロ社長』には、彼が「久し振りに食いてぇ~!」と叫んでいたケンタッキーを買い求めることにした。(案の定「今日と明日は飲まん!」と宣言していた彼は、ニオイでいとも簡単に陥落してしまった^^;)
はてさて、『おやじぃ』が今さら観音さまを巡礼しても、極楽浄土へと導いていただけるとも思えない。曹洞宗ならば、道元禅師が著した「正法眼蔵」に触れてみるのも一手段かも知れない。仏教に限らず、世に普及した『宗教』というものには、『初めの教え』はそれぞれに立派なものであったに違いない。結局のところ、衆生の民が求める『救済』というものを、後の人の手によって大きく書き替えられたに違いないのである。『如意法受』…本来は、民を救い、律するはずの法律も、「議員立法」という手段で手前に都合の良い『法律』に書き替え、お金の出入りさえも不明なままでも許されるという『特権』を与えてしまった。科学技術がどんなに進歩したとしても、自然に対する『畏敬の念』だけは忘れてはいけないものだと『おやじぃ』は勝手に信じ込んでいるのだけれど、政治の世界では、「如意宝珠」を手にしたと勘違いしている輩が多数存在するようである。人間の力は偉大でもあるけれど、謙譲の心を忘れては『愚か者』の誹りを受けても仕方ないと思うのだけれど…国会議員の皆様が謙譲の心を持ち合わせていたら『チッターマシ』な国になると思うのでありますけれどねぇ(笑)

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どんこいしょ…

2024-02-12 09:13:07 | 巡礼

「どっこいしょ」と読んではいけない^^;

「思い立ったが吉日」とも言う…「西国三十三所」「四国三十三所」とまではいかなくとも、山形県にも「庄内三十三所」「最上三十三所」「置賜三十三所」と観音信仰は息づいているのでありますよ^^;
はて、最も手軽な札所は…何といつも出掛けている公衆浴場の近くに12番札所があるじゃ~ないの。今日は天気も良いし、長距離運転でどんよりとした腰の療養と『心の浄化』を求めて、巡礼の旅に出掛けてみますか?(旅というほどの距離でもない^^;)
山門を前にして、傍らには『龍泉の水』なる井戸が…ならば、手を洗い、口を漱いで(この水は飲めませんと注意書き^^;)残念ながら昔懐かしい、手押し式のポンプは壊れていた。(というか、このタイプは、上から水を満たして真空状態を作らないと汲み上げられないはずである。お隣の自噴する水でチョチョイと指先だけを清めまして…)本日お題の『どんこいしょ(井戸)』…昔は、集落内にも共同で使っていた『どんこいしょ(水場・洗い場)』が存在したのである。これは被圧された帯水層からの水であるから自噴する…手押しポンプで汲み上げる水は、帯水層の水であっても『浅井戸』が多く、雑菌が混じっているはずだから、今どきのお子ちゃまは口にしない方が得策ではある。それでもねぇ、水に恵まれない発展途上国では、この「堀抜井戸」と手押しポンプが活躍している。中国には「飲水不忘挖井人」(水を飲むときは、井戸を掘った人のことを忘れないの意)という諺もあるようである。今回の「能登半島地震」の断水の報道を見聞きしながら、『蛇口をひねれば水が出る』という日常に感謝しないとねぇ…などと、既に『心の浄化』が始まっている(笑)


百段ほどの石段ですが…既に足が^^;

さて、こちらは「置賜三十三所 12番札所 湯新山東正寺」であります。何の御利益が…合掌するのは「清純無垢の一瞬を得んがため」…一瞬だけ世俗からは離れよう。(ちなみに「諸願成就」とされている^^;)礼拝のマナーとしては「般若心経」を唱えなければいけないのかい?(何の予備知識もないまま参拝するからこういう結果になる。もう一度、やり直し^^;)「御朱印」は?お隣の本寺に行けば頂けるはずであるけれど、いまさら余計なモノを家族に残さないことにしよう。(と言うか、入口の屋根付き駐車場に止めてあったBMWを見たら、寄進する気持ちも萎えた^^;)世俗にまみれているわなぁ…。
はてさて、こうしてみると遠くに出掛けなくとも、名所、名刹は多数存在するようである。(どうしても、遠くの神様、仏様はありがたく感じるものでありますが…)一方、遠くの東京で行われた自民党のアンケート調査とやらは…回答率23%ですと?「連座制賛成多数」と地元紙は取りまとめている…どこがじゃ!残り4分の3の衆議院、参議院の所属議員さんは、アンケート調査さえ無視(むしろ、答えられない。)という結果ではないかいな。これに怒りを覚えずにどうするね…温和な「観世音菩薩」さえも今回ばかりは「どっこいしょ」と片膝立てて立ち上がるかも知れない。ん~?今朝のお題は『どんこいしょ』だった…折角の『心の浄化』も、また不浄のモノにまみれてしまう。イデデ…腰だけじゃなく、石段登って足にきた(笑)

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高速と鈍行と…

2024-02-11 09:12:41 | 転職

缶ビールとうどんにありつけて…

世に「石橋を叩いて渡る」という諺もございますが、堅牢であるはずの『石橋を叩いて、叩きまくっても渡らない』という臆病な方に皮肉を込めた言い回しもあるようである^^;
人は成功談を声高に語っても、失敗談については口を閉ざしがちではありますが、人生を少々長く生きていれば、少なからず挫折感のひとつやふたつ持ち合わせているはずである。『石橋』だと信じて疑わなかった橋が崩れ落ち、危なっかしいはずの『丸太橋』を絶妙なバランス感覚で渡り切る…運・不運と言ってしまえばそれまでではありますが、落ちても軽いケガで済む程度の橋ならば渡って見るのも一興ではある。落ちたら落ちたで、『世間』という冷たい水を感じれば良いし、もしかしたら、そこには今まで見たことのない花(経験)が待っているかも知れない。『私、失敗しないので…』と語りたい方は、そういう生き方を選べば良いだけである…「私も失敗しないので…」と語る『おやじぃ』の場合は、失敗したとしても、それ以上の経験が出来たと楽しんでいるだけなのだけれど(笑)
今回、関東地方を襲った『大雪』の影響で、高速道路を強制的に降ろされて感じたこと…ひと昔前なら、地図を頼りに右往左往しながらも国道4号を目指したはずである。今では、カーナビという便利な道案内がありますのでね、多少の時間は掛かったとしても『目的地』にはたどり着けるはずである。『人生にカーナビなど存在しない。』などと虚勢を張ってみても、実は次なる『本道』を目指しているのでありまして、『脇道に逸れる』ということをどこかで拒絶している自分に気付くのでありますよ。


雪不足で四苦八苦の『冬まつり』…

さて、偉そうなことを語っても、結局のところ『本道』を歩きたいと思っている自分がそこにいる。ならば、『人生の目的』って何だったのかと自分に問い掛けてみるに、はて何だったのでしょうと応えに窮してしまうのでありますよ。そこそこに学び、そこそこに働き、そこそこに楽しんで来たから、そこそこの人生だったに違いないと自分を納得させるのが精一杯でありますよ。『家族の幸せ』のために…などと語れば格好もつくけれど、それとて『自分』ためだけの人生だったような気もしますけれどねぇ…。
はてさて、振り返ってみれば、『幸せ』を求めて高速走行してきたような気にもなってくる。『命のリザーブタンク』の燃料の残量が目に見えて減ったと感じる時期だから、そろそろ低速走行で脇道に逸れてみるのも悪くはないと感じ始めている。「〇×三十三札所」などという看板が最近やたら気になるようになりましたよ^^; 今さら、観音様の功徳を分けていただこうなどとは思いませんが、何かしらの『まとめの人生』を経験するのも悪くはないかなんてねぇ…。どうせ、最終到着地は『墓場』でしかないのだから、到着時間を遅らせる。車を走らせて、自由に行きたい『脇道』を探すのも、あと10年といったところでしょうか…ここまでくると、あと何キロを何分で走れるかということよりも、あと何か所(経験)を巡れるかということを大切に生きてみたいものだわ…そろそろ『鈍行で生きる』生き方を探してみようかなんてね(笑)

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夜中の徘徊…

2024-02-10 09:52:30 | 転職

今では珍しくなった『デコトラ』ですが…

第一次『デコトラ』ブームは、1970年代だったとか…「トラック野郎」が上映され、菅原文太さんが演じた『星桃次郎』に憧れて運輸業界を志した若者も多数いたとか…。その頃の『デコトラ』から見たら実に優しい仕様であります。取り締まりの強化や排ガス規制(東京都)、今では荷主のコンプライアンス云々で現場で嫌われる傾向もあるとか…優しいながらも生き残っているようであります。はて、1970年代…『おやじぃ』は大学受験生。当時、文化放送の「走れ!歌謡曲」というラジオ番組(am3:00~am5:00)を聞きながら受験勉強をしていた記憶である。金曜日のパーソナリティ「兼田みえ子さん」がお気に入りで聞き入っていたのだけれど、彼女のその後を知らない。(引退したんでしょうねぇ…Wikipediaにも記載なし^^;)めでたく大学に合格し、上京してからは深夜放送からは離れてしまいましたから…。ドライバー向けの番組だから、演歌が主流で、ドライバーさんとの電話のやり取りもあった記憶ではあるのだけれど、深夜に現場に向かう仕事のスタイルは今も昔も変わりなく、ドライバーさんの『癒し』の時間、番組だったに違いない。『おやじぃ』はと言えば、『立派に育った』おかげでアルバイトの2tトラック運転手…報酬を拘束時間で割り返し、食事代を差し引くと時給1,000円が良いところ…いやいや、これでも待遇は良い方である。名だたる運送会社の下請けの下請けでは、高速道路の走行もままならず、お給金もグッと下がるらしいのだから。「物価上昇を上回る賃金の上昇を後押しする。」…岸田総理!ドライバーの待遇改善が進んだら、さらに物価高に拍車がかかると思いますが…トラック輸送に依存する「物流」の多さをご存じなのだろうか(笑)


タコの入っていない「たこ焼き」?

さて、トラックドライバーに限らず『待遇改善』しなければいけないであろう職種は多々あるようである。老人介護の現場、少子化とは言え保育の現場、そして旅館業etc.と、本来、人が関わらなければサービスが向上しないであろう職種に限って、低賃金がまかり通っているような気がしますけれど…表立っては「賃上げを!」と掛け声をかけても、施設自体が低(定)コスト政策で青色吐息の状態だから、末端の労働者にお金が行き渡る前に、中抜きされているような気にもなる。そうそう『政治屋さん』自身が中抜きをして平然としているのだから、そうした仕事に就いている輩が悪いのよとでも言われているような気にもなってくるけれど…。
はてさて、受験勉強、徹夜の報告書作り、そしてアルバイトと『おやじぃ』は、深夜に活動することが多かったような気がする。(家に帰って、就寝してから起きているから、身体的には『夜型』ではなく、『朝型』だと思っている^^;)『おやじぃ』の場合は、旅行気分で運転を楽しんでいるし、もうお小遣い稼ぎ程度の感覚だから構わないけれど、これからを担う若者たちには、仕事に誇りを持てること…仕事の内容も、そして、裏打ちとなる賃金も必要じゃないかと思いますけれど。深夜、早朝に働くことを『昭和のオジサン』は苦にしないけれど、その内、『おやじぃ』も、今までの生活習慣から意味も無く夜中に『徘徊』し始めるかも知れない…その時は、その時でオッカーよろしく!そのオッカーさえ、交代制勤務だったからどうなることやら…お互いさまで、早いもん勝ちだわ(笑)

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