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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

逢うのが遅かった と悔やまないで

2019-07-20 18:40:20 | 日記

夕方のこの時間、2階の仕事に区切りをつけ、1階の自分の時間に戻るまでの時間。ぼんやりと外を眺めている。癒しのBGMをかけながら。仕事がいやなのではないが、掃除や料理をしたり、習い事の時間にしたいとは思う。母が父が亡くなってから、書道を初め、父のやっていた家庭菜園を始めた。家庭菜園の周りにお花を植えていた。なんでもきちんとした母は書道も畑仕事も上手にやりこなした。そんな母の姿を思い出すと羨ましく思う。今の状態は体が気持ちについていかないようだ。だから、このぼんやりがいいようだ。

「もう少し早く逢っていれば・・・」そんな言葉はよくある。特に男と女の間には。でも、そうでもない気がする。それぞれが時で、それが二人の「とき」でいいのだと。このごろはそういう縁(えにし)なのだと思える。「全てのことには時がある」 と聖書にあるが、そのまま受け止めるのがいいのではないだろうか。逢うのが遅かったと悔やむでもなく、早くて悔やむでもなく、ただそのときを受け入れるしかない。あがかないことだろう。時の流れに身をゆだねていけば、無理なく流れていける気がする。この30分間ぐらいのなににもならない空間と時間がそう思わせてくれる。

「もっと早く逢っていれば・・・」そうじゃないのよ、そうだったら、それはうまくいったかどうかわからないわ。与えられたときがあり、そのときをどう生きるか、悔やまず幸せに生きるにはどうすればいいか。それが人の知恵かもしれない。

そろそろ下へ降りて食事の仕度です。二人の食卓のために。

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からくちイケジィ 論かな

2019-07-19 18:07:55 | 日記

今日もすっきりしない天気だ。「うっとうしい」「むしむしする」などの挨拶が町を歩くと交わされる。ここにいるとだれとも話さないということはない。ともかく、仕事が進まない。というか、ぼーっと生きているのだ。今朝は「あさイチ」に久米宏が出演していた。いつもはあさドラの続きで少し見るのだが、今日はそのつもりが久米宏の話に引き込まれた。HNkには出ない、公共放送は政府から分離して運営すべきだ など話す彼が語る放送文化は面白い。一つの貫かれている論がある。いいキャスターとはニュースを簡潔にわかりやすい言葉で伝えられる人だ という。今は、専門用語で長い記事を伝えている傾向があるという。18年続いたニュース番組では、いかに視聴者を飽きさせないか を細かい部分まで考えていた。面白かったのは当時の相棒の小宮悦子さんのコメントと彼女に「足が写されたら、さっと後ろに引きなさい」それがうつくしいと。なーるほど でした。

今年で75歳になるという久米宏さんは肌も髪も(白髪)きれいにしている。そういう気もつかっているのだろうが、うつくしい年のとり方をしていると 思った。やはり男の顔は履歴書なのだろうか。そのどこかに危うさを感じさせるシニアの色気もある。そういう風に年をとるには、どうすればいいのだろうか。私なりに思うのは、自分でいやなこともきちんと責任を持って生きてきたかのように思う。逃げた男の人の顔はどことなく貧相だ。(私の知る限りの人物で)どうも、いざとなると逃げ道を作り(人に甘えて)責任を取れない人が多い。そして、自慢話も「いやーおもしろかった」くらいに笑い飛ばせる男がいい。生きた化石のように自慢話を語られても面白くない。

夕焼けチャイムが鳴った。今日はメールの整理と予定などの確認が多い。神経を使う。3日ぐらい温泉に行きたいなぁと思う。

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イケオジ(イケジィ)

2019-07-18 17:32:10 | 日記

雨が降りそうなので、雨傘を持ってでると日傘がほしいくらい暑く、日傘を持ってでると雨が降る。まったく、私の人生みたいだ。雨天兼用傘を持って出ればいい と言われますが、女性の雨天兼用傘は、きゃしゃですぐ壊れてしまう。今朝も激しく雨が降ったかと思うと すぐに上がる。溜まった洗濯物と仕事を処理しないとならないが・・・。

昨日は早起きして、今日の祇園祭に出かけた。四条河原町の交差点で鉾が辻回しするのを見ようと いう。9時少し前に着いたがもう人がいっぱいで3列目ぐらいで行列は見えそうにない。あと10センチ背が高かったら。周りは外国の方が多い。おそらくフランス人の男性2人が前に入れてくれた。写真を撮ると、人の手が入る。みんさん手馴れているので、スマホで動画をデジカメで静止画像を撮っている。実に器用に両手を使う。いよいよ私もタブレットからスマホにしよう。辻回しはすばらしい!暑くても早起きしても見る価値はある。シニアサッカーの仲間達のご厚意だ。

今日のFBに「イケオジ」という言葉があった。酸いも甘いも経験した魅力あるおじさまらしい。(西島秀俊・玉木宏・渡部篤郎・福山雅治)たしかにイケオジだ。この人たちのドラマなど見るとデレーっとして若返りたいと思う。この「酸いも甘いも」なのです。もと義母が「まちこさんは酸いも甘いもわかる男の人なら、とても可愛がってもらえたのにね」と言われた。(そうですねとは言えなかったが)私のように実年齢と精神年齢にどこか解離した部分がある女は、こういう人でないと私には腹が立つらしい。最近はやることが進まず、なにかイライラすることがある。そんなときはイケオジでなくてもイケジィにわからないことを言ってみたくなる。

昨日もシニアサッカーで「ぎすぎす」していて、ゆとりやさわやかさがない と話した。そういうゆとりと(経済的なものでなく)さわやかを持ったひとがイケオジやイケジィの気がする。

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なつのように

2019-07-16 18:51:20 | 日記

暑い!急に暑くなった。まず、健康な暮らしの第一歩は整理整頓と掃除といわれたことがある。掃除をすると気持ちがいいので、朝は簡単に(ここがミソ)掃除をする。そして、以前のルーチンワークだった「写仏」と「計算練習&漢字練習}を再開した。「ものすごく深く眠れる睡眠用BGM」を朝からかけながら作業をする。この写仏の一番簡単な如来像を描いている。トレース紙に写すのだが、如来の螺髪の丸を一つ一つ丁寧に描くと、心が落ち着く。そして、人への感謝が生まれてくる。昨年の同じ時期に同じ像を描いていたが、今年のほうが目がきれいに描けている。きっとたくさんの如来像を実際に見たからかもしれない。

トレース紙で写していて「なつぞら」を思い出した。手が震えないように、線を一気に描くのはむずかしい。そして、円が一番難しい。神経を集中しなくてはできない仕事だ。私は絵心がないから、オリジナルを描くのはできないだろう。何枚も描いて動きをつけるなんてすごい と思う。改めてアニメの世界に感心した。

若いということはうらやましい。やりたいことに向って試行錯誤しながら進んでいく。そこには生き方の悩みもある。「なつぞら」の時代は結婚→引退だった。今日のなつぞらは、うちゃんでなくても腰が抜けそうかもしれない。なつへの一休さんの「一緒に作ってほしいです」、「一生をかけても…あなたと作りたいんです」ということば。一生かけても、あなたと作りたいんです・・・、そう、「一生 」という言葉を言い切れる男性はすばらしいと思う。そういわれたら、後ろ向いて逆立ちして、ほいほいとついていってしまうな。ほいほいじゃなくて、真剣に命がけで。

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1度の人生だから 正直に

2019-07-15 18:44:06 | 日記

やっと「引っ越しました」 のはがきを書いている。12月末に決まり、2月の20日頃の引越しだった。今思うと、よく出来たという感じだ。そして3月、4月、5月はNPOの取材が続き、その間に転居に伴う事務的な仕事があった。6月は、NPOと友達の会社の決算報告。一息つくとめまいがでてきた。7月の中旬になってしまった。友達には8月に東京に出たときにでも、引越しの理由などはお話しよう。

人生の最期に後悔することの一つに「自分に正直に人生を生きられなかった」があるそうだ。(海外の終末期ケアをした人の記録)やはりそこには『人の目』というようなものへの意識が働くらしい。家族の問題が大きいだろう。でも、独りでも正直に生きられるかどうかはわからない。ふと、自分が母親だったら息子や娘にどう生きてほしかっただろうか。娘なら、ごく普通に家庭を営んで平和に暮らしていてほしいと思う。息子なら、何か人の役に立つ仕事をしていてほしいと思う。父や母は私にどう生きてほしかったのだろうか?「ああしなさい、こうしなさい」はなかったが、なにかを形造りにくかった。昨日書いた親友のYちゃん「子供達にはのびのび自由にやりたいことをするように育てたけど、結局どうにもならないものになったわ」と笑う。「枠がないと豆腐も固まらないものね」と笑った。

長浜に越したとき、みなさんが裏やましがった。よく決断して行動したと。こうして転居届けを書いていると、あの引越までの怒涛のような2ヶ月はなんだったのだろうか。なにも考えず最後の仕事のように荷造りをした。いつまでこの家で暮らせるかわからないが、あの時は自分の気持ちに正直だった。ここで動かなくては後悔する と。他の人がどうかではなく、この築40年近いぼろ長屋が私にはいいのだ。ごった煮のような長浜の町がいいのだ。大きな海のような琵琶湖がいいのだ。

「みな人の 迷いの海は 深くとも 法の(のりの)舟にて 渡す岸寺」 昨日の光源寺のご詠歌だ。

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