梅雨明けはまだらしいが、暑くなった。午前9時ごろで2階は30度を越えていた。午前中は宅急便が来るので出かけられない。夕方に買い物に出よう。NPOの写真の整理や引っ越したときに会えなかったお友だちに手紙を書くことにした。
引っ越した理由を話さないと と思い書き始めるがうまく伝わりそうにない。京都の近くへいずれ住みたいとは思っていた。その想いがなぜあのときに長浜へ越すことを決意させたのか 説明がつかない。私の中では当然理解しているが、これがうまく書けない。ただ、ここで引っ越さないと、もうそのときがない と思えた。
「百花」という小説に認知症になった母親の最後まで覚えていたことがテーマになっていた。それは人が大きな決意をしたときに関係する場面のようにも思う。認知症の母は、嫁いできた文京区の家の話をよくした。母にとっては東京で暮らすことがうれしいいことだったのだろうか。人はそんなふうに大事なことを覚えているのだろうか。私が認知症になっても思い出すことはどんなことなのだろうか?
私の人生の大転機?は文京区から埼玉の田んぼの中へ越したことだった。都会の生活から越した先は、家の隣は田んぼだった。家のものは3分の1くらいしか持ってこられなかった。全部捨てた。そんな引越しの日、おそらく夕方になっていたと思う。引っ越屋さんは3人だった。一人が学生さんのアルバイトのようだった。終わって帰るときに、彼が何度も手を振っていたのを憶えている。夕方の風景の中のトラックと彼の姿が思い出される。
長浜の引越しは運送屋さんが最後まできちんと配置してくれて「さぁ。もう最低限の生活はできますよ」と言われた。忙しい1日だったがガスも使えて、暖房も使えた。特に2階は広くて新しい生活が始まる という喜びがあった。あの遠い昔のさびしい田園風景の引越しとは違う。何回も引越しをしたが、「ここから始まる」という気持ちが湧いてきた新婚さんのような幸せの香りがした。
あの琵琶湖に沈む真っ赤大きな太陽のように燃えて走った気持ちは文章では書くことはできない。きっと最期まで心にしまわれているのだろうな。