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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

京都の懐に抱かれて

2021-11-24 19:54:00 | 日記

今日は朝の室温が10度を下回った。部屋を歩くと寒い!今日は京都へ出かける。朝から時雨ている。薄手のコートでは寒く、ダウンコートにマフラー、帽子、手袋といういでたちだ。琵琶湖を南にいけば晴れているのだろうが、駅まで歩くには仕方ない。案の定、米原を過ぎると青空が見えてきた。ああ、このマフラーと帽子はどうしよう。

京都は嵯峨嵐山に近い静かな寺を訪ねた。こじんまりとしていい雰囲気だ。訪れる人も少ない。紅葉はやはり茶色で縮れている部分もある。やはり、少しずつ「紅色」が退色しているようだ。庭を見ながらのんびりする。この京都の寺の安らぎと安心感は何なのだろう・・・。おだやかな心になる。京の町の裏道に入ると、ほっとするのと同じ感覚だ。「おかえりモネ」ではないが、「おかえり」と言ってくれるようだ。嵯峨嵐山の駅は若い人でいっぱい!それでも外国からの観光客がほとんどいないので人は少ないという。ああ、くわばら、くわばらと急いで京都駅へ向かった。

京都のパンはやはりおいしいとせっかくの京都でパンとコーヒーの昼食だった。長浜はパンがおいしくない。なにかパンのいう感じがしない。(うまく言えません)コーヒーも誰かに入れてもらうのは美味しいね。京都から宇治へ。宇治の紅葉はきれいだった。宇治駅から少し登ったところにある霊園だ。キリスト者の墓地はもういっぱいなところばかりだ。霊園のお墓のプロの説明に納得して、ないも残らないならせめてお墓だけでもと思えた。

京都はさまざまな顔をしている。そのむしろ地味な部分とこじんまりしたところが私は好きなのかもしれない。昨夜は、自分はどうしたらいいのだろう?と思った。でも、京都の路地や細い格子戸のある家を見るとそんな気持ちが消える。生きていてよかったね。お墓も決まったし。笑。

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いい夫婦の日

2021-11-23 16:27:10 | 日記

各地今年一番の冷え込みだという。外へ出ると風が冷たく、ほんのうっすらと伊吹山の頂が冠雪しているようだ。そんな姿を見ながら買い物に出かける。メダカの餌やらが私の食べ物の3倍以上金額の買い物だ。親とはこんなものだろうかなどと思う。

昨日は11月22日はいい夫婦の日だそうだ。NHKやらでアンケートを取ると、コロナ禍でご夫婦の仲は好転したという意見が多い。ステイホームで一緒にいる時間も長く、食事も一緒になれば会話も増える。なによりのことだ。多少の意見の不一致は合ってけんかしても、話し合う時間も今までよりある。お互いに分かり合える部分が増えたのだろう。「コロナ禍」ではなくて「コロナ幸」だ。

夫婦といっても二人だけの関係だけではなく、子供たちやそれぞれの両親や親戚関係、さらに子供の配偶者・その家族・孫たちなどやはり日本は「家」という存在が多い。なかなかそう理想通りにいかないのだろうが、身内とか親戚という縁あるものがないということは、自由であり不自由でもある。ここ日本で暮らすには家族関係は大事だと思う。

つながりがないということは、自ら切ってしまった糸なのだから仕方ないと思う。糸の切れた凧はどこへでも飛んでいけるが落ちる可能性も高い。そんなことを考えると、何もないということは誰にも必要とされていないことなのだなぁと思う。

明日は自分の入るお墓を決めてくる。葬儀の費用も別預金にした。人が住まぬ家の紅葉が妙にうつくしい。今日は風がつめたい。

 

 

 

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たくましく生きて!

2021-11-22 18:16:03 | 日記

車窓から見える山々が墨絵のようだ。久しぶりのモノクロの世界だが、その所々に黄色や紅色の見える。日一日と山が衣替えをしていく山の木々。今日は雨、午後からは風も強くなりせっかくの紅葉も散ってしまいそうだ。急がなくちゃと予定を早めている。

昨日はごミサに出かける。ミサの準備をしているとこちらに来られる人がいる。軽やかなあしどりだ。近くに来られて、この教会の神父様だ!わからなかった。「神父さま、お若くなりましたね!」と思わず言ってしまった。うれしかったのか「あらほんと!うれしいわ。トホホホホ」だった。私は知っているのです、そのわけを・・・。でも、私は貝になります。

どんな状況からもひとは「あい」があれば元気になれるのだろう。昨日、「青天を衝く」を見ていて、栄一の悲しみに涙した。最愛の妻を失うということはどんなにつらいことか。

キリスト教を描いた小説で、最愛の人を(これは実は許されぬ関係の人)戦火で失いそうになる時、「どうかこの人を助けて下さい。私の不信仰を改め、これからはひたすら神の道を歩きますから、どうかどうかこの人を助けてください」と祈ったという。(神学者の間では問題視された小説)その後、彼女は信仰の道を一心に歩んだというが、この相手の人も助かっていたという。神は許されぬ関係さえも信仰のためにお使いになると遠藤周作さんが評していた。この話は余談だが、どうか私の命と代えてくださいというセリフはわかる気がする。この人の命が助かるならば何もいらないと思うだろう。

昨夜はそんなことを考えた。週末にこちらに来られる8/20にご主人を亡くなられた奥さまがお手紙に「夫が訪ねたところのパンフレットを見ながら、忙しいだけでなくこんな時間も持っていてくれたのだと思うと嬉しくなりました」と書かれていた。胸にジーンときた。少しずつこころが癒されていきますように。

 

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看板を下ろして

2021-11-20 22:20:38 | 日記

久しぶりに手にした望遠レンズのカメラは重かった。風もなく暖かい日にシニアサッカーの取材に出かけた。NPOではその事業の中に、「一人一人のサッカーを大切に」ということで、ピッチ上のプレイ姿をカメラに収めていた。ハードな仕事だった。朝10時からお昼も食べずに3時ごろまで、写真を撮っていた。喜んでいただけたし、年賀状に使われる方もいた。でも、いろいろ耐えることもあった。だから、NPOの看板を下ろしてからは、もう大会もご挨拶くらいで取材はしない、写真も集合写真以外は撮らないと決めていた。コロナの感染拡大で今日まで1年半はピッチを見ることもなかった。

この前の交流試合には望遠レンズは持っていかなかったが、今朝、持って行こうかなとリックに詰め込んだ。関西のサッカーチームの主催だった。一度降りたピッチに戻ったプレーヤーを励ましてくれるように、皆さんがあたたかく迎えてくれた。それはNPOなんて言う看板を下ろしたからかもしれない。私が変わったのかもしれない。話したことのない人も話しかけてくれる。そして、NPOの看板を下ろして新しい組織を作り直したいという本当の(表に出ない)意味も理解してくれていた人たちがいたこともわかった。

今日はがんばらない私がいて、素直な私がいて、それが受け入れていただけてうれしかった。帰りは電車の事故で1時間半も動かず、このほうが疲れて帰宅した。ノロノロ走る電車の車窓から大きな月が見えた!そういえば、車窓から月が見えるとよくメールしたことを思い出した。そうなんだなぁ、男の照れってあるんだなぁと思った。素直に想いを伝えられれば、いい関係がさらに良くなると思った。

駅からの帰り道は月明りだけだ歩けるような夜道だった。

(今日の写真ではありません)

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やさしさだけをあなたに

2021-11-19 17:12:02 | 日記

だいぶ朝方冷え込んできた。あと、10日で師走・・・。今日はいい日だった。まず、あさドラの想定外の開始1分間。でも、戦時中は出征前の結婚は多かったらしい。二人(稔さんと安子さん)が純粋でいいなぁ。だから、今日は朝からじんわり泣けた。そうしているうちの気にしていたオオタニサンのMVP決定の速報が入ってきた!27歳というのになんと爽やかなこと。青年のままだ。大偉業を成しても謙虚だしどんな人がお嫁さんになるのだろう。

そして、午後3時半ごろ、宮城の松島から生ガキが届いた。今年もグラマーな牡蠣がたくさん!サッカーでお世話になっている方から毎年届く。その気持ちがうれしい。宮城はほかの方たちもみなさんやさしい。食糧難の我が家はありがたく、早速夕食にぜいたくな食材が並ぶ。

今日は自分が持っているものは「やさしさ」だけだなぁと思った。物理的なものはほとんどない。ボケも始まり、知識と言えるのもは枯渇していく。でも、やっとだれにもにやさしく接することができるようになった。それはうれしい!

きっといろいろな人から頂いたやさしさがたくさんたまってきたからだろうな。神に感謝。

 

 

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