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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

想像(妄想でも)うつくしく

2021-11-18 16:44:19 | 日記

薄手のセーター1枚で過ごせるくらい暖かい。2年前は伊吹山が冠雪していたのに。昼間は調子よく過ごしている。夜はなんと汗をかいて目が覚める。目が覚めると、昼間とは違うバージョンになる。様々な感情が出てきて、眠れなくなる。少し本を読めば眠れるので楽だが。

イッセイ尾形の「とりあえずの愛」のなかに、花とカルピスの君という短編があった。夫はプロの登山家で、事故に遭い半身不随で車いす生活をしている。妻はシナリオライターで生計を支えている。ある日、二人は交通事故を住まいのマンションから目撃する。若い女性がヘルメットをかぶってまま事故に遭い死亡した。翌日から自己現場の横に瓶に入った花(ガーベラ)と缶詰のカルピスが添えられていた。二人はそこから花を飾る人をいろいろ想像し始める。おそらく、彼女の恋人でないかと。男の人がガーベラを飾るなんてとか。双眼鏡を使いながら夫婦はそのうち唇の動きから何を祈っているのか想像するようになる。ある日、若い男の人は女性を伴って花を捧げに来る。この人は誰だろうとしきりに想像し合う。新しい恋人かな?いや、お姉さんじゃない?在宅で過ごす時間の長い二人はささいな行き違いをしながらも、この想像を楽しみに日々を過ごしていく。そして、ある日この男の人と奥さんが会うことができて、男の人になぜ花とカルピスを供えるのか質問した。

「でえ、その質問なんスけど、俺ってえ、マジで恋人とかじゃないんスよ。」で始まる答えだ。大学の同じサークル(バトミントン部)の後輩で、彼がこの近くに住んでいるんで、サークルみんなで49日まで供養することになったという。それで近いので自分が一番供養に訪れたそうだ。ガーベラとカルピスは彼女が明るい子だったのでサークル女子が決めたという。

その話の後、夫婦は「えっ!恋人でなかったのか!」と大声で笑ったそうな。はっと思った。親友が彼とのことを「所詮、自分の心の中の妄想の世界なのよ。彼もね」と。そうなんだよね、知っていることなんてほとんどないんだ。自分の想像の中の人を想っているに過ぎない。一緒に住んでいてさえもそうだろうなぁ。誰に対してもそうなんだから、自分の想像は自分の心の写しなんだ!と思った。

人を悪く言う(思う)のはやめよう。いい想像をしよう!ああ、あの人は人を悪く言わないなぁ・・・。そう思ったら、意地悪ばあさんと思っていた人も許せた。

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ワインレッドの心

2021-11-17 18:11:39 | 日記

夕方5時半ごろ外に出ると、寒くもなく月と金星が輝いていた。反対側の空は紅く燃えている。晩秋の夕暮れだ。

何もできなかった1日思うのがいやで、午前中に家事をきちんとすることにした。家のことができずに残っているとストレスがたまる。家のことがしたくて、NPOの仕事をやめたのにと。自己管理で進めなくてはいけない仕事もあり自由なようで難しい。少し働きに出ようかと思ったが、経済的に厳しくても最初に思ったようにのんびりすることにした。伊集院静の小説が心に残って次の本にはすぐにいけなかった。見るTV番組もないので、YouTubeでリラックス音楽でもと思った。

なにか違う音楽もいいかなと案内に出ていた安全地帯のライブを見ることにした。今やシルバーグレイの玉置浩二が男の色気ムンムンで歌っていた。この人は男にも女にも好かれるなぁなどと思い出していた。知らない若い人も多いのだろうなぁ。今、彼も63、4才だろう。高音から低音まで響く歌声で、歌がうまい。おそらく今ここまで歌える人はいないのではないか。

歌を聞いていて思った。若いころはファンとかではなく、ただ歌は好きだった。今聞くとその歌の持つ包容力がいい。こういう包容力がおばさんは欲しかったのかと改めて感じた。そいう人が好きなのだなぁ。たしかに!とひとり納得。

「今以上 それ以上愛されるまで あなたのその透きとおった瞳の中に・・・」 だったかな。本当の歌のこころを知っている人がすくなくなった気もする。

 

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「姓」を得るということ

2021-11-16 17:14:56 | 日記

だいぶ夜間冷え込んできたのか、出ていた手が冷たくて目が覚めた。それでも体調がいいのかお布団のなかは天国だ。コロナの感染が広がるときは、夜はよく眠れなかった。気持ちが不安定だったのだろう。

少し前に見たネットの見出しに「初めて姓を得た人を祝福して差し上げたら・・・」があった。ああ、そうか、「名」はあっても「姓」は・・・。私たちは親の出生届と同時に「姓」を得ることができる。この問題も時代の流れで難しくなるのだろうか。そもそも戸籍があるのは、日本のほかは韓国と台湾だけだ。だから、チュンさんは父親を探せたんだ。(失礼、横道でした)海外では出生、婚姻、死亡の各登録簿の他に、家族簿を設けていることが多いらしい。婚外婚の場合でも名簿がある国もある

夫婦別姓はこれだけ働く女性も多くなったから、考える必要はある。でも、夫となる人の姓に変わることがうれしい人もいるかもしれない。様々な面でこの国はやはり保守的だ。ご夫婦でなにか資格を取るときや美術や音楽などを志すときは男性が女性(奥さん)に助けてもらっている場合が多い。養う力もないのに結婚だなんてという考えもかなり多いことに気が付いた。この雇用が不安定な時代にはさまざまな夫婦の形もあるだろう。二人がOKならばそれでいいと思う。さらに結婚届など出さずに事実婚の人もいる。

この頃思うのは、夫婦でもお互いの生き方をしっかり持って話し合いながら生活していくのがいいのだろうということだ。そういう時代になってきているのではないだろうか。私に周りでは、老後何をしていいのかわからない(ただ買い物をするくらいの)人がいる。そういう意味では、厳しい時代だ。だから、二人は自立して一緒にいることに意味があるのだろういいなぁ、そういうご夫婦は。

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先生よりも寄り添ってくれる人

2021-11-15 20:17:17 | 日記

今年の秋は時雨ることも少なく過ごしやすい。出かけたいところはたくさんあるが、お財布と相談でおとなしくしている。

「先生」よりも「寄り添ってくれる人」という言葉があった。選挙の当落に関する記事だ。本当に「先生」が多くて、あなたはどこを向いているのですか?という感じだ。でも、お友達がある議員の秘書をしていたが、それはいつも絶え間なく人が「先生」とお願いに事務所に来るのだから「先生」はやめられないという。彼女自身も秘書をやめてからもどこか「議員秘書」だったなぁ。

「寄り添う」ということはなかなか大変なことだ。そう思って、サッカー仲間とも過ごしているが果たしてどうなのかと思うことも多い。「言葉少なくして誠であれ」と思っているが、その言葉を探すのが問題だ。確かに、いろいろな感情は経験した。そのことには最近自信を持てるようになった。仕事にしても生活の面にしても通りぬけたことは色々ある。なにか、それも悲しく思えることもある。必要のない経験だったのかなと。そして、自分の思いを告げられる人が(わかってもらえる)友達が少なくなった。

でも、自分にできることはこれだけだけだから、いつも誠実に真剣に向かい合えたらと思う。

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あいをつらぬくということ

2021-11-14 21:26:08 | 日記

久しぶりに御ミサを授かった。4つの教会に3人の神父さま、日本語、英語、スペイン語、ポルトガル語のミサになると、日本語のミサは月に1回だけになる。今日は日本語のミサで、韓国の神父様だった。コロナ対策の中、まだ声を出して祈ることができない。今日は第5回「貧しい人のための世界祈願日」で、教皇様のメッセージがあった。「貧しさ」は物質的に恵まれた人たちのなかにもあるという。「貧しさ」とはを考えるミサだった。

昨日寂聴さんのことを思った。99年生きて残ったものは「ひとを愛したことだけだ」と話していた。「あいする」ということは結果を恐れることではない。今、目の前にいる人に「あい」を捧げることだろう。ひとはその時期その時期で成長し、その「あい」も成長するのだろう。なぜ、あの人のような人を愛してしまったのだろうと思うこともあろう。それはそれでいいと思う。そして、またあるときはあの人をあいしてよかったと思うかもしれない。

私は今日NYへ旅立たれたお二人はお幸せだと思った。批判にも傷つきながらも絶えて旅立った。批判はなんとでもできる。でも、単なる私利私欲では貫くことができない時間だったようにも思う。欲しい自由のために人を苦しめたかもしれないし、そのために苦しみ悩まれたことも多かっただろう。一緒にいたいというお気持ちだけは、誠実で間違いのないことではないだろうか。それを善悪という道徳で裁くことはできない。あとのことをどうこういうのは、もはや大きなお世話のような気もする。あいするひとと仮に何年かでも暮らせたということは、しあわせなことだろう。

あいをつらぬくとはきびいしことだ。私のような自己肯定感が低かった人間は、つい引いてしまうし、相手のことを信じがたくもなる。(なぜわたしを?と)

この頃思います。「あい」を知る人は意外に少ないと。ましてや大人のあいを。

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