日本経済新聞掲載の7月の『私の履歴書』は、加山雄三だった。
読んでみて、トップスターとして、世紀の二枚目俳優の御曹司として、巷間イメージされている彼の像が大きく覆ることはなかった。
彼自身が語っている内容は、ファンあるいは読者にとっては初めて知るものだが、家族愛・青春・悩み・借金苦・浮き沈み・不安など、我々と同じレベルであることで、より親近感を持つことになったのではないか。
音楽、科学、船・・・、「俳優をやるつもりはなかった」など、父親もそうだったといういうから面白い。
子供の成長にとって、いかに家庭環境が大事か。小学生の時には、戸棚から引っ張り出したSP盤のベートーベンの「皇帝」を繰り返し聴いては、突き上げられる思いに、ポロポロ涙が出てきた、と述懐。中学校を卒業するころには「英雄ポロネーズ」が全曲弾けたという。「夜空の星」のメロディーは、14歳で作ったとも。
父 上原 謙 母 小桜葉子
「手作りカヌー」は中学2年生のとき。大学生までの間に8隻を造船し、この癖が、現在の4代目光進丸に続いているといえる。全長64メートル定員24人の設計図は書き上げているという。
「恋は紅いバラ」に似たバラードを1時間半で作ったのが「君といつまでも」だったり、「君といつまでも」の音入れのときに、感激のあまり、「幸せだなあ」と感嘆したことが、「それ行こう!」と間奏のせりふになったり、「夜空を仰いで」は江ノ島沖の船の屋根の上で、また、「ある日渚に」はリオデジャネイロで、出来上がったなどの作曲に纏わるエピソードが数あって面白い。
叔父の債務の保障をしたことによる23億円の返済が、語るも涙の物語。個人の税金の延滞利息が国税日歩4銭3厘、地方税2銭6厘という恐ろしさ。自作の楽曲の著作件を抵当にいれ、アメリカに逃げる。その先に夫人となる松本めぐみとの結婚話が繋がってくるのだから波乱万丈。
稼ぐためにナイトクラブやキャバレー回りもやり、「兄弟仁義」は大いに受けたという。「人生劇場」「別れの一本杉」「港町ブルース」・・などを入れたアルバム『演歌流し唄』はこの頃の作品。
他にも、圧雪車に轢かれて瀕死の重傷、若大将の復活ブーム、ステージの失敗談、極寒での撮影行、父・上原謙の死などドラマ・エピソードが満載。
結語。「来年はデビュー50周年を迎える。生涯現役でやっていくため、酒もたばこもやめた。僕は歌いたい。夢をこころに、いつまでも」
この言やよし。今度カラオケで、加山雄三三昧やっちゃおう!!。