異文化の中で生活していると、問題なく適応できるものと、いつまでも違和感が残るものと分かれる。
ハグや、毎日言い合う「アイラブユ~」などは、もともと暑苦しいのが大好きな私には、一瞬で慣れた。
パーティ三昧や、おおらかな人たち、食べ物なども、それなりに楽しめるようになってきた。
どうしてもドキっとするもの。
それは夫婦や恋人同士で言い合う 「ハニー」 という呼称。
友人夫婦や、夫の両親は、かなり頻繁に、しかも自然に「ハニー」と呼び合う。
あとには必ずハートが付く、ハニーだ。
「ハニー、それを取ってくれる?」
「○○(名前)、ハニー?そこにいるの?」
「おはよう、ハニー、よく眠れたかい?」
ハニーという言葉が出るたびに、私はお尻のあたりがムズムズする。
その言葉だけが、ザルの目から落ちないもののように、いつまでも耳に残る。
日本語にあてはめるには無理があるが、あえて言うなら、夫のことを「あなた」と呼ぶに近いのだろうか。
私の知り合いで、夫を「あなた」と呼ぶ人を知らないし、夫を苗字で呼ぶ人にも会ったことがない。
たぶん、そういう人と出会ったら、私は同じようにムズムズするかもしれない。
何歳になっても、男と女。
私はそれが好きで、ガイジンと結婚したようなものなのだが、
六十代も後半の、夫の両親が、ハニーと呼び合い、出かけるといってはキス、帰ってきてキス、
2台の車に分かれて乗るだけでキス、という日常を目のあたりにすると、
私は見なくていいものを見てしまったような気持ちになってしまうのは、私が骨の髄まで日本人だからだろうか。
夫とは、男と女じゃないほうが楽だと、日本人の友人達の何人かは言う。
彼らには子供がおり、子供の父親、子供の母親役でいるほうが気楽なのだという。
そろそろ子供も家を出るような年齢になってきて、「二人きりになったときのことを思うとゾッとする」、のだそうだ。
その気楽さも、わからないではないけれど、
子供がいない夫婦は、ずっと夫役、妻役をするしかない。
私が最初に結婚した相手とは、10年余も表面は「父と子」、その実は「母と子」のような関係だった。
ガイジンのように愛情表現ベッタベタが苦手な日本人の気質というのは厄介で、
男女が無理なら、昔の私のように擬似親子になったり、友人になったり、きょうだいになったりしながら続けてゆくのかもしれない。
私もいつか自然に「ハニー」と言ってみたい気もするのだが、
言おうとすると、しゃちほこばって言葉がつかえて出てこない。
だから仕方がなく、日本語で「はちみつ」と言う。
「ちみつ」が言えて、なぜ「ニー」が言えないのかわからない。
「ねえ、はちみつ、これどう思う?」
ハニーより断然変だ。あえて反論しない夫も変だ。
何もそこまでしてハニーにこだわるこたぁない、日本人なんだしと思いつつ、
アメリカ人の暑苦しさを極めてみたい気持ちも、まだあるのである。
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ハグや、毎日言い合う「アイラブユ~」などは、もともと暑苦しいのが大好きな私には、一瞬で慣れた。
パーティ三昧や、おおらかな人たち、食べ物なども、それなりに楽しめるようになってきた。
どうしてもドキっとするもの。
それは夫婦や恋人同士で言い合う 「ハニー」 という呼称。
友人夫婦や、夫の両親は、かなり頻繁に、しかも自然に「ハニー」と呼び合う。
あとには必ずハートが付く、ハニーだ。
「ハニー、それを取ってくれる?」
「○○(名前)、ハニー?そこにいるの?」
「おはよう、ハニー、よく眠れたかい?」
ハニーという言葉が出るたびに、私はお尻のあたりがムズムズする。
その言葉だけが、ザルの目から落ちないもののように、いつまでも耳に残る。
日本語にあてはめるには無理があるが、あえて言うなら、夫のことを「あなた」と呼ぶに近いのだろうか。
私の知り合いで、夫を「あなた」と呼ぶ人を知らないし、夫を苗字で呼ぶ人にも会ったことがない。
たぶん、そういう人と出会ったら、私は同じようにムズムズするかもしれない。
何歳になっても、男と女。
私はそれが好きで、ガイジンと結婚したようなものなのだが、
六十代も後半の、夫の両親が、ハニーと呼び合い、出かけるといってはキス、帰ってきてキス、
2台の車に分かれて乗るだけでキス、という日常を目のあたりにすると、
私は見なくていいものを見てしまったような気持ちになってしまうのは、私が骨の髄まで日本人だからだろうか。
夫とは、男と女じゃないほうが楽だと、日本人の友人達の何人かは言う。
彼らには子供がおり、子供の父親、子供の母親役でいるほうが気楽なのだという。
そろそろ子供も家を出るような年齢になってきて、「二人きりになったときのことを思うとゾッとする」、のだそうだ。
その気楽さも、わからないではないけれど、
子供がいない夫婦は、ずっと夫役、妻役をするしかない。
私が最初に結婚した相手とは、10年余も表面は「父と子」、その実は「母と子」のような関係だった。
ガイジンのように愛情表現ベッタベタが苦手な日本人の気質というのは厄介で、
男女が無理なら、昔の私のように擬似親子になったり、友人になったり、きょうだいになったりしながら続けてゆくのかもしれない。
私もいつか自然に「ハニー」と言ってみたい気もするのだが、
言おうとすると、しゃちほこばって言葉がつかえて出てこない。
だから仕方がなく、日本語で「はちみつ」と言う。
「ちみつ」が言えて、なぜ「ニー」が言えないのかわからない。
「ねえ、はちみつ、これどう思う?」
ハニーより断然変だ。あえて反論しない夫も変だ。
何もそこまでしてハニーにこだわるこたぁない、日本人なんだしと思いつつ、
アメリカ人の暑苦しさを極めてみたい気持ちも、まだあるのである。
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