片付けられない病気があると言われるようになったのは、それほど昔ではないと思う。
テレビで取り上げられるような、足の踏み場もない部屋とか、食べ散らかしたものが何ヶ月も放置してあるなんていうのは病気としても、
片付けることが苦手だというぐらいの人なら普通にたくさんいる。
そしてそういう人の中には、 「なぜだか知らないけれども何となく散らかってしまう」 という人もいると思う。
その人たちに向かって、「片付けて、それをキープしろ」というのは、
身長が150センチの人に、がんばって170センチになれと言うようなもので、
カルシウムをとったり、運動したり、努力はしてみるけれども、まあ無理だろうと思うのである。
私の母が、その「なぜだか知らないけれど何となく散らかってしまう」人だと知ったのは、
私が結婚して家を出てからである。
家の中がものすごく散らかっていたわけではなく、何となくモノが外に出ていて、それがそのままその置き場になっているというふうで、
父が片付け魔のキレイ好きで、ちょうど調和が取れていたと思う。
自分の住まいを持ったとき、私はできるだけ片付けて暮らしていた。
たまに実家に帰ると、どこか雑然とした家の中が気になって、片付けまくったり、母と口論になったりしたが、
年を重ね、私もまるくなり、気づいた。
母は、片付けることが苦手であっても、それを補うものがたくさんあるのだから、母は母のままでいい。
料理も裁縫も根気も忍耐も、どれひとつとして私が及ぶものはないのだし。
そうやって、母の片づけが苦手な部分を受け入れると、私のストレスが減った。
そして私がまるくなって気づいたことがもう一つ。
母のようになるまい、と思って暮らしていた私だが、実はちゃんと私も受け継いでいたということだ。
小学生の頃、実家を建て直した。
2階に洋間と和室があって、そこを三姉妹で使うことになった。
和室には作り付けのクロゼット式押入れが二つあり、その一つを私が使っていた。
或る時、クラスの友達が男女交えて遊びに来て、新しい部屋でゲームをしたりして遊んだあと、帰りしなにテラマンが
「ここはどうなってんの」
と言うがいなや、私の使っている押入れのドアをいきなり開けた。
そこには、友達が来るからといって何でもかんでも押し込んだものがギュウギュウに詰まっており
「なんだ、家はきれいでも中はそうでもないんだな」
と言ったテラマンの言葉に、私は文字通り顔から火が出る思いだった。
ちょっといいなと思っていた望月君もそこにいたのに、と思うと自分のズボラは棚に上げ、
恥ずかしさはすぐにテラマンに対する激しい憎悪に変わった。
片方の鼻の穴に鉛筆が3本入るのが自慢の、そんなヤツに、なんでそんなこと言われなくちゃならんのだ!
私の怒りの形相がすごかったのか、望月君が
「よし、来た時よりもきれいにして帰ろうぜ」と言って、ゲームを片付け始めた。
思えば、あの頃から既に私はそうだったのだ。
大人になって自分の住まいを持つようになり、私はきれい好きで整頓上手だと思い込んでいた自分が憐れである。
整頓はするが、それをキープするのに超人的な努力が必要となる。
今住んでいるこの家は、物を出しておくのが嫌いな夫の母のコントロールのもと、モデルルームのように整然としている。
「なぜだか知らないけれど何となく散らかってしまう」タイプの人も、物がないきれいな部屋は好きだ。
だから私の使う部屋やクロゼットも、きれいに片付けるのだけれど、それが持たない。
ベッドサイドのテーブルには、これとこれとこれだけ、と決めても、そこに読みかけの本が置かれ、その横にサングラスが増え、
しまうと忘れるからという理由で別のものが置かれて、
それを見るたびに、何となく物が外にでていて、そのままその置き場になっていた実家の様子が思い出されるのである。
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テレビで取り上げられるような、足の踏み場もない部屋とか、食べ散らかしたものが何ヶ月も放置してあるなんていうのは病気としても、
片付けることが苦手だというぐらいの人なら普通にたくさんいる。
そしてそういう人の中には、 「なぜだか知らないけれども何となく散らかってしまう」 という人もいると思う。
その人たちに向かって、「片付けて、それをキープしろ」というのは、
身長が150センチの人に、がんばって170センチになれと言うようなもので、
カルシウムをとったり、運動したり、努力はしてみるけれども、まあ無理だろうと思うのである。
私の母が、その「なぜだか知らないけれど何となく散らかってしまう」人だと知ったのは、
私が結婚して家を出てからである。
家の中がものすごく散らかっていたわけではなく、何となくモノが外に出ていて、それがそのままその置き場になっているというふうで、
父が片付け魔のキレイ好きで、ちょうど調和が取れていたと思う。
自分の住まいを持ったとき、私はできるだけ片付けて暮らしていた。
たまに実家に帰ると、どこか雑然とした家の中が気になって、片付けまくったり、母と口論になったりしたが、
年を重ね、私もまるくなり、気づいた。
母は、片付けることが苦手であっても、それを補うものがたくさんあるのだから、母は母のままでいい。
料理も裁縫も根気も忍耐も、どれひとつとして私が及ぶものはないのだし。
そうやって、母の片づけが苦手な部分を受け入れると、私のストレスが減った。
そして私がまるくなって気づいたことがもう一つ。
母のようになるまい、と思って暮らしていた私だが、実はちゃんと私も受け継いでいたということだ。
小学生の頃、実家を建て直した。
2階に洋間と和室があって、そこを三姉妹で使うことになった。
和室には作り付けのクロゼット式押入れが二つあり、その一つを私が使っていた。
或る時、クラスの友達が男女交えて遊びに来て、新しい部屋でゲームをしたりして遊んだあと、帰りしなにテラマンが
「ここはどうなってんの」
と言うがいなや、私の使っている押入れのドアをいきなり開けた。
そこには、友達が来るからといって何でもかんでも押し込んだものがギュウギュウに詰まっており
「なんだ、家はきれいでも中はそうでもないんだな」
と言ったテラマンの言葉に、私は文字通り顔から火が出る思いだった。
ちょっといいなと思っていた望月君もそこにいたのに、と思うと自分のズボラは棚に上げ、
恥ずかしさはすぐにテラマンに対する激しい憎悪に変わった。
片方の鼻の穴に鉛筆が3本入るのが自慢の、そんなヤツに、なんでそんなこと言われなくちゃならんのだ!
私の怒りの形相がすごかったのか、望月君が
「よし、来た時よりもきれいにして帰ろうぜ」と言って、ゲームを片付け始めた。
思えば、あの頃から既に私はそうだったのだ。
大人になって自分の住まいを持つようになり、私はきれい好きで整頓上手だと思い込んでいた自分が憐れである。
整頓はするが、それをキープするのに超人的な努力が必要となる。
今住んでいるこの家は、物を出しておくのが嫌いな夫の母のコントロールのもと、モデルルームのように整然としている。
「なぜだか知らないけれど何となく散らかってしまう」タイプの人も、物がないきれいな部屋は好きだ。
だから私の使う部屋やクロゼットも、きれいに片付けるのだけれど、それが持たない。
ベッドサイドのテーブルには、これとこれとこれだけ、と決めても、そこに読みかけの本が置かれ、その横にサングラスが増え、
しまうと忘れるからという理由で別のものが置かれて、
それを見るたびに、何となく物が外にでていて、そのままその置き場になっていた実家の様子が思い出されるのである。
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