日本の友人と、LINE通話で話をしたとき。
友人「で、その店員が噛みたいようでさー」
私「なにを?」
友人「態度がね」
私「だからなにを?」
友人「だから店員の態度が」
私「?????」
その店員が、何を噛みたいというのか。
良い対応をされたとき、それを神対応というのだと
友人は丁寧に教えてくれた。
私「なーんだ、あたし、話がパープリンだったよぅ」
友人「・・・・・パープリン・・・わかるけど、もう使わないよ・・・」
私と夫が、不毛な会話をしているのは日常茶飯事だが(「ボックスワゴン」の記事はコチラ)
友人とも私は不毛な会話をすることが増えた。
こんなこともあったし。(「あたらしい日本語」の記事はコチラ)
以前にも書いたけれど、
ユーモアも、その文化に接していないと、そのセンスから取り残されるのだと知ったのは
日本から来た友人が、今これが1番ウケてるのだといって、コメディアンの動画を見せてくれたとき。
駄目よ、ダメダメー、と繰り返し言うソレの、どこがおもしろいのかがわからなかった。
帰省して友人の家に集まったとき、テレビでお笑いをやっていて、
まわりの人たちがドッと笑うところで、笑えない。
そのかわり、野口五郎さんがマイクを持って駅の改札口から外に向かって歩きながら
「かいさーつぐーちでー、つまづいたぁー」
と歌って、つまづいてみせたとき、ワハハー!!と笑ったのは私一人であった。
人生が忙しくなり、自分のことで一杯でテレビを観なくなったのが20年前。
今の夫と出会ってからも、夫は日本語がわからないからテレビはほとんど観なかった。
ということは、私のお笑いセンスは、いいとこ2000年あたりで止まっている。
「カックラキン大放送」の、野口五郎さんのズッコケや、布施明さんのボケは
おもしろかったよねー、という話をしても、
「え、布施博じゃなくて?」
と言われたりする。
話は戻って、神対応。
良くない対応のことは、悪魔対応とかいうの?と聞いたら
塩対応、というのだそうだ。
言葉は常に変化していて、旬の言い回しは、それを説明した途端に勢いがなくなるのは承知しているが
なんかもう、年々、浦島太郎感が半端ないのである。