本屋で働いていた時のことだ。
学生アルバイトのジェシカが、今日は仕事に行けないという電話をかけてきた。
理由を聞くと、宿題が多すぎて、と言う。
たまたま来ていたオーナーが代わり、そんなことは理由にならないとかなんとか言い、
電話を切ったあと、そこにいた私の同僚たちが「甘い」だの「常識がない」だのと言い合った。
そこまで言うほどのことかと私は思ったけれど、めんどくさいので黙っていた。
仮病を使うでもなく、正直に宿題が多いと言ったジェシカのあっけらかんさが
私はむしろ好感が持てた。
たかが学生のアルバイトなんだし、ジェシカはこれが初めてのアルバイトだ。
こういう私の意見は少数派なんだろう。
私にはジェシカを責められない理由がある。
社会で働き始めた頃の私は、それはもうひどかった。
私はごく普通の家庭で、まあ常識的に育てられたと思っていたが、私の自由度は常識を超えていた。
街を歩いていたら、社長を見かけた。
地方とはいえ、一応ちゃんとしたテレビ局の社長といえば社員には雲上人、
入社式やパンフレットの中の写真ぐらいでしかお目にはかかれない。
それを私は、
「社長ーーーーッ!!!」
ブンブンと手を振りながら駆け寄った。
社長は私を知るはずもないが、そんなことはお構いなしだ。
「先月入社した、美術の〇〇ですー、今日はどちらまで?」
社長は戸惑いながらも、そこのホテルで会合があって、というようなことを言った。
その話をすると、聞いた人は一瞬引いた。
まるでホステスと常連客のオヤジじゃないか、という人もいた。
自分勝手で、周囲の和を乱すようなこともしたし、上司と喧嘩もした。
美術部のチーフが、何度、私の親に訴えでようかと思ったという。
入社して1年ほどした頃、直属の先輩だった人が身体を壊して、
私が彼女の分もカバーせねばならなくなり、その辺から私は見違えたように(と自分で言うのもアレなんだが)普通の働き者になった。
「いったいどうなっちゃってんの?」
とチーフが目を丸くするほどの変貌ぶりだ。
めちゃくちゃだった私は二十歳だったが、ジェシカは18だ。
宿題が多いから仕事に行けないぐらい、なんだっていうのだ。
今の職場でも、18ぐらいの若者が入ってくることがあるけれど、
私のアホさに比べたら、みんなしっかりしていると感心する。
その後、ちょっとは社会に揉まれて、私はわかったような大人になった。
けれども、はみだして厄介者だった二十歳の自分を忘れたことはない。
若者よ、おおいにはみ出し、自由に生きよ。
なんのお手本にもならない大人の私から、なんの肥やしにもならない激励の言葉である。