同僚が、東京のディズニーランドに行くのが夢だ、と言う。
子供の頃、アメリカのディズニーランドに行ったことがあり、
まさに夢の中にいるような、忘れられない楽しさだった。
東京のディズニーランドは、楽しさも美しさもアメリカに引けをとらない上に
1日でじゅうぶんまわることができるし、
なにより日本にある、というのが魅力なのだそうだ。
「東京ディズニーランドに行ったこと、ある?」
やっぱり聞くか。
「それが、行くチャンスがなくて行ってないんだよ」
ディズニーランド好きには、私はそう答えることにしている。
東京にディズニーランドができたとき、私は19歳で美大生だった。
私の周囲の美大の仲間たちには、ディズニーランドに興味がある人はいなかったし、
パン屋でもらってきたパンの耳にサラダ油をつけて食べているような、貧乏学生が多かったから、
興味があっても、行くお金がある人は少なかった。
数年後、地元に戻り、職場の友人たち4人で行ったのが、最初で最後のディズニーランドである。
仲間で遊んだのは楽しかったが、ディズニーランドは私はまったく楽しめなかった。
夢の世界に入り込めない私には、すべてが嘘くさく見えてしまい、
テンションの高さが苦痛だった。
ファンタジー映画は大好きなのに、ディズニーランドが苦痛になるのは、
子供の頃にディズニーランドがなかった
というのがひとつの理由ではあるまいか、と思う。
せめて中学高校時代にディズニーランドに行けたなら、また違ったかもしれないし、
子供がいたら、子供を連れて行くことによって、楽しさを発見することもあったかもしれない。
私がファンタジーの世界で浮いてしまうのは、
子供の頃にディズニーランドがなく、自分の子供を連れてゆく機会もなかったが故で、
けして心が薄汚れているからではないのである。
と、思いたい。
「東京ディズニーランド、いったいいつ行けるんだろう」
同僚が溜息をつく。
コロナウィルス以来、世界はグッと広く、遠くなってしまった。
面倒なことも、不安もなく、どこにでも行けたこと自体が、今は夢のように思える。